第6話 perseguidor

 バティスタ北部を走る高速道路「サーキット・ノルテ」は、島の東西に跨った長大な幹線道路である。その中の一区画、首都ハバナとマタンサスを結び、最終的に旅の目的地であるバラデロへと行き着く「ビア・ブランカ」をヨハンナとサキは優雅にドライブと洒落込んでいた。

 フロリダ海峡の海原を眺めながら往く旅は快適そのもの、日差しはやや強いが北大西洋から流れる海風が蒸し暑さを忘れさせた。レンタカーも調子が良く、不自由なく車の旅を楽しめた。流石にもうじき齢100歳を迎えようという旧車を借りる気にはならず、なんというモデルかは分からないが、無難にルノーのセダンを借りた。雰囲気こそ抜群だがいつ故障するかも分からない旧車は御免だと、車好きのサキもこの判断には素直に同意していた。


「しかし、言ってみるモンだな」


 ヨハンナは助手席でコーラを呷りながら、開けたままのグローブボックスに収まる自動拳銃を眺める。ブローニング・ハイパワー、ジョン・ブローニングが設計しデュードネ・ヨセフ・サイーブが改良を施した自動拳銃の傑作中の傑作。ポリマーフレーム、ダブルアクションの拳銃が全世界に普及している現代では些か時代遅れなのは否めないが、それでもヨハンナはサイーブらが後年開発したFN FAL自動小銃同様、この拳銃に信頼を寄せていた。アフリカ、中東、南米と、過酷な環境での稼働率の高さは、傭兵であるヨハンナにとって何よりも重要であった。

 バティスタは外国人は言うに及ばず、民間人の銃器所持は違法であり、当然所持が判明すれば罰せられるが、ヨハンナは出立前にドロテオに銃器を携帯できないか掛け合っていた。二度のテロ事件に際しヨハンナとサキはほぼ丸腰であり、この先何が起こるか分からない以上丸腰でいるのは不安でしかなかった。

 当然違法である事は承知であるが、二度も国の役に立っているのだからそれぐらいは良いだろう。と、軽く冗談めかして言って見た所、すんなりと許可が出てしまったのだ。許可と言っても官公庁から正式に降りている許可ではなく、それこそ御山の大将であるドロテオがパスポートに一筆したためた程度である。

 しかしハバナを抜けてから二度、検問を抜ける際にドロテオがしたためたサインが発揮したことから、彼の握るペンにはそれ相応の魔力が込められている事が伺い知れた。


「しかし良かったのか、私がハイパワーで。マカロフはちょいと使いにくいんじゃないか」


「だってハンナはボトムキャッチの拳銃は嫌いでしょ。いいよ、戦いに行くって訳じゃないんだし」


 サキは視線を前に向けたまま無感情に答える。戦いに行く訳じゃない、その通りだ。この国にはゲリラ狩りではなくバカンスに来た訳で、二度あることは三度あるとは言うが、そう簡単に三度目があってたまる物か。

 普通の観光客であればこの様な目に遭えば早々に出国して別のリゾートなりでバカンスを仕切り直しただろうが、ヨハンナはそうしなかった。何故かと言われれば明確な答えは本人にも出せなかったが、ただ単純に、此処で尻尾を撒いて逃げ出すのは良い気分では無かったからである。

 確かにテロリストが潜伏し、度々テロを起こすような国は危険極まりなく、滞在し続けるのは愚かな選択かもしれない。しかし、無法を働き世の理を乱しているのはテロリスト共であり、善良なる――少なくともヨハンナはそう思っている――一観光客の自分達がどうして奴らに気を使って逃げださなくてはならないのか。自己防衛のために国外へ逃げるのは確かに利口だが、それ以前に自分達にはこの国でバカンスを楽しむ権利があるのだ。

 ヨハンナは雨が降ろうと槍が降ろうとこの国でのバカンスを満喫すると決意し、自己防衛のために選んだのは出国便の航空券ではなく、降り掛かる火の粉を払うための銃弾であった。


