第24話(SIDE E・F)


 一方、迷宮上部の岩舞台の上。そのほぼ全域で「迷宮の守護者」と人間・獣人が戦っている。「迷宮の守護者」は吟遊詩人の歌にしか存在し得ないようなモンスターであり、その力は神話級に圧倒的だった。一方の人間・獣人もまた一人残らず、伝説級の武具で身を固めている。その戦いは凡百の吟遊詩人では表現も及ばないような、想像を絶するものだった。後々には生き残った兵士がこの戦いを語り継ぎ、新たな神話がきっと生まれることだろう――勝ちさえすれば。

 現時点で両者の力は拮抗している。だが人間・獣人側はもうほとんど全戦力を動員しているのに対し、「迷宮の守護者」は未だ倍々ゲームで増え続けているのだ。戦線は混沌とし、事態は混迷の一方だが、それが崩れるのはそう遠くないものと思われた。

 ディアデムの下には最後の予備兵力が存在し、千を超える兵士が製図台で描いたような方陣を作って整列していた。その全員が攻略アイテム「アポロンの弓」を携え、攻撃の号令を今か今かと待っている。

 だがディアデムはそれを発しようとはしなかった。戦いの激しさに対して人間・獣人側の犠牲は驚くほど少ないのは攻略アイテムのおかげである。だが戦死者は当然ゼロではなく、それは次第にペースを上げて増え続けていた。表向きは冷静を装うがディアデムが焦燥を抱いていないわけではもちろんなく、その視線は総司へと固定されている。


「三島、何をいつまで待つつもりだ」


 焦れた匡平もまた言葉で総司に決断を迫り、葵や里緒もそれに同意することを目で訴えた。


『今はまともに戦えているがそれも長くは続かない。近いうちに数で圧倒され、こちらは総崩れとなるだろう』


 そうなってから最後の切り札を切ったところで後の祭りだ。「クロノスの楔」を使用するのは勢力が拮抗している今しかないと、総司だって判っている。そんなことは百も二百も承知である。だが、


「どうする、どうすればいい。今使うのか? でも失敗したら……」


 その切り札は一枚きりだ。最大限効果的に使用できるタイミングを計らなければならず、それを見出せず今に至っている。冷や汗とも脂汗ともつかない汗が額を濡らし、総司はしきりに汗をぬぐった。

 総司は「メタトロンの眼」を使って迷宮全体の敵味方の動きを観察した。岩舞台では人間・獣人が約四万に対して「迷宮の守護者」が九千……今一万を突破。さらに増殖していて味方は押されつつある。迷宮内のターミナルでは防衛側が援軍も含めて百に対して「迷宮の守護者」がもう百以上、さらに増殖中。


「まずい、このままじゃこっちより先にクラッキング班が潰される」


 もう切り札を切るしかないと総司が決断したそのとき、


「――! やめろ大海!」






 同時刻、迷宮内のターミナル。そこはもう、「迷宮の守護者」で満員と言うべき状態だった。全身が黄金に輝く牛頭人身の化け物は、身長四メートルを超える巨人だ。ターミナルの天井は他の場所よりもずっと高いがそれでもその角がつっかえている。ターミナル自体の広さもたかが知れていて、「迷宮の守護者」が百体も入れば足の踏み場もないくらいだ。

 狭すぎてまともに戦えず、結果として戦闘が小競り合い程度となっているのは望外の幸運だった。だがそれでも味方の兵士は次々と倒れ、「迷宮の守護者」は続々と追加されていく。援軍の後続が「迷宮の守護者」軍団の後背に攻撃を仕掛けているが、焼け石に水もいいところだった。


「三島、これ以上は持たないぞ!」


『早くどうにかしなさいよ!』


 匡平とエムロードの悲鳴に総司が切り札を切る決断をしたのは、もう一人の自分とほぼ同時だった。そして「メタトロンの眼」によりそれを察知したのも同時である。

 増殖し続ける「迷宮の守護者」はターミナルに全員は入れず、その最後尾は迷宮の外へとつながる通路にいた。その最後尾の一体が、外からやってきた人間に襲いかかっている――アリアンに。


「そんな、どうして!」


 彼女がどうしてそんなところにいるのか判らず総司は混乱する。一方の「迷宮の守護者」もまた戦場に不似合いな少女の姿に戸惑うも、長い時間ではなかった。その通路には援軍の後続が大勢いて、負傷して倒れた兵士もまた無数にいる。彼女はその負傷者の救護に当たっていたらしい。


