第19話 殺人

 ぼんやりとした……いや、ノイズだらけの意識の端で聞こえたその音には、何故か男の唸り声が混ざっていた。ボロ雑巾みたいになった私はなんとか頭を持ち上げる。その先に、見えたのは。

 銃を……K2を拾い上げるコレキヨ。そして、消火器を持った……カレン。

 真っ白な消火剤をかけられてイエティみたいになったソヌが静かに両手を上げた。それより先におじさんが……キムが反射的に懐に手を入れていた。しかしコレキヨが止めた。

「大人しくしとけ」

 K2を向ける。キムはおそるおそる手を抜き、そしてホールドアップした。それからつぶやいた。

「まさかまさかだね。招かれざる客くんがもう一人いたとは」

 形勢は逆転した……のか? キムあいつが余裕かましてるからよく分からない。私の頭もぼんやりしてるし……けど、けれど。

 目の前には無力になった男が二人いた。真っ白なお化けとニヤニヤ笑うキム。二人とも両手を上げている。二人とも動けなくなっている! 

「欲しがってるものをあげろ、って言ったな」

 コレキヨが銃を構えたまま私の近くにやってくる。カレンが消火器を構えたまま続いた。

「あげてみました。銃を渡してみた。本当にすぐひっかかるものなんですね」

 まず、銃を持ったコレキヨが降参する。それから銃を渡す。無力になったように見えて、第三の助っ人カレンが奇襲をかける。やった……! 出し抜いた! 

「降参しろ」

 コレキヨが凄む。私も続いた。

「い、今すぐ……」

 これがラストチャンスだ。これが最後のタイミングだ。私は必死になって頭を上げる。なんとか這いつくばって体を起こす。フラフラする。頭が痺れていた。でも叫ぶ。口を開く。

「今すぐ人質を解放しろっ! そして投降しろっ! こんなことして……こんな事件起こして許されるわけが……」

「許す許されるじゃないんだよ。我々が許しを請う?」

 キムが笑う。

「今更そんなことして何になる」

 くっそぉぉこいつド畜生か? 

「お忘れのようだがここは数分後に爆破される」

 キムがニヤニヤ笑いをさらに歪めて続ける。

「ここで私とソヌが死んでも同志たちが事を成し遂げる」

 するとカレンが大声で返した。

「爆弾なら爆発しません」

 カレンの腰。制服のベルトにあたるところには、ニッパーが差し込まれていた。

「床とつながるコードを切ったら止まりました。彼女の言うとおり……」

 と、私を示す。いいぞ、私の名前はちゃんと伏せた。

「あなたたちは有線での通信を前提に置いていたみたいですね。コードを切ると機械と通信できなくなる……しかも、機械に電源を送れなくなる!」

 爆弾の電源ごと落としたんだ。あれはもうただの箱なんだ。

 キムの顔にかげりが見えた。しかしニヤニヤ笑いは消えない。

「タイマーは別電源でついていてね。バッテリーで動くんだ」

 いずれにせよドカンだ。

 キムのその言葉にカレンがたじろぐ。

「ブラフだ!」

 私は叫んだ。口の中に、血の味。

「ハッタリだ! 嘘だ! 返す言葉がなくなったから、精神的に揺さぶろうとしているんだ!」

「嘘かどうか耳を澄ませるといい。ほら、聞こえるだろう?」

 沈黙。と、直後。

 鼓膜をつんざく大きな音がして、その場にいた全員が飛び上がった……いや、キムだけが冷静だった。あいつは背を向けると一目散に駆け出した。その直後、軽い音が聞こえてきた。ペコン、と、凹んだ金属が戻るような。

 あいつその辺にあった設備……高圧受電装置キュービクルでも蹴っ飛ばしたのか? くそっ、やっぱりハッタリか。でかい音立ててビビらせて逃げるなんてそんな昆虫いるぞ。こんな手に引っかかるなんて自分が恥ずかしい。

 コレキヨが「止まれ!」と叫んで銃を向ける。しかし撃つ気がないのがバレてるのか、あるいは命中させる技術がないことがバレているのか、キムの野郎は一気に駆け抜けるとここへ通じるドアの向こうに消えた。と、その直後だった。

 コレキヨが悲鳴を上げたのと、K2が床に落ちるのとはほぼ同時だった。そしてさっきまでコレキヨがいたところに真っ白なソヌが立っていた。床に倒れるコレキヨ。攻撃された! 

