第9話


 真下友香の行動を追ったことは、ない。

 真下は、第一派閥、第三派閥のhostileとして、

 危害を加えようとする前に監視すべき対象であって、

 保護すべきは、雨守や、沢名、真矢野だった。

 

 と、同時に。

 常時監視するほどの対象としても見ていなかった。

 

 無駄に豊富な語彙で誰かを口汚く罵倒するか、

 誰かをあからさまに蔑視するか、自分の美点や小さな成果を強調するか。

 それ以外のことは、殆ど記憶に残っていない。

 

 真下友香、という人間に関して、呆れるほど、何も知らない。

 それは、俺だけでなく、第二派閥に属していない、

 ほぼすべてのクラスメートについても言えるだろう。

 個々人が持っている情報は、絶望的に少ない。


 それに、クラス内では、腐っても第二派閥の長だ。

 下手に聞きまわったら訝しまれて、足がつくだけだ。

 気づかれてしまったら終わりだ。俺の手の届く範囲からは外れちまう。


 時間は、絶対的に足りない。

 学校内で、今日中に事が起こるのだとすれば、

 情報収集が可能な余裕は、せいぜい、数時間程度と見るべきだろう。


 と、なると。

 

*


 ぴろん

 

 (真下さん、あんま喋んなくなったって。

  島香さん情報。)

 

 島香さん、って誰だ?

 

 (グループの?)

 

 (<同意スタンプ>)


 (そういや最近、静か。)

 

 あぁ。

 第二派閥の子ってことか。

 流石、小林委員長。情報網しっかり作ってんな。

 

 (真下さん家、ちょっと前に、再婚したらしいよ。

  星羅ちゃん情報。)


 (<へーのスタンプ>)


 (<ナイスのスタンプ>)

 

 小林……。

 お前、教師の信頼を裏切ってるぞ。

 完全なセンセィティブ情報じゃねぇか。


 (そういえば真下さん、

  こないだ、名和座君と揉めてた。)


 名和座?

 あぁ。第一派閥の。

 障子屋と一緒にいつも双谷のトコにいる奴らな。

 あいつら〇モなんじゃねぇか?

 

 (じゃ、双谷君とも?)


 (真下さん、ソウヤ推しじゃん。)

 

 推し?

 

 (<驚くスタンプ>)


 (バスケの雑誌とかイ〇ス〇とかスクショしてる。

  試合も追っかけてたりしたし。

  女バスとも揉めてる。)

 

 うわ。厄介じゃねぇか。

 っていうか、普段喋らない地味子のほうが、

 こういう場でのレス、異様に早いな。


 (でも、先週の試合、いなかった。)

 

 (あ、あんた女バスだったっけ。)

 

 (<殺すぞのスタンプ>)


 ……少しずつ情報が揃ってきたな。

 っていうか、こんな感じで丸裸にされちまうわけか。

 怖ぇな…。


 (卒アル)

 

 げ。

 

 (<そマ? のスタンプ>)


 (<ナニコレのスタンプ>)

 

 (地味。)


 (ココ、どこ?)


 (他県。

  あんま大きい街じゃない。)


 (調べた。

  山のほうじゃん。

  10年前はたぶん村。)

 

 (その中学で、女バスの先輩にヤられたって。)

 

 おまえら、マジ、怖すぎ…。


*


 ふらふらと、屋上を歩く、金髪の少女。

 ハイライトの消えた瞳で、無言のまま、

 夢遊病者のように、フェンスのない屋上に立つ。

 

 一瞬、躊躇った顔をしたものの、

 地上のすべてに絶望したような、小さく深い溜息を付いて、

 呼吸を深く吸い上げた。

 

 涙の出し方さえ忘れたように、

 小さく乾いた笑みを静かに漏らすと、

 

 ……。

 

 何かに誘われるように、虚空との境界線を越え


 

 がっ

 

 「!?」


 分かりきっていたとしても、待つ必要があった。

 過去の傾向からすれば、

 ことがあったから。


 「な、な、な、なによアンタっ!」


 タイミングだけが重要だった。

 身体が、一瞬だけでも、揺らぐ必要があった。


 少し強めに身体を引く。

 地上と空の境界線は薄くなり、

 やがて、消え失せた。


 「!?

  は、離しなさいよっ! 離せよこのセクハラ糞野郎がっ!」

 

 「母親の再婚相手がクズでも、

  双谷を巡って名和座に何か言われても、

  双谷が理想とちょっと違ってたとしても、

  中学の部活でレズの先輩に襲われてたとしても、

  俺の前でお前が死ぬ理由にはならねぇよ。」

 

 「!!!」

 

 (だ、だめだよっ!

  絶対、だめっ!)

  

 あ。

 そうか。

 

 雨守は、父親を、自殺で喪いそうになってたから。

 

 「っていうか、死ぬ日まで、

  しっかり化粧してんだな。」

 

 死のうとする日、ではない。

 雨守が、俺やクラスの女子を動かさなければ、

 真下友香は、たったいま、血染めの地球に抱かれていた。

 

 「……し、死に化粧よっ。

  なんか文句あんのっ!」

 

 「知ってっか?

  頭から突っ込んだら、顔なんて、四散しちまうんだよ。

  折角安くねぇ化粧してんのに、バカバカしい。」

 

 ヘッドショット、決められてたもんなぁ。

 顔だったものなんて、なんも見えんかった。

 

 「……っ。」

 

 「……一番は、

  真矢野を殺そうとした奴、か。

  深山真琴、だっけ。」


 真下には偽名使ってたらしいけど。


 「……!?

