第3話 少女の記憶

 ――記憶。クレアには自分ではない自分の記憶があった。

 地球という星。日本という国。そこで暮らしていた誰かの記憶だ。生まれ変わりだとか輪廻転生という概念も記憶の中にあったから、現状とは全く繋がらない過去の記憶も、そういう事もあるのだろうとあっさり受け入れられた。


 どうも以前の自分はパペッティアや操り人形師と言われる職に就いていたようだ。日本でも珍しい職業だと思う。芸を人に見せる職であるから、なるのが難しい割に儲かるわけではないというのがあるだろう。


 それを知りながらも自分の仕事にしようと思った切っ掛けは……幼い頃に大病を患って入院をしていたことから始まる。入院患者の慰問公演にやってきたパペッティアの女性の公演に……そう、強く魅せられたのだ。


 小さい頃から長期的に入院していた少女には、友達がいなかった。身体が弱い自分に自信が持てず、内気で大人しい。趣味もあまりなく、祖母から入院中寂しくないようにと貰った人形だけを大事に抱えているような。そんな子供時代だ。


 パペッティアの人形繰りに魅せられたのは、だからなのだろう。人形がパペッティアと掛け合いをして、歌い、踊り、おどけてみせて、活き活きと動いている様。腹話術で話している様。人形が友達になってくれたようで、少女にとっては灰色だった世界が色づいて見える程の衝撃だったのだ。


 気が付いたら公演を終えたパペッティアのところに向かい、そんな風に上手く人形を動かせたら楽しそうだと、どうしたらパペッティアになれるのかと質問していた。

 パペッティアは質問をしてくる子供を邪険にすることもなく、親切に答えて、人形の操り方を教えてくれさえした。初めてにしては上手いと褒められて、とても嬉しかったことが強く記憶に焼き付いている。


 個人的な繋がりを得て、歳の離れた友人になり、初心者向けの操り人形を誕生日のプレゼントに送ってもらって。そのまま師弟関係になった。

 成長して身体が丈夫になってからもその関係は続き、本当に本腰を入れてパペッティアを目指すのならば劇団員になるのが良いと聞いて、将来をどうするかの心はほとんど決まっていた。


 両親には反対された。それはそうだ。芸を人に見せるだけで食っていけるのかという意見はもっともなものであったから。

 それでも反対を押し切り、バイトをしながら人形りの修行をして。それから正式に劇団に所属し、師と共演する形で舞台にも立った。師と共にホテルのショーやイベントなどにも呼ばれて仕事を貰ったりもした。


 それほど大きな劇団というわけでもないので副業もせねばならず忙しくはあったが――パペッティアとしては充実していたと思う。

 私生活でも操り人形の素体を手に入れてハンドメイドでカスタムをし、朝から晩まで操り人形漬けの生活ではあったがとても楽しかったのだ。


 そんな日々に水を差したのは、他ならない劇団の運営に携わっていた人物だ。

 公演で借りる劇場に支払うはずの資金や、劇団員に支払うための給与を横領して行方を暗ませて大騒ぎになり……劇団は活動停止を余儀なくされてしまったのである。


 信頼していた仲間がそんな事件を起こしたことは悲しくもあったが、それで道を諦められるならば最初からそんな茨の道を選んではいない。

 何より人形繰りが楽しいからこそ困難はあれど続けてきたのだから。内気で口下手で、人前であまり上手く話せなくとも人形繰りは声を出さなくてもできる。腹話術とその掛け合いでならば、思うように振る舞うことだってできた。


 ストリートライブをしたり、自前の人形で動画配信をしながらもパペッティアとしての活動を続け――続けて。


 無理が祟ったのか、元々身体が弱かったからか。ある日胸の苦しさを覚えて倒れてしまった。床に転がった操り人形が壊れていないか、汚れがついたりしていないかを心配しながらも、そこで意識は途切れている。


 その後は、クレアとしての記憶に続く。きっと、自分はあのまま亡くなってしまったのだろうと受け止めていた。


 残念……だとは思う。


 家畜小屋の掃除や畑の面倒等、朝の仕事をしながらもクレアはふと心に浮かんできた過去の情景を振り返る。


 人形繰りを指導してくれた師には腹話術ではなく自分の言葉でお礼を言いたかった。進路のことで両親とは意見が合わず、上手く言葉がでなかったから疎遠になってしまっていたが仲直りはしたかった。優しくしてくれた祖母。パペッティアの自分を応援してくれた人達。配信を見に来てくれたリスナーにだって伝えたかった言葉はある。


 ただ――今はそこまで悲しいだとか悔しいだとか、強い感情はない。

 今の自分に生まれ変わって時間が経って感情の整理がついているというのもあるし、戻れるわけがないというのもあるが、自分自身がしたいことをしてきた、その結果だからだ。そこに、後悔はない。元々覚悟を決めて進んだ道だったのだから。


 今はどうかと言えば、人形繰りはロナに許されているし楽しいのだが、そればかりやっていられるような甘い環境や状況ではなさそうだった。


 そもそも今住んでいる場所自体が危険地帯の真っ只中だ。雷を纏ったまま遠くの空を飛ぶ怪鳥だのを見てしまえば、危機感も湧く。


 では街に住めば安全なのかと言えば、それも違うとロナとの座学の中で理解した。


 王侯貴族や魔物がいる世界だ。人権が保障されている平和な世の中というわけではないし、それで回る世相でもあるまい。

 多かれ少なかれ自衛の手段は必要となってくる。その先のことを考えれば――自衛ではなく、しっかりと戦える力というのも必要になるだろう。


 どちらにせよ身体が丈夫なのは素晴らしい事だ。自分に技術や知識を伝授してくれる師にも恵まれている。特に自分に前世の記憶があると知って尚、師が受け入れてくれるというのは、ここが危険地帯であることを差し引いても、この世界ではこれ以上を望めない環境だと言えた。


