第7話 preparación

 マタンサス、ハバナから東に90キロの位置にあるこの街は、19世紀は砂糖生産の中心地として発展し、文化・文学の中心として「ラ・アテナス・キューバ(キューバのアテネ)」と呼ばれ、街を横断する三つの川とそれを渡る17の橋からキューバのヴェネツィアとも呼ばれている。しかしそのような優雅な渾名とは裏腹に、街の名前「マタンサス」は虐殺を意味する「massacre」から取られた物であった。

 また、いくつもの奴隷反乱や陰謀の中心地としても悪名高く、かの米西戦争で最初の戦地となった場所である。

 今日のキューバ…バティスタ共和国ではそのような血みどろの過去は影も形も無く、ハバナやバラデロの様に特徴的な観光地という訳では無いにせよ、街の近郊には空港もあり、その穏やかな雰囲気は肩の力を抜いて羽を伸ばすには持って来いの街であった。


 海沿いのレストランでサキとヨハンナはその穏やかな雰囲気を味わいながら、テラス席で少し遅めの昼食を取っていた。メニューはサンドウィッチ・クバーナとプエルコ・アサード。所謂キューバ風サンドイッチと豚の炭火焼きである。キューバ風サンドイッチとは早い話がホットサンドで、チーズやハム、玉葱とピクルスなどを挟んでおり、食べ応えは充分で昼食にはピッタリであった。


「結論から言えば、あいつ等はゲリラ連中の一員だった」


 ヨハンナは豚肉を口に運びながら言う。抜き取った携帯電話の中身を調べたところ、証拠となるデータは山のように出てきた。標的となる建造物や車両、軍の高級将校や政府要人を隠し撮りした写真、簡単な符号を用いて記された武器弾薬の隠し場所や、ハバナ近郊の隠れ家が記されたテキストファイルなどが暗号化もされずに残されており、その不用心さには流石に顔が引きつってしまった。


「それで、これから如何するのさ」


「え? どうするって、そりゃお前、残りも探し出してブッ殺すに決まってんじゃん」


 予想していた答えと一言一句違わない返答にサキは頭を抱える。またヨハンナの悪い癖が始まった。ある一定のラインを越えると例え相手が個人であろうと組織であろうと、絶対に手出しをして来なくなるか自分の気が済むまで敵と認めた相手を殺し始めるのだ。そこには老若男女の区切りは無く、敵か味方かという二つの認識で行動するのでタチが悪い。

 どちらにせよ標的としてゲリラ達に認識された以上、気侭なバカンスという訳にはいかなくなった事は事実であり、そうなると残る選択肢は出国か、戦うかの二つだけであった。国軍を頼るという選択肢も無いではないが、たかだか観光客二人に対して全面的な身柄の保護など期待しすぎという物である。

 携帯電話のアルバムにはヨハンナとサキの写真は無く、特徴のみが口伝で周知されていた様である。何処で見られていたかは知らないが、完全に面が割れている訳では無いのが不幸中の幸いであった。

 とは言え安心は出来ない。襲撃者がハバナで活動していたゲリラである事は写真の内容から判断できたが、あの大量殺戮の翌日、24時間経たぬ内にハバナから遠く離れた場所で襲撃を受けたのだ。封鎖された街を抜けるにも、追跡するにもそれなりの数の協力者が彼らには居る事は想像に難くなく、同時にそれら協力者にヨハンナ達の特徴が知れ渡っているであろう事は言うまでもない。


「ハンナ、あんまり何でも直ぐに殺すって考え、良くないよ。少しは怒りをコントロールするのも大事だよ」


「それは私も思うけどな、ダメなんだ。怒りはだいたい6秒で治まるから、6秒だけ我慢したら良いって聞いて試したんだが、ダメだった。6秒経った瞬間爆発しやがった」


「だと思った」


 サンドイッチをミネラルウォーターで流し込み、サキは一口大に切り分けられた豚肉の最後の一つを口に放る。別に自分が付き合わされる分には構わないが、そのたびに面倒を背負い込み、手酷い目に遭うのはヨハンナ自身なのだから、少しは冷静になってみてはどうか。サキは口には出さないが毎度の如くそう思っている。