『なんだ、こいつ?』


 黄金の雄牛が怯える少女の胴体を鷲掴みにし、顔の前まで持ち上げる。アリアンは痛みと恐怖に悲鳴を上げ、その手から包帯や魔法薬が零れ落ちた。


「やめろ大海!」


 これまで聞いたこともない、焦りに満ちた総司の声に「迷宮の守護者」が嘲笑を示す。


『こっちで作った恋人か? 見かけによらず手が早いな』


「違う、その子は」


『でも戦場でうろうろしていたんだ、こうなることもあるだろうよ!』


 黄金の雄牛が少女の胴体を力任せに握り潰さんとし、その寸前、


「その子は島本の娘なんだ!!」


 ――「迷宮の守護者」が動きを止めた。アリアンを掴んでいた一体だけでなく、全戦域の全てのそれが。大海千里がどうしてそこまで動揺しているのか、そんな考察は全て後回しだ。今こそが唯一の、最後の好機!


「全ての刻を止めろ! 『クロノスの楔』!」


 今、このときばかりは全ての三島総司シリーズが意志と行動を一つにした。データ化した攻略アイテム「クロノスの楔」がサーバに打ち込まれ、サーバがフリーズ。同時に「迷宮の守護者」もまたその動きを止める。


「いま!」


『撃て!』


 ディアデム麾下の千の弓兵が「アポロンの弓」を一斉射。数秒後に千の「迷宮の守護者」のコアが貫かれた。弓兵は魔力を再充填し、再斉射する。敵が動きを止めているのはわずか一分。


「九五〇〇、九〇〇〇、八九〇〇……」


 総司の「メタトロンの眼」が急減する敵数をカウント。敵を屠っているのは弓兵だけでない。人間の兵士はその剣でコアをぶった斬り、ワーウルフの武闘家がその拳でコアを粉砕する。リザードマンの戦士がその槍でコアを貫き、魔法使いが攻撃魔法でコアを撃ち砕いた。


「七〇〇〇、七一〇〇、五九〇〇……」


 もちろんターミナルでもヴェロニクとその兵士が最後の力を振り絞って、黄金の彫像と化した「迷宮の守護者」のコアを破壊し続けている。匡平は後先考えずに「加速」の祝福を使って走り回り斬り回り、エムロードもまた攻撃魔法を連発した。アリアンを掴んでいた「迷宮の守護者」も破壊され、その身体が崩れてアリアンが地面へと投げ出される。


「四八〇〇、四〇〇〇、二七〇〇……」


 岩舞台の上でも同じように匡平が疾風と化して無数のコアを斬り続け、若葉は暴風となって本体ごとコアを撃滅し続けた。葵は「アボロンの弓」をくり返し放ち、里緒の暗黒呪歌は戦場全域の「迷宮の守護者」を腐らせて崩れさせる。両腕が崩れてむき出しとなったコアに弓兵が魔力の矢を叩き込んだ。


「一六〇〇、九〇〇、一〇〇、五〇、二〇、一〇……」


「これでラスト!」


「くたばれ!」


 匡平の「妖刀ムラサメブレード」が、若葉の「皇帝の拳」が、最後の一体の「迷宮の守護者」のコアを同時に貫き――約一分が経過しサーバが再起動したのは、ほぼ同時だった。

 ありったけの力を使い果たした若葉と匡平がその場に座り込み、それは他の兵士達も同様だった。誰もが力尽き、その場にへたり込んでいる。黄金の雄牛は全て破壊され、腐食し、崩れて塵となり、今消え去ろうとしている。増殖する気配は感じられない。

 一方、迷宮内のターミナル。地面に倒れ伏すアリアンを総司が抱き起し、そこに匡平が駆け寄ってきたところだ。


「怪我は?」


「……魔法薬を使えばすぐに治る」


 解析の祝福を使ってそれを確認した総司が安堵のため息をつき、匡平もまた「そうか」と似たような表情となった。


『ああ……良かった』


 総司でも匡平でもない声がその場に響いた。ヴェロニクでもエムロードでももちろんない。それは迷宮自体が発したかのような声であり、安堵の思いだった。大海、と顔を上げる総司だが、そのとき響き渡るサイレン音。それは岩舞台も含めて迷宮全域に轟いている。


