そこそこ高名な依頼人-2

 川村さんが訪ねてきた時、僕は図書館で借りてきた『現代民話集』を開いたまま、トロトロと微睡んでいるところだった。


 なんといっても、土曜日の午後の活動ほど心愉しいものはない。思う存分フィールドワークに勤しめるし、たとえ悪天候で出かけられなくとも、こうしてマイペースに資料を読み耽ることができる。休憩を取るのだって自由。もっともそれも、へんてこな事件の調査依頼がなければの話だけど。


 残念ながらと言うべきか、その日は依頼がある方の一日だった。


「ふぁあい」


 コツコツというノックの音に、僕はあからさまに気のない声を上げてしまった。午睡シエスタを邪魔された腹立たしさと、何やら不吉な予感とに、いっそ居留守を使えばよかったと内心舌打ちする。


 が、そんな鬱屈した思いも、立て付けの悪いドアを開いた途端に吹き飛んでしまった。


 そこに立っていたのは、誰あろう、男子の注目度ナンバーワンの女子だったのだから。


 川村愛花。うちの女子テニス部を大会準優勝に導いた立役者にして、古風な言い方をすれば学年のマドンナ。

 生まれつきらしい金色がかった髪に、ぱっちりと大きな目。そしてなんといっても、自分の意見を物怖じせずに主張し、それでいて周囲への気配りを欠かさない人柄。彼女に熱を上げる密かな崇拝者は数知れない。もっともその一方で、その堂々たる振る舞いゆえに一部の女子からは快く思われていないみたいだけど。


 ともかくそんな陽キャ中の陽キャが、よりにもよって幽霊部員の巣窟たる民俗学研なんぞの部室を訪れたんだ。僕が夢の続きじゃないのかと疑ったのだって、決して無理はないだろう?


「こんにちは。ここ、民俗学研究部さんの部室ですよね?」


 目を何度もこすり、頬っぺたをつねる僕をよそに、彼女は丁重に礼をした。


「ちょっと相談したいことが……あ、ごめんね。もしかして、休んでた?」


「あ、いえいえそんな。お気になさらず」


 たちまち気遣わしげな調子を帯びる声に、僕は慌ててかぶりを振った。


「なにしろ基本的には暇な部活ですから。相談ですか、そうですか……入部についてでしょうか、それとも何か別のこと? ともかくこんなところで立ち話もなんですから、どうぞお入りください。ささ、どうぞ」


 営業スマイルを浮かべようと顔をひきつらせつつ、早口にまくし立てる僕。


 正直に告白すると、僕は非常にどぎまぎしていた。恐慌に陥っていた、と言い換えてもよい。

 たとえば通学路で外国人に道を尋ねられても、ここまでの緊張はなかっただろう。僕にとってスクールカーストってやつは、それほど絶対なのだ。


 そんな僕の様子に、川村さんは「ロボットみたい」と言って白い歯を見せた。


香宮こうみや君、だよね? 香宮修之介しゅうのすけ君。なんで敬語? 同学年じゃん。覚えてない? 私、川村だよ。川村愛花。一年の時、英語のクラスが同じだったよね。一緒にリーディングテスト受けたじゃん」


「え、えぇえぇ。覚えてます覚えてます」


 うわー、めっちゃ笑われてる。


 恥ずかしさに頬っぺたが熱くなるのを覚えながら、僕はふと部長のことを思った。


 僕の中で、二つの感情がせめぎ合っていた──部長に助け舟を出してほしい。けど、あの人には、この場には絶対闖入してほしくない。


 だって、僕のこの取り乱しようを見たら、あの悪魔は絶対に笑うに決まってるから。

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