 陽が高くなり、じりじりと照る陽光のもたらす暑さが海風に勝りつつある中、ヨハンナはバターブロンドの髪を風に靡かせて静かに海を眺めていた。そのヨハンナを横目に見て「あぁ、コレはまずいな」とサキは声に出さずに呟く。

 本来ヨハンナは口数が多い方で、こうしてドライブなどに際しては眠って居なければとにかく喋り続けているのだ。仕事の話や何処で聞いたか知れぬ噂話、正しいかも分からない雑学、やれ日本の歌舞伎座は歌舞伎町には無いだの、ドイツではポテトフライにヨーグルトをつけるだの、口を閉じたら死ぬのではないかと思えるほどだ。それが今は黙りこくっている。

 今のヨハンナは空気をパンパンに溜め込んで破裂寸前の風船同然だった。多少のトラブルなら大抵の場合は散々悪態をついた後に笑い話に転化するのだが、限界に近づくと極端に口数が減るのだ。まるで不貞腐れている子供の様でもあるが、目に見えて不愉快すな態度を取るでもなく、話しかければ普通に会話はするし笑顔だって見せる。唯々口数が減るのだ。

 過去数度、ヨハンナが「静かになった」時があったが、大抵その後には破滅的な殺戮と暴力の嵐が吹き荒れた。まるで装甲板に着弾した対戦車榴弾が如く、蓄積した厖大な感情が金属噴流の如く指向性を持って敵対者を襲い、PMC崩れの武装集団や麻薬組織、紛争地帯の地方軍閥など、その悉くを撃滅してきた。

 サキはそうならない事を祈っていた。折角のバカンスを台無しにしたくないのはサキも同じであり、サキは腹に据えかねたからと言って敵対者を皆殺しにするような暴力性は持ち合わせてはいなかった。

 とにかくバラデロへと無事に辿り着き、美しい夕陽と海原を肴に酒を一杯やれば、簡単に機嫌も持ち直すだろうとサキは確信していた。実際その程度でご機嫌になる程度にヨハンナは単純な性格をしていた。


「前方一時方向、ガソリンスタンド。丁度いいから給油して、ついでになんか買って行こうぜ。飲み物も切れたし腹も減ったしよ」


「OK、出る時に運転変わってよ。私も少しは景色を見たい」


 サキはハンドルを切って道路から外れ、スタンドに入ると給油機の脇に停める。車を降りた二人はシートに収まって固まった身体を解すかのように伸びをして、ヨハンナは給油、サキは一足先にスタンドの店内へと向かった。

 街と街の間にぽつねんと居を構えるこの商店兼ガソリンスタンドは、掲げた看板の字体や色褪せたポスターで共産主義時代から存在した事が伺い知れたが、店構えは西側諸国の田舎に在る物とそう違いは無かった。コンクリート造の簡素な建屋、張り出した屋根とその下の給油機、ガソリンスタンドと言えば真っ先に浮かぶ見た目そのものだ。


「普通レンタカーは満タンで客に渡すよな、何で半分しか入ってねえんだよ」


 ヨハンナはぶつくさと文句を言いながら給油機のパネルを操作する。驚いたことに店構えの古臭さとは裏腹に給油機はタッチパネルを備えたセルフ式で、見た所つい最近導入したばかりのようだった。周囲十キロは無人なのではないかと思えるような場所で、客は自分たち以外居ない様な店だというのに、こうした機材を導入できるという事は、案外変な所で金は回っているのだなとヨハンナは鼻を鳴らす。


 支払いを済ませ、自分も何か渇きを癒し腹を満たす物を買いに店内へ向かおうとしたところ、一台のソ連製のバンが滑り込んでくる。タイミングが悪かっただけで、案外儲かっているのかも。と、先程の考えを改めながらバンを一瞥し、ヨハンナは足早に店内へと入って行った。



