第04話(SIDE B)


「それじゃ早速だけど」


 と総司が一同を見回し、四人はそれぞれの場所で楽な姿勢となって総司を見つめている。


「この『永遠の楽園』とかいう、ふざけた名前の迷宮を散々歩き回って一日半」


 転生トラックにぶつけられた(?)のが何時なのかは正確には不明だが、異世界間の移動に時差がなくスマートフォンに誤差がないとするなら、それは午前一〇時三〇分となる。そして今は一九時三〇分、経過したのは三三時間。歩いた距離はどんなに短くても一〇キロメートル、おそらく二〇キロメートル超。戦闘は三回、遭遇したモンスターは三種類、手に入れたアイテムは二つ、それらがこの探索の成果だった。だが彼等はモンスターと戦ったりお宝アイテムを手に入れたりするために迷宮探索をしているわけではない。全ては元の世界に帰るため、その手がかりを掴むため――問うべきはその成果だった。


「何でもいい、何か気が付いたことや気になったことは?」


 発言を促すが四人は首をひねるばかりで意見が出てこない。総司は「ちょっと漠然とし過ぎか」と判断し、


「向日」


「わたし?」


「正直に言ってくれていい。この迷宮をどういう風に思っている?」


「うーんと、なんか遊園地のアトラクションみたいだな、って」


 葵ちゃん、と苦笑する里緒だが、


「うん、いい着眼点だと思う」


 と総司が言い出したのでびっくりしてしまった。


「今のが?」


「うん、だって俺も同じように感じているから――『なんかすっげえ嘘くさい』って」


 吐き捨てるような強い語気に里緒と葵は顔を見合わせた。


「嘘くさいってどういう意味だ?」


「作り物っぽいって言うか……いや人工物なんだから作り物なのは当たり前なんだけど」


 どういう順序で説明するか検討した総司は「ちょっと回り道になるけど」と前置きした。


「元の世界には迷宮なんてフィクションの中にしか存在しない。その起源をたどればギリシア神話のラビュリントスになると思う」


 クレタ島のミノス王は素晴らしい白い雄牛を捧げるとポセイドンに約束し、その支持を得て王となった。が、ミノス王はその雄牛を失うのを惜しみ、別の雄牛を生贄として捧げてしまう。怒ったポセイドンは王妃に呪いをかけ、王妃が雄牛の子供を身籠るように仕向けた。こうして生まれたのが人身頭牛の怪物、ミノタウロスである。

 ミノス王は迷宮ラビュリントスを建設してその奥にミノタウロスを閉じ込め、それを鎮めるために九年に一度七人の少年と七人の少女を生贄として捧げた。英雄テセウスは三度目の生贄に自ら志願し、迷宮に踏み込んでミノタウロスを退治。その後はミノス王の娘・アリアドネからもらった毛糸をたどって脱出したという――


「そういう話だったんだ」


 と若葉と葵が感心する。迷宮、ミノタウロス、アリアドネの糸。それぞれの単語は聞いたことがあってもまとまった知識として触れたのは初めてかもしれなかった。


「ゲームでは迷宮が『ダンジョン』と呼ばれることがあるけど、どう違うんだ?」


「ダンジョンは『地下牢』って意味」


 「ダンジョン」は古フランス語の「君主」から派生した言葉で、最初は城砦の中で最も重要な砦「天守」を意味する言葉だった。もしもの場合は君主が立てこもる最後の砦のため最も堅牢に作られた場所で、後に君主が別の場所に豪華な居城を作るようになってからは囚人を収容する施設として使われるようになったという。ここから城の地下牢や地下納骨堂をダンジョンと呼ぶようになり、後にゴシックホラーの舞台となる。


「古城の地下には怪物が棲み着き、財宝が隠されている」


 そんな俗説が生まれ、やがてそれがテーブルトークRPGに取り入れられ、さらにそれがコンピュータゲームにも引き継がれる。それこそが我々の知る「ダンジョン」である。このゲームの「ダンジョン」が形となる上でギリシア神話の迷宮の影響があったことは言うまでもないし、史実にも影響されていることだろう。