 しかしヨハンナが行動を起こす動機や切っ掛けは感情に起因するものが八割を占めているが、行動中のヨハンナはクレバーそのもの。こういった面倒事の際は秘めた怒りや苛立ちを原動力とし、自身の置かれている状況を楽しんですらいる事もあるが、深追い、油断、要らぬ情けなど一切存在せず、唯々淡々とまるで日常のタスクをこなすかの様に脅威を排除していく。

 端から見ればとにかく粗暴な人間に見えるヨハンナだが、実のところ非常に狡猾で油断ならないのだ。今は穏やかに食事をしている様にも見えるが、その整った顔の裏では醜悪な顔をした死神が殺しの算段を練っているに違いなかった。


「で、具体的にはどうするの。敵の数も、何も分からないでしょ」


 ヨハンナがサキの方に携帯電話をテーブル上で滑らせる。その携帯電話は襲撃してきた二人から抜き取った物であるが、見慣れぬ機器が接続されていた。


「これは?」


「お手製の携帯用ハッキング機材ってトコだな。電話は勿論メールやSNSを送受信した個所と時間、ちょいと踏み込めば相手方の情報まで抜き取る優れモノだ」


「そんな都合良く行く物なの」


「1年前にGPSと民間用の全地球衛星通信サービスが復旧したばかりだろ。プロテクトがスカスカで侵入し放題なんだよ」


 「勿論、私とサキのは対策済みだがね」と付け加えてヨハンナはサンドを頬張った。

 戦時中、あらゆる勢力は敵対する勢力の通信と空からの眼を潰す為に何千発もの対衛星ミサイルを打ち上げた。民間利用を目的とした衛星も通信システムをはじめ偵察衛星としても転用されていた事から、純民間用とされた衛星すら標的となった。破壊された衛星は大量のデブリを発生させ、ケスラーシンドロームが発生、世界的な通信システムの機能不全を招いた。

 その後、宇宙空間のデブリ除去は大戦末期から着手されはしたが、戦後復興の煽りを食らい結局大戦終結から5年が経過してようやく復旧となった。その間、欧州や北米など復興の進んだ地域別での広域情報通信サービス自体は存在したが、情報の繋がらない第三世界ではまるで未だ大戦が続いてるかの様な凄惨で血生臭い、語るのもおぞましい紛争が繰り返されていたが、それはまた別の話。


「まだスキャンに時間がかかるからな、全部特定するのに一日は掛かるだろ。だから、のっけから殴りこみなんて事はしないが、代わりに今ある情報で動こうかってな」


「今ある情報って、隠れ家とか物資の隠し場所とかを襲うの」


「簡単に言えばそうだな。まぁこの場合迷惑料の請求とでも言おうか。奴らの物資を有効活用させてもらうのさ」


 ヨハンナは得意げに笑いながら自分の携帯の画面にマークした地点を表示させる。マタンサス近郊の物を重点的に記し、それ以外の遠い場所やや交通の便が悪く、野山に分け入らねばならない箇所は除外されていた。当然除外した場所も探すつもりではあったが、その為の準備がまだできていない為、今回は見送る事にした。


「まぁ、まずはチョイと外行きの為に買い物しないとな。虫除けとか、観光客丸出しの服でヤブを歩くのは御免被る」


 ヨハンナは店員を呼びつけると、食後のコーヒーとデザートのアイスクリームを注文した。




「…ねぇハンナ、ちょっとマズいんじゃないの」


 マタンサス市内の裏路地、ヨハンナは放置されているワゴン車の運転席に潜り込み、配線を弄り直結でエンジンを掛けようとしていた。放置車両とは言え元の所有者は居る筈であり、コレはれっきとした窃盗行為に他ならない。