「アレがそうか、もう一人は?」


「多分中に居るだろう。行くぞ。カミノは車をいつでも出せるようにしておけ」


 二人の男女がバンから降りると、小型サブマシンガンのボルトを引いてジャケットの内側に隠し、ヨハンナの後を追って店内へと向かって行った。




 時間は数時間前へと遡る。マルシオ達都市ゲリラ一行は高級セダンの座席下にナナカを詰め込んだままハバナ脱出を首尾よく成し遂げた。郊外で仲間と合流し、その後は南東の密林地帯で再起を図る予定だったが、ここでミレイラが弟達を殺した相手を追うと言い出した。

 弟二人を殺され、私怨に駆られたミレイラの決意は固く、追う為の足も武器も自分で用意する、自分は死んだ事にしろとまで言ってのける程だった。

 普段であればそのような行動をマルシオは許さないが、仇を取りたい気持ちはマルシオも同じであり、相手が唯の観光客二人である事もあって今回ばかりは許可を出した。


「いいのかエルナンド」


「ミレイラだけじゃあ危なっかしいだろう」


 マルシオの問いにエルナンドは帽子を取って自身の滑らかな頭頂を撫でる。流石にミレイラ一人で行くのは危険だと判断したエルナンドは、ミレイラの復讐に自ら同行を申し出る。四十を過ぎたエルナンドにとって二十歳かそこらのミレイラの弟達は息子同然であり、それを無残に、まして外国人の観光客に殺されたとあっては我慢がならなかった。

 

「俺達の国の問題だ。何も知らんグリンゴが首を突っ込んだらどうなるか、その身で報いを受けてもらう」


「くれぐれも気をつけろよ、どんな魔法を使ったかは知らんが、ナナカの言う事が正しければ二十人そこらの同志を二人で殺した相手だ」


「じゃあ俺達の無事を祈ってくれよ。なに、取っ組み合いの喧嘩をしようってんじゃない。奴らがちょっと隙を見せたら背後から撃って逃げるだけだ」


 ピクニックと同じだと笑うエルナンドをミレイラが呼びつける。「じゃあ、また後で」と別れるその背中をマルシオは苦虫を嚙んだような表情で見送る。本当は自分が行ってやりたい所だった。しかしナナカと言う荷物を抱えている以上誰かが残らねばならず、まして自分はチームリーダーだった。立場が許さないのだ。


 アンヘロの修理工場でナナカは標的の詳細を事細かに伝えていた。人数は二人で両方女性、片方は金髪に狐の耳、もう片方は銀の髪に二対の角。まるでコミックの登場人物のようで最初はでまかせかと疑ったが、合流した仲間に聞いてみた所、ホテル襲撃の前日、市内で親衛隊大佐の車に同乗する二人を目撃した者が居た。ただでさえ亜人種はこの国で目立つが、特徴的な金と銀の頭髪は一際異彩を放っておりよく覚えていたという。

 その特徴を主要幹線道路を監視している同志たちに伝えると、運の良い事に時を経ずして発見の知らせが舞い込んだ。第一報はハバナの親衛隊基地を監視していた同志で、マルシオ達が脱出した数時間後に西へ向かったと報告。次に入った情報はビア・ブランカを西進中の報せと車種とナンバーが添えられていた。


 ミレイラとエルナンドはカミノという青年に運転手を任せ、ビア・ブランカを西進し件の観光客二人組を追った。情報が正しければミレイラ達は標的から多少の遅れはあるが、脱出後に仲間と合流したのがハバナ西方であり、すぐさま追跡を開始できた為、追い付けない程の遅れを取っていなかった。

 追い抜く車や駐車している車を見張り、特徴が一致している車を見付ける度に車内に緊張が走る。しかしその大半が気苦労に終わり、その度に車内を溜息が満たした。ミレイラもエルナンドも歴戦のゲリラではあるがプロの戦闘員ではない。正規の訓練を受けて技術や高ストレス環境下での感情コントロールなど、正規の軍人が習得する諸々の事を彼らは身に着けておらず、血気に逸る気持ちや知覚できていないストレスを抑えきれていなかった。


