第32話 メイド、寄り添う


 最近祐介様の様子がおかしい。

 時折、考え込むような動作を示すようになった。私が「本当の笑顔を見せて下さい」と言ったから? 残念だけど、恐らくそうなのだろう。


 私は祐介様の全てを知りたい。全てを愛したい。そして、思いっきり心を開いて欲しい。


 その理想を叶える為の私に出来る事には限界がある。でもそれでも、限界に程近い感じで彼に色々してあげたいと思っている。


 祐介様の知らない部分かおがあるのが許せなかった。自分には何も出来なくて、祐介様を心から笑わせられないことが悔しかった。


 だから、とうとう


 ***


「おはよう、神崎」


「おはようございます、祐介様」


 彼の顔色が悪い。よく見ると目の下にクマが出来ている。


「祐介様、顔色がよろしくない様ですがどうされました?」


「久しぶりに悪夢を見たんだ」


「悪夢……?」


「神崎のほうこそ、その包帯どうしたんだ?」


「あっ、調理中に怪我してしまって……」


「お大事に」


 祐介はそう言い、席に着き朝食を食べる。


 食事中、神崎はこんな話を持ちかけた。


「祐介様と大事な話がしたいんです。明日は土曜日ですので、明日、いつもみたいに対談しませんか?」


(大事な話? 何だろう……)


「いいよ」


 神崎は不機嫌ではない。それに悪い予感もしない。


 祐介は学校でもそのことばかり考えていた。

 そして、本当の笑顔のことも気にしていた。


「なあ、健一。俺って上手に笑えてるか?」


「……」


 それは触れてはいけない、と思って健一も加奈も今までツッコまなかった。だから返答に困る。


「んー、確かに昔の笑顔とは違うな。けど、嘘でも下手でも、俺らの前で笑ってくれてるだけで、嬉しいよ。だよな、加奈」


「うん。私もゆーくんの笑ってる顔、好き」


「どうしたんだよ、二人とも。今日のお前らやけに優しいな」

「で、加奈は昔と今、どっちの俺の笑顔が好きなんだ?」


「どっちも!」


「……そうか」


「おいおい、神崎さんに何か言われたのか?」


「ああ、実は――」


 祐介は諸々の事を話した。

 幼馴染は深刻な顔をする事もなく、静かに聞いていた。


「無理に笑わなくていいと思うよ」と健一。


「今は傷が癒えてないから、難しいと思うけど、いつかまた本当の笑顔になれると思うよ」と加奈。


(傷が癒えてない、か……)


 にしても、二人は凄く優しい。改めて思う。



 ***


 放課後。

 夕陽に向かって笑う練習をしていた。教室には俺しかいない。


 何度笑おうとしても、緊張して顔が強張ってしまう。


 本当の笑顔というのは今でも分からないけれど。


 けど、あの人達が死んでから、心から楽しいと思えたこと、あったっけ?


 神崎とキスをした。皆でトランプもした。水族館にも行った。


 でもそれは、自分じゃない自分が動いているかのようだった。

 淡々と日々が過ぎていく。そしてあっという間に死ぬ。


 内心、俺はいつ死んでもいいと思っていた。


 せっかく神崎とも出会えたのに。


 だけど、神崎は親じゃない。家族でも多分無い。だから、俺は……一人ぼっちだ……。


 笑う練習をしていたのに、涙が流れてきた。


 昨日見た夢も怖かった。


 電車が脱線して、両親も加奈も健一も、そして神崎までもが犠牲になる夢。助かったのは俺一人。何故、神様は俺を一人にさせるのだろう。誰かの温もりに触れていないと、きっと本当の笑顔にはなれない。


