第03話(SIDE B)


 総司達五人が「永遠の楽園」と呼ばれる迷宮に囚われて二日目、時刻は午後三時頃。


「ふむ」


 その場所は壁が石材で覆われておらず岩がむき出しになっており、総司がそれに手を添えて解析をかけた。


「何十万年も前に誕生した鍾乳洞……この迷宮はその天然の鍾乳洞を利用・拡張して設置されているものと思われる」


 解析結果を興味深げに検討する総司だが、


「委員長、先に進もう」


 若葉に急かされて前へと歩こうとし、すぐに足を止めた。立ち止まった葵が前方を見据え、顔をしかめている。


「……向こうからなんか変な臭いがする。嫌な臭い」


「モンスターかもしれない。向日と高月はポジションチェンジ、警戒しながら進もう」


 若葉と匡平が前線に立って戦闘態勢となり、五人は慎重に前進した。百メートル近く進み、葵の感じた「嫌な臭い」を他の四人もまた嗅ぎ取れるようになる。


「これは……」


 顔をしかめて鼻を押さえる総司。あまりの悪臭に里緒や葵は吐きそうな顔だ。若葉や匡平にしても、涼しい顔を維持するのは困難だった。


「……声が聞こえる。モンスターの啼き声か?」


「どうする、三島。正直言ってこれ以上は気が進まない」


 総司は手書きの地図に一瞬目を落とし、即断した。


「さっきのT字路まで後退。そこでモンスターを迎え撃つ」


 その消極的な姿勢に若葉も匡平も異議を唱えず、彼等は数十メートル後退した。そしてT字路の真ん中で万全の戦闘態勢を取り……短くない時間が流れた。


「……なかなか来ないな」


「一応近付いているみたいだけど……」


「何をちんたらしているんだ」


 若葉が苛立った様子を見せ、里緒や葵も緊張が長続きせず疲弊した顔となった。


「もう! さっさと来てとっとと若葉ちゃんに殴り倒されればいいのに」


 そのモンスターが葵の希望をかなえるべく姿を見せたのは、それからさらに短くない時間を経てからだった。葵は先ほどの軽口を心底後悔している。


「aaaaaa……」


「ooooo……」


 目を開けるのも困難なほどの悪臭をまき散らしながら、のそのそと歩いてきたのは――腐乱した死体だった。その数はざっと二〇近く。一体は顔の肉が崩れて眼窩から眼球がこぼれ、神経とかろうじてつながったその眼球が歩くたびにゆらゆらと揺れていた。一体は腹が破れ、その内部はほとんど空洞だ。わずかに残った腸が垂れ下がり、それを引きずって歩いていた。一体は腱が溶けて顎が外れて大口を開けたままで、そこから延々とうめき声を上げていた。その一体だけではない。それ等は全て声を、悲鳴を、啼き声を上げていた。まるで腐り果てた神経で、肉が崩れるのを未だ感じているかのように。まるで無残な我が身を嘆き、殺してほしいと懇願するかのように――

 あまりにおぞましい光景に、総司は必死に吐き気を堪えている。葵と里緒はうずくまって目と耳と鼻をふさいでいて、とても戦える状態ではない。若葉と匡平は戦闘態勢を維持しているが、


「倒すのは難しくないけど」


「あんなのを斬っても剣が汚れるだけだろう」


 剣(拳)が汚れるのを二人が厭うのは比喩ではなく文字通りだった。それでも敵が襲いかかってくるなら迎撃しないわけにはいかないが、


「……このままやり過ごそう」


 その動く死体の集団――見た目のままにゾンビと呼んでおくが、それ等からは総司達を襲おうという意志を感じられなかった。総司達はT字路の横道に入ってゾンビ集団の動きをうかがう。ゾンビ集団はのそのそと、もたもたと歩いていき……総司達の前へとやってきた。そして彼等が一斉に横を向いて総司達を見つめる。


「!」


 そこから一歩でも横道側へと動こうものなら刹那の間もなく若葉の拳が火を噴くところだったが、彼等の足は向きを変えなかった。そのまま総司達が元いた方向へと進んでいき、彼等とは距離が空く。それが徐々に広がる。ゾンビ集団は総司達の目の前を通り過ぎ、過ぎ去っていく――ただ、いつまでもずっと総司達の方へと首を向け、未練がましく見つめ続けていたけれど。


