第5話 初めての狩猟

 深呼吸をして体内で練り上げた魔力をその両手に。クレアの交差された両手に青白い輝きが宿る。普段腕に大事そうに抱えている少女人形リリーが、地面に降りてクレアと共に臨戦態勢を示すように身構えた。


 十分な魔力を込めたところで、四方八方目掛けてクレアが腕を振るって術を放つ。微細な光のラインが、樹上のあちこちに広がり、そしてすぐに消失するように光が薄れて見えなくなった。


 魔法の糸。クレアの固有魔法だ。


 中空に掲げるように交差させた両腕を伸ばし、その指を広げたままでクレアは動きを止めて、その時を待つ。そして――。


 ガサガサと枝の揺れる音が近付いてくる。獣の鳴き声もだ。


 枝から枝へと飛び移るように移動してくるそれは白い猿の魔物の群れだ。赤い瞳を爛々と輝かせ、鋭い牙と爪を備える、ブラッドエイプと呼ばれる魔物種だ。

 群れで行動し、性質は好戦的。獲物を見つけると集団で樹上から襲い掛かる狩りを行う。村などの小規模な集落において、人畜に大きな被害を出すこともある危険な魔物である。


 個々の力はそこまでではないが、大樹海という環境下では厄介な手合いと言えた。


 本来ならば――クレアのような子供が森の中で出会って助かるような相手ではない。ましてや、戦うなど論外だ。


 視認できるような距離。だがクレアは動かない。ゆっくりと、深く呼吸をしながら。はっきりと何を見るでもなく、遠いところを見るような様子で向かってくる猿の群れを見上げたままで待つ。


「……まだ。もう少し」


 そして、その時が来る。


「――ここです」


 クレアは静かに言うと、掲げていた両腕を握り込むと同時に振り下ろす。その瞬間に。

 猿の群れに向かって、四方八方から光の矢が叩き込まれた。クレアのアイデアを基にロナと共に開発した糸魔法――そのバリエーションの一つ。『糸弓』だ。

 糸の性質を変化させ硬質な部分を形成。これを疑似的な矢とし、木々の間に張り巡らされた糸を弦として番える。後は糸を操作して引き絞り、然るべき時に解き放つ。


 無数の悲鳴が樹上のそこかしこで上がった。猿達は手ぐすね引いて待ち構えていた射手の集団の中に飛び込んだようなものだ。

 十字砲火。しかし一体一体に対して精密な狙いをつけるような方法ではない。群れの大部分は光の矢で貫かれて絶命したが、撃ち漏らしが2匹、絶命を逃れた個体が3匹。


 突然の攻撃に吠え声を上げて、生き残りが視線を巡らす。攻撃を受けたと認識した段階で猿達への隠密結界の影響も限定的なものとなる。

 すぐに茂みの傍に佇む少女の姿を認め、迷わずにそちらに向かって殺到してくる。


 クレアにとっては、その展開も予想の範疇だ。手をあらぬ方向に伸ばし、人差し指を曲げると、その動作だけで人形と共に中空に飛んだ。

 予備動作も何もない。不自然極まりない動き。それだけに俊敏な猿達でも予測できず、追い切れない。

 張り巡らせた糸はあくまでも魔法だ。接続した木々を人形に見立てて操作する事で、木そのものにクレアを引っ張らせたというのが動きのタネだ。


 進行方向の枝を除けながら宙に舞い上がったクレアは、猿達の頭上を取って眼下を睥睨する。

 猿達は枝から飛び掛かるようにクレアのいた場所に攻撃を仕掛けていた。つまりは未だに宙にいて無防備な状態になっているということ。自身の姿を囮に、再びキルゾーンに誘い込んだ形だ。その、瞬間。猿の顔には確かな驚愕と、仲間の末路を既に見ていることからくる、死への怯えが見られた。しかしクレアは躊躇しない。戦いの場に臨んだ以上はそうしない。


「終わりです。私の糧になって下さい」


 クレアが翳した手を握り込めば、再びその空間に、光の矢が降り注いだ。


 2度目の十字砲火。最初の攻撃で生き残ったブラッドエイプ達は悲鳴を上げることもできずにそのまま全滅した。


 宙に浮いたクレアは探知魔法で猿達の生き残りがいないかを確認すると、再び隠密結界を補強して地面に降りる。

 それを見届けて、不可視になっていたロナが姿を現し、静かに頷く。


「ブラッドエイプ、であっていますよね?」

「ああ。初の実戦がこれなら上々さね。相性的に問題ないとは思ってたが、蓋を開けてみれば危なげもなかったねえ。まあ、よくやったよ」


 もし狩りの光景を見て、2人の会話を聞く者がいたとして。クレアの年齢がおよそ10歳前後でしかないと知ればその者は衝撃を受けるだろう。

 有利な状況で待ち構えての狩りだったとはいえ、魔法の使い方や保有する魔力、術式の殺傷力といったものが一般的な同じ年頃の魔術師見習いの水準から逸脱している。


 しかもまだまだクレアは発展途上なのだ。多彩で実戦的な術を無詠唱で使いこなしている様はさながら熟練の魔法使いのようではあるが、固有魔法はそもそも詠唱を必要としないものだ。その部分は生来クレアがコツを掴んでいたことではあった。


