第45話

第45話


【夢術管理協会/ side】


銃口が火を噴く。


不安定な体勢で引き金を引いたせいで、訓練よりも数倍重い反動が手に落ちた。


飛び散った黒い飛沫。


そこに一滴の赤も混じっていないのだから、きっと一高ワン子には当たっていない。

そう信じている。


一高ワン子は___否、一高千恵里は、その身を先輩に向ける。


それはもう人の形を保っていなかった。


黒い粘性のある液体が、ただ単に表面張力で盛り上がっているようにすら見える。


___一高はもう死んだのだと、今さら俺は気がついた。


一高千恵里だなんて少女はもう死んでいて……ここにいるというのは本当の化け物だってこと。


心の底から否定したかったが、目の前の現実が嫌というほど目に入る。


一高を殺すだなんて、そんなことは必要なかったんだ。


俺が1人で塞ぎ込んでいる間に、一高も藤先生も、とうに向こう側に行ってしまっていたのだから。


先輩が体育館の中に駆け込んでくる。


夢術:おと___


そう、それが彼女の夢術だった。


獏は周りの人間の五感を弄れる。

だが、それ以上に先輩の聴力は正確だ。


彼女が少し進路を変えた直後、獏の黒い渦が彼女のすぐ横に落ちる。


先輩は足をとめない。

走りながら、彼女は獏だけをみていた。


そうして、焦った様子もなく銃口を向ける。


寸分の狂いもなく、銃弾が獏の身体を貫いていった。


俺の銃撃とは違い、獏の身から飛び散る黒には確かな赤が混ざっていた。


瞼の裏にフラッシュバックする、沙夜子の赤。


確かに赤いのだけれど、それは赤とは形容しきれない。

命の色。

そう表した方が良い、その色を。


甘ったるい目眩がして俺は眉間を押さえた。


断ち切れ。


ここで獏を殺さないでどうするんだ。

やっとここまで来たんだ。


一高ワン子は死んだ。

もう死んだんだ。


俺が殺すわけじゃない。


……でも。


でも、なら、あの赤い色は何の色なんだ。


“間違いなく死んでるだろうね”

一高ワン子について、先輩はそう言った。


でも、もしかしたら、本当にもしかしたらだけれど、まだ生きてるかも知れないじゃないか。


万が一でも、一高ワン子は助かるかもしれない。


またもう一度……今は2人になっちゃったけど……また、10年前みたいに話せるかもしれない。


そんな希望が、さもすれば絶望が喉の奥を締めていく。


北条先輩の銃には、迷いがない。


獏の黒い身体を撃ち抜いていく。

貫いていく。


体育館には黒い飛沫が散っていた。


赤い飛沫も、一緒に。


目眩はどんどん酷くなる。

たたらを踏んだ時、一瞬だけ先輩と目があった。


先輩は顎で獏の方を指す。


___トドメを刺せ。


そう言っているように聞こえた。


俺の妄想なのかもしれない。


だが、確かに彼女が撃ち抜いたのは四肢だ。


おそらく一高ワン子の頭部があるだろう場所には一弾も掠っていない。


……そうだ。


何も銃で殺さなくて良いんだ。


俺の夢術で、“俺だけ”だって言ってもらえた夢術で、一高ワン子を助け出せば良い。


この手で触れれば良いだけだ。


俺は頭を振った。


……でも、もし。


もし一高ワン子に自分自身で生きる力が残っていなかったら。

そうしたら、今度こそ彼女から生を奪い取ることになる。


例え化け物だとしても、もう二度と動くことはなくなってしまう。


……駄目だ、考えるな。


ここまで来たら、賭けるしかないんだよ。


俺は自分の夢術を使う。


_夢術:“無”


目眩がすぅっと引いていった。


硬い床に手をついて、立ち上がる。


向かうは黒い化け物に。


一高ワン子に。



ずっと助けたかった人に。



俺は手を伸ばした。


指先が触れ___



『 だいすき 』



刹那、確かにそう聞こえた。


電撃のようなそれに、俺は動きを止める。


俺の体の上から、獏がのしかかって来る。


だが、それが俺の身を侵すことはなかった。


むしろ柔らかな暖かさが、俺を包む。


苦しさなど、そこになかった。


……最悪だ。


俺に、きっと彼女は殺せない。


目の前の彼女は邪悪で、人手すらない。

醜くさえある。


それでも……それでも彼女は、誰よりも美しく優しかった。


俺は挙げかけた腕を下ろす。


「……救ってやれなくて、ごめんな」


俺は瞼を閉じた。


『 先輩、ごめんなさい 』


一高ワン子の声を、確かに聞きながら。

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