四 噂

4、噂


 結局、タキも掘削の作業に加わった。誰もがタキの加勢を喜んだ。

「お勤め、よう、やっとるようやのお」

「おう、わしらにはできんこっちゃ。ましてやタケにはできん」

「わざわざワシの名前出す必要あるか?」

「タキがおったら作業も進むのお」

 あの城内での御屋形様のお披露目で一緒だったタツもタカもタクも、そしてタキも誰もが口々にタキを囃したてる。くすぐったそうにタキも笑う。

 夕暮れまで他の久々津衆と作業して夕餉となった。

 岩山を駆けて浜に戻る。峻険な岩山を久々津衆はものともしない。


 久々津衆が浜に戻ると、浜の奥に建てられた掘立小屋が数件見える。煮炊きの煙がそこかしこから上がっている。

「タキやんかぁ!」

 戻った男衆の出迎える女子供衆から、黄色い声が上がる。

 タキの突然の帰郷に喜んでいるのもあるが、その肩に米俵を担いでいることに何より歓声を上げている。

 御屋形様がタキの装束とともに届けさせたのだ。

 久々津衆は女も男も食に貪欲なのだろう。女子供が争ってタキから米俵を奪い、小躍りしながら一番大きな煮炊き小屋に運んでいく。

 大釜に米俵の米を水のように注ぎこむ。その光景に歓声が上がる。

 水を注ぎ、蓋をして炊飯。タケが大釜の前に陣取って炊けるのを今か今かと待っている。

 蓋を開けて炊きたての米が露になった瞬間、杵が浜中に女も子供も男も関係なく、久々津衆の叫び声が響いた。

「ええ匂いや!」

「たまらん!」

「おい、はよよそえや」

「リクさん頼むわ、ホンマたまらんわ」

 リクさんと呼ばれた恰幅の良い年配の女性が、フンと息を鳴らす。

 ひとしきり、大釜の周りに群がる者たちを睨みつけた後、特大の団扇のようなしゃもじを持ってこさせる。

「並べ」

 その一言で行儀のよい一列ができた。それを睥睨するとリクはゆっくりと頷く。

 リクの傍らにはどんぶり鉢が置かれている。

 しゃもじを振り上げるや、釜に突っ込む。

 突っ込むや、かき混ぜる。豪快に。

 湯気が立ち上る。また歓声が上がった。


 久々津衆はみな、異常なほど健啖だった。

 浜で獲れた魚や岩山で捕らえた獣を調理したものを大きな口を開けてかきこむ。

 老若男女問わず食事の間は、 あのタケでさえ黙って食事に集中している。

 咀嚼の音しか聞こえない。

 それがしばし続く。

 大釜の米をはじめとして、様々な煮炊きものがすべて平らげられる。

「ふう」

 と誰かが満腹の吐息を漏らした。

 それを皮切りに吐息があちこちで漏れる。

「あー、美味かったのお」

 みな、タケの言葉には答えないが肯定のうなずきを返す。

 幸せな夕餉が終わった。


 杵が浜の小屋は夕餉が終わると灯が落とされ皆眠りについている。明日も早い。

 その中で一つだけ灯が落とされていない小屋がある。

 中には、英造老人、タキ、タケ、タツ、タク、タカ、そして、もう一人年配の男がいる。やはり全身に刺青がある。だが、昼の岩山の掘削には参加していなかった。五人よりは年長だが、英造老人ほど年老いてはいない。

 この久々津衆という集団を取り仕切る者の一人のようだった。

 三和土から上がった座敷に囲炉裏が切られ、それを囲むように七人はいる。寝そべる者、胡坐をかく者、うつ伏せに寝そべって、頬杖をつく者。思い思いの格好でいるがタケだけが囲炉裏から背を向けている。一人だけ子供のように拗ねているように見えた。

