第22話

第22話


【夢術管理協会/ 後輩side】


「残業やあだぁ」


案の定というか、予想通りというか。


先輩はそう叫ぶと床に倒れ込んだ。


「んなの俺だって嫌ですよ」


俺は溜息をつきながら書類の山を睨む。


……今、俺は先輩の部屋にいる。


なんでも先輩は残業を持ち帰ってやる派だそうで、俺を(半ば無理やり)家に引き摺り込んだ。


いやいや、こんな簡単に異性を部屋に迎え入れて良いのか?

仮にも同い年の男女だぞ?


色々悩ましいところはあるのだが、彼女にとっては残業を早く終わらせることが一番大事なようで。


先輩が再び身を起こしたのと、部屋のドアが開いたのが同時だった。


「コーヒー淹れましたよ〜」


お盆に二つのグラスを乗せた女性が静かに入ってくる。


「ありがと、みーちゃん」


先輩はグラスを受け取りながら親指を突き立てた。


みーちゃんと呼ばれた女性は、先輩のルームメイトらしい。


かれこれ2年くらいシェアハウスをしているのだと。


……だから、それをホイホイ話していいのか?


ツッコミどころは多々あるが、何故かその“みーちゃん”さんの俺への信頼は厚いようだった。


彼女が部屋から出ていくと、先輩はすかさず口を開く。


「誰かさんが獏の目撃証言をパーッて出してくれたら、残業しなくて良いのになぁ」


「目撃証言で場所が特定しきれないから、俺らが調べてるんでしょうに……。

さ、仕事してください」


俺はビッシリと字の詰まった書類に目を通す。


既に、アイツの目撃証言は沢山出ている。

それこそ書類が出来上がってしまうほどに。


だが決定的なものは無い。


アイツが今ここにいるんだ、と言えるような何かは___


「残念なことに、ここ数日の目撃証言はないみたいですね。

それまでは散々あったにも関わらず」


俺は視線をあげないまま言う。


ん、と短く先輩は返事をした。


……何故目撃証言が消えた?


それまでの証言の量から考えて、誰かに見られないでいることなんて難しいのに。


まさか、見られていないのか?


誰も入らないような所に、身を潜めている?


それとも誰かに匿われているのか?

……いや、それはない。


アイツが匿われたいと思っていたのなら、まず俺のところに来るだろう。


少なくとも、俺より先にアイツに頼られるような人間を俺は知らない。


それなら、1人で何処かに身を潜めているのか。


それじゃあ何処に……。


「ところでさぁ」


呑気な声が俺の思考を乱す。


「後輩くんは、どうして獏に執着してるの?」


「……」


獏というワードに過敏になっているのか、俺の指先がピクリと動いた。


「駄目ですか、過去に執着しちゃ」


「駄目とは言わないよ。

私だって似たようなもんだし」


今までの時間で、先輩はかなりの量の書類をまとめてしまっていた。


上層部が彼女を評価する理由は、こういうところなのだろう。


……まぁ、俺はあまり好きになれないのだが。


「アイツに、これ以上人を殺させないため。

……それじゃあ答えになってませんか」


俺は彼女から目を逸らす。


視界の端で、彼女は煙草を取り出した。


吸っても良いかと尋ねるように、彼女はその煙草をクイとあげる。


俺は目を逸らしたまま頷いた。


「獏はまだ何の犠牲者も出していないはずだよ。

そもそも獏の夢術は、物理的な攻撃ができない」


カチッ。


先輩がライターをつける音が響いた。


「そんなことはない。

アイツは人を殺した」


食い気味に言ってしまってから、俺は唇を結んだ。


殺したというのは、何のことを言うのだろうか。

その定義は何なんだろうか。


……アイツは、手を下していない。


それでも人を殺した。


耐えきれないほどの悪夢で、自死に追いやった。


「……あぁ、元管理協会の人が一人死んだんだっけ。

でもあれは獏が原因じゃないでしょ」


先輩の声が遠く感じた。


服毒自殺だったらしい。

全く、その人らしいと言えばその人らしい。


「その人の妹さんは、獏の事件の半年前に死んでいたの。

自殺した日は妹さんの五周忌だったのよ」


アイツが殺した。


先輩がどれだけ取り繕ってくれたって、その事実に変わりはない。


「……先輩、俺頑張って来たんですよ」


ポツリ、と俺はつぶやく。


俺まで死んだら、本当にアイツは独りぼっちになっちゃうから。


「胃が空っぽになるまで吐いて、食いもんも喉通んなくて。

そういうことがずっと続いても、俺は生きてきた。死ななかった。

俺のせいだって言い聞かせて、どうにか生きてきたんです。

なぁ先輩。

アンタは俺を笑うかもしれない。

それでも良い。

それでも良いから言うけど」


そこで、一回息が切れた。


「俺はアンタが嫌いだ」


タバコの煙が、俺の目の前に漂った。


嫌いだと言い放たれた本人は、表情ひとつ変えずに腰を据えている。


俺は言葉を続けた。


「アンタが嫌いだし、俺自身も嫌いだ。

みんなみんな、どうしてああも生きていけるのか分からない。

俺がアイツを不幸にしたのに、どうして俺が人を好きになれるんですか。

……恋愛がしたいとかそういう話じゃない。

ただ、俺はこれから一生人を好きにはなれない」


先輩には分からないだろうけど。


少し迷った言葉を、最後につけ加える。


タバコのツンとした匂いは、いまだに空中にただよっている。


「……後輩くんには、私がそんな風に見えてるんだねぇ」


彼女は無表情のままで、いやむしろ微笑さえ浮かべてしまう。


「ねぇ後輩くん、昔話をしよっか。

昔々の、幼気いたいけな少女の話を」

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