第4話 大樹海の歩き方

「――さて。それじゃ、今日の目標だ。薬草の群生地まで行く。素材を採取してきて、それらで何か薬を2種類作る、魔物を見つけた場合は――そうさね。あんたの手に負えそうなら任せるし、無理なら避けるとしよう」


 ロナは薬草採取用の小さな鞄をクレアの肩からかけるとそう伝えて、その辺りまで散歩にでも行くというような軽い足取りで戸口に向かう。


「……魔物……。糸の術は使ってもいいのですか?」


 腹話術で尋ねてくる。人や人形の表情は変わらないのに角度や身振り手振りなどで感情や自己表現をしてくるクレアである。クレアとのコミュニケーションは、実際に人形を与えたことでとてもしやすくなったというのは事実だ。人形を介した腹話術の方がクレアは流暢で会話も増えるというのはロナにとって面白くもあったが。


「あんたの力だ。自分の判断で好きに使って構わないさね。ただ、奥の手や切り札を見せるのならその後の事も考えときな」

「分かりました。手札の見せ方や切り方は考えます」


 強い魔物を取り逃した場合、しっかりと記憶されるので後で面倒なことになる、というのがロナの教えだ。クレアは手中に魔力の輝きを宿しながらもロナに続く。


 庵の周囲を囲っている柵は、見た目は何の変哲もない木で作られたものだ。ただ、庵全体を強固な魔物除けの結界が囲っており、外と内を隔てるという意味では城壁のようなものだ。


 逆に言えば、柵から一歩外に出ればもうそこは大樹海だ。クレア自身の展開した結界や魔法で身を守らねばならない。そのことはロナから言い含められていたことでもある。


「ま、今日は初めての大樹海だからね。あたしがやってることを真似ながらついてきな」


 ロナはいくつかの術式を展開して自身に施す。同じ術をクレアはロナに続いて起動させた。それを見届けると、クレアに木造りの門扉を空けるように促してくる。


 頷いたクレアは一旦目を閉じて大きく深呼吸してからそれを開く。

 そして――結界から一歩外へと踏み出した瞬間に、周囲を包む空気の変化を肌で感じた。


 景色はしっかりと見えているのに方向感覚が失われていくというのは、クレアにとって前世も含めて初めての経験であった。


 小道は鬱蒼とした森の中へと続いている。


「それじゃ行くよ」

「いつでも」


 これまでに伝えられてきた大樹海の歩き方を思い出しながら、クレアはロナの後に続く。ロナの行く手を阻んでいた茂みが、左右に分かれて道を作った。森歩きの術だ。重複してしまうために後ろに続いている今は意味がないが、クレアも同じ術を展開させている。


 二人のその掌の上には光の羅針と小さな点。針は方位を。光の点は庵の方角、その色は庵からの距離を指し示す。通常の方位磁針は大樹海では役に立たないからこうした術式を組んで現在位置を把握する。もっとも、この術はロナには必要ないのだという。


 魔物との戦いを避けるには、隠密結界も必要だ。

 これにはいくつか種類がある。まずそこに何かがあると思わせない認識阻害型。

 人払いの術と呼ばれるのもこの系統だ。何となく忌避感を抱かせたり、注意を払いにくくさせるというもの。


 これが庵の周辺に展開しているような強い魔物払いの術だと、忌避感どころか危機感すら抱かせて遠ざける形となる。


 自身を不可視にする、或いは幻術、幻覚を被せる擬態型というのもある。


 ロナとクレアが今展開しているのは自身を中心とした複合型の結界だ。

 結界外の対象の認識に働きかけ、森を進む際に動く茂みを認識させない。音や臭いを漏らさず気配を察知させない。そういった隠密結界の術であるが、結界の内側にいるクレアにはロナの姿も認識できている。


 それに魔物との不意の遭遇を避けるための探知系の魔法。

 これらは常時発動させ続けるというものではなく、一度かければ一定時間構築した術のプログラム通りに維持され続ける。

 今回の探索で用いられている術式は全てそうした性質だが……これは術者の負担を減らす反面、想定外の状況に対応できなくなる可能性があった。


「まあ、樹海歩きの初心者用さね」


 というのがロナの弁だ。世間の常識は違うが。

 ではロナの言う1人前だとどうなるのかと言えば……臨機応変に対応できる術式を多重起動していくという形になる。実際にロナはそうすることができた。通常の隠密結界で対応しきれない魔物が近付いた時は種類や状況に応じて変えるのだ。