「はあーー……」


 葵が大きな大きなため息をつく。戦ったわけではないのにそれと同等以上に精根を使い果たしたかのようだった。


「……行っちゃいましたね」


「あんなのとやり合わずに済んだのは幸いだったけど」


 安堵した里緒と、いまいち腑に落ちない様子の匡平。疑問を募らせているのは総司も同じである。


「……モンスターにはアクティブエネミーとノンアクティブがいるらしい。その差は何だ? 何か意味があるのか?」


 得られた情報はごくわずか、疑問や不審は積み上がるばかりだ。もっと情報を手に入れるためにも彼等は前へと進むしかなかった。

 その後も彼等は歩き続けて、ある地点でリザードマンの雑兵集団と遭遇。敵集団は三〇人以上いて、さらにそこは他よりも通路の幅が広かった。さすがにこれは分が悪いと総司は頬を引きつらせる。


「後退! さっきの坂道まで後退!」


 総司達が一目散で逃げ出し、リザードマンがそれを追う。必死に逃げる五人だがその速度の上限は里緒であり、はっきり言えばかなりの鈍足だ。何とか目的地点までやってきたときには最初にあった何十メートルかの彼我の距離はほとんどゼロとなっていた。それでもぎりぎりで敵の手を逃れ、総司達は通路の側面にぽっかりと空いた穴に身を躍らせた。

 そこは円形の通路で、直径二メートルほど。三〇度ほどの傾斜で斜めに迷宮を何階層か貫いている。通路というより通気口か何かの配管のように感じられる場所である。総司達はそれを一気に上階まで駆け上がり、しんがりの若葉はその坂道の中腹に仁王立ちとなった。


「タイマンでわたしに勝てるとでも?」


 この通路幅ではリザードマンは若葉に一対一で戦うしかなく、そしてタイマンなら若葉の独壇場だった。リザードマンは順番に一人ずつ若葉に挑み、大抵は一撃で倒されて坂道を転がり落ちていく。無理矢理二人で戦おうとした連中は充分に身動きが取れず、やはり二撃で退けられていた。


「……もう若葉ちゃん一人でいいんじゃないかな」


「本当、デタラメだな」


 その戦いを見守ることしかできない総司達は、「何とか手助けできないか」と最初は切歯扼腕していたが、今はもうほとんどただの観戦気分だった。この調子なら敵兵三〇余名を一人で撃退するのも時間の問題――


「な、なに!?」


 振動と轟音、そして坂道の上から――直径二メートルほどの岩が転がり落ちてきている。


「昔の映画か!」


 思わず突っ込む葵だがそれどころではなかった。岩は完全に球体で通路の直径とほぼ同じ、通路内にいては回避しようがない。


「若葉ちゃん!」


「早く!」


 若葉が一気に坂道を駆け上がり、リザードマンがそれを追う。坂道を蹴って跳躍し、さらに三角跳びのように壁を蹴って上階部分へと身を躍らせて入り込み、その勢いのまま床を数回転。岩の球体が目の前を通り過ぎたのはその直後であり、何匹ものリザードマンがそれに潰されて平面と化していた。


「焦った、リザードマンとやり合うよりずっとやばかった」


「間一髪だったな」


 若葉は床に転がったまま大きくため息。総司達もまた安堵の吐息を漏らした。

 リザードマンの雑兵集団は壊滅状態となり、それでも何匹かが生き残っている可能性があった。できるだけこの場から離れた安全な、一夜を明かせる場所を探して歩き続けて、


「ここ、休むのにちょうどいいんじゃないでしょうか」


「確かに。何かセーブできそう!」


 葵の感想に総司が苦笑する。そこは無数にある迷宮の一室で、中央には大きな噴水が設置されていた。石の水槽は円形で滔々と水を湛え、その中央には瓶を担いだ女性の石像が二つあって、そのうち一方の瓶から湧水が滾々とあふれ出ている。


「いいんちょ、この水飲めそう?」


 その問いに「ちょっと待って」と総司が湧水を解析。


「うん。毒も微生物もなし、問題なく飲める。ただ……」


「ただ、何だ?」


「気になって飲めないじゃん」


 その苦情に総司が「ああ、ごめん」と謝った。


「ただ、水がかなりの魔力を帯びていてそれが気になっただけだ」


「魔力?」


「うん。そうとしか言いようのない、未知の何かエネルギーっぽいもの。この迷宮にはあちこちで水が流れているけど、見たところ全部に強い魔力が宿っている。魔力の塊と言っていいくらいに」