 酒の入った徳利を持って、英造老人が湯呑に酒を手酌で注ぐ。

 英造老人が徳利を軽く持ち上げる。タキが両手で盃を持ち上げ、酒がそこに注がれる。

「池上さんはどうや?」

 池上さんとは御屋形様を指す。

 池上肥前守一総と言うのが御屋形様の名乗りだ。

「良くしてくれてる」

 言葉少なにタキが答える。

 盃の酒を飲み干すや、タキが口を開く。

「どうも次は南やな。福本っちゅうところを狙っとるようや」

 福本とは土豪の集落のある地名だが、池上家とは敵対関係にある。

「福本か。顕造さん、どうや?」

 英造老人は年配の男を促す。

「池上さんの本命はその隣の加藤やろな。福本は小さいけど加藤との結びつきも強いし、加藤の領土の通り道やからなるべく余計な犠牲は避けたいやろ」

「わしらの出番やな」

 英造老人が言うと、そのまま湯飲みの酒をあおる。

「やはり、酒なんぞ、どこがよいのかわからんのう」

 飲み干しては見たもののという顔で湯呑を見る。顔色も変わっていない。

「まあ、作法じゃ。慣れておくとするか」

 ここにタキの他にも全員の前に盃が置いてある。それぞれが盃を手に取り、英造老人が注いでいく。タケ以外は。

 相変わらず、背を向けたままだ。

 英造老人が杖を手に取り、その背を叩くが、こぉん、という木と木を打ち合わせるような音がしただけだ。

 誰もタケを咎める気配はない。

 めいめいが作法にのっとり、盃を傾ける。それでもタケは見向きもしない。

 他の者も酒を飲み干しても顔色も変えない。

「味は嫌いとちゃうねんけどな」

「これ飲むくらいやったら、米食うわな」

「まあ、飲まんといかんのやったらしゃあないやろ」

 彼らは体内に摂取したアルコールをあっという間に分解してしまう体質なのだろう。そんなことを口々に言う。

 物足りないわけではないが、好んで飲むような嗜好品ではない。それならば飯を食う。そんな即物的なところが彼らにはある。

「……まあええ。話を進めよか」

 そう言うと彼らは頭を寄せ合うようにして何事かを話し始める。

 相変わらず、タケは会話には加わらない。

 気に入らないのだ。

 池上肥前守の前では御屋形様と伏して崇めるのに、こうして何やらわけのわからない企みを巡らせる。

 忠誠を誓うのなら、そうすれば良いのではないか。そうしてやってもいい好ましいものを池上家には感じている。

 だが、他の久々津衆は裏に回れば悪だくみで顔を突き合わせる。

 それがタケの美意識に反している。

「そんなまどるっこしいことせんと正面切って奪い取ったらええやないか!」

 そう言って、盃を蹴り飛ばし、

「一ぬけじゃ!」

 そう啖呵を切ってこの場を立ってしまえばどれほど楽か。

 だが、正面切って異議を唱えることもできない。

 超人ぞろいの刺青の男衆と違い、女子供衆はどこでも生きていけるわけではない。

 そういった者たちのために定住の地を持つことが、久々津衆の何よりの悲願ということはタケも知っている。

 タケなりの懊悩がある。

「アホが拗ねてもアホが際立つだけやぞ」

 タケの方を見もせずにタキが言う。

「言うてもた」

 あちゃあ、と言う風にタツが言う。

「タツ兄ぃ」

 すがるようなタケの声。

 少し、場が和んだ。

 悪だくみする雰囲気が薄らいだ。

「もおええ、お開きじゃ。タケ、明日は一番働いてもらうからな。まともに飯食えると思うなよ」

「なんでやねん」

 タケのツッコミを尻目にアホらしいとばかりに、出ていく。タキと英造老人だけが、まだ絵図面の上でひそひそと顔を突き合わせて話している。

 小屋にはタケとタツ、英造老人が残った。

 ひそひそと話す二人に気まずくなって、タケは出ていこうとするが英造老人が杖をタケの下帯にひっかけて制止する。

「なにすんねんな」

 少しだけタケの言葉に甘えのような柔らかさがある。身内や気の置けない幼馴染だけ、ということもあるのだろう。

「今は正念場なんや」

 英造老人の声は静かだ。

「タキがおらんで寂しいのかもしれんがな」

「そんなんとちゃうわ」

 タキは黙ったままだ。

「タキにしか頼めん仕事や」

「わかっとる」

「タケ」

 タキが口を開いた。

「また、遊ぼや」

 タケの言葉も、また、幼さを感じさせた。あの超人同士の乱闘を遊びというのに目をつむれば、だが。

「おう」

 と、タケ。子供のように笑っていた。

 

