第10話


 朝、五時。

 夢を見てから、一時間後。

 スマートフォンの電源を切って靴箱の奥に入れ、家を出る。

 

 七時には、雨守が家に来てしまう。

 早い日だと、六時半にはインターフォンを鳴らしてくる。

 その前に、移動する必要があった。


 世話になっている弁護士さん向けに、用意してあった一葉の封書を送る。

 俺が死亡、失踪した場合、俺の遺産は、すべて、猶次郎に遺贈する。

 いま、実質的にそうなっている。

 あいつのちょろまかしを追認するだけだ。


 (あんたの、あんたのせいでぇっ!!)


 俺を物理的に殺めようとした、遺産をアテにしたシャブ漬けのババア、

 俺を社会的に亡き者にしようとした人非人共に対する、恨みと、怒り。

 

 復讐の手段を学び、戦い、半殺しにされながら返り討ちに合わせ、

 残りの奴らには猶次郎を盾にした。

 俺がまともな学生生活に擬態できたのは、猶次郎のお陰だ。

 その恩は、返すべきだろう。

 

 思い返せば、ガキの頃は、必死だった。

 考えてみれば、今よりも、ずっと、生きようとしていた。

 生き延びてやることが、復讐だった。

 

 だが。

 死は、俺にとって、身近になりすぎてしまった。

 死を考える合間だけ、紛い物に擬態した人生を送ってきた。

 俺は、深淵を覗き過ぎたんだ。

 

 俺が、誰に、どうして狙われるのか、

 考えても、無駄だ。

 行為者が誰であっても、結果は、一緒だ。

 

 ただ。

 雨守を、あいつらを、巻き込むわけにはいかない。

 絶対にだ。

 

 真矢野の時に思い知った。

 もし、あのアーミーナイフを速やかに落とせなければ、

 真矢野や、雨守、或いは他の誰かが傷ついたし、

 最悪の場合、命を喪った。


 十分、ありえた。

 過去に例がない、なんてのは、何の保証にもならない。


 止められるものを、見逃した。

 止められたと思った翌日に、まったく同じことが起きた。

 俺の落ち度が、非想定が、

 他人を巻き込んでいい理由には、絶対に、ならない。 

 まして、俺の命よりも、ずっと大切な人を。

 

 雨守には、いつまでも、まともでいて欲しい。

 深淵を知らず、日常を平和に、健やかに過ごしてほしい。

 クレープを喰って太ったって騒いで、一日が終わるような。

 

 俺みたいな、闇に堕ちてしまった奴が、近づいてはいけなかった。

 修羅の罰を背負うのは、俺だけでいい。

 

 沢名も、真矢野も。

 真下や、双谷ですら。

 かけがえのない、それぞれの人生を、生きていく権利がある。


 誰も、来ない場所。

 誰からも、発見されない場所。


 ああ。

 あそこなら、確かに。

 形骸と化した俺が、俺自身を見捨てるには、ちょうど、いい。


*


 海と山が味わえる贅沢な環境も、

 海水浴シーズンが終わってしまえば、誰からも顧みられることがない。

 

 小屋の鍵を開けようとして、止めた。

 俺にはもう、俺を労わる理由が、ない。

 

 発見しにくい場所、だろうな。

 死体搬送に手間を掛けさせることは、申し訳ない。

 下手したら、半年以上、発見されないかもしれない。

 洞窟の中なら、十五年後に、白骨だけ発見されるだろう。

 

 身元を特定されるものは、できる限り置いてきた。

 DNA鑑定などという奇特なことをされなければ、

 行方不明になり、無縁仏に入るだけ。

 

 波の音が、寒々と聞こえる。

 もう少し寒くなれば、

 命なき流木共が、俺に死を近づけてくれるだろう。


*


 どれほどの時が経ったのか。

 感覚が、闇に溶け込む波に同期する頃。


 誰かが、

 俺に、近づいて来る。


 俺が身構える間もなく、

 一発の銃声が、俺の額を捉え

 

 は、しなかった。


 

 

 信じられないことに、

 俺は、まだ、現世に生きたいらしい。

 

 宵闇の湖畔に、短い銃声が響く。

 俺が、本能的に小屋の奥に隠れると、

 は、歪んだ愉悦を湛えた声を発しながら、

 小屋に、近づいてくる。


 ……

 ぇ?

 

 「出て、こいよぉ……。」

 

 あの、声は……?


 「出て、こいよぉっ……。」


 やっ、ぱり……。


 障子屋竹人。

 名和座康彦と一緒に、双谷流都を取り巻いていた男。

 

 なんであいつが、ここに?


 ……まさ、か。

 でも、なぜ?

 

 「はは。

  はははは。

  はははははははは。

  

  そうだよ。

  おれだよ、おれ。

  ぜんぶ、ぜんぶ、おれだよぉ。」

 

 な、なんか言い始めたぞ?

 

 「お前だよ。

  お前。

  お前が悪いんだよ。

  お前がぜぇんぶ、悪ぃんだよぉ。

  

  お前さえいなけりゃ、

  流都は、完璧だったんだ。

  お前さえいなけりゃ、

  流都のおこぼれを喰えたんだよっ!」

 

 再び銃声が響く。

 っていうか、なんで障子屋が銃なんて持ってる?

