第24話「琴音とお出かけ! 後編」

 

「ここだ」


 あたしと琴音が辿り着いたのは、5分ほど歩いたところにある小さなラーメン屋だった。

 入り口のところに掲げられた看板には【小次郎】と書かれてある。


「あのここは……?」

「ラーメン屋だ。どうせお前こういう下町のラーメン屋なんて行ったことねぇんだろ?」

「は、はい……こういうお店の料理は、体に悪いと母から…………」

「まぁ体には悪いかもな。でもな、ダチと食うこういう飯が結局いちばん美味くて心が満たされんだよ」


 あたしは笑顔で言ってラーメン屋に入って行く。するとあたしの背中に琴音も続いてくれた。


「竹田のおっさーん。二人いいかー?」


 あたしは奥にいる顔見知りの店長に声をかける。

 奥にある小型のテレビで野球中継を見ていた、割烹着を着た中年のおっさんがこちらに首を向けた。


 そしてそのしわが刻まれた表情を輝かせる。


「おぉ!! ミズキじゃねーか!! お前久しぶりだな!!」

「わりぃな。最近色々あってよ」

「お前やカナがうちの生計支えてんだからよ、もっと食べに来い……って、見ない顔だな?」


 ラーメン屋の店長――竹田のおっさんがあたしの背後にいた琴音に気付く。


 琴音は慣れない場所に少し困惑しながらも、いつもの完璧お嬢様スタイルで丁寧に頭を下げた。


「はじめまして。わたくしは西條琴音と申します。ミズキさんとはご友人の関係で」


「お前ミズキ!! どこからこんな子を誘拐してきやがった!!?」

「誘拐なんてしてねーよ!! ママと同じ反応すんな!!」


 不敬な事を言う竹田のおっさんにあたしは勢いよく言葉を返す。


 くそ……やっぱあたしってそう言うイメージなのか?

 まーでもあたしと琴音は本当に正反対の人生を歩んできた存在だからな。



 普通に生きてちゃ交わる事がないはずの2人だったんだ。



 今急に。

 なんとなく改めて、そんな事を思った。


 他に客はいない。

 カウンター席のど真ん中に琴音を座らせて、その左隣にあたしが腰掛けた。


「おっさん。『店長オススメ醤油ラーメン』2つ。あたしは煮卵付き。琴音はトッピングどうする?」

「で、ではわたくしも同じもので」


「はいよ!! ちょっと待ってな」


 おっさんが慣れた手つきでラーメンを作り始める。


 初めての場所に興味があるのか、琴音は店内を見回していた。


 店内に充満するラーメンの匂い。ボロボロになってひび割れの走っている壁。油が垂れている床。


 琴音にとっちゃ信じられないくらい汚い場所なんだろうな。

 それでもこいつは、そういう事は絶対に言わない。


 一通り店内を観察してから、琴音はこちらに顔を向けた。


「ミズキさんは良くここに来ていらしたんですか?」

「ん、ああ……この店はあたしがガキの頃からあるんだよ。もう記憶もねぇ頃から来てたらしい」


 あたしが琴音に話していると、奥で竹田のおっさんが笑う声が聞こえた。


「そうそう、昔はぬいぐるみ抱きしめて可愛い女の子だったのに、中学に入ってからは不良になってよ! 毎日のように舎弟を連れてきてはラーメン奢らせてたんだぜ!」


「なぁぁあ!? ちょ、おい余計なこと言うな! つーか女子の会話におっさんが入り込んでんじゃねぇよ!!!」

「お前のことなんて女子と思ってねーよこの不良番長が!!」

「んだと、てめぇ!!」

「ほうら! 女子とは思えねぇ口の汚さだ! ギャハハハハ!!」


 笑いながら軽口を返してくるおっさんに、あたしは顔を真っ赤にしながら言葉を返す。


 くっそぉ、よくも琴音の前で恥ずかしい事をばらしやがって……!


 でも苛立ちと同時に、あたしはなんだか少し嬉しい気持ちも感じていた。


 中学の頃と変わらねぇな……。

 不良になって荒れてたあたしを受け入れて、こんな感じでいつも笑い飛ばしてくれてたっけな。


 学校の教師や社会の奴らからは見下されてても、この竹田のおっさんはいつも味方でいてくれた。


 だからあたしら不良グループは、良くここに来てたんだ。


「はいよ、お待たせ」


 そんな感傷に浸っていると、おっさんがラーメンを差し出してきた。

 メンマと煮卵、ネギ、チャーシュー。それらが乗せられただけの簡単な醤油ラーメン。


 でもこれがたまらねぇんだよな。


 琴音は興味深そうにそれを眺めている。


「美味そうだろ?」

「はいっ。ですが、なんだか不思議な感じです」


 あたしは割り箸を2本手に取ると、1つを琴音に手渡した。

 そしてそれを割って2人で合掌する。


「「いただきます」」


 琴音がれんげを手に取って、指で髪の毛を右耳に乗せたあと、大きな音も立てる事なく丁寧にラーメンをお箸で口に運んだ。

 スルスルっとその小さな口の中に麺が吸い込まれて行く。


 それから何度か咀嚼したあと、琴音は目を輝かせてこちらを向いた。


「すごく美味しいです!! なんでしょう……今まで食べたものとは明らかに違うのに、でも、とても満足感があって……ラーメンがこれ程美味しい食べ物だとは思いませんでした!!」