 池上家の家中にあって久々津瀧之進と言う者の評判はそれほど高くはない。

 ある日突然、家中に頭巾で顔を覆った素性の知れぬ者が、行儀見習い然として現れては怪しまれても無理はない。そのくせ、御屋形様やお方様のそばに侍り、ひどく距離が近しい。

 果たして何者か。それを誰何するのも、はばかられる雰囲気があった。

 だが、瀧之進が入ってから家中の風通しがよくなっていたが、それが瀧之進が原因であると気づく者はない。

 些細なことの積み重ねで、家中の雰囲気は悪くなる。なすべき者が、なすべき事をしない。えこひいきをする者、されている者。賄賂を公然と要求する者。

 もちろん家中の法度はそういったことを禁じてはいるが、禁じるということはする者がいるということでもある。

 なぜか、そういう者が怪我をする。死ぬわけではない。ただ、城に出仕できないほどの怪我をする。

 そういう目に合った者は決まって、道を歩いていて気づいたら骨が折れていた、風が吹いたと思ったら腕が千切れていた、夜道を歩いていて物音がして振り返ったら歯が全部折れていた、目がつぶれていた、と不得要領の証言をする。

 天罰が下ったと、誰もが心中で快哉を叫んだ。

 また、天罰を下す見えぬ裁定者がいることは家中の統制にも一定の利をもたらす。

 一歩間違えば、出る杭は打たれると言わんばかりの恐怖の対象を、池上家はうまく利用した。

 天罰が下り始めたのと期を同じくして、論功行賞を明確にし、家中のために働く者は大いに登用されるようになった。

 何が評価されるのかが明確になれば、それにまい進する者が出てくる。

 自然と池上家に勢いが出てきた。

 

 あくまでも瀧之進は静かに池上家家中にある。

 目立たず、控え目に、しかし、瀧之進がいると不思議と物事が円滑に進む。

 下働きの者が行った拭き掃除、掃き掃除の行き届かない箇所。下女の膳の上げ下げの忘れ。座敷の障子の破れ。些細なことだが、あとから見とがめられれば、責められるようなことを誰にも言わずにそっと素早く片付ける。

 そういうさりげないところが家中の女達に人気がある。

 得体が知れないというところに変わりはないが、頭巾から除く目元は涼やかで、物腰にも天性の品を感じさせる。頭巾をかぶっているのは酷い火傷を隠すためとも言われているが、貴種が池上家を頼ってきたため、あえて顔を隠しているとも噂された。

