第05話その2(SIDE B)


 歩き始めてすぐ、葵がすぐ前を歩く若葉にしきりにこそこそと話しかけ、若葉はそれを鬱陶しがっている。それを後ろから眺める総司がさらに首を傾げ、匡平は苦笑した。


「向日、内緒話は休憩中にしてくれないか」


「ごめんなさーい」


「別にこっそり訊かなくても構わないだろう」


 葵と若葉が振り返るが、一方は目を輝かせ、もう一方は殺意の眼光を匡平へと向けている。対する匡平はわずかも怯みはしなかった。


「訊きたいのは一年の頃に俺と虎姫が付き合っていたって話だろう? 別に隠すほどのこともない」


「別に話すほどのこともない」


 取り付く島もない若葉だが、


「何言っているの若葉ちゃん! 普通の女子高生ならコイバナしないでどうするの!」


 葵の勢いに「そういうものか」と簡単に流されてしまう。


「その噂話なら聞いたことがあります。一年の今頃でしたっけ」


「そうそう、ずっと気になっていたんだよー!」


 葵は「ようやく当人からその話が聞ける」とスキップせんばかりだ。総司は「他人の色恋沙汰なんかどうでもよくないか?」と思ってはいるが口にはしなかった。


「そう言えば島本もあれでそんな話が好きだったよな」


 校内一の美男美女の大型カップル誕生に学校中がパニックになっているとか、それが一月足らずで破局して歓声が校舎が揺るがしたとか……仰々しい物言いが好きな奴だったな、と全然関係ないことを一人回想した。


「それでそれで! どっちから告白して付き合うことになったの!? きっかけは?」


「俺の方から。良い女だったから付き合いたいなと思って校舎裏に呼び出して」


「果たし合いを挑まれたと思ってそこに向かった」


 甘酸っぱくない展開に葵は「えぇ……」と戸惑っている。


「まあ誤解はすぐに解けたんだがせっかくだから決闘して」


「いやなんで?」


「勝ったのはわたしだったけどなかなかいい勝負だったし、これも何かの縁だからとこいつと付き合うことにした」


 葵は諦めたように「そう」と相槌を打つ。匡平は肩をすくめて、


「『いい勝負』って言ったって、俺が竹刀を持って虎姫は籠手だけのハンデマッチだ。正直負けるつもりはなかったんだがな」


「勝負は紙一重で、わたしにほんの少し天秤が傾いただけだ。もう一回やって勝てるかどうかは判らない」


「俺も二回も負けるつもりはないけどね」


 若葉が「ほう」と足を止めて振り返る。その好戦的な目の輝きを、薄い笑みを浮かべた匡平は真正面から受け止めた。


「同じ手でまた勝てるとは考えない方がいいぞ」


「そっちこそ、同じ手がまた来ると思わない方がいい」


 両者がそのまま対峙し、一同の足は完全に止まってしまった。今にもこの場で決闘を始めそうな二人に挟まれ、里緒はうろたえ、葵は「どうしてこうなった」と頭を抱え、総司もまた頭痛を堪えるような顔となっている。


「二人とも、今はそんなことをしている場合じゃないだろう。いつまたモンスターに襲われるか判らないのに」


「確かに、高月とやり合っている暇はなさそうだ」


 若葉が四人に背を向けて通路の進行方向を真っ直ぐに見据える。彼女の見ているものを総司もまた見ようとし、すぐにそれに気が付いた。塗り潰されたような漆黒の中に、小さな灯火がある。少しずつそれが大きくなっている。最初は一つにしか見えなかった灯火は接近するにつれて分かれ、その数は三つとなった。葵が床に掌を突き、


「……結構重い足音が三つ」


「高月、向日」


「判っている」


 匡平と葵がポジションチェンジし戦闘態勢となる。五人はその場に足を止めて敵の到着を待った。さほど待つことなく、闇の中から灯火を伴い三体のモンスターが姿を現す。どうやら彼等の方も総司達の存在に気付いていたらしい。横溢する戦意はまるで溶鉱炉の輻射熱のようで、それだけで火傷を負わんばかりだった。

 三体とも同種類で、それは総司達が初めて目にするモンスターだった。外に出ている全ての皮膚が針金のような体毛に覆われている。体形は人間のそれだが首から上が狼のそれ、ワーウルフと呼ぶべきモンスターだ。三体とも身長は一八〇センチメートルを超え、一番高い奴は一九〇を超えそうだ。リザードマンほどではないとしてもこの体格差・体重差は大きな壁となるに違いなかった。三匹とも懐中電灯そっくりの形をした魔法のランタンを腰のベルトに携行し、前を照らしている。