 ロナから見てどうだったかと言えば――不安要素はあるが、実力面の問題はないと見積もっていた。


 実戦で竦んでしまうような事や、気性から手を止めて反撃を許してしまうようなことが無ければ問題ないという評価だ。だからこそ、そういったことが起こらないよう、狩りや戦いに際しての心構えやその切り替え方、集中の仕方といった方法も指導し、その必要性も説明してきた。


 幸いなことに、芸を人に見せていたクレアはそういう失敗が許されない場に臨むという経験が既にあったのだ。そうした教えの意味を理解しているクレアの精神年齢の高さは、ロナにとっては指導しやすい部分であった。


 後は……舞台でのそれを、戦いという場面にどう応用するかという話でしかない。


「はあ……緊張しました」


 表情を変えず、口も動かさずにクレアは言う。胸を撫で下ろしたのは人形の方だ。実際に人形が安心しているようにすら見えるのはクレアの技量だろう。


「本番での集中力や気持ちの切り替え方は結構なもんだったよ。適度な緊張ってのも集中には必要なもんだしね。それじゃ、猿共から素材を貰って帰るとしよう」

「了解です」


 人形が首を縦に振り――素材回収の作業に移る。

 クレアの指先から魔法糸が伸びて、あちこちの木々や茂みに接続されると、それらが人のように動き出し、そこかしこで剥ぎ取りのための作業を効率的にこなしていく。

 木や土など、周囲の環境を利用して即席の武器や人手にできるというのは単純に便利で強力な固有魔法だと言える。


 クレア自身も……ロナが狩ってきた魔物から剥ぎ取る作業を既に履修済みなので手慣れたものだ。


「後何回かは大樹海に同行するが、慣れたら大樹海での素材採取や狩りも1人で行かせるからね」

「それも前々から予告していたことですね」


 ロナがこれから先の話として宣言している話でもある。クレアも一度大樹海を体験したからか、人形の方が覚悟はできているというように力強く頷いて応じた。


「ああ。だが、こいつは念のためって奴だ。持っておきな」


 そう言ってロナがクレアに軽く放り投げてきたのは……何か、黒いガラス質の石が嵌ったペンダントだ。クレアには正体は分からないが、強い魔力が秘められているのは感じ取れた。


「これは?」

「お守りみたいなもんさね。あんた1人じゃどうにもならない状況になった時、どうにかしてくれるって代物だよ」

「ん……。あり、がとうございます、ロナ」


 腹話術ではなく……自分の口でそう言って、大事そうにペンダントを握るクレアである。


「……ま、後何回か経験を積めば、問題はなかろうよ。重ねて言っとくが、奥地には近付くんじゃないよ」

「奥地は……領域主、ですね」

「そうさ。性格にもよるだろうが、縄張りに踏み込まなくても感知されたら狩りとしての攻撃をしてくるかも知れない」

「分かりました。こっちが感知したら距離をとりつつ隠れて逃げます」

「それでいい。どでかい魔力がそれだからね。眠りこけてたって飛び起きるさ」


 領域主。大樹海の奥地で確認されている特に強力な魔物達の総称だ。自分の縄張り周辺の環境を作り替えて、そこに潜んでいる主だ。

 領域と呼ばれるそこは、多少環境が変わるという程度ではなく、異界化と呼んで差し支えない程の変化を起こしている。


 踏み込んで生きて帰った者が極少数であるために、詳細が分かっていない部分が多いものの、少なくとも外から見てそうと分かるほどに環境や魔力が変化している。だから間違えて迷い込んだり近付いたりすることはないだろう、というのがロナの弁であった。


 無論、クレアとしてもそれらの場所にわざわざ近付くつもりはない。

 薬作りや錬金術、占いに雨乞いといった様々な技術を学んでいるのだ。一攫千金を夢見て危険地帯に踏み込む理由がないし、名誉が欲しいからとそういった場所に踏み込むという性格もしていない。


 自分の趣味や楽しみは今のところ人形作りと人形繰りで完結している。ロナ以外の他者にも見せて楽しんでもらえたらという考えもないではないが、それは大樹海と結び付くようなものでもない。


 他には――守りたいものや、大切にしたいものがあるぐらいだ。


 クレアが少し昔のことを思い出しながら作業をしている内に、素材回収の作業も終わる。魔物を集めないよう残滓を土に埋めてから、二人は庵へと戻っていったのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る