 それにも瀧之進は沈黙を貫いた。


 池上家の領土拡大に拍車がかかる。

 果たして、福本の領地に狙いを定めた。

 影働きの命が久々津衆に下った。

「妙な奴がおる」

 と福本の領地の内偵をしていたタクが英造老人に報告してきた。

 やはり夜だ。タケ、タキをはじめとした若衆と顕造がいる。

「ほお」

 英造老人が答える。火を熾した囲炉裏で自分で獲ってきた魚をあぶっている。一尺はある。

「変な奴が大将のそばにおる」

「変な奴……か」

 太い木串で串刺しにした魚を囲炉裏のそばに立て頃合いを見てひっくり返す。

「俺は半里は離れたとこから見とるのに感づいとるようや」

「気取られとるんか」

 タツの言葉にタクは頷く。

「そうとしか思えん」

 タクの言葉を尻目に、焼きあがった魚に英造老人がかぶりつく。頭から串ごと噛み砕きかねない勢い。

「まあ、ええやろ。いっぺん見てみよか」

 英造老人があっという間に平らげるとそう言う。骨ごとすべて。木串の先は噛み取られていた。

 全員がタクを見る。

「ちょっと待ってや」

 そういうとタクは目を瞑る。

「変なもん送ってくんなよ」

「前も自分のクソの絵、送ってきよったしな」

「あれは自分の出したモンながら、会心のクソやったんや。って集中させろや。チンチンの絵、送るぞ」

 さすがに皆、黙る。

 タクの眉間にしわが寄り、何かを思案しているような様子。

 そうしていると、タクの額の刺青の模様に変化が現れた。

 皮下の刺青の色素が動いている。タクの額の刺青はもともとは左右に白い波濤のあるものだったが、その波濤のあたりにより青黒い点が6つできた。

 それができたのを見るとタケ以外の者は人差し指を、その点に触れさせる。

 残った方の人差し指を自分の額に当てる。目を瞑る。

 その瞬間、それぞれがタクの見たイメージを受け取った。


 標的の生活ルーティンから襲撃のタイミングを探るのは久々津衆の常套手段だった。いつ、起きるのか、起きて何をするのか。朝食の時間。午前の執務は何か。昼食に何を好むのか。どこで摂るのか。午後からの執務は。夕食は。夕食の後はどう過ごす。いつ睡眠をとるのか。そういうことを徹底的に調べ上げる。

 タクをはじめ久々津衆は睡眠時間1時間程度で7日間は支障なく活動できる。そのあと反動はあるが。

 天ケ瀬播磨守の時もそれは同様だった。なぜか事前に準備できていたというだけのこと。

 土豪に等しい福本領に城などはなく、武装した砦があり、福本仲道はそこで起居している。

 近くの山から、砦が一望できたので、タクはそこで福本仲道の生活を監視していた。

 三日目のことだ。

 見慣れぬ男が福本仲道のそばに現れた。

 さえない風体だったが、福本仲道はその男に随分と気を遣っているように見えた。

 誰だかわからないが、この男の出現で、福本の生活サイクルに変化があるかもしれない。

 表立った調査は久々津衆では目立ちすぎるから、池上の手の者に調べを頼むべきか。

 英造さんにどう言うかな。

 そんな思案をしていた時、男が振り返った。

 何の気なしに標的が振り返り、目が合ったような気になることはある。だが向こうからはこちらは視認できない。半里先から監視されていることに勘付く者などいるはずもない。

 が、男は明らかにこちらを『見た』。

 そして、福本に何事か話しかける。

 こうした任務に就くにあたって、相手の唇を読み取る事も造作もない。

「ふくもとさん、にんきものですな。あんたをころしたいにんげんがやまほどおりますぞ」

 そう読み取れた。そのまま男はタクの方を指さす。

 福本仲道は小柄で、猜疑心の強そうな細い眼は年老いた狐を思わせた。

 細い眼を目いっぱい見開かせ、男の指さした方を見るや、慌てて屋敷の中に引っ込んだ。

 男も屋敷に引っ込んでいったが、その時にまたタクの方を見て『すまんな』と言い、手を拝むように上げて見せた。

 その日はもう屋敷から出てこなかった。

 

 イメージを受け取った時間は10秒ほどか。

 全員がほぼ同時に目を開ける。

「ふむ」

「心当たりあるやつおるか?」

「六十年ほど前、絡んできた奴の目つきとよお似とる」

 まだ、五十になってもいないであろう顕造が言う。

「どいつや」

「英造さん、そん時おったで」

 英造老人が思案顔で目を瞑る。ぐねぐねと英造の額の刺青が動く。

「あいつか!」

 合点がいったように叫ぶ。

「苦労したのお、あれは。なかなか尻尾を出さんでな」

「そうや。のらりくらりと逃げ回ってな。時々、わしらの前に顔を出しては引っ込めて、余裕綽綽なあたりがむかっ腹がたったわ。なんとか殺ったったが、そうか子供がおったか」

 少し嬉しそうに顕造が言う。

 残りの五人は老人と年長者の会話を退屈そうに聞いている。

「百年前からや」

 タケが言う。全員がタケを見る。胡坐をかいて自分の膝に頬杖をついて不貞腐れたように口をとがらせている。

「その時に一人、殺されかけとる」

「タツ、タケ」

 英造老人が言う。

「お前ら二人でやってみい」

「待ってました」

 タケが快哉を叫ぶ。

「タツ、タケを頼む」

「まかしといてくれ」

 