 追跡開始から一時間が経過し集中力も途切れようとした時、それは現れた。車種、ナンバー共に情報と合致する。そして何よりも、シートのヘッドレストからはみ出る二対の狐の耳。それが標的であると雄弁に語っていた。

 それを認識した瞬間ミレイラとエルナンド、二人のゲリラの肌は粟立ち、震えが襲ってくる。しかしそれは恐怖からではなく、身体の内から溢れんばかりの怒りと、待ち望んだ獲物を前にして逸る気持ちが抑えきれなかったからだった。

 運転を任されたカミノは二人の同乗者の気迫に辟易しつつも付かず離れず、適切な距離を落ち着いて維持し続ける。そのまま速度を上げて横付けし、銃撃を見舞って離脱するなどと言い出すのではないかとカミノは内心冷や冷やしていたが、気持ちは勇んでいても行動は慎重なようで、二人のゲリラが急かす様な事は無かった。

 間に数台の車を挟んだり車線を変えつつ、機会を窺いながらのドライブが暫くの間続いた。



 そして現在。標的を載せたセダンが道端のガソリンスタンドに停車し給油を始め、ミレイラ一行もそこへと合流する。途中、軍の車両を回避する為に回り道をして標的と距離が開きはしたが、特徴を完璧に覚えていたミレイラ達はスタンドに停車する標的を見逃す事は無かった。

 給油機の脇に停まるセダン、その右後方凡そ15メートルの位置に停車した一行は、店内へと入って行くその影を凝視する。


「アレがそうか、もう一人は?」


 ミレイラが運転席に身を乗り出して眺める。その視線の先に映るのは、潮風に靡くバターブロンドの髪と先端が焦げたように黒い二対の狐耳。此方に一瞥くれたその瞳は左右で色が違い、左の目元には切り裂いたような傷が走っていた。

 奴で間違いない。本能がそう告げていた。


「多分中に居るだろう。行くぞ。カミノは車をいつでも出せるようにしておけ」


 エルナンドが側面のスライドドアを開けてミレイラの肩を叩く。降りた二人はチェコ製サブマシンガンの弾倉を抜いて収まる真鍮の輝きを確認し、グリップの中に嵌め込んでボルトを引いて射撃準備を完了させた。

 二人はお互いに視線を交わし、小さく頷くと銃をジャケットに隠して店内へと歩んでいった。


 店内は凡そ三十坪といった程度の広さで、平均的なコンビニエンスストアの店舗面積よりやや狭い。適切な配置でない蛍光灯が照らす店内はやや薄暗く、空気の通りが悪い店内は熱が籠っているうえに湿度もやや高かった。

 ヨハンナが入店するとレジの前で新聞を読む店主がちらと其方へと視線を向け、ぶっきらぼうに挨拶を投げると新聞に目を戻す。先進国の都市部ならいざ知らず、こういった田舎ではごく普通の対応だ。

 店員は他に居ない様子で、この店主一人で切り盛りしている様だったが、スタンドは給油だけでセルフ式、洗車も無しという形態から一人で事足りるのだろう。そこそこに歳を食っている店主の事である、この店はのんびりと余生を過ごすにはうってつけの環境と言えるだろう。


「サキ、なんか良いのあったか」


 先に入店し、お手洗いを済ませたサキにヨハンナは問う。自身も店内を見回しはしたものの、安い酒類やソーダ類の他に、食品と言えば軽食に向かないスナック菓子の類ばかりであった。

 元々バティスタ共和国にはコンビニエンスストアという物は存在しておらず、民主革命以降に外国企業が主要都市に何店舗か出店した程度であり、こういった田舎には「簡素な店舗で安価で規格化された食品を売る」という文化は浸透しきっていなかったのである。それ故にこのスタンドでは簡単なサンドイッチすら取り扱っていなかったのだ。