 悪夢の前日談でも見てるのか。

 

 「なぁ……、

  ガキの頃からくっそつまんねぇ陰キャのおれがさぁ、

  どうやったら女と喋れると思う?

  

  化粧したって、整形したって、

  どうやったって、流都みたいな奴には、

  勝てねぇんだよなぁ。


  不公平だよなぁ。

  おかしいよ、なぁ……。

 

  なら、たかるしかねぇじゃん。」

  

 ……は?

  

 「うまくいってた。

  うまくいってたさぁ、なにもかもよぉ。

  

  女バスの女どももさぁ、

  追っかけしてる奴らもさぁ、

  流都にゃ手ぇ出せねぇけど、

  近くにいる手近な奴でいいんじゃね、って

  思ってくれるわけだよぉ。

  

  そしたらさぁ、信じられっか?

  双谷流都、県の新人戦、負けたんだぜ?」

 

 え。

 そんなことが。

 っていうか、なんでそれが。

 

 「お前のせいで。

  お前のせいでさぁ。

  あのハリボテ、メンタル、ズダボロになりやがってさぁ。

 

  困るんだよぉ。

  双谷様がさぁ、キラッキラしてくれてねぇとさぁ、

  おれらんところに、廻っちゃこねぇんだよ。

  

  いけすかねぇあいつの話ぜーんぶ聞いて、

  幼馴染の二人につめってぇ目で馬鹿にされてても、

  どーせ手に入らねぇんだから、別にこたえちゃいねぇけどさぁ、

  なんのためにあいつ、おだてあげてやってたんだよ。

  

  ……なぁ。

  なぁっ。

  お前だよ、お前ぇっ!」


 無軌道に放たれたバレットは、

 俺が隠れていた小屋の角に跳躍し、俺の左頬を掠めて行く。


 皮膚が剥がれた痛みと硝煙の匂いを感じながら、障子屋の死角に身を避ける。

 俺の身体は、五感を研ぎ澄ませながら、必死に生き延びる術を探る。

 ガキの頃のように、生への道筋を、貪欲に。


 ただ。


 「なぁ……

  はまだ、どーにか見逃してやってたんだぜぇ……?

  なのに、

  なぁんであの二人とよろしくやってんだよぅ…。


  おれらにはゴミを見る眼でみてきてたってのに、

  おれらはずっとずっとずっとずっと耐えて耐えて耐えて耐えてきたのに

  なぁ、なんでお前、

  なんでお前、

  お前が、

 

  お前の、お前のせいで、

  ぜんぶ、ぜんぶ、お前のせいでぇっ!!!」


  

 「あーあ。

  ここまで身勝手な呪詛、初めて聞いたわ。

  耳の中まで腐っちゃう。脳、蛆沸きすぎて溶けてんの?」

 


 「!?」

 

 ぇ。

 それは、俺のセリフだけど

 

 「あんったさぁ、スマホを家に置いてったくらいで、

  クソ重ストーカーから逃げ切れると思ってんの?」

 

 な、なんで真下がココに、

 見てくれだけ清楚になってんのに、口のクソ悪さは変わんねぇなぁ…。

 清楚ビッチとは違う、地上に存在しないタイプのナニカになってんな。

 ってか、向こう、銃持ってんのに、なに煽って

 ………


 ぇ

 

 「……。」

 

 あ、あ、雨守ぃ……?

 なんか、碧眼が、据わっちゃっ


 「……言ったよね、真人君。

  絶対に、相談してって。

  死ぬ時は、墓場の淵まで一緒だって。」

 

 ……そんなこと言ったかな。

 

 「真人君、消えちゃいそうだったから、

  真人君のカバンと、靴に、

  発信機、つけといたんだ。」

 

 おい。

 闇夜に似合わねぇ完璧な笑顔でさらっと犯罪行為を公言するな。


 あぁ。

 それでストーカー。

 

 って、雨守、

 俺のストーカーだったのか。

 いつのまに。

 

 ぇ。

 って。

 

 「ここにきてくれて、助かったよー。

  このへん、だから。

  一応、巡回もしてもらってたから。」

 

 あの、沢名、さ……ん……?

 うわ、やっべぇ。

 ライトアップされた亜麻色の目に、ランランと朱が入ってやがる。

 

 「障子屋君。」

 

 銃を持ってるオトコに、なに一つ、怯みもせず。

 小さな身体から立ち上がるすさまじく黒いオーラを薄布一枚だけ隠し、

 口角だけを、ほんの少し上げて。

 


 「わたしと留美ちゃんが、

  君のこと、なにも知らないと、ほんとに思ってた?」



 ……。

 破滅の言葉じゃねぇか。

 

 あ、めっちゃ動揺してる。

 うわぁぁ……。

 沢名、本気を出すと、めちゃくちゃ怖ぇ奴なんだよ。

 