「史実?」


「たとえばピラミッド発掘とか」


 ツタンカーメンの呪いは実際のところは単なる都市伝説の類だが、盗掘防止のために罠が仕掛けられた墳墓は現実に作られていた。地下遺跡を探検していて落盤のような事故に遭ったとか、遺跡に棲み着いた毒蛇に咬まれたとかもあったことだろう。これらの事故もまたゲームのアイディアとして採用されることとなる。


「『ロードス島戦記』は日本最初のテーブルトークRPGで後にコンピュータゲームになり小説になりアニメになったけど、後発に与えた影響は途轍もなく大きい。後発の作品でこれの真似をしていないものはない、って言っていいくらいだ。『ロードス島』って『ダンジョンを探索してモンスターを退治してお宝を手に入れる』ってパターンが多いんだけど、この『ダンジョン』が何かといえば古代遺跡だ。古代に隆盛を極めた魔法王国の遺跡。戦乱で魔法王国が滅亡を迎える中、魔法使い達は研究成果を居城や研究施設の奥底に隠し、それを守るモンスターを配置した。そして彼等が滅んでから何百年も経って――」


「冒険者がその遺跡を探索する、と」


 総司が「そういうこと」と頷いた。


「それと、ダンジョンで手に入れられる便利アイテムは本来は他の冒険者が残していったものだったんだ。自分達より先にそのダンジョンに挑んでモンスターに殺された冒険者の装備品。探索中にそれを見つけて拾っていく、元々はそういう設定だった。でも――」


 ロードス島戦記以降、「冒険者がダンジョンを探索してモンスターを退治してお宝を手に入れる」パターンがゲームや小説でくり返しくり返し描かれ、やがては「ダンジョンが元々は何だったのか」という背景が軽んじられ、ほとんど忘れ去られることとなる。ダンジョンとは「モンスターが湧いて出てお宝を手に入れられる」場所となったのだ。


「もちろん背景をしっかり設定している作品も多いけど、そうじゃない代物が一体どれだけあることか。他にはたとえば『ダンジョンとはドラゴンの棲処で、人間の冒険者を誘い込んで捕まえるためにこうなっています』とか『ダンジョンとは人間に対する試練として神様によって作られた場所です』とか、安直なものになると『ダンジョンとはダンジョンというモンスターなんです』とか」


「三島が安直な小説を嫌いなのは判ったけど」


 匡平の言葉に総司は「いやいや」と慌てて手を振った。


「設定が手抜きでも面白い小説はたくさんあるし、設定が死ぬほど凝っていても話がつまらなければしょうがない。極論すれば小説は『面白いかどうか』が全てで、設定が凝っているかどうかなんて二の次三の次の話なんだ」


「さらに話がずれてない?」


 その指摘に総司は咳払いし、仕切り直した。


「回り道が長くなって申し訳ない、話を戻そう。俺が言いたいのは『この迷宮が何なのか?』ってことだ」


 その問いに四人は再び顔を見合わせた。


「……古代の遺跡? このカバンや鏡は以前の冒険者が残していったもの?」


 里緒が疑わしげに、独り言のように言い、総司は「話にならない」という顔で首を横に振った。


「要するにこの場所が何のために作られたのか、それが判らないってことか」


 総司は「ああ」と頷き補足する。


「建築物には建設した側の思想や目的が込められるもののはずなのに、この迷宮からはそれが全く見えてこない」


 例えば荘厳な神殿であれば「神の権威を地上に示すため」。壮麗な巨城なら「権力者の権勢を歴史に残すため」。ショッピングモールにだって「お客様に楽しんでほしい、また来てほしい」という思いと商売っ気が込められていることだろう。