 三匹ともワーウルフだがその役割は見た目から別々だった。一匹は長剣を持ち、鎧を身にした剣士。一匹は革製と見られる軽装鎧に金属の籠手で武装した、武闘家。最後の一匹はローブをまとい杖を手にした、魔法使い。剣士と武闘家が前へと進み、魔法使いはその後ろだ。


「桂川、呪歌を」


「は、はい」


 里緒がバイオリンを演奏しようとし、だがそれよりも早く敵が動いた。ワーウルフの魔法使いが杖を手に呪文を唱え――


「呪歌が?」


 里緒がバイオリン演奏をすぐに止めてしまう。いつものように祝福を使用しようとしたのに使えない。何も力が発動しない。


「使えない! わたしの跳躍も使えない!」


 焦燥に満ちた葵の報告に総司が臍を噛む顔となった。


「魔法阻害? まさか祝福も阻害するのか」


 敵の魔法使いがこちら側の祝福を封印している。それ以上の行動に出ないのは不幸中の幸いだったがどの程度の慰めとなるかは疑問だった。前衛の二人は祝福抜きで、素の力だけで強力なモンスターと戦わなければならないのだから。逃げることも考えたがもう遅すぎる。前線では若葉と匡平が敵の武闘家と剣士と激突し、今まさに火花を散らしたところだった。

 若葉は武闘家と拳を交わし、匡平は剣士と剣を交えている。モンスター側は人間側よりも頭一つ分背が高く、体重差と馬力の差はそれ以上と思われた。祝福さえ使えるのなら真正面から撃ち合うこともできただろうが、今それをやれば拳は砕け、剣はへし折れる。二人にできるのは敵の攻撃をかわし、受け流すことだけだ。


「Varrrruuu!」


 強敵との対決に歓喜するかのような雄叫び。それと同時に敵の攻撃は回転をさらに上げた。それはまるで雷嵐のような暴力の渦巻きであり、巻き込まれれば一瞬で生命を断たれる。それでも若葉と匡平は敵の間合いの中に止まり、ぎりぎりの綱渡りを続けた。

 突然両者が同時に後退し、距離を置いて対峙した。四人はそのまま動かない。若葉と匡平は酸素を補給し汗をぬぐい、わずかの休息を貪っている。それは敵も同様のようだった。


「高月、これでもこの世界に残りたいのか」


「少なくとも今退屈はしていないけどな。お前はどうなんだ?」


 その問いに若葉は小さく舌打ちをする。


「ところで思い出さないか?」


「わたしも同じことを考えていた」


 二人はそれ以上の言葉を交わさなかった。どうやら向こう側も休息は終わったらしく、双方が急激に緊張を、戦意を高めていく。外から見ている分には理解できないが、生命を懸けて戦う者同士の機微というものがあるかもしれない。両者が動いたのは全くの同時だった。


「Varruu!」


 二匹のワーウルフが驚いた顔をし、それは総司達も同様だった。若葉が剣士へと、匡平が武闘家へと突撃したからだ。だがその戸惑いも一瞬だ。相手を入れ替えながらも剣士は若葉を斬り捨てんとし、武闘家は匡平をその拳で貫かんとした。剣士と武闘家が、武闘家と剣士が激突し――

 ワーウルフの剣が空を斬った。靭帯が切れる寸前の急制動と方向転換によりその斬撃を紙一重でかわした若葉は、そのまま敵の懐に飛び込む。両者の身体は触れんばかりで、その間合いではどちらも有効打を撃てない。剣士は間合いを作るために後退しようとし、それより先に若葉が必殺の一撃を放った。しゃがみ込むように身を屈めた若葉が両足をほとんど一八〇度に開いての蹴りを剣士の顎に食らわせ、彼の身体が宙に浮いた。まさかあの間合いからあんな攻撃を、と総司は驚きを禁じ得ず、実際に戦っていたワーウルフはなおさらだっただろう。

 人間ならその一撃で勝敗は決しただろうがさすがにワーウルフは頑丈だった。ふらふらと後退し、それでも戦おうとする剣士を若葉が追撃。腰の短刀でその心臓を一突きする。地響きを立てて倒れるワーウルフを若葉が見下ろし、彼女は腹の底から安堵のため息をついた。

