習作:ニコニコ眺めるお姉さんはなぜ虫ガキを殺さなかったのか

秋野てくと

問題編「ある少年の証言」

「お姉さんはニコニコしながら、ずっと僕の方を眺めていたんです」


 子供らしくもなく、怯えるようなしぐさで少年は背中を丸めた。

 言葉を絞りだすのもやっとのようだ。


 こりゃあ、ずいぶんと参っているようだな。


 話を聞くならオレみたいな強面よりも、それこそハナコの方が適任か……と考えていると、噂をすれば影だ。

 ちょうどハナコが息を切らして派出所に入り込んできた。


「すみません、遅れましたっ!」


「遅刻だな。まずは落ち着け、この子も今話し始めたばかりだよ。ええと……」


 少年に目をやる。


「ケンタです」


「そうそう、ケンタくんだ。ケンタくん、こっちはハナコお姉さん。オレと同じく県警から来た刑事だ。さっきの話、お姉さんにも最初からしてあげてくれないか」


 少年――ケンタは頷いた。

 利発そうな目つきをしている。こういうガキは嫌いじゃない。


 ハナコはトレードマークのポニーテールを揺らしながら息を整えている。

 オレが近づくと、ケンタに聞こえないようにハナコは声をひそめた。


「この子が例の証言者ですか」


「そうだ。女に会ったのは山火事が起きる前日らしい。しかもこのガキ、森で会ったときに女に殺されそうになった――と、そう言っているんだよ」




 一週間ほど前のことだ。

 S県M市の某山中で、山火事が発生した。


 懸命な消火活動によって火は数時間で収まったが、そのあいだに東京ドーム何十個分もの広大な面積が更地となった。


 よりにもよって火元となった不心得者のキャンパーは、地元の有力代議士のボンボンだったとかで大炎上。

 SNSやテレビのワイドショーでは連日大騒ぎ。日本中の注目を浴びている。

 

 さらに火に油を注ぐことに――消火後、焼け跡から一人の遺体が見つかった。

 そう、人死にまで出ちゃったわけだ。


 遺体は全身が焼けており、わかったのは性別だけ。

 被害者は女だった。

 その他、年齢や死因、身元に至るまで全てが不明だ。


 身分証明書に類するものは見つからなかった。

 どうも焼けて無くなった、わけではなく――最初から所持していなかったようだ。


 じゃあ、この女は誰なんだよ?

 ってな感じで、謎が謎を呼んだわけで。


 人の口に戸は立てられず。

 そもそもが人の口なんてのは、あることないこと喚きちらすためにあるわけで――無責任で不確実な噂が、無遠慮に不道徳に巷間を席巻している次第。


 曰く、女は代議士の息子の愛人で、火事は女の死を偽装するために起こしたのだとか。

 あるいはこの女が火事の火元の真犯人で、代議士の足を引っ張りたい対立勢力による陰謀なんだとか。


 好きだねえ、そういうの。

 オレもおじさんだから、そういう週刊誌ゴシップは嫌いじゃないんだけど……仕事は仕事、真面目にやらなくてはならない。


 そういうわけでお偉いさんの肝入りで女の身元を探れという話になり、捜査に捜査を重ね、か細い糸をたぐり――わざわざ所轄の派出所までやって来たわけだ。


 焼死体の女――その生前と思われる人物を目撃したのはケンタという少年だ。

 山火事が起きた前の日、彼は虫取りのために現場の山を訪れていたらしい。


 ――以下が、その証言である。




 ……人の目には、注意していたつもりだったんです。

 保護者も連れずに森の奥にまで来るなんて、お父さんやお母さんもそうだけど、誰か大人の人に見つかったら怒られると思いましたから。


 周囲には気を配りながら……それでも迷わないように、できるだけ広い道を通って歩いていました。


 森に入った理由ですか?