  ……あ、あんたには関係ないでしょうがっ!」

  

 関係、ないんだけどな。

 助けようとしたのは雨守だし、

 この情報だって、俺が集めたものは一つもない。


 そもそも、

 

 「真矢野が元子役だったって、知ってたのか?」

 

 「……っ。」

 

 それすら、知らなかったのか。


 「だとすれば、お前は被害者ってわけか。」

  

 「!?

  ……。」

 

 図星かよ。

 だとすると、あれは、相当執念深い犯行だったわけか。


 あ。

 執念深い奴だった。

 ガキの頃からの恨みを、ずっと持ち続けてたわけだから。

 

 「お前に化粧の手解きをしたのも、

  お前に成り代わり、お前に罪を擦り付けるためのステップだった。」

 

 悲劇が起こる可能性は、十分過ぎるほどあった。

 他のグループからほぼ完全に孤立していた真下は、

 擬態先としては、最高の存在だった。


 ほかならぬ真矢野の観察眼が優れていたことが、

 真下の名誉を救ったわけだが。

 

 「憧れて、信じてた奴にずっと利用されてたショックのほうが、

  他の全てよりも、数十倍大きかった、ってわけか…。」

 

 「……ぅぐーぅっ!」

 

 死に化粧から、可愛くない唸り声が響く。

 本当に怖い時、キャーなんて言わねぇもんな。

 うぎゃー、とか、うがーとか。


 こいつは、徹頭徹尾、ぼっちだったってわけか。

 だとすると、

 

 「お前、凄いな。

  卒アルと全然、別人だろ。」

 

 「!?

  あ、あんた、あ、あっ…」

 

 なんだコイツ。

 あぁ、ショックがいろいろ大きすぎて、毒舌が出てこないのか。

 

 「っていうかな?」

 

 「な、な、なによっ!」

 

 「卒アル見て思ったけど、

  お前、ギャル風メイク、似合わねぇ顔なんだな。」

 

 「っぅ!?」

 

 まぁ、なんていうか、

 戦う必要があったのかもしらんな。

 何と戦っていたか、全然分からんが。

 

 「それで読モまでやったんだから、

  大したもんだと思うべきなのかもな。」

 

 「あ、あ、あんた、

  さっきからなんでそんなエラソーなのよっ!!」

 

 「お前みたいな口開いたら悪口しか出てこない奴が、

  なんでそんなこと言えるんだよ。」

 

 「し、しょうがないじゃないのっ!

  な、なに話していいか、わかんないし…。

  方言、出ちゃったら、どうしようって…っ。」


 あぁ……。

 そういやコイツ、中学まで田舎だったわ。


 なんだよ、その顔。

 可愛いかよ。

 

 「ったく、じゃあお前、

  いっそこうしろ。」


*

 

 サラサラのストレートヘアに

 シンプルなクリアベージュ。

 金髪なのに威圧感はすっかり霞み。


 キツそうな印象を与えがちなちょっと細い眼も、

 目頭切開ラインと影色アイラインで

 ふんわりデカ目の清楚路線に大変貌。


 「……顔面工事、怖ぇ。」

 

 「なに言ってんの?

  言い出したの、真人じゃない。

  喋らなくてもいいように、って。」

 

 そりゃそうだが。

 思いのほか、うまく行き過ぎたと言うべきか。


 なんていうか、

 女子の派閥から外れてる男の目が、釘付けになっちまってる。

 他クラから見に来た奴もいるくらいだから。

 

 「真矢野、お前、

  メーキャップアーティストとか、向いてんじゃねぇか?」


 「あはは。そんなことないって。

  あれは演者よりもずっと激戦区。」

  

 そんなもんか。

 

 「そりゃね。

  ま、やってて楽しかったのは確かだけど。」

 

 だろうな。

 なんせ、すっぴんのベースが整ってたからな。

 ある意味、雨守に近いわけだが。

 

 「でも、真人ってさ。

  ひょっとして、わざとやってるの?」

 

 ん?

 

 「……あっはははは。

  なんっでもないよー。」

 

 真矢野が吐いたこの言葉の真意を知るのは、

 もう少しだけ後になる。


*


 最初に感じたのは、違和感。

 次に襲ったのは、強烈な熱さと、痺れ。

 追い打ちを掛ける激痛が脳を突き抜ける。

 呼吸が息が貼りつき、声を出せない。


 霞む視界の中で、もう一度、鈍い衝撃。

 もう一度。もう一度。

 

 鈍痛と激烈な痛み、胃のすべてを焼き尽くす嘔吐が、繰り返し襲ってくる。

 脳神経、視神経が砕け散り、

 時速7000キロのメリーゴーランドに突きこまれ、

 世界がすべて破砕される。

 あらゆる現世から遮断しようとする意識を搔き集め、

 眼球からすべての液体を吹き出しながら、

 壊れゆく世界の先に見た、攻撃者の姿は、歓喜と愉悦に歪んで

 


 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁああっ……。」

 

 はぁ、はぁ……

 はぁ……っ


 うえぇぇぇぇぇぇっ……

 

 ……へ、部屋、汚しちまったなぁ……。

 

 はは。

 ははははは……。


 この日が、来ちまったか。

 遂に、

 

 次に殺されるのは。

 この、俺。

 野智、真人……だ。

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