「無いよ。チップスとか、そう言うのなら有るけど」


「ええくそ、店員に聞いてみる。私は小腹を満たす物が欲しいんだ」


 ヨハンナは苦い顔をしながらじっとりと滲む汗を拭い、気だるげな足取りで店主の元へと歩み寄り、指を数度鳴らして注意を向けた。と同時にヨハンナの背後で扉が開き、吊るされた小さなベルが来客を告げる。


「なんだね」


 店主は新聞を畳み、カウンターに放ると立ち上がってヨハンナに向き合った。別に座ったままでも良いのに律儀な物だ。とヨハンナは思いながら、客に対して横柄な態度を取らない所は評価した。


「ちょっと訪ねたいんだが、なんかこう、サンドとか腹の足しになる物は無いか」


 頭を掻きながら期待せずにヨハンナは問う。店内の陳列物は一通り目を通し、その類の物がない事は確認済みではある。とは言え聞くだけならばタダであるし、実は聞けば裏から出してくれるという形であったならば聞かないのは損である。


店主が「そんな物は無い」と否定の言葉を口に仕掛けたその時、ヨハンナは背後で微かに聞こえる金属音を聞き逃さなかった。木製部品と金属部品が干渉する音や、引き金に指が触れて僅かに鳴る「遊び」の音。

 それらをよく聴こえる狐の耳が拾い上げたと同時に、ヨハンナは振り向きながら身体を右へと逸らしていた。瞬間、狭い店内に連続した銃声が鳴り響き、銃弾がヨハンナの鼻先を掠めて店主諸共陳列されている酒瓶やタバコの棚を破壊する。

 ヨハンナは半身で振り返ったままズボンに挟んだ拳銃を抜き、腰の高さで構える所謂バーンズスタイルで背後に向けて引き金を引いた。

 帽子を被った襲撃者は銃弾を胴と顔に受け、帽子を飛ばして血糊を散らしながら仰け反り、スナック菓子の棚にもたれ掛かるように倒れ込んだ。


 サキはヨハンナよりも店の奥に居たため、襲撃者の片割れミレイラはモンタルボがヨハンナに仕掛けるよりやや遅れた。だが、ヨハンナは耳が良いのに対してサキは非常に勘が優れていた。自身に向けられる僅かな殺気を感知する才覚があり、今回もそれが活きた。

 首筋を刺す冷たい感覚がサキを襲った時、まるでそうプログラムされているかの様にその身体が動いていた。ヨハンナと同様背後を取られていて、相手の姿は見えていない。しかしサキは確固たる確信を持って仕掛けた。

 サキは素早く身を屈めてサブマシンガンの射線から逃れると、右足首に隠していたナイフをシースから抜いて振り向きざまにミレイラの懐へ飛び込んだ。引き金を引くより早くサキのしなやかな腕がミレイラの右手を撫で、銃を握っていた右手の指が芋虫の様に削げ落ちる。ミレイラは銃を撃とうとするが弾は出ない。引き金を引こうにも指が無くては引ける物も引けはしない。

 エルナンドが放った銃声が鳴り止まぬ内の出来事、ミレイラには何が起こったか理解する暇も無かった。あらゆる思考が消え去り、パニックになり叫びそうになるが声すら出ない。代わりに喉から熱い何かが、鮮血が溢れ出す。ミレイラの右手の指を全て削ぎ、次いで右腕の腱を裂いたサキのナイフが喉笛を切り裂いていた。

 サキは屈んでからミレイラの喉を切り裂くまでを一挙措でやってのけ、ミレイラが血を噴きながら尻もちを突くのと、エルナンドが仰向けに倒れ伏すのはほぼ同時だった。


「ハンナ!」


「生きてるよ」


 叫ぶサキにヨハンナは気の抜けた声で返す。サキはヨハンナがやられたとは思っていないが、一応の確認として声を掛ける。だがヨハンナはと言うとサキが死んだり怪我をするなどとは微塵も思っておらず、心配すらしていなかった。

