第24話 対決


 夜。

 リュミオール伯邸宅には通常時をはるかに超える警備態勢が敷かれていた。


 警護に就いている私兵は二百人以上。

 魔法国有数の大邸宅であることを考えても異例の人数が動員されているのは、ラヴェルが誰よりも裏切りを恐れているからだった。


 隙を見せれば背後から刺されるのが貴族社会。

 弱った者を切り捨て、地位を守ってきたラヴェルだからこそ、裏切りには強い恐怖と警戒心を持っていた。


 東門を警備する五人の魔導騎士たち。

 魔法国が誇る育成プログラムによって作られた兵種である彼らは、世界でも珍しい剣と魔法を組み合わせて使えるという性質を持っている。


 万全な警備態勢。

 指示通り警戒を続ける彼らの前に現れたのは、リュミオール家と深い付き合いのあるバティエン商会の荷馬車だった。


「訪問の予定はあったか」

「いえ、ありません」


 短く言葉を交わしてから、魔導騎士たちは荷馬車を取り囲む。


「どういった御用向きで来訪されたのでしょうか」

「実は、以前から旦那様が探しておられた貴重な迷宮遺物が競売にかけられるという話がありまして」


 荷馬車から降りて言ったのは、ラヴェルと懇意にしているバティエン商会の商会長だった。


 貴族社会では誰もが顔と名前を知っている大物の一人。


「申し訳ありません。予定されていないご訪問は原則として受付できない規則になっております」

「存じております。しかし、競売が行われるのは明日の朝なのです。もし競り落とすのであれば旦那様にもご助力をいただく必要がある。商会の資金だけで競り落とせるような小物ではないのです」


 商会長は言った。


「旦那様に事情をお話しください。ここで私を帰らせると、旦那様は烈火のごとくお怒りになりますよ」

「……承知しました。少しの間お待ちください」


 魔導騎士たちが確認を取ろうと反転したそのときだった。


 商会長の右手が消える。

 崩れ落ちる魔導騎士。


 息を呑んだのはすぐ隣にいた魔導騎士だった。


(なんて速さの手刀……目で追えなかった)


 戸惑いつつも後ろに下がり、距離を取りつつ攻撃態勢を取る。

 視界の端を横切ったのは、何かの影だった。


 荷馬車から降り立つ黒ずくめの集団。

 魔導騎士たちを取り囲み、傘と杖に仕込んだ麻酔針で無力化していく。


(いったい、何者……!)


