解決編「なぜ虫ガキを殺さなかったのか」

「通院歴……ですか?」


 ハナコはオレの言葉をオウム返しにした。

 まだ理解していないようだ。


「焼死体の女と、ケンタくんが目撃した女が同一人物だったと仮定した場合――おそらく女は目を患っていたはずだ」


 ケンタが口を挟んだ。


「……お姉さんがサングラスをかけていたのは、目の病気だったからなんですか」


「ああ。ケンタくんも変だと思ったんだろ? って」


「……はい。夜にサングラスをかけてる人なんて初めて見ました」


 えっ、とハナコは小さく悲鳴をあげる。


「ちょっと、ちょっと待ってください。ケンタくんが虫取りに行ったのって夜だったんですか?」


「ん? そうか、ハナコは途中から入ってきたから理解してなかったのか」


 ケンタは山火事が起きた前日――正確にはに、女と遭遇していた。


「虫取りっていうのは――カンカン照りの真夏の太陽の下で、白いワンピースで麦わら帽の年上のきれいなお姉さんにニコニコと眺められながらするものじゃないんですか!?」


 なんだその偏見は。

 夏休みにガキとショタコン女が乳繰り合うような、変なホラー小説の読みすぎじゃねえか?


「まぁ、白いワンピースの女はいたな。だが昼間とは限らない。ケンタくんは虫取りの前にGoogleでカブトムシの捕まえ方を調べていたろ? たしか――よく見つかる気候や時間帯、それに集まりやすい樹の種類――だっけか」


「時間帯……!」


なんだよ。捕まえやすいのは夜から早朝にかけてになる。実際に虫取りをする機会でもなけりゃ、知ることは少ないかもしれんがな」




 ケンタが虫取りをしていたのは真夜中だった。


 保護者も連れずに真夜中の森を歩いているのを大人に見つかったら、怒られるのは当たり前だ。

 だから周囲には気を配っていたが――それでも道に迷わないように広い道を歩いていたというわけ。


 女から逃げるとき、ケンタは手に持っていたものを全て落としてしまった。

 虫取り網はもちろん――夜歩きに必要な懐中電灯も落とした。


 だから、逃げるときにはので何度も転んだわけだな。


 ケンタは女を見つけたときに懐中電灯を向けた。

 だから薄暗い森の木々の中でも、はっきりと白いワンピースが目立った。


 から。




 ケンタはオレに問いかける。


「目を悪くした人はサングラスをかけるものなんですか」


「症状によるが、そういう人もいる。たとえば目を悪くしている人は健常な人と比べて目線がおかしくなったりする。そういうのを見せて周囲の人に気を使われないようにサングラスで隠したりするわけだな。また、眩しさに極端に弱い人は目を守るための遮光眼鏡をつけることがある」


 ハナコはポン、と手を叩いた。


「じゃあ、もしかしてケンタくんの前で女が落とした木の棒のようなものって」


「おそらくは杖だろうな」


 こう考えると、女の異様な様子にもある程度の推測はつく。




 そう、あくまで推測――。


 否、推理になるが――おそらく女には

 全盲ではないものの、常人よりも視力が悪化している状態にあったのだろう。

 

 女は何らかの目的で、目を悪くしているのにも関わらず、杖を頼りに一人で真夜中の山を登っていた。

 その最中に懐中電灯を向けられたことでケンタに気づいた。


 だが、光の方向に顔を向け、目についたのは――悪化した視力でもぼんやりと捉えられるほどに巨大なシルエットだった。


 それは、大きなクヌギの樹だ。

 麓からだいぶ離れた、ひと気のない広場のような場所に生えている樹。

 よく神社とかに生えている御神木のような……そんな樹だ。


 そうして、女は笑った。

 にっこりと――笑った。目的を果たすことができそうになったから。




「目的って……そんな……まさか」


「女が手に持っていたものを見れば、想像はつく」


 ケンタは息を呑んだ。


 女がケンタの前で取り出したもの。

 人間の首を絞められるような――ごわごわした縄。


 殺意はあった。

 だが、その殺意はケンタに向けられたものではなかった。


 女が見ていたのは――。


 ケンタの胴くらいがっしりとした太さの。

 大人の背丈よりも高い――クヌギの樹の枝。


「女は、首をくくるのにふさわしい樹を探していた。大人の体重を預けても折れることのないような頑丈な枝をな」


 あの晩――女は、森の中を歩いていた。

 陽が落ちても蒸し蒸しとした熱気が籠もる、真夏の夜の森を往く。


 杖を地面に突き立てながら、わずかな光を頼って。


 奇しくも、ケンタと女は同じ時間を過ごしていた。


 そうして……やっと、見つけた。


「探すのには、苦労したんだろうな」


 女は誰を殺したかったのか。

 ――その答えが、これだ。




 ハナコとオレは派出所を後にした。


 別れる前に、ケンタは真っすぐな瞳でオレと目を合わせた。

 そして、なぜか深々と頭を下げてきたので……なんだか気恥ずかしくなり、オレは会釈程度に頭を傾けて、その場を去ることにした。


 「殺人者に命を狙われた」というトラウマからケンタを救ってやることはできたが、代わりに「死ぬ直前の自殺者に会った」という新たなトラウマを与えることになってしまったかもしれない。


 事実を伝えることが常に正しいとはかぎらない。

 だが、ケンタは幼いながらも世の不条理に立ち向かう強さを持った少年だった。


 ああいうガキは嫌いじゃない。


 帰路。


 ハナコはポツリとこぼした。


「あの女性は……どうして自ら命を絶とうとしたんでしょうか」


「さぁな。そこから先は推理でわかるもんじゃない。捜査を続けるしかねえよ」


 とはいえ、最初から自殺目的で森に入ったのは確実だろう。

 思えば遺体の発見時、女は最初から身分に繋がるものを持っていなかった。


 己が生きた痕跡を消したかった――という思いがあったに違いない。


 そう考えると、山火事が起きたタイミングは彼女にとっての幸運だったのだろう。


 首をくくって命を落としたが、首吊りに使用したロープは山火事で丸ごと焼失してしまった。

 ケンタの証言がなかったら、身元はおろか、自殺だったこともわからなかったはずだ。


「案外、山火事の火元もあの女だったりしてな」


「そうなんですか?」


「馬鹿、今のは推理じゃねえ。邪推っていうんだ。下衆の勘ぐりだよ」


 女は目を患っていた。

 調べれば眼科への通院歴があるはずだ。


 どのみち、介助者もなしに遠出するのはかなりの賭けだったと考えれば――捜査範囲は現場近辺に限られる。


 身元が明らかになるのも遠くないだろう。

 ――彼女の思惑とは裏腹に。


「さて。それじゃ仕事をしますかね」


 気は進まないが。


 仕事は仕事、真面目にやらなくっちゃあならない。

 生きてる人間のつらいところだね、まったく。



(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

習作:ニコニコ眺めるお姉さんはなぜ虫ガキを殺さなかったのか 秋野てくと @Arcright101

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