 狭い店内は一瞬にして血の池と化し、合計五人居た生者は二人に減ってしまった。


「何だコイツ等は」


「強盗?」


「知らんが、そうかもな。女の方は外で見たが…」


 ヨハンナは店に入る前に見たバンを思い出す。女の方は運転席に身を乗り出していて顔を見ていたが、男の方は知らない顔だ。つまり、外に三人目が残っている。ヨハンナは撃ちかけの弾倉を交換しながら外へ飛び出し、店の脇に停まるバンの方を睨みつけた。

 バンの運転手、カミノの目が驚愕に見開かれると同時にアクセルが踏み込まれ、甲高いスキール音と共にバンが急発進、ヨハンナに向けて突進を開始する。しかし古いソ連製のバンは馬力が不十分、タイヤのグリップも弱く、タイヤが空転してしまい僅かながら隙が生まれてしまう。

 凡そ15メートルの至近距離、しかしヨハンナにとってその隙があれば十分だった。両手でしっかりとグリップを握りしめ、フロントとリアのサイトに塗られたスクエア・ドットを一直線に並べると、フロントガラス越しのカミノの顔に素早く五発撃ち込んだ。

 五発の9㎜弾はフロントガラスに大きな一つの穴を空け、カミノの顔面を弾けさせた。ヨハンナはすんでの所で突進する車体を躱し、コントロールを失ったバンはキャノピーを支える支柱に突っ込んで停止した。


「危ねぇな畜生。ローリーに突っ込んだらどうするつもりだよ」


「ハンナ、大丈夫?」


「あぁ見ての通りピンピンしてらぁ。ドタマに五発、野郎にぶち込んでやったよ」


 サキは支柱に突っ込んでいるバンを一瞥し、ヨハンナに一枚のメモを手渡す。それを見たヨハンナは眉を顰め、露骨に不快感を露わにした。内容はヨハンナとサキの容姿を書き留めた物で、この襲撃者たちが強盗ではなく、ヨハンナ達を狙った者である事を如実に表していた。

 なるほど、ハバナから離れて面倒事から遠ざかったつもりであったが、どうやら既に手遅れで、面倒事の方から自分達を追いかけてきたのだな。ヨハンナは理解したくない事実を咀嚼しながら首筋の汗を拭い、濡れた手を振って汗を地面に飛ばした。


 派手に銃声を鳴らしはしたが、立地とも相まってこの事態に気付いた者はおらず、監視カメラの類も無かったのは僥倖と言えた。店内に転がる死体から財布や身分証、携帯電話を抜き取り、銃器も予備弾倉含めてすべて回収した。驚いたのはカウンター裏に上下二連の散弾銃が隠されていた事だった。当然違法ではあるが、強盗対策の為に持っていたのだろう。残念ながらそれが活躍する事は無かったが、ならばこちらで有効利用してやろうと、その上下二連も弾薬と共に拝借する事にした。

 バンはフロント部分が完全にひしゃげて使い物にならず、死体諸共その場に放置し、戦利品は全てセダンのトランクに収納した。


「この後は?」


「とにかくここを離れよう。他の客が来たら面倒極まりない」


「予定通りバラデロへ?」


「いや、別動隊が待ち構えてたら厄介だ。一先ずはマタンサスに戻ろう。そこで昼飯にして、それから考える。腹が減ってるんだよ、私は」


 空腹なのは同感だったが、警察を呼ばずにこの場を後にしようとするヨハンナにサキは怪訝な表情を浮かべる。確かに面倒事を避けたいのは理解できるが、こういった場合は警察を呼ぶのが常識だが、敢えてそれを避けるという事は…サキはヨハンナの心の内にある事をそれとなく察する。


「ハンナ」


「何だ」


「その、気持ちは分かるけど」


「まずは昼飯だ。その後で考える、良いな?」


 ヨハンナはスナック菓子と飲み物の代金をカウンターに置き、二人の腹の虫が揃って鳴いた。

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