卑しい女が出てくるラブコメ

㈱榎本スタツド

とある野球回

 炎天下。

 第二グラウンド。

 3人。


 この3つの語だけで、僕たちが大したヤツではないことはわかると思う。

 だって、優雅でありたいなら炎天下の外に出て汗だくになろうとはしない。

 実力者なら第二グラウンドに追いやられることはない。

 そしてなにより、無駄に広いグラウンドに3人しかいない。3人でできることなんて神経衰弱がせいぜいだ。


 でも、僕たちはさびれたグラウンドでカードゲームをしているわけではなく、たった3人で野球をしていた。


「センターいくよー!」


 バッティングゲージから女子の甲高い声がする。

 金属バットを肩に担いだ女子はスイングに入り、ガキンという鈍い音を鳴らした。

 ふらふらとボールはポップし、ポトリとセカンドベース後方に落ちた。


「センター追えー!」


 打った本人は必死に叫んでいるが、どう考えてもセンターの守備範囲外だ。

 あんな打球に追いつけるのならこんな所でもたもたしている場合ではなく、一刻も早くNPB球団のどこかにドラフト指名してもらうべきだ。

 しかし、守備に就いているのは僕一人で、このグラウンド内にはセンターという概念はなく、飛んできたボールはすべて僕が拾わないといけない。

 だから、どんな場所に飛ぼうが捕球者はセンターであり、もしスコアブックをつければ打球結果はすべて中○○で埋め尽くされるだろう。

 そんなところにまでスカウトの眼は届かないだろうから、来年のドラフトも絶望的だ。


「もうやめませんー?」


 そう提案した僕は、とぼとぼとボールのもとへ歩いていき、捕球すると軽ーくバックホーム。

 バッティングゲージでミットを構えている小柄な女子に返球した。

 最初はおびえていてキャッチボールもできなかった子だったが、この2時間の間にミットが似合うようになった。

 ボールは2バウンドでホームに届きミットが軽く鳴った。


「あと何球かしたらねー」

「もうイヤです」


 僕はしれっとバッティングゲージのもとへと戻ってきていたのだった。

 するとキャッチャーミットを構えていた女子が、僕にタオルを渡してくれた。


「お疲れ様、シュウ君」


 その小柄な女子は古野知愛。

 僕の中学の頃の同級生らしく、転校してきてから何かと世話を焼いてくれている。

 僕がこの何もしない部活に入部することになったのも彼女のおかげであり、彼女のせいでもあった。

 捨てる神あれば拾う神ありと言うけれど、彼女はその両方を担っていて、他の神様よりも2倍お得だ。


「古野もお疲れ」


 僕が労いの言葉をかけると古野は「そんなことないよ」と謙遜したが、頬は緩み、笑みはこぼれていた。

 こういうわかりやすいところは神様みたいに気難しくないから好きだった。


「もーシュウは根性が足りんねぇ」


 一方でふてくされているのは、僕らのボスにして代表の真野真美子。

 真の美しい子という親の期待とは裏腹に、活発で軽く日焼けをした元気ハツラツな女子に成長していた。

 今日、炎天下の中、僕らがグラウンドに立っているのもマミコの思いつきによるものだった。


「シュウ! 私たちにはまだ青春が足りていないよ!」

「青春は不可算名詞じゃないんですか」

「そういう穿った物言いをするから、モテないのだよ!」

「……部長だって別にモテるわけではないでしょ」

「……ぐう」

「あ、ぐうの音だ」


 マミコ部長は青春という言葉に敏感だった。

 本来は内向的な性格をしているくせに、無駄に青春へあこがれていて、あれやこれやと手を出している。

 文科系の部活でもそれなりに青春はできるのだろうに、そんなことには気が付かず、今日も青春を無駄に消費している。


 今日も、何に影響されたのか知らないが、第二グラウンドの利用権が空いているのを発見したマミコは僕らに聞くこともなくグラウンドを確保したのだった。

 で、することも無いから、倉庫にあったバットとボールで野球ごっこをしていたのだった。