「仕方ねえだろ、レンタカーはナンバーも車種も割れてんだ。乗ってたら襲って下さいって宣伝して回る様なモンだぜ」


 ヨハンナの手元で触れた配線がスパークして火花が散り、セルモーターが駆動してエンジンに点火される。咳き込むような唸り声をあげて動き出したエンジンの振動が、錆が浮いて草臥れた車体を激しく揺らし、運転席の足元に潜り込んだままのヨハンナは後頭部を強打する。


「イテッ!畜生、相当オンボロだぞこれは」


「悪いことした報いだね」


「ンなわけあるかい、この程度で報いがすぐ返ってくるなら私は今頃地獄の釜で煮られてらぁ」


 運転席から抜け出したヨハンナは頭や服の埃を掃い、レンタカーから街中の商店で買い溜めしたキャンプ用品や着替え、虫除けスプレーやレトルト食品を移し替える。ゲリラを追い詰めるのにゲリラになる必要は無いが、不測の事態を考慮し、長期の野外行動にも対応する必要があっての備えだ。

 キューバ時代とは違って外資系の企業が多数参入してきている現在のバティスタ共和国では、規模こそ先進国のそれとは比べ物にならないがそこそこの規模のショッピングモールがあり、海外産の高品質なキャンプ用品や保存食の調達には事欠かなかった。だがそれも都市部に限った話であり、それ以外の地域では物資の調達に難儀する事になるだろう。

 そしてヨハンナ達は武器弾薬が不足していた。今有るのは短機関銃と拳銃がそれぞれ二挺、上下二連の散弾銃が一つだけで、使用する弾薬も統一されていない。弾数も一軒家に押し入る程度であれば充分かも知れないが、戦争をするには些か心許ない数だ。当面はそれらの工面に終始する事になるだろう。

 戦争をするとなると当然頭数も必要になってくるが、その点をヨハンナは考えてはいなかった。人数が多くなれば動きが目立つし、サキの様に付いて来てくれる理由が無いのであれば何かしらの報酬を用意してやらねばならない。相場よりは幾分か割安で請け負う人間に心当たりが無い訳ではないが、それはダメだ。なんと言ってもこのヨハンナの「戦争」はどう転んでも金銭的には損でしかないからだ。

 第一、国内に部隊規模で動く武装した集団を編成しようものならば、バティスタ政府がそれを許さないだろう。下手に行動して国軍や例のPMCと諍いを起こす様な事があれば一大事である。

 そう考えれば全体の総数も、組織の全容すら掴めていない敵を相手取るのは非常に困難だが、それでもやるのだ。確固たる意志を持って、貴重なバカンスをぶち壊した連中に報いを受けさせるのだ。


「すぐ動く? 一番近いのは南に数㎞の廃農園だけど」


「まぁ待て、折角なんだからもうちっとばかし街を散策したってバチは当たらん。それに日中は目立つしな」


「じゃあ私、キューバコーヒーとか飲んでみたいんだけど。折角だし」


「良いね。暫く街中巡って、日が暮れたら行動開始だな」


 ヨハンナは荷物の中から鍔付きの帽子をサキに手渡し、自分も目深にそれを被る。これで取りあえずは特徴的な角や耳を隠す事が出来る。普段からサキの角を隠すのは難儀するが、幅の広い鍔が上手く覆い隠してくれている様だった。


 暫しの後、ヨハンナとサキは一仕事へと出向く前に海辺のカフェテリアでコーヒーブレイクと洒落込んでいた。陽は既に傾きかけ、日中照りつけていた日差しは和らぎ、気温はまだ高いが海から流れる潮風のお陰で幾分か過ごし易くなっていた。


「分かってる。いいね」


 サキはコーヒーカップを口元に運び、そのキューバコーヒー特有の甘く豊かな香りと、程よい温度に満足感を見せていた。コーヒーは沸騰直前の熱い温度が美味しいとよく言われるが、実際はそうではない。

 確かにコーヒーを淹れる段階では沸点に近い温度で淹れるのが正解だが、飲む段階だとそれは異なる。少し冷まして飲める温度に近くなると、複雑で深みのある味わいを堪能でき、よい美味しいコーヒーを飲む事ができる。そもそも、人間は自分の体温と極端に異なる温度の飲食物を正確に味わう事は出来ないのだ。


