第16話

第16話



人の前に立つ事自体は、そこまで慣れていない訳じゃなかった。


決してクラスの中心に立とうだなんては思っていない。


だけど、描いた絵がたまたま美術コンクールで入選したとか。

たまたま習字のコンクールで良い線行っただとか。


なんやかんやで、生きていれば皆の前に出る事はあるものだ。


だから俺は、面倒臭そうに鳴る拍手の音も、羨望に———いや、嫉妬に満ちた目線の数々も、丸聞こえな小声で姉と比べられるのも、全部知っている。


……だから、嫌いだった。


しかたがない。そう割り切れないことで皆の前に出るのを、嫌っていた。




「……あの!」




普段ならちゃんと出るはずの声が裏返った時、そんな事をふと思い出した。


だが、その時にはもう、教室の視線は俺に集中していた。


……まだ人が集まりきっていない朝の時間でやってしまったのは、俺なりの逃げだったのだろう。


それでも、集中した視線は、俺の喉を詰まらせるには十分だった。


何だよ五月蝿いな、と言いたげな不満な視線。

あの竹花が何をするんだ、と言いたげな好奇の視線。


「……っ」


気が付かないほどの悪意が積み重なって、俺の唇が空振りする。


どうにか喉から絞り出した声は、ちゃんと教室に届いたかどうか。


「このクラスの全員の名前を言えますか。

……昨日、高校の春課題の作文で、テーマにしようと思ってアンケートを取ったんです」


嘘だった。


俺が行く高校は、課題として作文なんて出しちゃあいない。


多少の課題はあったが、どれも問題集を解くというものだった。


それでもいい、嘘でもいい。


「……、竹花が頼んだやつだったんだ」

「意外と真面目なんだな」


陰口が、こっちまで聞こえてくる。


何となくだが、信頼は得られているようだ。

少なくとも……アンケートを取った、違和感のないは出来た。


最低限、その結果は信頼できる。


そう思わせることは出来た。


俺は、昨日のアンケート結果を記した紙を突き出す。


「結果は、23人中23人が“答えられない” ——これっておかしいだろ」


吐き捨てた俺は、クラスの視線から逃れるように瞼を伏せた。


頼む。


おかしいと思ってくれ。

違和感があると感じてくれ。


……せめて、自分達がを忘れていると思い出してくれ。


無かったことになるのは、嫌だから。


今まで一緒に生きてきたはずの人を忘れるなんて、悲しいことだから。


静まり返る教室。


「ねぇ、それ——」


初めに声を上げたのは、髪をクルクルに巻いた女生徒だった。


「それ、噂のやつじゃん」


半ば嘲るように、彼女が鼻で笑う。


「あれだよね、Noって言わないと殺されるってやつ?」


それに乗ったのは、彼女の取り巻きだったか。


「それじゃアンケートの意味ねぇじゃん!

竹花、可哀想だわ」


「1年に訊いたのが間違いだったんじゃね?」


一気に広がっていく喧騒。


そのまま話は終わったとばかりに、日常に戻っていく。


……誤算だった。


噂がここまで影響を持っているとは思わなかった。


俺はその場で立ちつくしたまま舌を噛む。


そりゃあそうだ。


“Noと答えなくてはいけない”という噂があれば、みんなNoと答える。


……本当はどう答えるかは置いておいて、だ。


“全てNo”という不自然さが、その噂によって掻き消されてしまった。


結果が、なものになってしまった。


そうしたら……もう効力はない。


俺は、完全に失敗したのだった。

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