 「るーくん、そうだったから。

  わたし、るーくんにはバスケやっててほしいって思ってたから、

  あんまりそういうの、見ないようにしてただけで、

  知らなかったわけじゃ、ないんだよ。」


 少しだけ低いものの、いつも通りの甘い癒し声で。

 沢名は、淡々と死刑宣告の理由書を読み上げていく。

 ギャップがありすぎて怖さ百倍増し。


 「ああいう子たちを

  るーくんに近づけないようにするためには、

  しょうがないかなぁ、って思ってたけど。」

 

 かろうじて甘かった世界は、一瞬で崩壊し、

 

 「まーくんに近づいていい、なんて、誰が言ったの。」

 

 海水の全てが凍り付く絶対零度のブリザードが吹き荒れる。


 「それどころか。」

 

 ……ま、ま、マジで怖ぇな。

 東郷清明、この女の本性、絶っ対見たことねぇだろな。

 

 わ。いつの間にか、重装備の警備員がワラワラって。

 うわぁ、日給だけで20万は飛ぶな…。

 金持ちが金をうならせると、容赦ねぇ絵面になるなぁ…。

 

 っていうか、

 え、あの、銃、抜いてる?

 

 って。

 あれ、真矢野?

 

 知らん中年の夫婦、連れて来てるけど…

 

 「!?」

 

 は?

 え、あれ、まさか、障子屋の親?

 なにあれ。息子の犯行を目の前で見せてんの?

 今までで一番惨い絵面かも。

 あいつ、カラっとした顔に見せて、やることが凄まじく陰湿だな。


 「うがぁぁああああああぁっ!」

 

 え、この局面で、攻撃してくる?

 バカなの? 死ぬの?


 「撃てっ!」

 

 ずどどどどぅんっ!!

 

 い、一斉射撃ぃっ!!

 お、お前ら、法令

 

 あ、あぁ……

 あれ、実弾じゃねぇな。

 催涙弾か、神経ガスかなんか?

 

 ぇ。

 

 「午後七時三十五分、

  殺人未遂の現行犯で逮捕するっ。」

 

 じゃりっ!

 

 け、警備員じゃなくて、

 け、けいさつぅっ……!?


*


 はぁ……。

 連続殺人教唆及び殺人未遂事件、か。

 こんなの、立件できんのかな。

 

 「ちゃんとできそうなのって、あたしと、真人のやつくらいかな。

  あとは、迷宮入りじゃない?」

 

 真矢野のやつ?

 

 「うん。

  

  あたしが上條里織だって、深山さん刺殺未遂犯に伝えたの、

  障子屋君だったらしいから。」

 

 上條里織……?

 あぁ、子役時代の真矢野の屋号か。

 

 「あはは、屋号って。

  ま、あたしって、子役やってることは否定しなかったけど、

  芸名のことは、言わないようにしてたわけ。

  ほら、名前が芸名っぽいから、本名で活動してたように、

  みんな錯覚してくれてたから。」

 

 確かに。

 

 「だから、真矢野留美から調べたって、なにも出てこない。

  それで、飽きてやめてくれる。

  あたしの過去にたどり着く人って、ほとんどいないよ。」

 

 そんなもんか。

 

 「うん。

  ちっちゃいCMとかを抜くと、

  みっつよっつ端役やっただけだからね。

  オールカットされたやつも多いし。」

 

 多いのかよ。

 

 「だから。

  あたしの過去をちゃんと知ってる人って、ほんと少ないんだよ。」

 

 障子屋に伝えたのか。

 

 「伝えてない。

  でも、葉菜やルトに、知ってる前提で話したことを元に、

  推測されたんじゃないかな。」

 

 でも、それなら、なぜ、

 ……まさかっ。

 

 「あー、気づいちゃったかー。

  うん、まぁ、告られた。〇INEで。

  かっるいノリだったから、かっるくポーンと。」

 

 ……それが始まり、か。

 障子屋が深山に情報を出したのは、つまり。


 「…………うん。

  ……ま、わっかんないけどね。

  ほかにもあるかしれないし、もっと前からあるかもだし。」

 

 銃の入手経路とかもわかんねぇもんな。

 まぁ、それは警察案件か。

 

 「……ルトに群がる子達の中から、

  誠実にお付き合いしてくれるっていうんだったら、

  あたしも、それくらいならって思ってたんだけど……。」

  

 そういや、わざわざ親呼び寄せたの、コイツだった。

 コイツも怒らすとめちゃくちゃ恐ろしい奴だ。


 ただ。


 「一応言っとくが、お前は、徹頭徹尾、被害者だ。

  そこを忘れるなよ。」


 障子屋の根性の曲がり方なら、

 ほっといても、いずれ何かをしでかしたろう。

 真矢野は、たまたまトリガーになってしまっただけだ。


 真矢野留美は、明るく、社交的で、勇敢な智慧者だ。

 しかし、ある意味、沢野よりもずっと脆い。

 そうであっても、脆さの傷の醜悪な深みに溺れさせる必要など、ない。


 「……あはは。

  真人はホント、どこまでも真人だね。」


 なんだそりゃ。


 「そんなことより。」


 ん?


 「真人、

  相当、覚悟決めといたほうがいいよ。

  いろんな意味で。」


 ……ん、ん?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る