 福本の砦の近くにタケとタツが陣取って二日。

 その間に男については福本仲道の用心棒としか分かっていない。名は木道高正という。

 福本の配下の男たち十人ほどが周囲の集落で乱暴狼藉を行っているときにふらっと現れ、槍刀の相手を素手で叩きのめした。その技量をかえって買われて福本に客として遇されている。

 要するに何もわからないのだ。

「役立たずが」

 ここに来るまでにもいできたアケビをかじりながらタケが言う。近くに置いているカゴにはアケビが山盛りになっている。

「結局こっちで何とかせなアカンちゅうこっちゃ。はじめっからわかっとったやろ」

 カゴに手を突っ込んでアケビを取り出しながらタツが言う。言いながらもタケもタツも砦の方から目を離してはいない。

「ちょっと熟してへんな」

 一口、かじってタツは顔をしかめるが、そのままかぶりついて平らげてしまう。

 ともあれ、池上家も最低限の情報収集はしてくれている。福本が近く、加藤の屋敷に出向く情報があるという。おそらく、木道も同行するだろう。久々津衆でなければ、行き帰りに最低でも二日はかかる工程だ。

 その道中のどこかの隙を狙って仕留めるつもりだった。

 だから、二人はこうして昼夜問わず、砦を監視している。彼らは六日程度なら、食料補給さえ満足にできるなら、一切睡眠取らずとも、通常通り活動できる。そのあとに回復のために二日ほどは休養が必要となるというハンデはあるが。

 一人でもよいのだが、二人でいるのは単純に英造老人に命じられたにすぎない。

 さらに不眠不休で三日。そろそろ疲れが出てくるころ。

 夜陰に紛れて出ていくかと思われたが、白昼堂々と福本を含めた十人ほどが砦を出た。福本は馬に乗っているが、きょろきょろと落ち着きがない。その後ろに木道がいた。同じく馬に乗っている。

幾分か身ぎれいにしている。腰には打ち刀を指している。

 木道は福本の馬の後ろについていくかと思ったが、不意に馬を止めた。

 と、みるや振り返る。タケとタツのいる方向に正確に。

 右手の人差し指でちょんちょんちょんちょん、と四回指さした。そのあと人差し指と中指を立ててチョキの仕草をしてみせる。口元がゆがんだ。笑っているようだった。

 お前たちが二人でいることはわかっている。そういう仕草だった。

 口元は笑っているが、目は笑っていない。底冷えする目だった。

「舐めとるんか」

 タケが言う。

「そういうことやろな。いつでも来いって言うとるんやろ」

「オモロいやんけ」

「おお、オモロいのお。で、どおする」

「印地やな。あの頭、ふっとばしたる」

 印地とは投石術のこと。

「半里はキツいやろ。どんくらいでいけそうや?」

「五町からやったら確実や」

 半里は二キロ、五町は五百メートル。その距離から石を投げて相手の頭を打ちぬくという。

「五町か、そこまで近づいたらあいつ、福本捨てて逃げそうやの」

「とりあえず、福本殺れたらそれでええんやが、福本も逃げ足早そうやしな」

 腕組みして二人して思案する。

 ほんの一分のこと。

「どこでやる?」

「ちょっと行ったとこに谷あったやろ。あそこで引っ掻き回してくれ」

「分かった」

 阿吽の呼吸とでもいうのか、タツの返事には迷いがない。そのまま、木から飛び降り、一段の方角に駆けていった。

 谷間では一里先。少し急ぐ必要がある。

 

 木道の感覚が並外れて優れているのは累代の血筋であると聞いている。

 嗅覚に視覚、聴覚と言った五官に頼らずとも、周囲の状況が具体的に把握できる。振り返らずともどこに何があるのかわかる。自分の周囲、十メートルほどならより、詳細にわかる。

