第22話
日没まで残り1時間となり、皆の闘志は頂点へ向かい始めた。
偵察から戻ってきたマルーンを、ロゼッタは膝の上に座らせ、ただ黙って頭を撫でた。
その光景が、あまりに神秘的で心奪われたマンテーニャは訊いた。
「あれは?」
アロンツォは以前、ロゼッタと騎士団が合同演習を行った時の報告を受けて知っていた。ロゼッタがどのようにして聖獣と意志の疎通を図っているのかを。
「ロゼッタ様は聖獣が何と言っているのかわかるらしい」
「なるほど、不思議なこともあるものですな」
「魔獣の位置が分かりました」ロゼッタは地図に魔獣がいるエリアをマーキングしていった。
「これは!」地図を見てアロンツォが声をあげた。
「この領主館は包囲されています」逃げ場がないこの状況にロゼッタは兢々とした。
領主館には今、騎士100名と戦闘能力のない侍女や侍従たちが100名近くいる。
アロンツォは部下に指示を出した。
「日没まで1時間を切った、戦闘能力のない者に地下壕への退避命令を出す。ここで迎え撃つぞ」
騎士たちは戦闘準備を始めた。若く勇猛な騎士たちは、畏れをなすどころか今からくる強敵を嬉々として待っているようだった。
「アリーチェはどこへ?」姿が見えないアリーチェをロゼッタは心配した。
「食事の準備を手伝うと言って調理場に行きました」ジェラルドが答えた。
「ちょっと行ってくるわ、アリーチェを避難させないと」
「では我々も行きます」調理場へ向かうロゼッタをエルモンドとジェラルドは追いかけた。
調理場へ行くと、退避の報せを受けていないのであろう人たちが100名もいる騎士たちのために、パンを焼きスープを作ってくれていた。
「アリーチェ!」
「ロゼッタ様、何かあったのですか?」
ロゼッタはアリーチェをギュッと抱きしめた。
「この領主館は魔物に囲まれていますわ、地下壕へすぐに逃げて下さい、ここにいる皆さん全員、地下壕に避難を」
侍女たちは騎士たちと違い、皆が戦々恐々として、やっていたことを放り出し地下壕へと慌てて向かった。
「アリーチェ、さあ早く皆について行ってください、もう時間がありませんわ」
「ロゼッタ様、どうかご無事で」アリーチェはロゼッタの手をしっかりと握った。今生の別れとは思いたくなかったが、それでもアリーチェの目に涙が浮かんだ。
「心配いりまんわ、私には聖獣がついていますし、エルモンドもジェラルドもね」
アリーチェが屋敷の人たちと地下壕へ行くのを見届けてから、ロゼッタは迎え撃つ準備を始めた。
「ドジャー、ゴールデンロッド」ドジャーとゴールデンロッドが現れた。
日没まであと10分。
遠くに見える海岸線に夕陽が沈んでいく光景は格別に美しかったが、何故か今は命の期限が迫っていると感じた。
「殿下、来ますわ」
「総員戦闘用意!剣を構えろ!」アロンツォの声が夜のしじまに響き渡った。
地響きがし始め、多くの魔物がこちらへ向かってくるのが分かる。ロゼッタはびっしょりと汗に濡れた掌を、ズボンで拭いギュッと握った。
姿を現した魔物は、獣のような下半身に人間のような上半身、ロゼッタは身震いした。
大きな体躯は聞いていたよりもずっと恐ろしい。だが、怯むわけにはいかない。
ロゼッタは神聖力を魔物に向けて勢いよく放った。神聖力が当たった魔物は霞となり消えた。
——ボール投げは苦手なはずだけど、的に上手く当たってくれるのは魔物が大きいおかげね——
ロゼッタの操る聖獣たちも、魔物を次から次へと倒していった。
ドジャーは世界最速、鋭い爪をもち、獲物を掴むと同時に猛毒を放つ。毒性は強く瞬時に死に至らしめる。