「向日が『遊園地のアトラクションみたいだ』って感じていて、俺も似たようなことを思っている。つまりこの迷宮は『迷宮であること』自体が目的なんじゃないか。俺達に迷宮探索をさせること自体が目的で建てられたんじゃないか――しかもそれは『ダンジョンとはモンスターが湧いて出てお宝が手に入れられる場所である』という、最近の傾向そのままに作られている」


「さすがにそれは……」


 と匡平が否定的な口調で何か言おうとし、


「うん。さすがにそれは馬鹿馬鹿しい」


 と総司はまず自分でそれを認め、その上で「でも」と逆接した。


「今ある情報だけだとそうとしか思えない」


「でもいくら魔法の異世界でもそんな場所をわざわざ作るなんて……いえ、異世界だからこそあり得ないんじゃないでしょうか」


「うん、確かにあり得ないと思う――ここが本当に異世界なら。ここが本当に現実なら」


 総司の言葉に一同が沈黙し、それは思いがけず長く続いた。


「……えーっとつまり、ここはゲームの中ってこと?」


「いわゆる仮想現実の中なんじゃないかって、俺は本気でそれを疑っている」


 葵と里緒が困惑の極みといった顔を見合わせ、


「大体何なんだよこれは!」


 魔法のカバンを叩いて強く怒鳴る総司に首をすくませた。


「いくら魔法だからってデタラメすぎるだろうこんなの。どういう仕組みで空間を拡張しているのか説明してみろ! 中にブラックホールでも入っているのか!」


「どこか他所にある倉庫につながっているとか?」


「ダークエネルギーを制御してワームホールを作っているのか。すごいな魔法」


 嘲笑するような物言いに葵はためらいがちに、


「あの、それじゃわたしの祝福はどうなるわけ?」


「冗談も大概にしろよって思っている」


「うわ冗談にされちゃった」


「こんなのは魔法でもあり得ない。あり得るなら、現実じゃなく仮想現実の中だけだ」


 断固として明言する総司に対し、匡平が疑問点を追求する。


「確かにトラック転生よりは現実的かもしれないけど、それはファンタジーがSFになっただけだろう。ここまで本物と区別のつかない仮想現実の技術なんてテスラでもグーグルでも持っているはずがない」


「二〇二三年にそんな技術が存在するはずがないっていうのはその通りだと思う。でも今が二〇二三年だって保証がどこにあるのか? 『マトリックス』って映画を見たことがなくてもあらすじくらいは聞いたことがあるんじゃないかな。『マトリックス』っていうのは作中の仮想現実世界の名前で、その仮想世界は西暦二〇〇〇年頃で設定されていたけどその外側の現実はずっと未来になっていた」


「そこまで疑い出すとキリがなくない?」


 葵の端的な指摘に総司は目が覚めたような顔となって苦笑した。


「……確かに。ろくな根拠もなく状況証拠だけで仮説を弄んでも明後日の方向にすっ飛んでいくだけだった」


「これは現実だと思う」


 これまで沈黙を守っていた若葉が明言し、総司が「根拠は?」と問う。


「この世界に来てからここまで殺してきたリザードマン。あいつ等一匹一匹、全部違っていたから」


「違っていたとは?」


「わたしを軽侮する奴、憎む奴、恐れる奴。強い敵に敬意を抱いて剣を向けてきた奴もいた。わたしに立ち向かう奴、逃げようとする奴、仲間を盾にする奴、命乞いをしようとする奴もいたし、仲間を殺されて怒り狂って襲いかかってくる奴もいた。あいつ等一匹一匹には全部違う、個性と人格があった。あれがただの作り物だとはわたしには思えない」


 その説明を総司は否定も肯定もできず、難しい顔となっている。


「それに殴った感触もこれまでにないものだった。内臓の位置も骨格も、筋肉の質から人間のそれとは全くの別物。似ている動物も思いつかない」


 映画の「マトリックス」レベルの仮想現実ならそのくらいのNPCを作れるかも――その反論を総司は内心だけにして保留する。葵が言うようにそこまで疑い出したらキリがなく、またそのレベルの仮想現実ならそれを「現実」と見なしても何も問題はないように思われた。