 匡平と武闘家との決着もまた一瞬であり、同時だった。剣士の拳が匡平の剣を砕き、彼はそのまま体当たりをした。体格差で優勢な武闘家はおそらくそのまま匡平を押し倒してマウントを取るつもりで、もしそれを許したなら匡平は逃げることもできずに死ぬまで殴られたに違いない。だが、


「Varrrruuu!」


 武闘家は痛みと怒りの悲鳴を上げた。匡平の苦無が武闘家の右目に深々と突き刺さっている。体当たりの勢いを利用したカウンター気味の一撃だ。敵の作戦を読んでいた匡平は剣を囮とし、隠し持っていた苦無を本命としたのだ。それでも武闘家は拳を振り回すが苦し紛れのでたらめな攻撃であり、匡平に当たるはずもない。死角の右側に回り込んで右目に追撃の蹴りを加え、杭打ちのように苦無を頭蓋に打ち込む。苦無が全て埋まって脳へと達し、ワーウルフの身体が崩れ落ちる。倒れ伏したそれはもう二度と動くことはなかった。


「Varrrruuu!」


 最後に残った魔法使いのワーウルフは悲憤の雄叫びを上げる。が、それでも彼は戦うことより逃げることを選んだ。元来た方向へ必死に逃げていく彼を、若葉も匡平もわざわざ追おうとはしなかった。


「若葉ちゃん、匡平くん」


「虎姫さん、高月君」


「二人とも大丈夫か?」


 総司達が二人へと駆け寄り、匡平は笑顔でその問いに応え、若葉は「見ての通りだ」と素っ気なく言う。彼女は「それよりも」と言わんばかりの目を匡平へと向け、


「……そういう作戦か」


「元の世界じゃ使えないけどね」


 飄々と肩をすくめる匡平に若葉はさらに面白くなさそうな顔で鼻を鳴らした。その二人を観察した総司が、


「もしかしてだけど果たし合いのときに」


「あのフィニッシュブローにこっぴどくやられた」


「わたしの七つの必殺技の一つだ」


 と偉そうに胸を張る若葉。確かにあのゼロ距離でのあの蹴りは初見ならまず対処不可能で、必殺と言うべき威力があった。

 と、そんな話をしているうちにまたスライムが湧いて出て、ワーウルフの死体に覆いかぶさろうとしている。


「まずい、こいつ等に溶かされる前に使えるものは回収しないと」


「剣も折られたしな」


 総司と匡平と若葉が二体のワーウルフの装備品を確認しようとするが大したものは見つけられず、その前にスライムが死体を覆いつくした。手に入ったのは剣士の長剣と武闘家が持っていた短剣くらいである。


「……長くて重くて使いにくい。こっちの方がまだマシか」


 ワーウルフの剣士にとって剣とは斬るものではなくその重さで敵を叩き潰すものなのだろう。長剣は相当の長さと重量を有し、自在に扱うにはそれこそモンスターのような腕力を必要とするものと思われた。速度最重視の匡平の戦闘スタイルとは合致せず、彼は引き続き塩津正雄が祝福で作り出した長剣を得物とすることを選んだ。


「コピーを取っておいて正解だったね」


「そりゃ、あいつが作った剣だし。折れないわけがない」


 そんなことを言いながら匡平は魔法のカバンからオリジナルの剣を取り出し、魔法の鏡によってコピーを作り出し、そのコピーを装備した。そしてワーウルフの長剣を魔法のカバンに収納しようとし、


「あれ、入らないぞ」


「え、本当?」


 いつもそうしているように魔法のカバンの口に長剣を近付けるが、吸い込まれない。長剣は手の中に残ったままだ。


「いいんちょ、これ壊れちゃった?」


「試してみる」


 匡平や葵が持っているのは魔法の鏡で作り出した魔法のカバンのコピーだ。総司のオリジナルの魔法のカバンにその長剣を収納しようとし、


「……エラー?」


 魔法のカバンがエラー信号を発したことを、総司の祝福が察知した。長剣ではなく短剣も試してみたが結果は同じだ。


「絶対に必要ってわけじゃないだろう。邪魔になるだけだし、置いていけばいい」


「そうだな」


 若葉と匡平がそう結論付ける一方で、総司はこのエラーの意味を解き明かそうとしていた。が、考えが上手くまとまらない。

 何かが――おかしい。


「委員長、いい加減移動しよう」


「……あ、ああ」


 焦れた若葉に促されて総司が歩き出し、一同が迷宮の外側へと向かって移動を開始する。五人が去った後に残された長剣にもスライムが覆いかぶさり、それを食らおうとする。だが長剣はいつまでもその輝きを保ったままだった。

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