手札は揃った

 そして週明けの放課後。


「ふーん、なるほどね」


 まともに耳を傾けていたのかいないのか、お望み通りの細大漏らさぬ報告を聞き終えた部長が発した言葉は、それだけだった。


 青筋を立てそうになるのを懸命に堪え、僕は至極穏やかにこう言った。

「ともかく、繰り返しになりますけど、加藤一家は例の“声”を一度も聞いたことがないそうですよ。他の誰よりもあの現場の近くに住んでいた彼がそう証言してるんです。やっぱり彼女が何か別の音を声と誤認したんじゃないかな。証明のしようもないですけどね」


「証明のしようもない、だって?」


 部長は人差し指をぴこぴこと不器用に振ってみせた。……なんだかんだ言っても、やっぱりこの仕草だけは本当に可愛いと思う。

 そうとも、この仕草だけは。


「若いのに淡白だなぁ、君は。そうでもないよ。当時の状況さえ再現できれば、解決は容易にできるはずだ」


「解決? たったこれだけのヒントで、声の正体がわかるっていうんですか? 川村さん以外の誰も、実際に聞いたこともないのに?」


「聞くまでもなく、朧げながら正体が見えてきたところだよ」


「んなバカな……だいたい再現って、いったい何をどうするんです? まさかもう一度火事を起こして、道路を封鎖しろなんて言いませんよね?」


「何を言っているんだワトソン君。私はそんなサイコパスじゃないよ」


 どうだか。

 他の人ならいざ知らず、傍若無人が服を着て歩いているようなこの人なら、そんなことさえ平気で言い出しかねないと思う。


 疑わしげな視線に気を悪くした風でもなく、部長は飄々と言った。

「私の見立てが正しければ、今ある手札だけで事は足りるはずさ……ところで一つ確認しておきたいのだが、君が実際に上ってきたというその坂、かなり急だったんだね?」


 唐突に投げかけられた奇妙な問いに、僕は眉をひそめた。「はい? ……ええ、まぁ」


「歩くのに困難を感じるくらい?」


「どうでしょうね。少なくとも僕にとっては、ちょっとしたハイキング気分でしたよ」


「ふむ、傾斜角でいうと?」


「知らないですよ、数学は得意じゃないので」


「そうか。いやいい、君にはそこまで期待してない」


 なんでこう、この人は時々カンに障る言い方をするんだろう。


 またも青筋を立てそうになる僕をよそに、先輩は定位置のソファに深くもたれ、まるで拝むように口元で掌を合わせた。何かを考え始めた時の癖だ。


 経験から言って、こういう状態になった真ヶ間まがま彩子さいこには、もう絶対に干渉することはできない。話しかけても返事一つ返ってこないし、目の前で手をひらひらさせてみても無反応だ。肩を叩いて気づかせるなんて論外である。


 まるで何かに取り憑かれたように、恐ろしい勢いで頭を回転させる部長。思考のサンクチュアリに閉じこもった部長。

 そんな彼女を前にしていると、僕は時々、怖いような悲しいような、曰く言い難い気分に苛まれる。なんというか──体育館の天井に舞い上がってしまった風船を、指を咥えて眺めているような気分。すぐそこにあるはずなのに、永久に手が届かない。そしてこの風船は、決して萎んで地に落ちてきたりはしないのだ。


 幸い、今回はそんな状態は長く続かなかった。


 ややあって部長は手を一つ打った。そしてこちらを向くなり、一気にまくし立てた。


「君、すまないが頼まれてくれないか。私がこれから説明する段取りの通りに、事件の当事者二人を誘い出すんだ。一人は依頼人たる川村嬢。事件の解決のためと言えば、きっと乗ってくれるだろう。そしてもう一人は、君の新しいご友人の加藤君。彼が今回の事件の鍵だ。今回のケースは、断じて怪奇現象なんかじゃない。ならば彼女は、鳥か動物の声を誤認したのか? これもさにあらず、だ。ちょっと頭を働かせれば自明のことだけど、今回の事件は人為的に引き起こされたものだよ。君もちょっと考えてみるといい。ヒントは加藤君と、彼のお兄さんの会話の中にある。で、具体的な手順についてだが……」

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