第05話(SIDE B)


 総司達五人が「永遠の楽園」と呼ばれるその迷宮の探索を開始して今日で三日目、五〇時間経過。彼等は今、無数にある迷宮の一室で宝探しをし、一つの便利アイテムを手に入れたところだった。

 それは台座と一体となった宝玉で、全体が一つの水晶で作られている。まるで大きな水晶から削り出し、研磨して作ったかのようだ。総司の膝までくらいの高さがある結構な大きさで、うち半分が宝玉によって占められている。


「ふむ、なるほど」


 解析の祝福を使ってその使い方を調べた総司はもっともらしく頷く。


「今回は反応がおとなしいね」


「そこまで理不尽な代物じゃなかったらしい」


 好き勝手なことを言う葵と匡平に何か言いたい気持ちはあったものの言うべきことが思いつかなったので、代わりに別のことを口にする。


「これも実際に使って見せた方が早いな」


 次の瞬間宝玉を中心として光の球体がその場に生まれ、若葉達はそれに押し退けられるように退いた。その大きさは優に二メートルを超え、それだけの大きさのものが光り輝いているにもかかわらず不思議とまぶしさは感じなかった。そして光の内側は全く見えず、真っ白に塗り潰されている。その上、


「……近寄れない。触れない」


「本当だ。どうして?」


 光の球体に手を触れようとしても手が届かない。ある一定の距離を置き、それ以上は球体に近付けないのだ。むきになって前進しようとする若葉だが、一歩前に進むたびにその分後ろへと押し戻された。主観的にはまるで強風に押し戻されているような気分だが、


「何してるんだ?」


 不思議そうに匡平が問う。若葉の姿は客観的には、ムーンウォークとパントマイムを使って球体に触れない独り芝居をやっているかのようだった。その光の向こう側から総司が現れ、球体を見回して「なるほど」と頷く。総司がもう一度球体の中へと入っていき、葵がそれに続こうとするがやはり押し戻された。そして光が消え、球体が消える。その内側からは宝玉を持った総司が姿を現した。


「三島君、それは」


「名前を付けるなら『結界の宝玉』かな。見ての通り、使用した本人以外誰も入れない結界を展開する。使えるのは一回一時間くらい」


 里緒と葵が顔を輝かせ、


「じゃあそれがあればモンスターに襲われない?」


「うん、モンスター除けに使える便利アイテムだ。ただ」


「ただ?」


「結界を展開したまま移動ができない。外側から結界の内側が全く見えないように、内側から外側も全く見えないし、音も聞こえない」


 その説明にちょっと考えた匡平が、


「戦闘に使うのは無理ってことか」


「どの道この大きさじゃ持って戦うのは無理」


「でも野営のときに部屋の入口に置いておけばバリケード代わりになるし、あとトイレも安全に行けるようになるだろう」


 要するに休憩をより安全に取るための便利アイテムであり、里緒や葵がその成果にそれなりに喜んだ。その一方、若葉はやや苛立った様子となっている。


「お宝を手に入れるために歩き回っているわけじゃない。肝心の、元の世界に戻るための手がかりは」


「三島だけ責めても仕方ないだろう」


 匡平にたしなめられて若葉がばつが悪そうに「済まない」と言う。気まずい雰囲気がその場を支配し、それは思ったよりも長い時間続いた。その沈黙を破ったのは総司である。


「……手がかりなんて言えるようなものじゃないけど」


「何か気が付いたことが?」


 総司はその問いに直接答えず、その部屋の片隅を設置された水路を指差した。


「最初の部屋からずっと、通路と一緒に水路のマッピングもしてきた。水がどちらからどちらへ流れているかも。水路は二系統あって、正反対の方向に流れている。一方には強い魔力が付与されていてもう一方は魔力が弱い。言わば動脈と静脈だ。静脈で薄い魔力の水を心臓部に送り込んで、そこで魔力を付与し、動脈を通して迷宮全体に強い魔力を帯びた水を巡らせているものと思われる」


「えーっとつまり?」


「つまりは静脈が心臓部、動脈が外側につながっているってことですから」


「どっちが奥でどっちが外なのかが判ったと?」


 その確認に総司が頷き、一同が瞠目する。


「目指すべきは外か奥か」


「考えるまでもない、外だろう」


 匡平の断言に総司や葵や里緒は特に異議はなさそうだった。だが、


「どうしてそうなる。目指すべきは心臓部、迷宮の一番奥じゃないのか」


 若葉が一人反対する。


「わたし達は『迷宮の守護者』っていうラスボスを倒してこの迷宮を攻略するために召喚されたんだろう。だったら『迷宮の守護者』を倒せば元の世界に帰れるんじゃないのか。それが一番の近道じゃないのか」


