第37話

 一人になったラニは、暖炉の傍らに腰かけて、淹れなおしたホットミルクをすすっていた。薪に小さな穴を開けて大人しく揺れている炎は、先ほどよりも弱くなっている。彼は乱暴にそばの薪を一本放り投げて、勢いよく溜息を吐く。


 人前であのように流暢に話すのは久しぶりのことであった。


 いつもならば年齢相応に見えるように、気弱な性格を演じている。発言を控えて、相手の一挙手一投足に過敏に反応を示していた。頭の中で流れる思考を相手に読み取らせないように、隠すように、幼い子供を演じていた。




 彼の頭脳は成人のそれよりもはるかに優れている。年齢に見合わない天才的な思考力を持ち合わせ、驚異的な集中力と記憶力を行使することが出来ていた。



 彼がそれを公にするのをやめたのは、彼の両親が家を出て行ってからだった。



 暖炉の上で倒れている写真立てが埃を被っている。彼は何度もそれを焼いてしまおうと思ったが、とうとう今に至るまでそれが出来ずにいた。両親は彼の天才的な思考を恐れ、まだ幼い彼の妹を連れて夜に逃げていった。


 そこからである。彼は年齢にそぐわない思考を持つと嫌悪されるということを知り、頭脳に追いついていない体の成長に合わせるようになった。国内で何度も引っ越しをした。そしてようやく自分のことをまったく知らない土地に降り立ち、気弱な少年として人々を騙すことに成功した。



 しかしいつしか、彼にとってどちらが本当の彼なのか、分からなくなった。体に合わせた彼なのか、頭脳に合わせた彼なのか。それは同じ人物だというのに似ても似つかず、まるで別人のようであった。



 気弱な少年ラニは、愛情と尊敬を欲していた。両親から注がれるはずであったそれらを求め、しかしそのことを表に出すことが出来ず、拙く泣いている彼であった。成長しきったラニは、そんな彼を見て、歪んだ欲求だと判断した。非合理的で、無価値なものを求めるなどということは、彼の天才的な頭脳に相応しくない。しかし、彼の胸の内では、そのことを否定していた。



 ディジャールという男にそそのかされそうになったとき、確かに内には成長しきった彼が存在していた。それにも関わらず、幼稚な欲求をどこかで肯定してしまっていた。


 先ほどまでソリバが座っていた椅子を見る。


 少なくともラニは、彼らが自らの作品を欲していることに満足していた。







 よろめく足で夜の大通りを歩く。広い道路には人っ子一人として見当たらず、深夜の寒々しい静けさだけが轟いている。引きずるような足取りが不揃いな音を立てて、それを夜風が流していった。


 彼は何とか意識をしっかりと持ちながら、拍動と共に衝撃の響く頭を支え、懐にある重たいそれを落とさぬように抱え込んだ。小屋を出ていくときに、半ば強引に持たされたその兵器である。両手に収まる大きさだというのに、その威力を表すかのように妙な重量を持っている。共に手渡された9発の銃弾は、小さな麻の袋に丁寧に梱包されていた。


「これをどんな風に使うかは旅人さんの自由だよ。たとえこれの存在によって害を被ったとしても、僕は責任を取れないからね」


 ラニの高い声がそう言っていた。



 それと共に、三年前の惨状が目の前に浮かぶ。


 あの時の自分が、この兵器を片手にしていた。ティフルの前に立ち、王宮から優雅な足音を立てて姿を現した彼らに向けて引き金を引く。二発の爆発音は寸分の狂いもなく鳴り響き、大罪人共の額に風穴が開いた。


 驚愕したように見開かれた目が自分の方を向いており、その憎悪は自分一人にのみ向いている。周囲の人間は空気のように存在が薄れ、安全な風になってどこかへ消え去ってしまう。大罪人共の真っ黒な目だけがそこに落ち、額に開いた第三の黒い目がこちらを向いている。それで収まる。死んだ人間はことごとく息を吹き返し、クリミズイ王国は平和な時間を刻んでいく……。







 気が付けば、もう宿の前にまで来ていた。先ほど飲んだ造血剤が効いたのだろうか、貧血の症状が少し軽くなっている。足音を殺して、誰にも気づかれないよう、宿の扉を押した。


 (旅の報告と、それと……)


 脳裏に優しい笑みを浮かべる少女が浮かんだ。自らが王女と呼ぶ彼女の存在が、今はたまらなく恋しかった。

 


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