 それから琴音は次の一口を啜り始めた。


 あたしと竹田おっさんは顔を見合わせて笑い合う。

 必死に、だけど清楚に丁寧にラーメンを食べる琴音に続くように、あたしも慣れた感じでラーメンを食べ始めた。


 う〜〜久しぶりだけどやっぱうめぇな〜〜。


 安心する味とはこれの事を言うのだろう。

 地元の味は至高だ。


 でも……。

 夕方にこれを食べると、あぁ今日も一日が終わるんだなって、少し寂しい気分になるんだよなぁ。


 夕陽が窓から差し込んでいた。

 柔らかいオレンジの光が店内を、そして2人を照らし出している。

 

 柔らかな夕日を背にうけながら、しばらく2人でラーメンを食べていると。


「ミズキさん」

「ん、どした?」


 琴音が箸を動かす手を止めて、静かに言葉を落とした。

 その視線はこちらには向かないまま。


「やっぱりミズキさんはすごい人です……どんな立場の人にも、どんな年齢の人にも、区別せずに同じように接する。日本では上下で振る舞いを変えるのは当たり前ですから……普通はそんな事できません」


「別に褒める事じゃねーだろ。むしろ叱られるべき事だ」


「そうかもしれませんね……でもわたくしにはそれがすごく嬉しかったんです…………いつも敬われて丁重に扱われてばかりで……」


 琴音が過去を追想するかのように、少し寂しげな声で呟いていた。


 あたしは琴音の方から視線を逸らして、ラーメンの器へと視線を落とした。


 そりゃそうだろうな。

 天下の西條財閥その一人娘。日本を背負って立つ大富豪の後継なんだ。


 どんな立場の人間だって、こいつには頭が上がらなかったはずだ。

 ただでさえこいつには人をひれ伏せさせてしまえる圧倒的な王のオーラがある。


「だからミズキさんと対等な友達になれた事に舞い上がって……ミズキさんならなんでも受け入れてくれるって甘えて……今日はあんな事を…………」

「……」


 こいつは。

 琴音は。


 容姿が抜群の美少女で、立ち居振る舞い・言葉遣いが美しくて、尋常じゃないくらいの知性に満ちている。


 かと思ったら、運動がダメダメで、変なセンスの趣味趣向を持ってて、臆病な部分もあって。

 普通の女の子みたいに悩んで。


 こいつだって悩むんだ。

 自分を責めるんだ。

 あたしらと変わらない弱い部分を持ってるんだ。


 そんなの、当たり前なはずなのに。


「……ったく」


 自分の不甲斐なさを痛感する。

 情けねぇな……あたしは。


 あたしは右手を琴音の頭にぽんっとおいた。


「ん……あの……ミズキ、さん?」

「悪かったな……ダチにそんな風に悩ませちまって…………あたしの方こそ、お前に甘えてた」

「そんな……ミズキさんは何も悪くないですよ……」

「あたしを誘う時……すごく勇気出したはずだよな。怖かったはずだ」

「…………」

「でもお前は誘ってくれたんだ。すごく……嬉しかった」


 あたしは琴音の頭から手を離して、箸を手に取ると再びラーメンを口に運んだ。


「なぁ琴音。あたしは確かにお前の好きなあのバンド趣味に共感は出来ねぇ。多分あたしがあれにハマることもねぇと思う」

「やっぱり、じゃあ…………」

「だからと言って、あれを好きなお前を否定するつもりは一ミリもねぇよ」

「――っ」


 琴音が俯けていた顔をこちらに向けるのが分かった。


「あたしはさ、人生の充実度ってのは経験の多さだと思ってんだよ。それが楽しかろうが、どうだろうがな」


琴音はあたしの言葉に耳を傾けてくれていた。

あたしは言葉を探しながら、琴音の心に向けてその想いを一つ一つ形にしていく。


「人間それぞれ趣味も能力も好みも違っててさ、みんなが固有の世界を持ってる。1人だったらその世界から出るのは難しくて……だからこそ誰かと関わるってのは大事で、そいつが知ってる世界を教えてもらえる機会なんだよ。知らない世界を経験できるチャンスなんだ。あたしは少なくとも……お前には沢山の初めてを経験させてもらってる。すげぇ、ありがたい事にな」


 あたしは琴音に優しく微笑みかけてあげる。


「だから今日のことも感謝してるぜ。ああいうアーティストがいる事を知れて面白かった。地元の奴らへの土産話にもなるしな」

「……ミズキさん」


「これからはあたしもお前に色々な初めてを経験させてやるよ。お前の知らねぇ世界をあたしは沢山知ってるだろうし。まずはこのラーメンがその一歩だなっ」


 あたしがニカっと笑うと、琴音は小さく唇を噛んだ。

 それから少し我慢していたが……やがて顔を隠すように俯いて、琴音は目元に指を運んで何かを拭い取る。


 その後すぐにこちらを向いて、いつもよりも少し、頬を紅潮させて嬉しそうに微笑んだ。


「はいっ……是非ともお願いします」


「ああ。こっちこそな」


 あたしと琴音は顔を見合わせて、もう一度、お互いに小さく笑った。

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