 ロナは魔法の修行を本格化させるにあたって話をしたのだ。自身がお婆ちゃんと呼ばれることに対して「どうにもむず痒くってねぇ」と言っているし、さりとて師匠や先生などと敬称で呼ばれるのも「柄ではない」ということで、互いに呼び捨てということで落ち着いた。


 ただ教える側、教えを受ける側、互いに気構えを持ち、分別を付ける必要はある。だからクレアは魔法の指導を受ける時はそのつもりで臨んでいる。

 その上でロナはクレアの内面を認め、無闇に子供扱いせず、ある意味で対等な扱いをしてくれているのだ。人形があると落ち着くし言葉も伝えやすいのだと伝えると、街で操り人形も手に入れてきてくれた。年頃の少女が持っていてもおかしくない、可愛らしい女の子の人形だ。


 そうやって自分の生き方を尊重してくれるのはロナ自身の他者に対するスタンスでもあるのだろうし、どこであれ生きていけるようにするという修行の方針にも表れているものだとクレアには思えた。


 幸い魔法の使い方は感覚で分かった。生まれつきの固有魔法で本能的に理解できたというのもあるし、それがあるから地球にはなかった感覚――魔力を感じ取ることも容易だったのだ。魔力は身体の内側にも流れているし、外にもある。地球で暮らしていた頃とは異なるものがそれだ。


 動植物。無機物。空間。そこら中に宿り、漂っている。それら外にある魔力も自身の内側の魔力で干渉して利用することができた。ロナ曰く、そこまで感知して干渉するにまで至るのに、魔法を習い始めて早くとも5、6年、普通なら10年はかけなければならないものであるらしい。固有魔法は本能的に使い方を理解できる。だからこそ魔法に天性の素養があるとは言われているが、それでも図抜けているようにロナには思えた。


 そうして朝の仕事を終えて、庵に戻るとロナが言った。


「さて――それじゃ今日は朝食の後はちょっと休んでから、大樹海だ。薬草採取に出かけるよ」

「外………」


 予想外の言葉に一瞬固まるクレア。ロナはこつんと杖の石突で庵の床を叩くと、魔力の波が瞬間的に広がった。偽装や隠密結界をはぎ取る妨害術だ。


 クレアはたたらを踏みこそしたが、その波に偽装や隠密結界を維持したままで耐えて見せた。それを見届けて、ロナは言葉を続ける。


「ふふん。今の妨害術が防げるんなら、一先ずは明日行こうとしている場所なら問題ないってこった。だが、明日からはまた妨害術の構成を変えるからね」

「分かりました」


 クレアが腕に抱える少女人形――クレアはこっそりリリーと名付けて呼んでいる――が頷く。ロナの妨害術は耐える度に強度が上がったり種類が変わるのだ。また対応のために求められる難易度が上がるのだろう。




 ――ロナがクレアに対し、基礎修行を始めてから数年が経過していた。

 庵を出て大樹海での活動を行うというのは、ある程度の練度の隠密結界や阻害術、そして自衛の手段が形になってきた、とロナが判断したという事であり、目途が立ったら外に出るとも予告していたことでもある。


 魔法の基礎修行に加え、大樹海の歩き方。出現する魔物の知識、薬草を始めとした各種素材の分布や見分け方、錬金術の基礎といった座学もみっちり行われている。


 実際に庵の外へ出て活動を始めるというのは、ロナが同行するとは言っても実践に他ならない。死んだら――いや、命は助かっても取り返しのつかない怪我を負う事だってある。準備をし過ぎるということはない。


 それに……大樹海での活動が単独で可能になったとしても、その先だってある。

 大樹海の外がクレアにとって居心地のいい場所だとは限らない。寧ろあの老剣士達のことを考えれば大樹海同様、危険と隣り合わせだとロナは思っているぐらいだ。


 人々の生きる村や街。周辺国の情勢と歴史。王侯貴族や商人、領民、冒険者達、それぞれの考え方と性質。


 生きていくために必要となる知識、教えなければならない事は大樹海や魔法や占い、錬金術以外にも多岐に渡る。それらも座学の中で一般常識という形でロナは教えているものの、実際に村や街に行ってみなければ実感として分からない部分は多い。


 しかし、修行と教育をする側としてロナが楽しんでいるというのは事実だ。


 最初こそ老剣士に押し付けられた厄介事であったかも知れない。

 だが、経緯がどうであれ自分の判断で納得して引き受けた以上は、ロナの魔女としての矜持にも関わる話だ。


 これでもし、クレアに適正がなければ。そしてクレアの抱えている事情がなければ。一人前の魔女を名乗れる程度の形にして終わりだったかも知れない。


 だが、予想外の原石が期せずして転がり込んできたのだ。それを自分好みに磨き抜いて良いという状況に心が躍らなければ、魔法を志す者の1人としては情熱が足りていないとロナは断じる。


 というわけで大樹海に出ることを告げたロナはここまで準備をしてきて大丈夫だと判断しているのだ。しかしいきなり外出を告げられたクレア側としては突然の話と感じているようだ。表情には出ないまでも緊張していると判断して良いだろう。

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