「ここが地下なら水があふれていてもそれほど不思議じゃないと思います」


 里緒の指摘に総司も「そうだな」と頷く。東京やニューヨークの地下鉄には日々大量の地下水が流れ込んでいて、それをポンプで揚水しているという。もし全ての電気が止まったならそれらの地下鉄や地下街が水没するのに数日しかかからない、という話を何かで聞いたことがあった。


「この水もそういう地下水なのかもしれない。それを魔法のポンプで揚水して排水して、それと同時に水に魔力を付与して迷宮全体に循環させて……多分この水路は迷宮を構成する魔法陣の一部で、さっきのようなトラップに動力を供給する役割も担っているんだろう」


「ふむ、なるほど」


 とすごくもっともらしい顔で頷く葵だが、彼女の理解のほどは別の話だった。


「じゃあこの水路をたどっていけば迷宮の心臓部を見つけられる?」


「祝福で迷宮全体を解析した方が早いんじゃないのか?」


 匡平の提案に総司は「いや、それは」と困惑した顔となり、


「さすがにそこまで便利でも強力でもない。解析できる範囲は広くてもこのくらいだ」


 と軽く両手を広げる。匡平も単なる思い付きだったようでさほど落胆の様子もなく「そうか」と返すだけだった。


「祝福にできることは限られている。自分本来の力をフルに使わないと――」


 と何気なく彫像を見上げた総司が、そのまま沈黙する。


「どうした?」


「『自分本来の力』で何か気付いたのかな?」


 総司の本来の力とはすなわち、観察力と分析力だ。総司が静かに彫像を指差し、


「あの瓶、水が出ていない方。動かせそうじゃないか?」


 あ、と目を丸くする一同。葵が祝福の跳躍で彫像に取り付き、その瓶を取り外し、それを持ったまま再び跳躍。一同の輪の中へと戻ってくる。


「いいんちょ、早く早く」


「判った判った」


 葵に急かされてその青銅の瓶に解析を使用する総司。瓶自体には何の仕組みも罠もなく、ただ中に何か入っていただけである。中に入っていたのは、古めかしい意匠の手鏡だった。楕円形の鏡に柄が付いており、大きさは卓球のラケットを細長くした程度。


「手鏡?」


「多分……いや、間違いなく魔法の鏡だろうけど」


「世界で一番きれいな人を教えてくれるとか?」


 総司はその手鏡を解析し――勢い良く立ち上がった。力のあまりそれを握り締める手が震えている。総司はこれをへし折りたい衝動を抑えるのに自制心を総動員しなればならなかった。


「委員長?」


「またトンデモアイテムだったみたいだな」


 深呼吸を何度かし、何とか折り合いをつけ、自分が一同の視線を集めていることに気が付いた。今回も口で説明するより実際に見せた方が早いと判断。魔法のカバンからコンビニのおにぎりを取り出して床に置き、それに鏡を向けて、


「増えろ!」


 鏡を強く揺らすとその拍子に鏡面が水面のように揺れ、そこから一個のおにぎりが転がり出てくる。おにぎりが床を転がって二つ並び、どちらが元からあった方か増えた方か、区別がつかなくなった。

 総司はさらに菓子パンやシリアルバーや袋菓子、清涼飲料をその手鏡で増やしまくって、五人の前に食料が山盛りとなった。


「とりあえず晩御飯にしよう。節約しなくてよくなったから好きなだけ食べていい」


 そう告げる総司が自棄になったかのような勢いでおにぎりにかじりつき、少しの間顔を見合わせていた他の四人だがまず若葉が、次いで匡平が続き、葵と里緒も三人に倣った。


「ディズニーかと思ったらドラえもんだった件」


「本当に何でもありなんですね……質量保存則はどうなっているんでしょう」


「多分材料はあそこからだ」


 と総司は水の流れを視線で指し示した。


「必要な素材は水路で輸送・供給しているものと思われる。魔法のカバンもそうだけどこの手鏡も、これそのものには通信機程度の機能しか備わっていない。実際の処理は別の何か――多分この迷宮自体が担っているんだろう」