 舞い散る木の葉一枚一枚の動き。芥子粒ほどの虫が風にあおられ頼りなくどこを飛んでいるのか。人なら足音、呼吸、心臓の音、骨の軋み、筋肉の動き。

 自分の感覚検知の範囲内なら、背後から放たれた矢さえ見ずとも避けることができる。あの刺青者の動きもどれほど素早くても、手に取るようにわかる、はずだ。

 資質もあるのだろうが、血が濃くなるにつれ感覚がより鋭敏になるという。おそらく過去の木道の血統の中でも自分が一番だろう。

 だからこそ極限まで広げた感覚で、一里先の二人の気配を感じ取れることもできた。

 ご先祖様では二町先のあの二人の気配を感じ取ることはできなかったはずだ。

 木道の言い伝えに聞く刺青の異能者。諸国を遍歴中に噂を聞いて立ち寄った先で彼らの気配を感じ取れたのは僥倖だと思う。

 やはり、常人とは違う。気配が二つ重なって感じる。人と人でないもの。その境は曖昧で見分けがつかない。

 刺青者はこちらに気づいているはずだ。

 明らかに、こちらの動きに追従してきている。一人は急接近している。一直線だ。木や岩、川など障害物があるはずだが、そんなもの無きがごとしの動きはやはり尋常ではない。

 もう一人は、と言えば近づいては来ているが、その速度は緩慢だ。チンタラしていると言っていい。

 一直線に来ている者は攪乱要員だろう。本命はチンタラだ。

 好機だった。木道高正の口に笑みが浮かぶ。

 ほんの二、三代で絶えてもおかしくない時代に百年、二百年と命脈を保ってきた木道の家系。

 その中でも、一、二度しか邂逅していない刺青者。

 邂逅のたびに木道の者は刺青者の圧倒的な身体能力にに敗北してきた。根絶やしにされずに生き残ってきたのは、ひとえに危機を感知するや一族丸ごと遁走することも辞さない判断能力の高さによる。

 それでも刺青者に対してあえて敵対行為を取る者もいる。木道高正もその一人だった。

 刀、槍、弓矢を徹さず、超人的な膂力を持つ者に対してどう戦うのか。

 木道高正は組打ちしかないと結論付けている。

 刀槍を使用せず、骨の軋みさえ感じとる己の鋭敏な感覚で対抗する。

 刺青者とて関節はある。刺青者の間合いに入ることは木道高正の死を意味するが、指一本でもつかめれば勝機はあると考えている。

 生得の超感覚に加え、体術を研鑽してきたのだ。

「ふくもっさん、気ぃつけたほうがいいですよ」

 もうあと数分でタカが姿を現すであろうという頃合いで福本に声を掛ける。

 目に見えて福本が慌てる。

「き、気ぃつけるて、何に気ぃつけたらええんや!」

「まあ、あっちの方、気ぃつけといたらよろしいわ」

 タケのいる方向を指さす。

 目の前に谷が見えてきた。ここで仕掛けてきたということは、狙いは逃げ場を狭めて獲物を仕留めやすくするためだろう。自分も福本も。

 木道は刺青者の猟を行うような行動を心底恐ろしいと感じるとともに、この危険の渦中に身を置けることに歓びを感じる。

 彼らにとって自分が排除すべき敵であることを誇りに思う。

 

 タカが福本の一団を補足した時、即座に行動を開始した。

 一直線に進む道すがら、拾い集めた石の数、およそ数十個。それを皮の投石器にぎっしりと詰め込んている。丸いもの、角ばったもの、固いもの、脆いもの。あえて選別せずに集めた。

 福本の一団の歩みが乱れた。

 木道がこちらを見て指をさす。にやけた笑いを浮かべている癪に障る。

「死ね!」

 一団に向けて投石器を放った。どこに狙いをつけたわけではない。それが目的ではないからだ。

 投擲に、ほとんど音らしい音もない。気づく間もなく馬も人も等しく石の襲撃を受けた。大小さまざまな形状の石が体を砕き、あるいは貫く。木道と福本を除いて。

 正面から来るだけならば、躱すのは造作もない。石がどのようにこちらに向かってくるか分かっていれば当然のことだ。

 一歩前に。右に一歩動く。その場でしゃがむ。立つ。左足をあげる。上半身をひねる。その動きだけで、自分に向かって飛来した石を避けきった。

 正面に目を向ける。

 タカが目の前にいた。全身に刺青が施されている。射すくめるような視線でこちらを見ている。これが、と思う。伝承に聞く刺青者。

 来い、と思う。

 思った通りに刺青者がこちらに向かってくる。十分に距離を詰め、すさまじい勢いの突きを木道の顔面に見舞ってくる。それさえも木道の感覚の中ではスローモーションのように見える。