「そうかもしれない」


 総司はまずそう同意し、その上で、


「そうじゃないかもしれない」


 それを否定した。匡平が続いて、


「第一、迷宮攻略のためとか『迷宮の守護者』とか、塩津一人が言っていて他にそんなことを言う奴はいなかっただろう。あの話が本当だって保証は? もしかしてあいつ、前に読んだラノベの話をしていただけなんじゃないのか?」


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」


 その疑念に対して総司がその言葉をくり返す。


「何にしてもともかく情報が足りない。『迷宮の守護者』を倒せば元の世界に戻れるのが事実だと仮定して、その強さは? 弱点は?」


「いくら若葉ちゃんが日本最強の女子高生でも何の攻略情報もなしにラスボスに挑むのはちょっと無謀じゃないかな?」


「これはゲームじゃない。セーブしてやり直し、ってわけにはいかないんです。焦るのは判りますけどここは慎重を期するべきです」


「そうそう、急がば回れって言うじゃない?」


 葵や里緒も加わって若葉を説得する。なお正確を期するなら「ゲームや仮想現実じゃないことを前提として行動するべき」と言うべきだが、省略しても問題はないものと思われた。

 それに、「この世界が仮想現実である」という疑いを完全に捨てたわけではないが、総司の中でのその可能性は大分小さくなっている。反証材料となっているのは総司の祝福、「解析」だ。それに使い慣れてきて、それ自体の考察を一歩進めた結果である。それを行使した際の、第六感覚器が無数に分裂して分子の隙間をすり抜けて物体の中に直接入っていくような感覚――果たしてこれが仮想現実で作り出せる代物なのだろうか? 異世界に転生することにより魔法を扱える新たな感覚器が与えられた、と考えるべきではないのか――今のところはその可能性の方がより高いと思うようになっている。

 しばらく沈黙を保っていた若葉がやがてため息をつき、


「……判った。リーダーの決定には従うさ」


 自分自身を納得させるようにそう言う。総司もまた自分自身を説得するように説明した。


「少しでも早く元の世界に帰りたい気持ちは俺も、他のみんなも同じだ。でも焦ってモンスターに殺されたら元も子もない。場合によっては年単位を情報収集に使うかもしれない――そのくらいの覚悟は必要だと思う」


「か、帰るのに何年も……!?」


 里緒が悲鳴に近い声を出し、葵もまた愕然とした顔だ。総司は二人をなだめるように、


「何十回も言っているけど、とにかく情報が少なすぎる。運が良ければ数日で手がかりがつかめるかもしれない。でも最悪を想定するなら――この世界の言葉を覚えるところから始めるんだぞ?」


「……英語とドイツ語なら少しは」


「通じたらびっくりだよ」


 涙目となった里緒がすがるように言うが、ついマジレスしてしまう総司だった。

 言葉も通じないこの異世界に何年も――その未来図に里緒は絶望的な顔を俯かせ、若葉もまた暗澹たる思いを無表情の仮面で隠している。重苦しい空気がその場を支配したが、


「で、でも!」


 葵がそれを振り払うべく、ことさらに明るい声を出した。


「異世界で冒険者になってこの五人でパーティを組むなんて、ちょっとワクワクじゃない? 冒険者ギルドに登録して、迷宮にもぐってお宝を探して!」


「村を守るためにオークやゴブリンの群れを退治するとか?」


「勇者になって世界中を旅して魔王を倒したりお姫様と恋仲になったりするのか。任せろ、そういうのを待っていた」


 格好をつけて逆手で苦無を構える匡平。葵や総司が言っているのは里緒を励ますための半分以上冗談なのに対し、匡平は半分以上本気としか思えなかった。総司は呆れるだけだが、


「……ゲームや小説じゃないんだぞ。判っているのか」


 激発を自制している若葉の声音。帯電するその怒りに葵や里緒が一歩退くが、肝心の匡平は涼しげな顔をわずかも変えなかった。


「肩の力を抜いたらどうだ? 場合によっては年単位でこの世界に腰を据えるんだぞ? だったら楽しまなきゃ損だろう」


「お前は元の世界に帰りたくないのか!」


「正直どっちでもいい」


 匡平はまず端的に返答した。


「俺はお前達全員が元の世界に帰れるように全力を尽くすと、生命を捨てることはなくても生命を懸けることは約束する。その上で――俺は元の世界にそこまで未練はない」


「この世界がそんなに居心地がいいとは限らないぞ。可能性としてはろくでもない世界の方がずっと高い」


 そもそも、元の世界の日本くらいに平和で安全で豊かで食や娯楽が充実している地域は、元の世界でもずっと少数派なのだ。大国の侵略に塗炭の苦しみを味わっている国があり、侵略する側も一般市民は徴兵や圧政に呻吟している。中東では延々と内戦が続いている国があり、アフリカには群雄が割拠する、リアル戦国時代かリアル世紀末と言うべき地域が広がっている。国全体がカルトに支配された場所もあり、そこまでいかずとも信教の自由も思想信条の自由も言論の自由も、何一つない地域は決して少なくはない。元の世界の日本は様々な問題を有する、天国には程遠い国である。が、それでも同時代の悲惨な地域と比較するなら「天国」に限りなく近い場所と言ってよかった。