 落ちたK2。それを拾おうとソヌが動き出す。私も慌てて飛び跳ねた。銃に飛びつくようにして抱きしめる。かろうじてソヌより先に銃をとれた。ソヌが拳を私にぶつけた。

「放せ! 放せ!」

「うわあああ!」

 コレキヨが大声を上げて突進する。腰の辺りにタックルを喰らったソヌが大きくバランスを崩して転倒する。私は必死に銃を抱いた。それからカレンに叫んだ。

「カレン! 銃、銃だ!」

 私はここへ来る時ハンドガンをカレンに渡していた。キムと話す際にボディチェックはされるだろう。みすみす相手に銃を渡すくらいならカレンが隠し持っていた方がいい。そういう判断でニッパーと一緒に持たせた。その判断がここで活きる。

 私に「銃」と叫ばれカレンもすぐに分かったのか、腰の後ろからハンドガンを取り出しすっとソヌに向けた。それから叫ぶ。

「ととと、と、止まりなさい!」

 あまりの動揺ぶりに私はカレンを見る。ダメだ。そんなんじゃ脅しにならない。コレキヨがソヌをぶちのめしてくれりゃいいが……と、振り返る。しかし同じタイミングでソヌがコレキヨをぶん殴った。床に倒れ込むコレキヨ。

「ふふ。はは」

 震えるカレンを見てソヌがほくそ笑む。

「あなた。それ。撃てない」

 片言なのが妙に迫力がある。私はK2を何とか抱き上げると有無を言わずソヌに発砲しようとした。けど撃てない! 何でだ? 今のはずみで安全装置でもかかっちまったか? くっそぉぉどれだ? どれが安全装置だ? 

 そうこうしている間にソヌはゆっくりカレンに近づいていった。こうなりゃこのK2でぶん殴るしかない。私は銃口の辺りを握るとフラフラ立ち上がった。そのまま全力でソヌに殴り掛かる。だが。

 奴は振り向きざま、私の一撃を片腕で防ぎ、そのまま捻じり上げるようにして私からK2を取り上げた。奴の顔が……消火剤に塗れた不気味な顔が狂気に染まる。

 あ、死んだ……。

 咄嗟にそう思う。カレンを守るつもりでうっかり敵に銃を渡してしまった。カレンはあの調子だしコレキヨは今からじゃ間に合わない。私、今、死ぬ……。

 銃声。

 ……目を開ける。

 血走った目。構え損ねたK2。震える体。そして倒れたのは、何とソヌの方だった。奴は私にもたれかかってきた。一瞬、襲われると思った私は必死に抵抗した。が、ソヌの体は力なく倒れた。うつぶせになり、背中が露になる。

 数カ所の、穴。血が噴き出ている。

 カレンの方を見る。相変わらず震えている。だが、銃口からは……。

 微かな、煙。

 カレンが撃った。カレンが撃ったんだ。

「はっ、はっ」

 肩を震わせている。そりゃそうだ。日本人の女の子なんて最も銃から遠い存在だ。初めて触れた殺人兵器で、しっかり命を奪ったとありゃ、恐怖にも飲まれる。

「カレン! 息しろ。息だ!」

 さっきから吸ってしかいない。私は「息を吐け!」と指示する。カレンの肩がさっきとは違う様子で震える。

 私はソヌの体をさっきのお礼だというメッセージも込めて蹴っ飛ばすと、そのままカレンの元へ行った。すぐさま銃を押さえ、受け取る。カレンを抱きしめる。

「ありがとう。助かった」

 しかしカレンは初めての殺人の感触にまだ恐れ慄いているらしい。そりゃそうだ。善悪の判断もつけずに乱射した私やコレキヨと違ってカレンは発砲するまである程度時間があった。晒されたストレスの時間が違う。

「あ、ああ、私……」

 カレンを強く抱き、頭を撫でる。それから耳元で告げる。

「大丈夫。大丈夫。私を助けるにはああしかなかった。あなたは正しい」

「はぁ……はぁ……」

 やっぱりまだ震えている。背後でコレキヨが起き上がる気配があった。私はカレンを抱きしめながら、考えた。

 銃に触れたことすらなかった女の子に殺人の重さを無理やり背負わせる? あのくそ野郎。絶対許さねぇ……。

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