「ここを『ゲームの中だ』って思い込んで油断して殺されるよりは、『現実だ、死んだら取り返しがつかない』って認識して慎重に行動するべきだろうな」


 確かに、と葵や里緒が頷き、総司もまた異存があるはずもなかった。


「……何にしても情報が足りない。判断材料がないことにはどうにもならない。他に何か気になることはないか?」


 総司の改めての問いに、里緒がためらいがちに「あの」と手を挙げる。


「わたし達が最初にこの迷宮にいた場所に……クラスの人全員がいましたか? あの場にいなかった人がいたんじゃないでしょうか」


 その疑問に葵は「おお」と目を丸くし、匡平と若葉が真剣な顔を見合わせる。そして総司は自分の記憶をたどって脳内のクラスメイト名簿に順番にチェックを入れていった。


「島本がいなかった」


「安土譲治も」


「それに大海も」


 五人が互いに記憶を突き合わせ、その結果クラスメイト三三人中三人があの場にいなかったことが判明した。そのメンバーは、女子は島本水無瀬しまもと・みなせ、男子は安土譲治あずち・じょうじ、それに大海千里おおみ・せんり

 島本水無瀬は総司と一緒にクラス委員をやっていた。学力テストでは毎回総司とトップを競い、総司とは違ってスポーツも得意な文武両道の万能少女だ。女子の中では一番親しくしており、彼女がいてくれたならどんなに心強かったかと総司は思わずにはいられない。

 安土譲治は素行に問題のある男子だった。スクールカーストの中では上位の陽キャグループに一応所属していたが、はたで見ている限りでは「お情けで入れてもらっているだけ」のように感じられた。中学時代に陰湿ないじめをしていたという話で、そのいじめの標的となっていたのが大海千里である。


「あのバスにいた人間、ってことなら稲枝先生もいない人に含まれますね」


 教師の稲枝は三〇代半ばの女性。ものを教えるのが下手で生徒の好き嫌いが激しく露骨なえこひいきをするため、生徒からは大いに嫌われている。自分への不満を逸らすために生徒の一人を標的に選んでいじめを促す、という真似をこれまで何度もしていたという話で、今回標的に選ばれたのが大海千里。その尻馬に乗っているのが安土譲治だった。もっとも、総司達のクラスではその目論見は必ずしも成功していなかったのだが……


「それだとバスの運転手さんもいない人になるけど」


「……そうなっちゃいますね」


 総司もさすがにバスの運転手の名前までは記憶になかった。覚えているのはかなりの年配の男性で、態度が横柄でいい印象がなかったことくらいだ。

 ともかく、一緒にあった荷物のことを考えるとバスごと異世界転移した可能性が高く、そうなると何故あの場に島本達五人がいなかったのかが謎となる。


「……こういうパターンだといない人の中の誰かが黒幕だったりするんだけど」


「バスの運転手さんが?」


「そりゃ斬新だな」


 さすがにそれは冗談だとしても、他の四人にしたってこの事態の黒幕である可能性はバスの運転手と同程度。現状では何の根拠もない、ただの言いがかりだった。


「……今のところはこんなものかな」


 他の四人に説明することで疑問点が整理され、また他の着眼点も提示されたわけで、実りある議論ができたものと思う。より一層検討を深め、真相にたどり着くにはより多くの情報が必要で、つまりは探索を続けるしかなかった。


「今日はもう休もうか。明日もまた歩き回らなきゃいけない」


 五人はその広間のそれぞれの場所で就寝する。総司は横になりながらも情報の分析を続けている――「帰れないかもしれない」、その可能性から目をそらすように。


「元の世界に帰る、絶対に」


 だが一度生まれた不安は容易に消えることはなく、総司は遅くまで寝入ることができなかった。

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