『今度は何?』


『自爆シークエンスが発動しました。龍脈から魔力を強制的に吸い上げて、それを全部破壊エネルギーに転化、迷宮全体を吹き飛ばすつもりです』


 その淡々とした説明にエムロードは開いた口が塞がらない顔となった。


『あなた……最初からこれが判っていて』


『判っていたわけじゃないです。予想はしていましたけど』


 九九パーセントこうなると、と内心だけで付け加える総司。食ってかかろうとするエムロードだがヴェロニクがそれを抑えた。


『そんな話は外に出てからだ』


『早く逃げよう』


 ヴェロニクとその部下が、エムロードが迷宮の外を目指して大急ぎで撤収。匡平もまたそれに続こうとするが総司は足を止めたままだ。


「何をしている、早く」


「ごめん、この子を頼む」


 意識を取り戻し、何とか立ち上がったアリアンを、総司は匡平へと引き渡した。


「何を言っている、どういうつもりだ」


「俺はここに残る」


 総司の視線はその部屋の一角に積み上げられた魔法のパソコンに固定されている。匡平には聞こえないがそれは呪詛を紡ぎ続けていた――お前もここで死ね、俺達と一緒に死ね、と。


「どうして、早く一緒に」


 アリアンがすがるように総司の身体を掴み、総司はそれを押し退けようとする。


「俺は……ただのコピーだ。皇帝ミシマ・ソウジの、迷宮防衛モンスターの。ここに並んでいる魔法のパソコンと何も変わらない。この記憶も、この身体も別の誰かのコピーに過ぎない。本物じゃない俺がこの先生きたところで……」


 アリアンには総司が何を言っているのか一割も理解できない。だが、


「お母さんが死んだときに一緒にいてくれたあなたは、ここにいるあなたなんでしょう? わたしを一生懸命慰めてくれたあなたは、ここにいるあなたなんでしょう?」


 総司はこぼれんばかりに大きく目を見開き、その瞳が一人の少女の姿を映している。少女は泣きそうになりながらも総司を掴んで離さなかった。


「話は着いたみたいだな、行くぞ」


 匡平が総司の手を取り強引に引きずって走り出す。アリアンもまた総司の手を取ったままそれに続き、二人に引きずられて総司もまた走り出した。三人が迷宮の外を、太陽の下を目指して走っていく。

 一方、岩舞台の上でも全ての兵士が一目散に逃げ出しているところだった。


『君達はどうするつもりだ』


 ディアデムの問いに総司は静かに首を横に振る。


『俺達は迷宮の外では生きられません』


 そうか、と頷くディアデムに総司が、


『もう一人の俺と高月、それにアリアンのことを頼みます』


『判った』


 ディアデムは端的に、だが確固として頷いた。そして撤収する彼の背を総司が、若葉が、匡平が、葵が、里緒が見送る。岩舞台の上に残っているのはもう総司達五人だけだ。嵐のような喧騒は遠ざかり、今は穏やかな静寂がその場を包んでいる。


「あっちの方のいいんちょと匡平君は?」


「もう外に逃げている」


 そう、と頷く葵が天を仰いだ。


「あーあ、わたしも外で動けるわたしを作ってもらえば良かったかなー」


「それはどうだろうな」


 総司自身は情報収集でどうしても必要だったため自分のコピーを作ったが、


「俺達はこの世界じゃただの異物で、さらにはその異物の過去の亡霊にすぎない」


「出番が終わった役者がいつまでも舞台にいてもしょうがない。さっさと退場するべきだろう」


 若葉が一同に、自分に言い聞かせるように言う。里緒は「そうですね」と頷きつつも、


「でも寂しいですし、怖いです」


「大丈夫、わたしも一緒だから! このベテランに任せなさい!」


 と胸を張る葵に一同が笑う。里緒もまた涙をぬぐいながら笑った。

 ふと、何かに気付いた総司が後ろを振り返る。そこに投影された立体映像に、一人の少年に、


「済まなかった」


 謝られた少年はそれを「いまさら」と鼻で笑う。


「最後ぐらいは恨み言をなしにしてやるよ」


「助かる」


「ああ、でもこれで――」


 ようやくのだ、と少年は晴れ晴れとした顔を天へと向ける。強い太陽の日差しを遮るように、あるいはそれを掴むように手を挙げて――

 そのとき、足の裏をハンマーで殴られたような衝撃。地下で魔力が破壊エネルギーとなり、神殿を破壊しているのだ。岩舞台は震度六にも七にもなる衝撃に見舞われている。地下の爆発は何十万トン、何百万トンにもなる神殿上部の土砂や岩舞台を吹き飛ばすほどではなかったが、蓋をされた分内部の破壊は徹底的なものとなった。鍾乳洞の柱というべき部分、神殿の梁などが全て崩れて土砂と瓦礫で埋まっていく。地下が何十メートルも陥没し、そのせいで岩舞台もついに崩れた。