 俺は神崎とイチャイチャする夢しか見ないはずなのに……くそっ。


 その後は急ぎ足で家に帰った。

 泣き顔を誰かに見られたくないから。


 ***


「おかえりなさいま――」


「ただいま」


 祐介が靴を履き替えるより先に彼は神崎に抱きしめられる。いつもより強く、ぎゅっと。


「神崎?」


『おかえりなさいのハグ』がいつもより長い事に祐介は怪訝に思う。


「おかえりなさいのハグ、いつもより長くないか?」


「今日は特別です。祐介様は一人じゃありません」


「ん。そうか」


 彼女の気遣いに少しだけ心が温まる。



 翌日の午後。


「それでは大事な話を始めましょうか」


 いつものように対面する形でソファーに座る。


「もし、つらくなったら席を外してもらっても構いません」


 その言葉で祐介はこれからどんな話をするのかを察した。

 だが、次の言葉は予想もしていなかった。彼女が告げた言葉は――。


「祐介様、いま抱えているつらい気持ちを全部、吐き出して下さい。わたくしがあなたの全てを受け止めますから。わたくしは祐介様の全てを知りたいんです」


 てっきり彼は向こうが話を振ってくるのかと思っていた。でも彼女は聞き手だった。


「つらい気持ち……」


 彼は考え込む。

 今、祐介は自分がつらいのかさえも分からない。それくらい参っている。


「難しく考えさせてしまいましたね。何でもいいです。祐介様のしたい話をして下さい」


「――俺の両親が死んだ事は知ってるか?」


「ええ、勿論」


「2ヶ月前、脱線事故で死んだんだ」


 神崎は彼の両親が死んだ事は知っているが、脱線事故で死んだ話は初耳だった。


「脱線事故ってこの前、ニュースで取り上げられていたやつですか?」


「そうだ」


「ご冥福をお祈りします」


「ありがとう(?)」


 何て答えたらいいのか分からなかったので、取り敢えず礼を言う。祐介は続ける。


「あの日から俺の時間ときは止まっているんだ。多分その時から君の言う本当の笑顔になれなくなった。まるで自分じゃない自分が動いている感覚なんだ。今もそう」


「それは当たり前です。大切な人を失ったのですから。それと自分じゃない自分が動いている感覚、というのは離人感といいます」


 神崎は優しく受け止めてくれる。解説もしてくれる。カウンセリングを受けているかのよう――というか、している事は殆どカウンセリングと同じだった。

 祐介にとってという言葉はあまり聞き馴染みの無い言葉だった。


「そうなのか」

「……何ていうか君の前で本当の笑顔を見せられなくてごめんな」


「何で祐介様が謝るのですか。あなたは何も悪くありません」


「それに折角君と出会えたのに……ぐすん」


「祐介様!?」


 彼は前のめりになり、彼女の胸に凭れかかった。


「君が……君がいるというのに……、情けない俺はいつ死んでもいいと思ってしまう。人生投げやりになってる節がある。君を遺してこの世を去ってはいけないって分かってるのに……去ってもいいとどこかで思ってる自分が嫌いになる。両親が死んだのだって俺のせいだし」


「ご両親がお亡くなりになったのは決して祐介様のせいじゃありません。自分を責めないで下さい」

「いつ死んでもいい、なんてそんな悲しい事、言わないで下さい。あなたが死んでしまったら、わたくしも死んでしまいます」


 最近、充実しているように見えてたけど、実際は充実してなかったのかもしれない。祐介はそう思えてきて、悲しくなった。


「俺は君を悲しませる事しか言えないんだよ……ぐっ。ひっく」


 神崎は泣いている俺を優しくさすってくれる。


「俺はいつだって一人ぼっちだ」


「一人じゃありません。加奈さんだって、健一くんだって、わたくしだっています。祐介様は皆から愛されていますよ」


「でも神崎は家族じゃない。俺に家族は居ない。だから一人――」


「メイドは家族DESU!」


 すると神崎は変なポーズをした。

 祐介も思わず笑ってしまう。けどまだ、本当の笑顔ではない。


「何そのポーズ」


「地雷を踏まれたので、身体が勝手に動いてしまいました。祐介様も一緒にしますか?」


「しねーよ」


 神崎はポーズを止め、改めて真面目な表情に戻った。彼女にとって『契約解除』と『家族じゃない』は地雷らしい。


「いいですか。わたくしは一生、あなたのそばにいる、と誓ったはずです。それを家族と呼ばずして何と呼ぶのでしょう。わたくしは祐介様の家族です。異論は認めません」


 固い彼女の意思が伝わる。


(神崎が家族か……そっか、俺は一人じゃないんだ)


 いつの間にか涙も引っ込んでいた。


「久しぶりに人前で大泣きしたな」


「そうですね。祐介様の新たな顔が見れて、わたくしは嬉しいです」


「からかうなよ」


「それでスッキリしました?」


「ああ。これで過去と決着がついた」


 対談が終わり、神崎はアフターヌーンティーの準備の為に台所へ行く。時刻はもう午後三時。約三時間も話してたと思うとびっくりする。けど、そこまで疲れてはいない。


 祐介も彼女について行き、こう問う。


「神崎は俺を笑わせてくれるか?」


 この場合の笑わせる、の意味は勿論『本当の笑顔』を意味している。


 その答えはすぐに返ってきた。


「ええ、勿論。きっと今なら、昔のように笑えるはずです。だって、過去と決着がついたんでしょう?」


 祐介も神崎の答えに納得した。


 アフタヌーンティーの準備が整い、神崎と三時のおやつを愉しむ。


「お疲れ様でした」


 そう告げ、彼女はマカロンを食べる。祐介は紅茶を飲む。


「――それで明日、空いてるか?」


「空いてますよ」


「無事神崎とも家族になれた事だし、明日墓参りに行こうと思ってな」


「やっと行く気になったんですね。是非是非、わたくしも行かせて下さい」


 ずっと祐介が目を背けていた墓参り。両親の死後、一度も行った事が無かった。葬式や告別式には参加したが、ショックが大きすぎて彼の頭から記憶がすっぽり抜けている。

 でもここでやっと一歩、踏み出せた。大きな成長だ。彼はメイドのお陰で過去と向き合えつつある。



 その日の夜。


 寝る直前、神崎はこんな事を彼に告げた。


「わたくしは祐介様の髪の毛から吐く息まで全てを愛しています。祐介様はわたくしだけのものです。祐介様が旅立たれようとするのなら、わたくしが全力で引き止めます。だから、あなたはわたくしから一ミリも離れてはいけないのですよ?」


 彼は恐怖で慄く。

 洗脳のようなセリフの連続に頭がおかしくなりそうになる。祐介は思い出す。優しいメイドは優しいだけじゃなく、ヤンデレだったって。


 最後に「――だって、家族なんですから」と付け加え、ふふっ、と笑った後、神崎は部屋から出ていった。


 その日、祐介は一睡も出来なかった。

 怖すぎて。

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