「お前もよくよく拘る奴だな」


「飲めれば良いってモノじゃないよ、ハンナ。何かに拘りを持つって言う事は人生を豊かにする。コーヒーでも何処かの安いバーボンのウィスキーでも良い。人生には深みが必要だよ」


「私より10年は若いクセに年寄りみたいな事言うなよ」


「別にハンナを否定はしないけどね。折角の美味しいコーヒーを一口も飲まずにミルクとクリームをたっぷり入れるのも、人の趣味で拘りかも知れないし」


 サキはじっとりとした瞳でヨハンナに視線を投げかける。ヨハンナは一瞬ばつが悪そうにミルクとクリームで濁ったカップの中を見つめるが、直ぐにどこ吹く風といった表情でうんと甘くしたコーヒーを啜った。


「ハンナ、なんで皆すぐに暴力に走ろうとするのかな。折角民主政権になったんだから、選挙でも何でもしたらいいのに」


 サキはふと湧いた疑問を誰へともなく投げ掛けコーヒーを啜る。柔らかい甘みと爽やかな酸味が口に広がり、心地よい豊かな香りが鼻へと抜け、サキはほうと息をつく。キューバコーヒーは上品な口当たりとすっきりした後味が特徴で、コーヒー初心者にもお薦めとされる。

 ヨハンナはサキの言う「皆」の中に自分も含まれるのか。そう一瞬勘ぐるが、自分自身が暴力的な人間である事は十分理解しているので、それを今更になって指摘される事もないだろうと聞き流す。


「そりゃあ、血筋なんだろうな。今も昔も武力革命で成った国なんだ、どうしようもねえのさ」


「すぐそういう事言う。その斜に構えた物言い、良くないよ」


「良し悪しの話じゃあ無いさ。そもそもだ、暴力を生業としてる私達がそれを論ずるに値する人間か? それとも、今の今までお前は自分の暴力が仕方無いものだったとでも言うのか」


「そうじゃない。けど」


「じゃ、この話は此処までだ。自分自身の自由意思で戦争行って、人様ブッ殺したその瞬間から私達は一生人殺しだぜ。いくら屁理屈捏ねようが、硝煙の匂いは消せねえ人種なのさ。奴らも、私らもな」


 そう諦観したように言い放ち、飲み干したカップをテーブルに置いたヨハンナの眼は、諦観や達観よりも無関心という方が正しい色を放っていた。ヨハンナにとっては自分の立つ土地や国、地域に根付く人間の心情など心底どうでも良かったが、サキは其処をヨハンナほど割り切る事は出来ていなかった。

 サキはどうしても心のどこかで正義や、人の善性という物に対する信奉があり、その部分が国民を弾圧する政府や、無辜の市民を巻き込みながら暴力を用い、血濡れの改革を成し遂げんとする革命家達の不義を感じていた。

 この国の歪な実情を目の当たりにしたう上で、戦う力を持つ自分達がそれらを無視し、自らの欲の為に無思慮の殺戮を振りまくのは余りにも暴虐が過ぎるのではないか。だがヨハンナに言わせてみればそんな事は「だからどうした」程度の事で、第一にこの国に降り立った目的が「革命」や「弾圧」ではなく「バカンス」であるのだから、自分達が目的を果たす為に力を振るうのは理に適っているのだ。

 そしてサキ自身、自分が義を説いたところで、ヨハンナが間違いなく前述の文言で以って反論する事は想像できた。そしてそれに対する反論もできず、そうした所でヨハンナを説き伏せる事など出来ないのも理解していた。それ故に、この話は此処までなのだ。


 ヨハンナとサキはコーヒーのお代わりを貰って暫しの間、暮れなずむ空と赤く染め上げられる海原を眺めていた。


「そろそろ日が暮れる。行こうぜ、行動開始だ」


 テーブルに代金を置いて勘定を済ませ、二人はカフェテリアを後にする。そして通りを角まで歩き、一瞬立ち止まって振り返ってカフェからの尾行が無いのを確認した。念を押して数度角を同じ方向へと曲がってカフェへと戻り、手前で引き返してから停めてあるワゴン車へと向かった。