「ともかく! せっかくみんなで第二グラウンドを抑えれたんだから何かしないと思ったいないよ!」

「でも、3人でできることなんて限られているでしょ。野球するにしてもせいぜいキャッチボールにしときましょうよ。球拾いする身にもなってくださいよ」

「打つ方が楽しいもん」


 僕はその答えを聞いて、この人の青春希求念慮を抑えることはできないと悟り、水を飲みに倉庫へと向かった。

 倉庫の中にはトンボや猫車が放置されている。

 それらに交じってボロの野球道具もおいてある。

 いつからそこにあるのかはわからない。

 ただ、このグラブたちが「僕たちを使っておくれよ」なんていう向上心にあふれたグラブではなく、「けっ、とっとと失せな」というならず者であることは確かだった。

 ならず者にならば遠慮はいらないだろうということで、僕はグラブの入っていたかごをひっくり返し、その上に座って、水を飲み始めた。

 室温で温められた水ののど越しは最悪だった。キンキンに冷えた瓶コーラが100とすれば多分-10ぐらいだ。

 ぐっと飲んで、ぷはっと息継ぎをすると遅れて二人も倉庫へと入ってきた。


「今日も暑いね」

「知愛ちゃんも水飲んでね」

「真美子さん、ありがとうございます」


 二人はクーラーバッグの中から冷えた水を取り出し、チビチビと飲み始めた。冷えた水があるなんて知らなかった僕は、ぬるい水を捨て、どちらかから水を貰おうとした。


「部長、僕にもくださいよ」

「えー、もうないよ」

「それでいいんで」

「……え? これ? いやでも私口付けたし……」

「気にするんですか?」

「……えっ、あ、いや」


 しどろもどろになるマミコ部長。

 マミコが飲みかけを渡すのをためらっているのを察してか、今まで1dl/一口ずつぐらい飲んでいた古野が、僕にぽたぽたとしずくの垂れるボトルを差しだしてきた。

 ボトルについている結露の中に古野の小さな手形が付いている。


「……私のでよければ、いる?」

「え…………ああ、せんきゅ」


 僕は古野からボトルを受け取った。

 が、緊張してしまう。

 なぜなら古野はじっと僕の方を見ているから。

 まるで獲物を逃すまいとするチーターのような野獣の眼光である。

 僕はサバンナの草食動物のように。視界の端で古野のことをうかがうことしかできず固まってしまった。

 なお、この間、3秒の出来事。


「だ、だめー!」


 僕が逡巡していたわずかな隙をついて、マミコが僕が手に持っていた水を奪い取り、名実ともに浴びるように飲んだ。


「ぷふぁー!!」


 一気に飲み干したマミコはびしゃびしゃになっていたが、なにやら守り切った達成感に満ちあふれていた。


「二人とも! 回し飲みはよくないよ! 私たちの口には細菌がいっぱいいて、回し飲みは口内細菌をプレゼントしあっているみたいなものだからね!」

「それはわかったけど……真美子ちゃん、服透けてるよ!」

「えっ! えーっ⁉」


 もっともらしいことを語っていたマミコだったが、古野が濡れ透の指摘をすると手で胸元を覆いながら倉庫から出て行った。

 ……せっかく黙っていたのに。

 もう少し観察したい興味対象だった、実に興味深い。


「あわただしい人だな」

「だねっ」


 僕の呟きに古野が笑いながら賛同した。

 それで終わりかと思っていたが、古野は話を続けた。


「……また今度あげるね、お水」

「えっ、ああ、うん」

「だから、シュウ君も私にお水ちょうだい?」

「いや、水ぐらい別にーー」

「ーー私は飲みかけの方がいいな」

「は?」


 古野はそう言うと、僕の反応をうかがうこともなく、「ちょっと真美子ちゃんの様子見てくるね」と言って、さっと倉庫から出て行った。

 僕は倉庫に一人残された。


「いや、卑しすぎんだろ」

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卑しい女が出てくるラブコメ ㈱榎本スタツド @enomoto_stud

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