そこそこ高名な依頼人-3

 幸か不幸か、部長は顔を出さなかった。


 かつては国語科研究室として使われていた四畳半の部室で、僕は川村さんと相対する。

 彼女は至極リラックスしていた。部室の中をきょろきょろと見回しながら、「すっごーい」「いいなぁ」などと感想を述べる。


「この本も本棚もテーブルも、みんなこの部活のもの? なんだか大人の書斎って雰囲気だね」


「……こ、顧問の村田先生が、いろいろ寄贈して下さったから。今の研究室へ移る際に。不要になったけど捨てるには忍びない、って」


「へぇーっ。いいなぁ、掃除もちゃんと行き届いてて。女テニの部室なんてひどいんだよ。ほんとにもう、いっくら注意してもすぐゴミ溜めみたいになっちゃうんだから。あの子たちにも見習ってほしいよ、まったく」


「そうなんですか、は、ははは」


「あ、これもこの部の資料? ……『現代民話集』だって。うわー、すっごい難しそう。けど面白そう」


「あ、それは僕が図書館で借りてきたんです」


 テーブルにつかせる前に、私物はさっと片付けろよ──気の利かない自分自身を、心の中だけで罵倒する。


 ごく自然体の彼女と、おどおどと視線を彷徨わせる僕。まったく、これじゃあどっちが部員なのかわかりゃしない。


 会話も途切れ、気まずい沈黙が降りる。何か言わなきゃと思いつつ、何を言っても引かれそうな気がして、僕はただへどもどし続けた。年代物のパイプ椅子が、腰を動かすたびにギシギシと軋む。


 ややあって口火を切ったのは、やはり川村さんの方だった。


「…….本当にごめんね、急に来ちゃって。迷惑だったでしょ」


「そ、そんなことは」


 ほら、気を遣われた。


「だけどこんなこと、誰にでも相談できることじゃないから」


「は、はいっ。どうぞなんなりとっ!」


 まるで電流が走ったように、僕は椅子から躍り上がって平伏した。突如の衝撃に、パイプ椅子がギーッと苦悶の声を上げる。

 誰にでも相談できることじゃない──たとえこの先に待ち受けているのが、例によって怪しい事件の調査依頼だったとしても、その言葉の響きは甘美だった。


 彼女は自覚しているのだろうか? こういう何気ない一言、さりげない一挙手一投足が、僕のような冴えない男の心をどれだけいたずらにかき乱すのかを?


 そんな僕の動揺に気づいてか気づかないでか、彼女はおもむろに語り始めた。


「あれはついこの間、始業式があったばかりの頃なんだけどね──」

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