ドジャーは刃物のような鉤爪を使い、魔物を切り裂いていった。
ゴールデンロッドは防御力世界最強、硬い体で体当たりはお手のもの、怖いもの知らずで自分より大きな相手でも勇猛果敢に向かっていく。
ゴールデンロッドに体当たりされたのならばひとたまりもない。その体は刃も効かない、毒も効かない、どんな攻撃にも耐えうることができる。
ゴールデンロッドは縦横無尽に暴れ回り魔物を片っ端から薙ぎ倒していった。
ドジャーの鉤爪も恐ろしいが、小さなゴールデンロッドが劣化の如く向かってくるほうが驚怖だなとジェラルドは思った。
魔物の数が多すぎるうえに動きが思いの外素早い、騎士たちも苦戦を強いられている、このままいけば、体力勝負となるだろう。体の小さい人間の方が不利だというのは、火を見るより明らかだ。
ロゼッタは未だ姿を現してくれない、世界最強の聖獣を召喚しようと、契約の陣を空中に描き出した。
「どうか上手くいきますよに、どうか手を貸して——シルバ!」
どーんという轟音とともに巨大な聖獣が現れた。
長い鼻と大きな耳が特徴で聴覚と嗅覚に優れ、その巨体で圧倒的なパワーを持つ、これぞ世界最強の聖獣。分厚い皮膚でどんな攻撃も跳ね返す。10tを超える体重で踏み潰されたなら、気づいたときにはあの世というありさまだ。
シルバは長い鼻をロゼッタに巻きつけ、その巨大な背に乗せた。
ロゼッタはシルバに跨り、『全速前進、踏み潰してくださるかしら』と命令した。
「ロゼッタ!」シルバの登場に呆気に取られていた、エルモンドは離れていくロゼッタの背に叫んだ。
「そこにいて!」
そこにいてと言われたからといって大人しく待つつもりは、エルモンドもジェラルドもなかった、しかし、前に進もうにも魔物に阻まれなかなか前に進めない。
そうこうしているうちにロゼッタとシルバは、一帯の森ごと根こそぎ踏み潰していった。
シルバとゴールデンロッドが暴れ回り、森を破壊し、ドジャーが切り裂いた魔物たちが領主館の周りを取り囲む光景は、凄絶な争いを物語っていた。
シルバは鼻を器用に操りロゼッタを地面に下ろした。
「ロゼッタ!」ふらつくロゼッタをエルモンドが走ってきて抱きとめた。
「心配いらないわ、ちょっと神聖力を使いすぎて力尽きてしまっただけよ、でもなんだか目の前に星が飛んでるわ。私たち魔物を倒したのよねエルモンド、やっつけてやったのよね?」
「一匹残らずやっつけたぞ」
「あら、私ってやるじゃない、まるでジアマッティの小説に出てくる女海賊のようだわ、そう思わない?エルモンド」
「恐ろしい女海賊だね」
「海賊船で生まれ育ったルナ、彼女は男として育ち、度重なる命の危機を潜り抜け、王子と出会い恋に落ちるの、海賊としてしか生きられないルナのために王子は身分を捨て船に乗り込む。そして甲板にたち、『愛するルナ!君に私の命を捧げよう』そしてルナと王子は口付けをかわすの、こんな風に——」
ロゼッタはエルモンドの唇をそっと指で触り、エルモンドはロゼッタの顔を引き寄せて、唇を重ねた。そのままロゼッタは気絶した。
「彼らはやっぱりそういう関係か?」アロンツォがジェラルドに訊いた。
「王太子殿下、違います、あいつ戦いの後で平静さを失ってるだけで——」
口早に友を庇おうとするジェラルドをアロンツォは身振りで黙らせた。
「誤魔化してやる必要はない、薄々気づいてはいたし、聖女が誰を好きになろうと、咎める者はいないさ、サルヴァトーレの妃にと願っていたから、一介の護衛騎士に奪われるなど腹立たしいがね」
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