「なるほど」


 と若葉や葵が頷いているが、仕組みには興味がないような様子だった。


「でも助かる。リザードマンに殺られるより先に飢え死にするかどうか、だったからな」


「最悪あいつら食うべきかと思っていた」


 若葉の言葉に総司が「いや、それは……」と引いた顔となった。


 ……散々飲み食いし、五人はこの迷宮にやってきてから始めて満腹の感覚を覚えている。


「はあー、食った食った。余は満足じゃー」


 と床に大の字となる葵と、その様子に苦笑する里緒。


「でも、サラダやフルーツもほしいですね」


「炭水化物と糖分ばっかりだしな。こんな食事が続くのは身体によくない」


「肉、肉が足りない。肉を食いたい」


 と深刻に呟く若葉は飢えた野獣の目で何かを考え込んでいる。


「リザードマンを煮て食うか焼いて食うか、って顔になっているぞ。腹を壊しそうだから止めた方がいい」


 総司の邪推に若葉が「なんでやねん」と突っ込み――裏拳を鳩尾に叩き込み、総司が悶絶した。


「肉か……ワンカルビの焼肉」


 匡平の呟きがそこに刺さったように、若葉と総司は胸を押さえた。


「ブロンコビリーのステーキ。天下一品のこってりラーメン。王将の炒飯と餃子」


 その一言一言に殴られたような反応をする若葉と総司。なお匡平もまた自分の言葉にダメージを受けている。


「……お母さんのシチュー」


 里緒の呟きに匡平達が気まずそうな顔となった。そのまま一同が沈黙し……すすり泣く声だけが聞こえてくる。里緒は抱えた膝に顔を埋め、肩を震わせた。


「帰りたい……帰りたい……帰りたい! 殺し合いなんてもう嫌、わたしはこんなことのためにバイオリンを続けてきたんじゃない! お母さんとお父さんに会いたい……!」


 葵が里緒を慰めようとしてその肩に触れ――こらえ切れずに大粒の涙を流す。


「帰りたい……!」


 葵と里緒は抱き合い、そのまま泣き続けた。総司達は二人にかけるべき言葉を持たず、ただ目を逸らすだけだ。総司にしても「帰りたい」という思いを、彼女達に負けず劣らず抱いている。総司だって子供のように泣き喚きたかったが泣き言を聞いてくれる相手がいないなら仕方なく我慢しているだけである。


「でも……どうやったら帰れるんだ? もしかしたら帰る方法なんかなくて、この先ずっとこの迷宮を彷徨うことに」


 自分の想像に身を震わせる総司。彼は今、まるで生きたまま棺桶に詰め込まれて埋葬されたかのような恐怖を覚えている。もしこの迷宮に出口も何もないのなら、好きなだけ身動きができる分何万倍もマシであっても、本質的には棺桶と何も変わりはなかった。


「帰りたい、じゃない。帰るんだ」


 ろくでもない予想を破り捨てるように、総司がその決意を声にする。一同の視線が自分に集まったことに気付かないまま、総司はそれをくり返した。


「何としても元の世界に帰る。こんな場所でくたばるなんて冗談じゃない、絶対に元の世界に帰ってやるんだ!」


「そういうことだな」


 と匡平が葵と里緒に笑いかけ、二人は目に涙を溜めたまま匡平を、そして総司を見つめた。


「で、でも……帰れるの? どうやって?」


「帰れないかも、なんて考えたって仕方ない。どうやってかは」


 若葉は一見素っ気なく、だがその内側に確固たる信念をこめて、


「委員長が考えてくれるから」


 総司と葵と里緒はずっこけそうになった。


「人任せかよ!」


「わたしはほら、肉体労働担当だから。頭脳労働は任せた」


「これでギャラはおんなじー」


 葵は自分の冗談に自分で笑い、里緒もまた笑顔を見せた。そして総司も苦笑する。


「……戦闘で寄与できない分そっちで頑張るのは当然だしそのつもりだけど、虎姫や他のみんなが何も考えなくていいってことじゃない。みんなも意見や考えや、気が付いたこと気になったことは何でも言ってほしい。俺一人じゃどうしたって視野が狭くなって見落としが出てくるし、見当違いの仮説を『こうに違いない』って思い込んで他の可能性を無視する、ってこともあるかもしれない」


「それで少しでも早く帰れるのなら」


 若葉がそう言い、匡平や葵や里緒もまた大きく頷き、理解と了解を示した。

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