 突きを躱し、腕をつかんだと瞬間、真横から飛来した礫が木道の頭を貫いた。

 五町先から飛来した、たった一つの礫。

 チンタラが本命だと分かっていたはずだった。だが、五町先にとどまっていることが判断を狂わせた。五町先にいる者になす術があるはずがないと。だから、目の前の刺青者と対峙するために超感覚の範囲を狭めた。

 その隙を突かれた。自分が作った隙。それを知っていたのだろうか。そんなはずはない。

 そんなことを意識を失う数瞬のうちに思った。

 ふと、福本に意識を向ける。なんと、自分を貫いた礫に当たって即死していた。

「アホウが」

 木道はその言葉を口にすることなく、息絶えた。


 木道が礫に頭部を貫かれる少し前。時間にして十五秒ほど。

 木道の一行の進行を一望できる五町先の岩場にタケはいた。

 手には選りすぐりの礫を一個握っている。手のひらにすっぽり収まるほどの、ほぼ円盤形の少しざらついた質感の礫。良く手になじむ。グリップが十分に期待できる。

 これを五町(約五百メートル)先にいる木道に当てようという。

 まず、遠投で五百メートル先の標的に当てるという発想が常軌を逸しているが、タケにはできるという確信がある。

 五百メートルに遠投を成功させたうえ、どう動くかわからない人の頭部に当てると言う精密な一撃ができる確信だ。

 普段から遊びでやってきた。どこまで遠くに石を飛ばせるのか。タケの十数年の経験だけではない。百年はおろか、そのはるか遠い遠い昔から自分の体がどこまでの能力を有しているのか、ずっとずっと試してきたのだ。

 だからこその確信だった。ただ、遠くに飛ばすだけなら七町先まで飛ばしたこともある。

 礫を握る右手に力を籠める。指先はおろか手のひらまで隅々まで施された刺青が生物のように蠢く。

 刺青の蠢動は右手のみならず、全身が武者震いのごとく震える。

 タケは瞑目する。右掌の礫を握りしめる。

「お頼み申す。お頼み申す。千歳の長きにわたり、我が一族に宿りしワダツミよ。我らとともに仇なす者を討ち果たす力を与えたまえ」

 囁くような声でタケは言う。

 目を開ける。

「さあ、やろか」

 誰に言うともなく一人ごちる。

 見ればちょうど、タカの襲撃の直前だった。木道がかかってこいと言わんばかりにタカを睨みつけている。

 五秒。五秒、木道をその場に足止めしてくれればいい。

 タカ兄なら、そしてええかっこしいの木道の行動を思うと同時に振りかぶっていた。

 今、木道が居る位置にめがけて礫を放った。超人的な身体能力のすべてを投擲だけに使用した。放つ指先が完全に消失したかのように見える速度。手首のスナップを十分に利かせたすさまじい水平回転の投擲。

 並の人間ならば体が千切れに千切れてもおかしくない負荷。放った礫の初速は時速三百六十キロを超えた。

 もう、タケの目にも追えない。木道が動かなければおそらく、木道の頭を十のうち五は打ちぬけるはずだ。

 思った通り木道はタカの放った大量の礫をほぼ、その場で避けて見せた。

 タケは木道の動きを素直に見事だと思う。久々津衆も並外れた動体視力、身体能力をを持つが、それでもあれほどの回避能力を重視しない。硬化能力を恃むからだが、それは仕方がない。避ける必要のないものを避ける必要はない。

 だが、それが仇になる。

 五秒。礫は木道の頭部を貫いた。


「誰がお前の土俵で勝負するか。ご先祖さんの方がよおワシらのことわかっとったぞ」

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