第20話

第20話


俺は人のいない廊下を歩いていた。


向かう先は一つ、体育館だ。


部室棟と逆方向に、教室棟の廊下を歩く。

人気のない廊下ではたった一人の足音さえも反響を成していた。


……あそこだ。


あの角を曲がると、くだんの階段がある。


否定したかった。


血痕一つもない薄汚れた階段を指差して、「ほら、やっぱり何もない」と笑いたかった。


自分の心臓が五月蝿い。


何も怖いことはないはずなのに、バクバクと心拍数が上がっていく。


俺は一瞬だけ息を止めて……そして、一気に角を曲がった。


「……そりゃあそうか」


簡単には行かないか。


俺は張り詰めた息を吐く。


そう簡単には否定させてくれないという事を、もう俺は既に知っていた。


目の前に立ちそびえる扉。


重厚な防火扉だ。


そして、人が通れるはずの小さな扉の部分にも、南京錠が下がっている。


詰まるところ、入る術がない。


職員室に行けば南京錠の鍵を開けてくれるだろうか?


そもそも何故鍵が掛かっているのか?


……分からない。


ただ一つ分かることは、この扉の先にはということだけだ。


そして、俺はこの扉を開けなくてはならないことも。


「……竹花くん」


途方に暮れていた俺の背に、誰かが声を投げかけた。


一瞬、背筋が固まる。


振り返ると、そこには長身の影。


「なんだ、藤先生かよ……」


俺は吐き出すように言った。


「酷いですねぇ、教師に向かって“なんだ”とは」


彼はぷくりと頬を膨らます。


先生には悪いが、一瞬盛春の声と聞き違えたのだ。


「はいはい、馴染みの教師がいたんで安心したんですよー。

……そんなことより先生」


俺は扉を背にして言った。


「ここの鍵、知りませんか?」


俺の手の中で、南京錠の鎖が音を立てる。


少しの間の後、彼は小首を傾げた。


「はて、そんなところに鍵なんて掛かってましたかねぇ……。

この学校は防災意識ガバガバなんですかね」


言われてみりゃあそうだ。


こんな所に南京錠なんて、火事でも起きたらどうするつもりだというのだろう。


彼は思案を巡らせているのか、あらぬ方向に目を向けている。


そうして10秒ほど考え込んでいたが、突然ニコリと笑顔になった。


潔い声で、言い切る。


「分かりません」


「……」


俺の視線から逃れるように、彼はケラケラと笑う。


「いやぁ、残念残念。

可愛い生徒の力にはなりたかったんですがね。

……あ、そうだ。

そんなことしてる場合じゃなかったんでした」


本当によく動く表情筋だこと。


そんな事を思っている間に、彼は俺にずいと近寄った。


彼の綺麗な髪が俺の顔に掛かるんじゃないか。


そう思うほどに、彼が近づく。


「君、校門にレディーを待たせていますよ」


「……は?」


俺は目を瞬く。


レディー?

lady……女性のことか?


「そうそう、素敵なレディが待ってます」


「いや……勿体ぶらずに誰だか言えよ……」


俺の正論は、にこやかな笑みにかわされる。


こんな奴に構っていても時間の無駄か……。


俺は諦めて彼の長身を押し除けた。


「はいはい、行ってきます。

行ってくれば良いんでしょ」


ここから校門までは結構遠い。


そもそも、なぜ態々校門で待っているのか。


部外者だかなんだか知らないが、職員室に来ればいいじゃないか。


内心で愚痴を言いながら、俺は正面玄関を出る。


「校門にいた子、可愛くね?

誰だろ」

「お前声かけりゃ良かったじゃん」


何やら浮ついて会話を交わしている数人の男子生徒と、すれ違う。


……そのに会ったら愚痴を言ってやろう。


だが、校門の横に立っている人物を見た瞬間、俺の中の愚痴は喉の奥に引っ込んだ。


「……っ」


息が詰まる。


「なんで……」


舌が乾いて、上手く発音できなかった。


だって、そこに居たのは___


「久しぶり、楽都」


少女の口角が、人形のように引き上がる。


「なんで居るんだよ……」


俺の問いに、彼女は髪を耳にかけた。


「なんで……って、姉が弟の学校に来るのはいけないのかしら」


が、そこには居た。

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