 クレアにはまだそこまでの芸当はできない。いや。術の再現自体はできなくもないが、その維持に手一杯になってしまって探索しながらというのは難しいというのが正確なところか。奥地に向かうわけではないのでその辺は大丈夫だろうというのがロナの見立てであるが。


 樹海の浅い方角にはそこまで貴重な薬草があるわけではない。奥地――中心部に向かえば向かう程、魔素が濃くなり、貴重な素材を得やすくなるもののその分危険度が増していくのである。


 ただ、今日の目的は素材採取の実践だ。

 薬草の群生地がある方角へと進みながら、ロナは当たり前のように道中で発見できるものを杖で指し示していく。


「あんたの探知系にも小さい魔力が引っかかってるだろ。反応の仕方を理解したなら、次からはあんたが見つけて採取しな」

「はい。小さい反応ですから気を付けていないと見逃しそうですね」

「ま、その辺は慣れさね」


 今のクレアが初心者用の魔法セットでないと探索できない理由の一つがこれだ。術式の維持に精一杯では、小さな素材の反応を感知し切れない。

 薬草にキノコ。虫やトカゲのような小動物。それらをクレアは採取していく。


 採取の仕方も間違っていないかロナがしっかりと監督している。

 例えば傷薬の原料になる薬草の一部には、特徴がよく似た毒草と入り混ざるように自生していることが多々あり、見分けるには根まで掘ってその形状をしっかりと確かめる必要がある。


 そうやってクレアとロナは静かに大樹海の中を進んで行く。時折探知のコンパスに強い魔力の反応があり、クレアの表情には緊張が走るもののロナは何食わぬ顔で立ち止まったり、或いは進む方向を少し変えて対応する。


 感知した魔物は今のクレアでは手に余る。或いは安全マージンが確保できないという判断なのだろう。クレアから見ればここまでに感知した魔物よりも、ロナの方が遥かに強いと感じられるのだが、自分が狩猟するとなれば話は別だ。


 ――そして無事に薬草の群生地に辿り着いた。道中で採取した素材と合わせれば調合に必要とする分には届く見積もりだ。


 クレアは何本かの薬草を採取し、終わったことをロナに伝える。


「ふむ。まあ、ここまでは及第点かね。採取もそうだし、歩き方もだ」

「歩き方?」


 歩き方は習っていたが、ロナという手本が同行しているならその辺は評価点になるのだろうかとクレアは不思議そうな表情――というよりも首を傾げて疑問に思っていることを示す。人形も共に首を傾げている。


「魔物を感知して戦力差も理解してただろ?」

「はい。ロナの迂回の仕方も、習った通りにしてお手本を示してくれていると感じていましたが」

「そうだ。魔物の魔力反応と、その種類までは結びついてないだろうが、そういうのは狩れそうだと思った時に確認すりゃいい。見た目と対処法についてはもう教えてるからねぇ」

「危なそう、面倒そうと思ったら相手をする必要はない、でしたね」

「あたしもあんたも兵士じゃない。どうしても今すぐ素材が必要とかじゃないなら、狩れる相手を狩ればいいのさ。……で、こっちだ」


 ロナはそこまで言うと大樹海の一方向を指差し、にやりと笑った。


「この先にあんたでも勝てそうなのがいる。発見したからには狩りにいくよ。覚悟はいいね?」

「……おおう。初めての実戦です」


 同じ術を使っていても、ロナの探知範囲はクレアより広い。ロナが立ち止まったり進行方向を変えたりしていたのは、クレアがしっかりと魔物を感知し、戦力差を理解した後でのことだ。


 そうしてロナと共に魔物を感知した方向へと進んで行く。

 少し進むと、クレアの探知範囲にも魔物らしき反応が引っかかる。クレアがぴくりと反応するとロナが尋ねる。


「感知範囲に入ったようだね。どんな事が読み取れる?」

「樹上にいますね。しかも複数。これは――枝から枝に飛び移るような動き……で、こっちに移動中のようです」


 クレアの答えに「十分さね」と頷く。


「あんたには既に教えている魔物でもある。あたしゃ手を出さないから1人で狩ってみな」

「分かりました」


 ロナの言葉に短く答え、クレアの目が半眼になる。

 隠密結界で自分の姿を隠しながら先に探知できるということは、接敵までに戦闘のための前準備ができるということでもある。

 魔物が向かってくるなら待ち構えての狩りだ。状況はクレアにとって有利と言えた。

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