 だがそのときにはもう、総司達六人の姿はそこにはなかった。無人の岩舞台が割れ、砕け、無数の断片となって地下へと向かって崩れていく。

 一方、共和国軍と獣人の軍隊は岩舞台から距離を置き、その崩壊を見つめていた。彼等が装備する攻略アイテムは次々と光の砂となって崩れていく。それは魔力の供給が断たれたことを、「永遠の楽園」という名の迷宮の機能消滅を意味していた。同時に「永遠の楽園」という名の、元老院の煉獄が何百万トンという土砂と瓦礫に埋もれて潰えたことも。舞い上がる土砂はまるで火山の噴火のように、高々と天へと立ち昇った。

 ……地下での爆発や地響きが収まったのは一時間近くが経ってからである。ディアデムは様子を見に行くようヴェロニクへと命じ、彼が部下を引き連れて地下神殿へと向かったが、


『見に行く意味があるんですか?』


 フュルミナン地下神殿は根こそぎに、跡形もなく破壊され、無尽蔵の魔力を供給していた魔法陣はシュレッダーにかけられたような有様だ。その上に何百万トンという土砂が覆いかぶさり、この世界のこの時代の技術力や経済力では掘り返すのは絶対に不可能。


『報告は必要だ。地下神殿が喪われたと、誰もそれを手に入れられなかったことを理解させるために』


 結局、人間も獣人も地下神殿を手に入れられず、大陸の覇権は自分達の力だけで競い合い、奪い合うしかなくなったのだ。だが全力を振り絞り、死力を尽くして戦った結果がこの結末なのだから、人間も獣人もそれを受け容れる他ない――少なくとも戦いに参加した将兵は、人間も獣人も問わずどこか満足したような顔である。

 また強大な敵を人間と獣人が共闘し、これを撃破したのだ。この経験が今後の人間と獣人の関係改善に……どこまでかは何とも言えないが、多少なりも好影響を与えることが期待された。


『多大な犠牲を払ったのに何も手に入らなかったのは無念の極みだが、それでも獣人にそれを渡さなかったのはせめてもの慰めというものだろう』


『そうですね』


 ディアデムと総司はそんな会話を交わしながらも互いに白々しさを覚えている――同時に、ある種の爽快感を。地下神殿に頼り切った権力構造を作ってきた魔法帝国も、自らの野望のためにそれを欲する共和国軍上層部も、地下神殿そのものも、ディアデムは最初から全部気に食わなかったのだと、総司は勝手に確信している――自分もまたそうであるように。彼等は言わば暗黙の共犯者であり、互いの目論見を理解し合い、協力し合い、この完全犯罪を成し遂げたのである。


『戦いは終わったが面倒な後始末はこれからだ。君達にはまだまだ当分付き合ってもらわなければならない』


 ディアデムがそう告げ、匡平には特に異存はなかった。今ここで放り出されてもどうやって生きていけばいいか、むしろそちらの方が困るくらいだ。


「この世界に慣れるまでは面倒を見てもらうしかないだろう」


「そうだな」


 その後はどうするか――匡平は前に言っていたようにこの世界を巡る旅に出るのだろう。それでは総司は……どうやって生きていけばいいか、今は皆目見当もつかない。だが、


「アリアン、この世界のことをもっと教えてほしい」


「はい、喜んで」


 少女は花が咲くような笑みをほころばせる。何のために生きるかは、もう決まっているようなものだった。今の総司は元の世界から情報だけ抜き取られて生み出されたファーストコピーの、再プリントの二次コピーと言うべき存在である。だがコピーとして始まった存在だとしても、これまで歩んできた道、これから歩んでいく道は今の、この三島総司だけのオリジナルだった。

 その先に何が待っているかは誰にも判らないが、そこはもう出口のない迷宮ではなかった。総司は、匡平は、まぶしい太陽の下を前へと向かって歩いていく。



(完)



【後書き】

本作はこれにて完結です。最後までお読みいただきありがとうございます。少しでも楽しんでいただけたのであれば幸いです。

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迷宮の守護者 亜蒼行 @asou_yuki

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