 その答えを彼が知ることはなかった。

 黒ずくめの集団は、五人の魔導騎士全員が意識を失ったことを確認してから、彼らを拘束して馬車の中に運び入れる。


 しばらくして、出てきたのは馬車の中に入れられたのと同じ外見の五人の魔導騎士だった。


 彼らは東門を開ける。

 三人が商会長と共に門をくぐり、二人が外に残る。


 リュミオール家邸宅の広大な庭を進む商会長と魔導騎士。

 夜露に濡れた芝生。小さな雫に歪んだ荷馬車が映る。


 彼らに怪訝な視線が向けられたのは、邸宅の入り口でのことだった。

 正面玄関を警護する四人の魔導騎士が近づいてきて言った。


「どうした? 訪問の予定は聞いてないが」

「緊急のご用件でどうしても、と商会長様が。ラヴェル様に確認したところ通して良いとのことだったので」

「それなら構わないが……しかし、いつの間に確認を――」


 そこで言葉は途切れた。

 正面玄関を警護する四人の魔導騎士たちは一斉に気を失って崩れ落ちる。


 商会長と三人の魔導騎士が彼らを荷馬車に運び込む。

 待つこと一分少々。

 再び出てきた合計七人の魔導騎士は、正面玄関を開けて恭しく一礼する。


 そして、荷馬車の中から出てきたのは小柄な少女だった。


 美しい真紅のドレス。

 長い髪をたなびかせ、少女――ミーティア・リュミオールは堂々と正面からリュミオール家の玄関をくぐった。






 ラヴェル・リュミオールは毎夜七時半から食事を取る。

 好んで収集している貴重なワインを飲みながら、料理人が作るディナーに舌鼓を打つ。


 テーブル一面に並べられた料理の数々。

 二十種類以上あるそれらの料理を彼はほとんど食べない。


 平均して一口ずつ。皿が空になることは滅多にない。

 九割以上の料理が残り、後は残飯として処理されることになる。


 こうした食事のスタイルは貴族社会の中で決して珍しいものではなかった。

 むしろ、彼が属する超上流階級の中では一般的とさえ言って良い。


 如何に贅沢に金を使って過ごすことができるか。

 彼らはそれを競い合い、自慢し合うことをひとつの楽しみとしていた。


「料理長を呼べ」


 ラヴェルの言葉に、執事が一礼して部屋を出て行く。

 しばらくして、部屋に入ってきたのは小太りの料理長だった。


「いかがいたしましたでしょうか」


 彼の顔には、怯えの色があった。

 ラヴェルは感情のない声で言った。


「どうしてこんな退屈な料理しか作れない。お前には想像力というものがないのか?」


 料理長はびくりとふるえた。


「申し訳ございません。旦那様を楽しませられるよう懸命に努力しているのですが」

「それでこのざまか。救いようがない無能だな、お前は」

「本当に申し訳ございません。よろしければ、その……どこが退屈だったのか教えていただけないでしょうか。改善いたしますので」

「それを考えるのがお前の仕事だろう。そんな簡単なことすらわからないのか」


 響く罵倒の声。

 皿とコップが割れる音が響く。


 それはラヴェルにとっては楽しみのひとつだった。

 逆らえない相手をいたぶるのは心地良い。


 説教と罵倒の快楽。

 その行動は現状をよくするための手段ではなく、自身が気持ちよくなるという目的のために行われていた。


 罵倒は十分以上続いた。

 ラヴェルは料理長にマトンシチューの器を投げた。


 器が割れ、マトンシチューが料理長の頭を濡らした。

 額から一筋赤い血が流れた。


 そのマトンシチューは料理長が主人を満足させるために、十二時間煮込んで作ったものだった。


 ラヴェルは満足して私室に戻ることにした。

 老執事がすぐ後ろに付き添い、扉を開ける。


 点灯する魔導灯。

 慣れ親しんだ自分の部屋。


 しかし、そこには何かいつもと違うものが混じっているような気がした。

 違和感。


 部屋を見渡してラヴェルは気づく。


 ソファーに腰掛けた少女の姿に。


「お久しぶりです、お父様」


 自らの足を引く出来損ないの娘――ミーティアがそこにいた。






「どうやって中に入った」


 お父様の言葉に、私は肩をすくめた。


「私もリュミオール家の娘ですから。家に帰るくらい普通のことではないですか」

「お前のような出来損ないは私の娘では無い」

「ひどいわ。私はお父様のことをちゃんと私の父親だって思っているのに」


 私はいたずらっぽく笑って言う。


「私が来たのはお父様に、置かれている立場と振る舞いを教育してあげるためです。恵まれた立場を自分の力と勘違いし、横暴を繰り返して弱者を虐げる。見ていられない愚行と蛮行の数々。不本意ながら貴方の血を引く身内として、私は貴方の行いを正さなければなりません。だってこのままだとお父様はリュミオール家の恥以外の何物でもないのですもの」

「私が恥だと……!」


 お父様は声をふるわせた。


「よく言えたな、出来損ないの無能が……!」


 起動する魔法式。

 水魔法の弾丸が私の頬をかすめる。


 続いて、展開したのは弾丸の雨を降らせる魔法式。

 一秒間に六十発の速度で放たれる弾丸の雨は、私の身体を紙屑みたいに引きちぎれるだけの力を持っていて――


 しかし、弾丸の雨が放たれることはなかった。


 トリガーとなる詠唱ができなかったのだ。

 詠唱の言葉は、喉の奥にある水の塊に封じ込められている。


「あ……う……」

「《草木に水をやる魔法》。下級の生活魔法ですが、それでもたくさん練習して扱い方を工夫すれば、攻撃魔法として使うこともできるんです。人間なんて、コップ一杯の水で簡単に窒息しちゃうので」


 私は言う。


「残念でした。一対一では、私お父様より強いんですよ」


 崩れ落ちるお父様に、喉を塞いでいた水魔法を解いてあげる。


 お父様は床に手を突き、荒い呼吸を繰り返した。

 しばしの間呆然としてから、顔を上げ私を睨む。


「殺す……どんな手を使っても殺してやる……! 兵士たちを呼べ……!」


 慌てて老執事さんが兵士たちを呼びに行く。

 部屋に飛び込んできたのは身辺警護を担当していた魔導騎士たち。


 この屋敷で最も強い十人の精鋭だった。

 主人であるお父様を守るように取り囲む魔導騎士たち。


 この数を相手に一人で戦えるような力は私にはない。


「形勢逆転だな」


 お父様は言う。


「お前は簡単には殺さない。徹底的に痛めつけて、私に楯突いたことを後悔させてやる」


 押し黙る私を見下ろすお父様。


「どうした? 怖くて何も言えないか?」


 満足げな表情。

 勝利への確信。


「いえ。ただかわいそうだなって思っただけです」


 私は言う。


「だって、自分が置かれている状況に気づいてさえいないみたいなので」


 次の瞬間、魔導騎士たちの剣はお父様に向けられていた。


 何が起きているのかわからないという顔で視線をさまよわせるお父様。


「馬鹿な……どうして……」


 戸惑いの声。


 魔導騎士たちが、顔の皮膚をめくる。

 特殊な魔術繊維製の変装用マスク。


 その下から現れたのは、劣等種として見下していた領民出身のエージェントたちだった。


「お父様にご紹介しますね。貴方が劣等種だと見下してきた領民さんたちです」


 指を鳴らす。

 私室の隠し扉が開いて、中から現れたのは空っぽの金庫だった。


 貯め込んだ金貨の山も、絶対に奪われてはならない不正資料もすべて持ち去られている。


「お父様の財産と不正の証拠資料はすべて回収させていただきました。地位と名声と隠し財産のすべてを失い、囚人として過ごしたくなければ今後は私の指示に従って行動してください。安心してください。人として最低限文化的な生活はさせてあげます。私は優しいので」

「そん、な……」


 呆然と空の金庫を見つめて言うお父様。


「ありえない……こんなことありえるはずが……」

「残念ながら現実です」


 私はにっこり笑みを浮かべて言った。


「自分がしてきたことのツケを払ってくださいね、お父様」


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