第20話 追い詰めたぞ

 ぐすっ、ぐすっ……。

 カレンがポロポロ泣き始める。私は彼女を抱きしめて頭を撫でた。大丈夫。大丈夫。そうするしかなかった。それしかできなかった。

「わりぃ……」

 コレキヨが私の背後から謝る。いいんだ。誰も悪くない。少なくともここで息をしている人間は、きっと何も悪くない。神様だって許してくれる。

「怪我、大丈夫ですか」

 カレンはこんな時でも私を気遣ってくれる。いい子だ。本当にいい子。

「肋骨が何本かいったかもな……」

 実際、脇腹がものすごく痛い。息をするだけでもズキズキ響く。脚の怪我といい、これといい、私はもうボロボロだ。でも、だけど。

 脳裏に浮かぶ、パパの顔。

 笑顔、しかめ面、優しい眼差し、飛行機の中で私の口元をハンカチで拭った時の顔、パーティで私の口の利き方をたしなめる顔、何でも浮かんだ。その全部がパパだった。その全部が大事で、大好きだった。

「くっそぉ……」

 涙が出そうになるが必死に堪える。泣いている場合じゃない。泣いている場合じゃない。泣いている暇があったら、少しでも何かして、パパの命を、みんなの命を、守らなくちゃ! 既に一人、ハシバ社長が死んでるんだから! 

 鼻を鳴らすとカレンが私の肩に触れた。コレキヨが私と同じように項垂れているのを視界の端で感じた。私は上を向く。参っている場合じゃない。弱っている場合じゃない。まだ降参しない。私は戦う! 

「おじさんの……キムの行方を捜す」

 あいつを叩かないとこの戦いに終わりはない。

「追いかけるよ」

 私は歩き出した。カレン、コレキヨも続く。銃は私とコレキヨが持った。カレンには、道案内を頼む。


 持ち物:ハンドガン、パソコン、スマホ、トランシーバー

 進展十三:おそらくテロのナンバーツーを倒した

 プラン五:キムを見つけ出す



 屋上のドアを開けて、真っ直ぐエレベーターホールへ。電光掲示板を見て気づく。あいつ、二十階で止まってる……。

 まだ人質に何かする気か。これ以上誰かを傷つけるつもりか。まぁ、筋通りに考えればこのビルの上階を吹っ飛ばしてみんな瓦礫の下にするプランがなくなったわけだから、人質を上手く利用して逃げ道を作るしかない。警察も非常事態であることを認知してこちらに向かっている。この数分間があいつらにとっても私たちにとっても分岐点になることは間違いない。あいつらは何をする? あいつらはどんな行動に出る? 

 しかし、まぁ、何にしてもだ。

 逃げるにしても人質を使うにしても、エレベーターを使わなければどこにも行けない。私はパソコンを取り出してエレベーター管理システムに入る。システムをロックし、エレベーターが動かないようにする。

 続いて、私はトランシーバーを見つめる。これを使うか。いや……私はさらに頭を使う。

 スマホ付属のイヤホンを取り出す。パソコンに繋ぐと、今度は社内放送のシステムに入って放送を開始した。私はマイクに向かって叫ぶ。


〈キム!〉


 私の声。社内全体放送にしたからこのフロアまで聞こえる。


〈キム! 追い詰めたぞ。お前の名前を覚えた! お前がこの後何をするつもりか知らないが、エレベーターも止めた! もうそのフロアから逃げることはできない!〉


 と、すぐさまトランシーバーに着信があった。私は出た。

「お嬢さん」

 ザッ、と雑音。私は応じる。

「何、おじさん」

 キムもすぐに応えた。

「君には参ったよ。ここは私もひとつ大人としての礼儀を見せようと思ってね。オーバー」

「何、礼儀って? 降参する? オーバー」

 すると少しの間の後、おじさんの声が、震える雑音と一緒に聞こえた。

「さぁ、どうしようかね。さん」



 ……名前がバレてる? 

 それは非常事態だった。

 ……名前が? 本名が? 

