第6話 帰京 犯罪

 東京に戻った彼は、義父と向き合った。実母から、(父)の死亡の原因を聞き、義父の実母に対する行いが、争いのもととなったと聞いたと告げた。

 ところが、義父の話は実母から聞いたものと異なっていた。実母が、義父を唆したことが、原因で、それを知った義母が、実母を殺そうと猟銃を持ち出し、二人で争っている内に、暴発した弾丸が、(父)に当ってしまったというのだ。

 一体、誰の話が真実なのか、誰かが嘘を言っているのは間違いないが、誰の話も信じることができなかった。最後まで信じていた実母も、もう一度話を聞いても虚しいような気がしてきた。

 湯田は、学業も疎かになり、次第に酒に溺れていった。悲劇だったのは、湯田が小さい頃から、喧嘩の絶えない両親であったが、今度は、義母に愛人がいたことが発覚したことだった。

 義父母に離婚の危機が訪れたが、またしても二人は、世間体を考えて何事もないふりをした。不貞を重ねる二人に、湯田は絶望した。

 実母を信じることができず、義母に人間の醜さを見せつけられた湯田は、自暴自棄となり、飲み屋で知り合った女を痴情のもつれから、あやまって殺してしまった。彼が、大学三年、二十一歳のときだった。

 飲み屋で働いていた女は、東北の片田舎出身だった。その言葉のなまりがおかしいのと、あまりの純朴さに湯田は、可愛い妹ができたような気持ちになった。

 そんな二人が、結ばれるのは時間の問題だった。彼女のアパートが生活の拠点になったが、仕事の都合上、彼女の帰宅は深夜を回ることが多かった。そんな彼女に、湯田は別な職につくように頼んだが、生活ができないからというのが、彼女のいつもの言い訳だった。

 女が、妊娠したといったのは、付き合いはじめて半年が過ぎたころだろうか。まだ、中絶は可能であったが、女は、どうしても生みたいと言った。

「今まで、幸せなことなど何にもなかった。この子を育てて幸せになるわ。結婚してくれなくてもいい」

「女手一つで、どうやって育てるんだ。小さな子供がいては、働くこともできないぞ」

「心配してくれなくてもいいわ。ちゃんと、この手で育てます」

 話は、堂々巡りで、どこまでいってもまとまらなかった。

「堕ろしてくれ、そうしたら、親父に言って、金を出させる」

「あなたは、いつも金のことばかり。それも、人任せ。自分で、何とかできないの」

 いつか二人はもみあいになり、気がつけば、甘い果実を味わっていた。

「どうしても堕ろさないのなら」

 湯田は言って、彼女の首に手をかけた。首を締められて、彼女は、今までにない感覚に震えた。

「殺して、殺して」

 と女が叫んだ。その声を聞かれまいと、湯田は女の口に手を伸ばした。その後、どうなったのか、

 女は、わずかに膨らんだ腹を見せながら、

「殺して、お願い」

 と繰り返した。

 俺が、この女にしてやれることは、首を絞めて殺すことだけか。そうなんだ。これしかできない、湯田は、ゆっくり両手に力を込めた。

 公判が始まり、聖児をめぐる人間関係が露わにされた。聖児の父は、いくつもの会社を経営する敏腕家であり、敬虔なクリスチャンとしても知られた街の名士だった。

 彼の(父)は、祖父母の間に子供がなかったので、養子として他家よりもらわれ育てられた。(父)は、見合いで母と結婚し平和な家庭を築いていたと思われたが、(父)を溺愛していた養母は、(父)と関係を持つに至った。

 養母と(父)の不倫、それを見た養父は、怒りのあまり、何と嫁に手を出すに至った。

 母が妊娠、出産し聖児が生まれたが、聖児は誰の子なのかわからず、(父)が、養父に嫉妬し、養母も(父)を攻めるという地獄のような毎日が始まった。

 聖児が生まれて七日目、(父)は、生まれた児の素性を怪しんで、猟銃を持ち出して養父に真実を話すように迫った。と同時に、養母は、(父)の不誠実さをなじった。

 養母、(父)の二人が、からみあう中で、どちらの指が引き金に触れたのかは分からないが、銃が暴発し、(父)は死亡した。

 (父)が死亡したので、養父が、自分の妻が産んだことにして、出生証明書を発行するよう知り合いの産婦人科医に金を出したらしい。

 その後も、養母は、(父)の死の原因は、嫁にあると曲解し、聖児の母に辛く当たった。その後、母は実家に戻り聖児は義母の手で育てられた。   

 判決は、懲役十年となった。面会に来てくれたのは、父だけだったが、それも最初のうちだった。湯田は、刑務所に入所中に、何か、技術を身に着けようと考え木工を選んだ。大学に入学したことなどは、忘れることにした。

 七年が経過した頃、このままいけば、仮釈放が認められるいうとき、湯田は、作業場の中で、小さなミスをした。

「やれやれ、学士様は、いつまでたっても、大工仕事のひとつも身につかないようですな」

と誰かが、嘲りの言葉を吐いた。

 その言葉に激情して、湯田は、相手の胸倉をつかみ、引き倒した。刑務官がやってきて、湯田を規則違反で拘束し、湯田は、懲罰房への入所が決まった。

 満期で出所した湯田に、行く宛はなく、毎月の報酬を積み立てた金銭で、実家までの切符を買うと殆ど残らなかった。

 果たして、家に入れてくれるのかどうかもわからなかった湯田は、夜遅くに実家を訪れた。当座の金を無心をしようとしたのだが、そこに待っていたのは、父母の完全な無視と侮蔑だった。

「金の無心か。ほら」

 といって、父は、玄関先で犬に餌を与えるように一〇万円を投げ捨てた。聖児は、黙ってそれを拾った。これがなければ生活できないのだから、犬と言われようが、犬以下と謗られようがどうでもよかった。しかし、惨めだった。

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