第14話

 とうとう恐れていたこの日がやってきてしまった。聖女即位式!

 緊張のあまり全身から血がなくなってしまったような蒼白の顔は、まるで死人のようだとロゼッタは鏡を覗き込んで思った。

 手の震えが止まらない、こんな状態で聖獣をちゃんと召喚できるだろうか、こんな臆病者はごめんだと聖獣に見限られてしまうのではないだろうかと、恐怖に身が竦んだ。

 今日まで何度も繰り返し練習してきた。聖獣の召喚しかり、式の手順から、歩き方、姿勢に至るまで事細かに。

 ——アリーチェはよくできていると褒めてくれたし、きっと大丈夫。私なら上手くやれるわ。失敗することを恐れるから緊張してしまうのよ、豪胆になるって決めたでしょう。皆の命が私の肩にかかっているのだから、腹をくくるのよ、ロゼッタ!——

「ロゼッタ様、そろそろ大聖堂に移動いたしましょうか」

「ええ、アリーチェ、行きましょう」ロゼッタは震える足でしっかりと立ち上がった。

 前回、大聖堂に足を踏み入れたのは前教王の告別式だった。あの時は神官服を着て行ったけれど、やはり即位式ともなると服が豪華になる。

 エキナセアの花を象徴するような赤紫色のドレス、に金糸の刺繍、散りばめられたダイヤモンド、真珠のジュエリー、ダイヤモンドと真珠があしらわれたティアラ、とてつもなく重い。首がどうにかなってしまいそうだ。

 そびえ立つような高さの靴を履いて優雅に歩けだなんて無茶もいいところだ。

「わあ、めちゃくちゃキレイですよロゼッタ様」

「ありがとうございます、ジェラルド。エルモンドはどう思いますか?」

「お美しい、よくお似合いです」

「この1ヶ月侍女たちに磨かれた甲斐がありましたわ。これでダメなら彼女たちをガッカリさせてしまいますもの」

「私にあなた様をエスコートできる栄誉をください」エルモンドはロゼッタに手を差し出した。

 騎士らしくがっしりとした逞しい体を正礼装で包んだエルモンドがロゼッタの女の欲望を刺激する。整えられた髪が彩る眩しいほどの笑顔。女性の正気を失わせようしているかのようだとロゼッタは思った。

「ええ、よろしくお願いしますね」

 いつもはアリーチェとロゼッタが馬車に乗り、エルモンドとジェラルドは馬にまたがるが、アリーチェは別の馬車に乗り、エルモンドとロゼッタが同じ馬車に乗り込んだ。

 ジェラルドがそのくらいの特権を享受したっていいんじゃないかと言ってエスコートを譲ってくれた。

 ロゼッタの新しい一面を知る度に恋しく思う気持ちが増していった。ただ抱きしめて愛していると言いたい。彼女へ愛を乞いたい。でも、彼女は今日これから1番近くて1番遠い存在になってしまう。国のトップに立つのだ。彼女の隣に並んで歩ける、それだけで満足しなければ——

「エルモンド、私はこれから人であって人ではなくなるのでしょうね。聖女として崇められると思うと、とても恐ろしいのです。私は人でありたい、これからも人として接してください。あなた方だけは私を決して聖女と呼ばないで欲しいのです」

「我々がロゼッタ様の心休まる居場所になると誓います」

「ありがとうございます——あなたと初めて会った日のことを今も覚えています。あなたが倒してしまった本の山を一緒に片付けたのです。仕組まれたことだったのだろうけれど、私はね今でもあれは運命だったと思っているのです」

「ロゼッタ、俺は——」

 ロゼッタはエルモンドの唇に人差し指を当てた。

「駄目です。それ以上言わないでください」

 悲しそうに微笑んだロゼッタにエルモンドは心が痛んだ。

 馬車を降りてきた2人の様子を見て、ジェラルドは何かあったなと感づいた。咎めることもできるが、ロゼッタが誰かと婚約ということになれば、これが最初で最後のエスコートになるかもしれないと目を瞑ることにした。

 即位式は粛々と進められ、あれほど怯えていたロゼッタは堂々とした姿を見せた。それはまるで女神のようだった。

 これが聖女となる女性の生まれ持った資質なのだろうと、ジェラルドは思った。

 即位式も終わりに近づきロゼッタが聖獣ドジャーとゴールデンロッドを召喚すると、大聖堂に割れんばかりの拍手喝采が巻き起こった。

 当初3体とも出す予定だったのだが、マルーンは臆病な性質だということもあって、人前には出したくないというロゼッタの意向を汲むことになった。

 即位式は問題なく終わり、少しの休憩を挟んだ後、晩餐会、夜には舞踏会が開かれる予定だ。2時間を超える即位式の間ずっと立っていて疲労困憊のロゼッタは、何とかお近づきになろうと駆け寄ってくる貴族たちを振り切り控えの間に帰ってきた。

 部屋に入るなり待機していたアリーチェに抱きつき、静かに肩を震わせ、涙で瞼を腫らさぬよう必死に耐えた。

 実の姉より年上のアリーチェだが、共に過ごした3ヶ月の間に随分と親しくなり、ロゼッタにとってもう1人の姉のような存在になっていた。

「ロゼッタ様、よく頑張りましたわね、立派でございました。もう大丈夫。後はちょっと美味しい物を食べて、軽くダンスを踊ったら帰れますからね。桃のコンポートとたっぷりジャムを塗った白パンを用意させてますから、パジャマパーティーしましょうね」

ロゼッタはアリーチェの胸から顔を離してコクコクと頷いた。

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