 カフェでのひと時もヨハンナとサキは尾行や監視を警戒していた。ヨハンナはその良く聴こえる耳を活かし、会話の傍らで客の会話を盗み聞ぎしては監視報告を行う者が居ないか耳を澄ませていた。結果から言えば監視や尾行を行う者は居らず、自分達の面が割れていないか、割れていたとしてもさほど重要視されていない事を確認できた。

 当然マタンサスにも反乱分子は潜んでいるであろうし、要請があればヨハンナ達は追跡を受けただろう。とはいえ、まだヨハンナ達はちょっと腕の立つ観光客で、特殊部隊や匿名を帯びた殺し屋ではない以上、国軍の将校や政府要人などに比べればずっと重要度は低く、そこまで人手を割く訳にはいかないだろう。つまり、直接行動に打って出るまでの暫しの間は監視や追尾を気にせず行動できるという事だ。

 だがガソリンスタンドの三人の顛末が彼らの仲間に伝われば、それも変わってくるだろう。追跡者を倒し姿を消した旅行者。怪しまない筈も無い。もしかしたら既に情報は伝わっており、報復行動に移っているかもしれない。事実、ゲリラ三人の安否を確認する電話が数度着信しており、油断はできない状態であった。


 車を走らせる最中も背後を確認し、数度道を曲がり同じ車種・ナンバーの車が追跡していないかを確認しながら目的地へと向かう。片道数㎞の距離ではあったが尾行確認のために寄り道をしていたので、到着する頃には陽が水平線の向こう側へと没していた。

 目的地の廃農場は母屋一つ、大小の倉庫二つからなり、サイロも近くにあったが風化して倒壊している。かつての畑は今では鬱蒼とした野原と化し、腰の高さまで育った雑草が一面を埋め尽くしていた。


「まぁ、これをわざわざ見に来る人間は居ないわな」


 道端に車を止め、車窓から双眼鏡で様子を窺うヨハンナが呟く。辺りは既に暗く視界は悪かったが、それでも人の動きは見えなかった。ヨハンナは車をサキに任せて一人で降り、農場へと続く道へと歩いて行く。道は荒れ果ててはいるが雑草が生い茂った畑の状況とは違い、地面が剝き出しの轍が出来ており、人の出入りがある事が伺い知れた。

 当たりか。ヨハンナは草や地面に触れながら観察する。草に折れた様子はなく、地面に足跡は無い。つまり現在この農場は無人で、ゲリラと遭遇する恐れは無いと判断できた。

 ヨハンナは足元をライトで照らしながら道を注意深く進み、建物まで接近する。無人とは言え、ゲリラ達が地雷や罠を仕掛けていないとは限らない。貴重な物資を守る為ならば手榴弾一個を罠線と組み合わせ、道に仕掛けておく程度で不注意な輩には十分な効果を発揮する。何も考えずに車で乗り入れてドカンは御免被りたい。地雷も罠も無く建物まで辿り着いたヨハンナは車に向けてライトを数度点滅させ、サキに車を乗り入れるよう合図した。


「どう、当たり?」


「中を見ない事には。だがまぁ、人が出入りしてるのは確かだな。見ろ、扉の枠」


 ヨハンナは倉庫の扉の枠にライトを当てる。枠はアルミで出来ており、全体が錆びて風化しているが下部の扉との摩擦面だけは磨かれて鈍い輝きを放っている。頻繁に開閉し、この倉庫が使用されている証拠だ。


「ちょっとサビてるから昨日今日では無いだろうが、定期的に来てるんだろう。中の物を持ち出したり、保管したり。用途は知らんが、何かあるだろ」


 倉庫の周辺を回り、他の出入り口や罠の類を探して回るが、見つかったのはせいぜいシートの掛かった発電機だけ。恐らくは倉庫内照明の電源用であろうが、動かすのは憚られた。燃料があるかは分からないし、照明を点灯させて目立つような真似はすべきではない。