 ………。


 カブトムシを捕まえないと、馬鹿にされるから……です。


 令和にもなって、外で虫取りなんて馬鹿げてますよね。

 毎日暑くて、外で遊ぶなんてやってられませんよ。


 お年寄りなんか、よく熱中症で死んだりしてるのに。


 ……でも、やりました。


 僕は東京から引っ越して来たんです。

 お父さんの都合で。


 僕の喋り方が、この辺の子供には引っかかるみたいなんです。

 東京弁、東京弁って……みんなの方が変だと思うんだけど。


 大きなカブトムシを捕まえた奴が偉いなんて、本当にガキだと思います。

 お父さんに頼んでネットで買ってもらおうかと思ったんだけど……それじゃダメなんです。

 あんな奴らに負けたくない。


 カブトムシの捕まえ方、Googleで調べたらすぐにわかりました。

 よく見つかる気候や時間帯、それに集まりやすい樹の種類も。


 クヌギやコナラの樹の樹液に集まりやすいらしいんです。

 この辺でクヌギの樹がたくさんあるのは……はい、〇〇山でした。


 あと、雨の日は樹液が流されてしまうから見つかりにくいらしいですね。


 僕は万全の準備をして山に登りました。

 暑くて、暑くて、倒れそうなくらいキツかったけど、それでも探しました。


 どんな奴にも負けない、おっきいカブトムシを捕まえるんだって。


 そうして……やっと、見つけました。


 大きなクヌギの樹でした。

 その樹は麓からだいぶ離れた、ひと気のない広場のような場所に生えていました。

 よく神社とかに生えている御神木のような……そんな樹です。


 見上げると、僕の胴くらい太いがっしりとした枝が見えました。

 枝の一部に傷がついているのか、びっしりとカブトムシの群れが集まって樹液を啜っていました。


 その中の一匹は、なんていう種類なのかわかりませんが、人を突き刺せそうな太い角が生えていて、大きさは大人の人の拳ほどありました。

 心なしか、周りのカブトムシもそいつに遠慮しているように見えました。


 あのカブトムシが欲しい……そう思ったんです。

 あいつさえ手に入れば、学校の奴らを驚かせてやれると思いました。


 虫取り網は持ってきたけど、枝の高さは大人の背丈よりも大きくて、手を伸ばしても届きそうにありません。

 木登りなんてやったことないけど……見よう見まねで、樹の幹にしがみつきながら足を引っかけて、がりがりと樹の皮を足で剥がしながら登ってみました。


 もう少し。

 もう少しで枝に届く……と、思ったところで、滑り落ちてしまいました。


 お尻から地面に落っこちたんです。


 音に気付いたのか、枝に集っていたカブトムシは一目散に散りました。


 逃がしてしまった。あんなに良いカブトムシだったのに。

 服も泥で汚れてしまって、お母さんになんて言い訳しようか……そう考えたら、やる気がなくなっていきました。


 思えば、虫取りなんて馬鹿らしい。

 あんなのは所詮、田舎のガキの遊びじゃないか……って。


 帰ろうか……。


 そう思い、振り返ったところで……僕は目を疑いました。


 女の人が立っていたんです。

 たぶん高校生か、それよりも年上のお姉さんです。


 はい、ひょっとしたらハナコさんぐらいかもしれません。

 ……もうちょっと若いかも。


 ………。


 ごめんなさい。


 嘘です、ハナコさんの方が若いと思います。


 あ、あと……お姉さんの年がわからなかったのには理由があるんです。

 サングラスをかけていたんですよ。


 変でしょう?


 服装は真っ白なワンピース姿だったので、森の木々の中でもはっきりと目立ちました。

 白い色は、光を反射するって言いますよね。


 こんな人里離れたところでいきなり知らない人がいたら、それだけでびっくりするのに……それ以上に僕が怖かったのは、お姉さんがこちらに近づいてきたからです。


 いや、近づいてわかることがあったんです。


 お姉さんは……笑っていました。


 ニコニコと。


 僕の方を眺めながら、ずっとニコニコと笑っていたんです。


 サングラスで隠れた表情の中で、口元だけが笑いの形をつくっているのがわかりました。

 僕はそれを見て、動けなくなりました。

 動いたら、何かが始まってしまう。その予感がして、動けなくなったんです。


 不思議なこともありました……お姉さんが近づくにつれて、お姉さんの顔の角度がおかしいことに気づいたんです。

 ずっと顔はニコニコしたままですが、視線は僕を見ていないような……何もないところを見ているような……馬鹿げた話ですが、もしかしたらカブトムシを見ているのかな?と思ったのですが、もちろんカブトムシが戻ってきたなんてことはありませんでした。


 僕とお姉さんの距離が1メートルくらいになった頃……。


 ここで初めて気づいたのですが、お姉さんは木の棒のようなものを持っていました。

 それをポトリ……と地面に落とすと、同じ手で何か探るような動きをして……何か縄のようなものを取り出したんです。


 ごわごわした縄を手に取ったお姉さんは、サングラスに隠れた顔をこちらに向けたまま……一際、大きく笑ったような口をしました。


 食べられる……いや、殺される! そう思いました。


「うわああああああああああああ!!!!」


 気づいたら身体が動き出していました。

 

 僕はあらんかぎりの声を上げて、めちゃくちゃに走り回りました。


 手に持っていたものは全部どこかへ行ってしまいました。


 地面も何も見えないので、何度も転びました。

 肘も膝もすり傷だらけになりながら、死にそうなくらいに走り続けました。


 ………。


 ………。


 ………。




 オレはハナコと共に、ケンタの話を聞き終えた。


「どうやって逃げてきたのか……気づくと、僕は麓の町のお巡りさんに抱えられていたんです」


 話し終えると、ケンタは恐怖を思い出したのか、涙ぐみ始めた。

 あわててハナコはハンカチをケンタの目元に当てる。


 オレはこめかみに人差し指を当てて、少しだけ考えを整理した。


「だいたいは読めた」


 ハナコは首を傾げた。


「え?」


「女の身元に繋がる新しい情報もわかったし――遠からずどこの誰だかわかるだろうよ」


「待ってください。身元に繋がる情報……そんなのありました?」


「おいおい、ちゃんと話聞いてたのか?」


 オレはため息をついた。

 年齢トシの話題のときにガキに変な圧かける余裕があるくらいなら、ちゃんと頭を回してくれよな。


だよ」




(解決編に続く)

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