解決

 誰かの日頃の行いが良かったのだろうか。次の日曜日はとてもよく晴れた。部長がその場にいたならば「お誂え向きだな」と満足げに頷いたであろう、いささか暖かすぎる好天の休日。


「あらためて、ごめん。せっかくのお休みに呼び出したりしちゃって」


 僕は傍に立つ川村さんに、その日何度目かの謝罪をした。「本当に大丈夫だった? 他にやりたいことあったんじゃない?」


「ううん、全然……なんか香宮君、さっきから謝ってばっかり」川村さんはそう言って笑った。


「いや、申し訳な……あ、なんでもない、うん」


「謝らなくちゃいけないのは私の方だよ。せっかくのお休みの日に、私の依頼のためにわざわざこんな田舎まで来てくれたんだから……それで、いつまでここで待てばいい?」


「そんなに時間はかけないよ。もうあとほんのちょっと……そうだな、五分か十分くらいで、川村さんが聞いた声の正体がわかるはずだ」


「ずいぶんはっきりと言い切るんだね、すごい」


 午前十時五四分。例の坂の下、野菜直売所の小屋の前。


 川村さんはもう事件への興味を無くしつつある様子だった。あるいは依頼をしたことすら忘れていたのかもしれない。時々髪をいじったりスマホを取り出してみたり、その様子には手持ち無沙汰な感じこそすれど、未知の怪物への恐怖は微塵も窺えなかった。


 僕も時折スマホを取り出す。そしてデジタル時計の数字を見ては、まだ姿を見せない幸正君を思い、ママチャリのハンドルを指先でイライラと叩く。

 別にもう少し早く来てくれたって、バチは当たらないんだぜ? 先日も生活指導の槙原先生が、五分前行動を心がけるようおっしゃっていたじゃないか──待ち合わせの時間ギリギリに到着した自分を棚に上げ、僕は心の中だけで彼に哀願した。


 幸正君の名誉のために言っておくと、別に彼は遅刻をしているわけではない。彼が川村さんより遅く到着するよう時間設定をしたのは、他ならぬ僕なのだ──もとい、すべては部長の指示なのだ。


 彼女は言っていた。「このを成功させるためには、川村嬢に余計な先入観を与えてはならないんだ。かといってあんまり彼女を待たせるのも悪い。そうだな、ラグは十五分から二十分もあれば充分じゃないかな」


 そして作戦はつつがなく進行した。たった一つ、僕が来る途中で道を間違えて、川村さんを十分近く待たせてしまった点を除いて。本当は僕が真っ先に着いていなくてはならなかったのに。


 思えばこの直売所を待ち合わせ場所に選んだのも、彼女への配慮が足りなかったかもしれない。通行人はそこそこに多かった。通りすがりの観光客たちは、見るからに気まずそうな僕たち二人を見て、どんな印象を受けるだろうか?


 そこまで考えて、かぶりを振る。

 いやいや、この場所を選んだのには、ちゃんとした理由があるんだ。なにしろこの場所でないと、状況の再現はできないのだから。


 沈黙に耐えかね、僕はふと気になったことを彼女に訊いた。「川村さんって、昔からこの辺りに住んでるの?」


 どうしてそんなことを訊くのだとばかりに小首を傾げつつも、彼女はすんなり答えてくれた。「ううん、引っ越して来たの。中二の終わり頃に」


「ということは、小津田にはそこまで馴染みがないんだね」


「そうだね、この辺のことって全然わかんない。私って休日はわりとインドア派だし、たまに友達と遊ぶのもだいたい祭田まつりだ駅の周辺だし」


 幸正君は彼女のことは知らないと断言したが、それは彼女の方も同様なのだろう。僕は重ねて訊いた。「ここは好き?」


「まさか……ここだけの話、田舎ってあんまり好きになれない。そりゃ確かに自然はきれいだけど、お店なんて全然ないし、近所の人はやたらつまんないことを詮索してくるし。進学先とか、付き合ってる男子のこととか……」


 そこまで話したところで、彼女は不意に顔をこわばらせた。口元に人差し指をあて、山道の方を目の動きだけで示す。


 示されるまでもなかった。僕も確かに聞いた──どこか哀しげな響きを帯びた、か細く甲高い“声”。

 なるほど、雉なんかとは似ても似つかない。動画で聞いた鳴き声はもっと濁っていて、そして力強さが感じられた。僕たち二人が聞いたその“声”は、なんというか……酷使され、くたびれたもの特有の悲哀がこもっていた。


 “声”はどんどん近づいてくる。それに加えて、まるで砂利の上でも滑り込むような、ザーッという音。にわかに恐怖心が蘇ってきたのか、川村さんが僕の袖に縋りついた。彼女の浅くなる吐息を近くに感じながらも、僕は山道から目を離さなかった。


 やがて姿を現したのは──古ぼけた一台の自転車だった。

 持ち主の一人に注油の必要があると指摘されたロードバイク。乗っているのは無論、加藤幸正君だ。


「よう。悪い悪い、待ったか?」


 僕らの間に流れていた張りつめた空気なんてどこ吹く風、幸正君は気さくに小さく手を上げた。停止する際、錆びついたブレーキはますますもって凄まじい音を立てた。聞くシチュエーションによっては、悲鳴のように聞こえかねない音を。


 彼もその家族も、“声”なんて聞いたこともないと断言したが、それもそのはずだ。誰よりも間近でこの音を聞いている彼らが、どうして今更怪奇現象なんかに誤認できるだろう?


 幸正君の顔に、ゆっくりと訝しげな色が広がっていった。「……えっと、この人はどちら様?」


「そうだった、二人は面識がないんだよね。こちら川村さん。この間話した依頼人の方で、君と同じく小津田に住んでる。川村さん、こちらは加藤君。僕らと同じ二年で、この山の上に住んでるんだ」


「へぇ、言われてみれば、確かに何度か見かけたことがある気がすんな……で、二人はそういう関係なの?」


 幸正君に指摘されて初めて、僕は川村さんがまだ二の腕に縋り付いていることに気づいたのだった。

 そのぱっちりと大きな目を見開いて、口を半開きにしたまま。

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