 入口は正面の扉のみで鍵は掛かっていたが、扉は古く、鍵も同様なので鍵が無くとも開錠は容易だった。ヨハンナはハンマーをドアノブに振り下ろし、力任せに叩き壊すと、破壊された部分から内部の錠ケースが剥き出しになり、そこから弄ってやるだけで鍵は開いた。バールを使用してこじ開ける事も出来たが、ヨハンナは罠線によるブービートラップを警戒してこの方法は好まなかった。


「うぇっ、埃っぽいなやっぱ」


 倉庫内部は埃に塗れ、一晩過ごせば気管支喘息間違いなしと言った有様だったが、外から見た建屋の草臥れ具合に比してさほど酷くは無かった。古い農業機械や山積みの肥料の袋に比べ、一番埃が溜まるだろう床面や空いた棚などは埃が少なかった。それが顕著なのは倉庫の奥に積まれた、農場の倉庫に置くには似合わない数個の木箱だった。

 オリーブ色に塗られ管理番号と思しき数字が振られたそれは、一目で軍の輸送用木箱だと見て取れた。銃器、砲弾、弾薬その他諸々を運ぶためのそれは、過去の戦場で嫌と言うほど目にしてきたが、これをわざわざ農家など民間で使おうというのは、その農家が余程戦場に近い限り見た例がなかった。なにより、他に埃を被っている箱は確かに酒瓶が入って居ただろう物からの流用も見られるが、軍用の物は一切なかった。この箱は廃業した農家の物ではなく、他所から運んできた物と見るのが妥当で、ヨハンナ達の目的の品がこれであると示していた。

 ヨハンナはナイフを箱と床の間にそっと刺し込み、ここでも慎重に罠を警戒する。こんな半ば放置された物資まで警戒するのは臆病に過ぎるかも知れないが、過去に苦い経験を何度もして来たが故の慎重さであった。

 中東では激しい銃撃戦の末に確保した車庫で戦友が机に積まれた雑誌の束を退かし、雑誌の底に仕掛けられていた感圧式の起爆装置が作動し、机の裏の即席爆弾で吹き飛んだ。その事を思えば木箱など爆弾を仕掛けるには最高の素材で、箱の底面や蓋など、警戒するに越した事は無いのだ。

 

「さぁ、中身は何かなっと……なぁんだこれは!?」


 罠が無い事を確認したヨハンナは木箱の蓋を開け、中をライトで照らして確認する。と、同時に落胆の溜息が倉庫に満ちる。木箱の中に収められていたのはゲリラの御供ことAK47や、自由主義社会の象徴M16ライフルでは無く、キューバ革命時代に使用されていたのと変わりない姿を保ったM1カービンとM1903ライフルだった。


「嘘だろ、マジかよ、こんな骨董品でどうしろって」


「ハズレだったね」


「ハズレも良い所だぜ全く。こんなので戦争するつもりか、あいつらは」


 想像していた物とはかけ離れた旧式銃器にヨハンナはうんざりした表情を見せる。しかし贅沢など言ってはいられない。偶々この隠し場所がハズレであったか、他の場所も同様に旧式武器ばかりか等はまだ分からない。たとえ古の骨董品であっても、実用に耐えるのならば使わざるを得ないのだ。

 ヨハンナはライフルとカービンをゴルフバッグに詰め、他の箱をサキが検分するが、結局入手できたのは30-06ライフル弾十数発と.30カービン弾が弾倉3本分と完全に期待外れであった。仰々しい軍用の木箱に期待し過ぎたのは確かであったが、それを差し引いても些かお粗末な収穫ではないか。


「幸先が悪いぞチクショー」


「まだ一つ目でしょ。他に期待しよう。もう疲れたよ、明日から本腰入れて、今日はもう休もう」


 ヨハンナとサキは顔を見合わせ、徒労感に肩を落として大きくため息をついた。昼間の疲れがここに来て急にどっと押し寄せ、結局二人は今晩の探索は取り止めにしてマタンサスのホテルへと戻る事にした。


 バティスタ旅行三日目、ヨハンナ達の「休暇」は未だ遠かった。

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