第8話


第??話



「先輩……」


こんなに上手に笑ったというのに、一高ワン子の顔は不安で満ち溢れていた。


いや、怯えと言った方が上手く表せるか。


「何怖がってんだよ。

今までと一緒だろ?」


俺は彼女の方に向けて歩き出す。


「ほら、早く部室行こうぜ。

藤先生待ってるぞ」


俺は彼女の腕を掴んだ。


ヒッ、という声が彼女の喉から上がる。


「やめてよ、先輩……」


沙夜子がいると言ったのは彼女のほうだった。


なのにどうしてこんなに拒絶反応を示すんだよ。


「なんでそんな笑い方するのだよ……」


さも気持ち悪いものを見たかのように、彼女が腕をよじる。


だが、か細い彼女の腕が俺の手からすり抜ける事はなかった。


何故?


俺は彼女を落ち着かせるために笑ったはずだった。


ところがどうか。

彼女は落ち着くどころか混乱している。


……俺は笑うことすら姉に敵わないんだな。


彼女が、力一杯腕を振る。


「先輩は、そんな笑い方する人じゃないのだよ。

そんな取り繕うように笑う人じゃないのだ」


彼女が俺を睨み上げる。

その双眸には、死んだような目の少年が映っていた。


彼の唇が歪む。


「……お前に俺の何が分かるんだよ。

そもそもお前が沙夜子を探すことを望んでたんじゃねえか」


彼女がそりゃそうだけど……と口ごもる。


「そりゃあ沙夜子先輩を見つけてほしいのだ。

みんなで一緒にまた部活したいのだ。

……だけど」


彼女が耐えきれなくなったように目を伏せる。


子供のように口を尖らせた。


「だけど、そこには先輩もいなきゃダメなのだ……。

いつもみたいに憎まれ口を叩いてて欲しいのだ」


「……」


俺は手の力を緩めた。


するりと一高ワン子の腕が抜ける。

だが、彼女はそれを下さなかった。


ぎゅっと俺のシャツの袖を掴む。


小さな指先が、服に皺を落とした。


「先輩が今何も信じられないっていうのも分かるのだよ。

だってボクがそうだもん。

……だけど、これはボクのわがままだけど、先輩には先輩のままで居て欲しいのだ」


「……でも、俺じゃ何も助けれない」


俺は彼女に口を挟んだ。


「いいのだよ」


食い気味に、彼女が言う。


裾を掴む手に力がこもった。


「先輩が何も出来なくても、ボクは“先輩竹花楽都”がいるだけで強くなれるのだ。

……それは、先輩以外の誰にも出来ないのだ。

先輩じゃなきゃ、ダメ」


“俺”じゃなきゃ、ダメ。


「一高……」


そんなこと、初めて言われた。


思えばずっと、俺は姉に比べられてきて生きてきたから。


姉に比べて“出来そこない”。

そう言われ続けてきて育ってきた。


そこに俺だけを見てくれる人はいなかった。


いつだって俺の代わりはいて、いつだって俺じゃなくても良かった。


……俺じゃなきゃダメなんて、人生で初めて言われた。


「ちょっと何固まってるのだよ!

こんな恥ずかしい事言わせたのは先輩なのだよ!」


目の前の少女が顔を真っ赤にして喚いた。


「あ……あぁうん」


俺の生返事に、彼女は両手を振り上げる。


「ああもう先輩の馬鹿!大馬鹿!

責任とりやがれ!」


俺は一瞬だけ息を止めて、それからため息をついた。


「そんなに喚きやがって、馬鹿はどっちだよ」


「はぁぁぁああ???」


俺の言葉が彼女に火をつけたのか、彼女の頬がリスのように膨らむ。


一高ワン子、やっぱり部室に行こう。

ちゃんと決着はつけておきたい」


例え俺が間違いだったとしても、藤先生が俺たちを騙していなかったにしても。


俺は彼女の頬を両手で挟んだ。

そしてぎゅっと押し縮める。


「……間抜け顔だな」


「先輩、さっきから調子乗りすぎなのだよ!」


俺の手の中で、彼女が唇を歪めた。

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