 胸の奥で心臓が震えた。ぶるりと、凍えるように震えた。だからだろうか、続く声も震えた。

「だれそいつ」

 やっと、それだけ言えた。

「誰ってことはないだろう……」

 声がか細く振動している。笑ってる。笑っていやがる。くそっ、余裕見せやがって……キムのニヤニヤした顔が浮かぶ。

「君の名前だ。斉藤英美里。斉藤製薬副社長、斉藤さいとう功臣よしおみの娘。二月に誕生日を迎えたばかりの十七歳で、先日日本に来たようだね」

 何でだ……? 何でそんな詳細に……誰がバラした? 

 振り返る。コレキヨとカレンどちらかがスパイだったとかか? でも私こいつらにも詳細な情報は……じゃあ、誰が? 

「生まれてからほとんどの時間をアメリカで過ごしている。となるとこっちには友達がいないのかな? おっと。既に二人いるか。警備員と受付嬢を抱え込んでいたな。いや、それともう一人……」

 トランシーバーの向こうで、「ひぃ」という女性の声が聞こえた。途端に思い至る。まさか、まさか……。

「ミス・ハマダはお友達かな。少し歳の離れたお友達ということになりそうだが」

 ハマダだ。斉藤製薬の専務。今日パーティ会場に行く時、一階のエレベーター前で会ったあの品のいいおばちゃんだ。

「ひぃぃぃ」

 ハマダと思しき声が聞こえる。上ずった、ヒステリックな。その声が告げる。

「ごめんなさい。英美里ちゃん。ごめんなさい。英美里ちゃん」

 バカ! 名前連呼するな! 

 フフフ、と、キムの笑い声。

「君のおかげで助かったよ英美里。どうやら私たちは最初から手を組めばよかったようだね。そうすれば私も余計な手間をかける必要がなかったし、君もいたずらに傷つく必要がなかった」

 何だ……何の話だ。

「これにて私のビジネスは完了でね。後は立ち去るだけ。しかし、そうだなぁ。エレベーターが止まっていては立ち去ろうにも立ち去れないね……うむ。私は気が短くてね。だから経営者には向かないと言われるのだが。そんな私がこれ以上、斉藤製薬の無防備な社員たちと一緒にいたら、どうなるか分かるかな?」

 ズドン、と発砲音。私の心臓が跳ね上がる。飛び上がる。吐きそうになる。

「今のは開始の合図だ。これから五分ごとに一人ずつ人質を殺す。ああ、そうだ。まずはこんなことになってしまった責任を取ってもらわないとな。全社員を代表して、現行会社のトップに当たる君のパパを撃つっていうのは、なかなか余興としては楽しいんじゃないか」

「やめろっ! それだけはやめろっ!」

「やめてだ」

 ぐっ……。

 しかし再び発砲音。

「やめろやめろやめろ! やめて!」

 するとキムがトランシーバーの向こうで「敬語」とつぶやく。その言葉が、今日エレベーターでパーティ会場に上がる時にパパにたしなめられた場面と重なる。くそっ、くそっ。

 私は屈する。

「……やめて……ください……お願いします……」

 少しの間の後、キムがつぶやいた。

「最初からそういう態度でいればいいんだ。子供のくせに、女のくせに私に歯向かうからこうなる」

 エレベーターを動かせ。

 今度こそ、私の目から涙が零れた。

 動かすしか、ない。

 パソコンを操作する。そして止まっていたエレベーターが、生き返る。

「安心しろ。お前の親父はまだ死んでない」

 トランシーバーから聞こえる奴の言葉がこんなに愛おしいこともないだろうな。

「これは保険だ。私はこれからこの場を立ち去る。お前の親父は、そうだな、最後の瞬間までお前に邪魔されないよう、最大限利用してから殺してやる。例えばお前の家に返してやるのはどうだ? まずは小指あたりから。一本ずつ。指が終われば、一キログラムずつ、バラバラに……」

「うわあああっ、うわあああっ、やめろっ! やめろっ!」

「敬語だ」

「……やめてっ……くださいっ」

 ハハハ、とキムが笑った。さぞかし気分がいいことだろう。

「追い詰めたぞ」

 キムがそうつぶやいて、トランシーバーの通信が切れる。

 後に残ったのは、これ以上なく真っ暗な、絶望。


 持ち物:ハンドガン、パソコン、スマホ、トランシーバー

 状況:最悪? 

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