エピローグ

「くお~、分からない訳じゃないけど結構キツイ…」

 とある日の午前中、教室の一角で奏は必死にテスト用紙に答えを書き込んでいた。

 ここは模試会場。奏達が夏期講習を受けている建物である。眩い夏の光の中、奏は母親と約束した『模試で結果を出す』為に心を砕いていた。

 要するに夏啼きを防いだ昨日の今日。

『痛い…死んだ…これ死んだって…』

『体が…体が動かないぃ……』

 気が付いたら奏と双樹は、ぶっ倒れていた。まるでゾンビかバンビの様。泥と共に境内に投げ出され、痛みと疲労で動けなくなっていた。

 周りに散乱する古い木片は、たぶんお堂だった物。土石流の威力は推し量れるだろう。

『やばい、痛い、死にそう、何これ…』

 奏は呟き続ける。というのも、喋ってないと痛みにとち狂いそうだった。

『うん痛い…それに体動かない…でも……』

 双樹も唸っている。けれど双樹は、怨嗟を吐き出しながらも穏やかだ。

『でも…星が奇麗だね。動けないから……良く分かるよ』

 双樹は二人の上の満天の星空と同じ位綺麗な笑顔を浮かべた。痛い。体が痛い。だから……自分達はもっと一緒に生きていられるのだと、心底嬉しかった。

『ああ。粋な事しやがるな』

 奏もごろんと体を回し、空を仰ぎ見た。

 耳には風の音が聞こえるが、それは普通の台風の音。鶴賀神社以外を覆う台風の音。その台風の雲を押し退けて、この鶴賀神社の上だけは晴天。雲の穴から覗く星空が本当に奇麗だった。

『終わったんだな……この体の痛みも、胸のドキドキも、生きてるって…分かる』

『うん。終わった』

 この星空も、奏達を押し流して助けてくれたのも雨娘のおかげだろう。誰かに生かされた、それを感じる事で、奏達もまた誰かの命を救ったのだと実感出来た。

 双樹はなにか知らないが、星空ではなく奏を見ていた。

『どうした?』

『別に。動けないだけ』

『そうか。俺もだ』

 双樹は素っ気なく答える。そして笑った。

 風が遠い。そして、星はもっと遠い。大きな世界の只中で、たった二人、空を見上げて寝転んでいた。この平穏に誇りを感じ、込み上げてきた。何も言うまい。きっとどんな言葉も違う。

 奏は静かに目を閉じた。もう寝よう。そして明日の元気に目を覚ますんだ。想いは大きく、瞼の裏には双樹の温かさを感じた。

『奏くん…おやすみ』

『ああ。双樹、おやすみ』

 二人幼い誓いを交わし、そして静かに寝息を立てるのだった。


 で!そこまでは良かった。ロマンスで幻想的だった。急変したのは夜も随分更けた頃だ。

『う~…痛いよ~、苦しいよ~』

『そ…双樹!!?どうした!』

 呻き声で奏は目を覚ました。双樹の容態が悪化したのだ。

『双樹!頑張れ!大人の人呼んでくるから!!』

 奏は慌てて走り出し、シャッターの閉まった商店に掛け込み、大人を呼んだ。後は、双樹を見てて貰ったり、救急車呼んで貰ったりのドタバタ。

 随分怒られたが、結局双樹のおじさんにぶん殴られたら収まった。その後『頑張ったんだな』とも言われ、少し涙ぐんでしまった。そして呆れたのは双樹である。双樹は痛みと熱でグロッキーだったと言うのに、救急車で運ばれていく際に言った言葉が、

『明日…っていうか今日の模試は受けるのよ!駄目でもいい。トライ&エラーでしょ!』

 これである。周囲は呆れると言うか、苦笑いというか、微笑ましいというか…妙な空気に包まれたものだ。


 つまり双樹の遺言を無為にする訳にはいかぬと、奏は模試を受けに来た次第である。

 ただここ3日くらいず~と奔走していたので、気合いが入らないと言うか、踏ん張りが効かないと言うか、負け戦の空気が漂っていた。

「頑張んね~、少年。と言うか、そこ間違ってるよ」

「ん?あ、本当だ」

 それでも諦める訳にはいかず。奏は指摘された箇所を消しゴムで消す。

 ん?

「うお!?狐娘!お前何で此処に!?」

 見ると隣で狐娘がふわふわ浮いた。

「大丈夫。ボクは人に見えないから。名前はクジャだよ。よろしくね…ってどうしたの?」

 狐娘はクジャと名乗り、握手の為に手を差し出した。しかし、奏はそれ所じゃない。

「どうしてここに居るのさ?」

「今この状況でボクを見て、湧き立つ疑問がそれなのかい?」

 狐娘は、かわいらしく目を真ん丸にした。

「君の持ってる狐鈴に憑いて来たんだよ。君がまだ頑張ると聞いてね。大丈夫!あの頑張りを見せてくれた君なら、こんな試験なんて瑣末な事、きっと乗り越えられるよ」

 そしてどこから来る自信か知らないが、そんな力いっぱい肯定してくれた。狐娘の自信に奏は言葉を失った。

 もう正直気力も体力も残ってないし、今すぐにでも帰って寝たいのだ。事情が事情だから、かなも大目に見てくれるだろう。次に頑張ればいいのだ。

 だから……だけど、

「……………………おう!頑張る!」

 頑張りを全部見ていてくれた人?に、褒められた事が嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。温かい気持ちに成って、最後の気力を振り絞る事にした。

「やるぜ!テスト!燃やすぜ青春!見とけって、いっちょ双樹のクラスに上がれる位、やってやるよ。てか間違いはもう指摘すんなよ。自力でやるから」

「お~、気持ち悪いぐらい迸ってるね~。了~解だよ」

 窓の外には台風一過。熱く、そして輝く太陽が顔を見せている。冷房の効いた教室には、変わりに皆の熱気とやる気が溢れていた。

 奏と双樹の中学三年の暑い夏の物語。まだまだ始まったばかりである。

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夏啼き 月猫ひろ @thukineko

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