 そして、日本や欧米がここまで豊かとなり、平和となったのは歴史的にはごく最近の話である。八〇年もさかのぼれば日本も欧米も、地獄そのものの大戦争の真っ只中だった。それより前は帝国主義の全盛期。大国は植民地再分割闘争に勤しみ、それ以外の地域は大国の支配と搾取による煉獄と化している。それより前はギロチンがうなりを上げる革命戦争。それより前はわずかな教義の違いで血みどろの殺し合いがくり返される、宗教戦争の時代だった。

 それより前の、中世から近世のヨーロッパ。ゲームや小説でおなじみの「中世ヨーロッパ風異世界」のモデルとなった時代だが、ゲームや小説で描かれるそれと現実が全くの別物であることは言うまでもない。現実のその時代は今日の日本人からすれば卒倒するくらいに野蛮で不潔で、こんな世界には一日だっていられないことだろう。


「ほんの二百年前の江戸時代の日本だって、同じ時代の世界の他の地域と比較すれば平和で豊かで清潔で庶民の娯楽も充実していて、時代小説によってはなんかすごくお気楽な場所として描かれていたりするけど、現実にはそんなわけはなかった。既婚の女の人は眉を剃り落としてお歯黒にするっていう、今から見ればなかなか受け入れられない風習があった。梅毒の罹患率は同時代のヨーロッパと比較しても飛びぬけて高かったし、幕末に日本にやってきた西洋人は『皮膚病じゃない人足を探すのに苦労した』って書き残している。人糞肥料の利用はエコロジーの理想形と言われることもあるけど、その代わり肥溜めの臭いが町のあちこちから漂っていたって言うし、何より寄生虫の蔓延が恐ろしいことになっていた。仮にその時代に時間旅行できたとしても、病気が怖くて吉原も外食も楽しむどころじゃないと思う」


「確かに、同じ時代のヨーロッパでも不潔なのを我慢しなきゃいけないことがあります。この世界の衛生観念にどこまで期待できるのか……」


 現実を突き付けられた葵は夢から醒めた顔となっているが、


「もちろん、本当に残るかどうかはその辺を見極めた上での話さ」


 肩をすくめる匡平の飄々とした姿勢に変わりはなく、若葉の怒りもまた同じだった。


「お前ほどの男が……ゲームや小説の主人公にでもなったつもりか!」


「俺は俺の人生の主人公さ。でも、今までのその脚本があまりに退屈すぎて、これからの展開も退屈の極みだってことが目に見えていて、正直絶望していた。でもこの世界なら、少なくとも退屈することだけはなさそうじゃないか?」


 まさか高月がこんな奴だったとは、と総司は小さくない驚きを覚えている。この世界にトラック転生(?)して大はしゃぎしていた塩津正雄と、本質的には瓜二つだ。もちろん、陰キャで運動も苦手でよっぽどの下駄(チート)がない限り主人公たりえない塩津に対し、その涼やかな容姿も戦闘力も、祝福がなくとも素で主人公を張れる匡平との差は天地ほどあるとしても。


「お前だって俺と同じさ、虎姫」


「何?」


 訝しむ若葉に対し、薄笑いを浮かべた匡平が悪魔の誘惑のように、


「それだけの戦う力を手に入れるのにどれだけの血反吐を吐いてきた? 元の世界でそれを使う場所がどこにある? お前の居場所がどこにある? この世界ならその力を思う存分発揮できる。この世界こそお前の居場所――違うか?」


「お前と一緒にするな」


 若葉は即座にその誘惑を退けた。


「わたしは普通の女子高生としての生活を満喫し、満足している」


(普通の女子高生……?)


 期せずして四人の心が一つとなった。呆れたような沈黙が思いのほか長く続き、


「……確かに満足しているはちょっと言い過ぎだが」


 違う、そこじゃないと、再び全員が内心で突っ込む。


「やっぱりお前とは意見が合わない。前と同じだな」


 そう言ってため息をつく匡平に対し、若葉もまた拒絶するように鼻を鳴らした。


「お前も前と変わらない。わたしを失望させたあのときと」


 二人の物言いに総司は首を傾げ、葵は何故か目を輝かせている。話し合いはそこで区切りがつき、五人は総司の指し示す「外」へと向かって出発した。

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