二十八.

 辰吾先輩の挑発に対して、安斉先生ははっきり聞こえる舌打ちを返す。これ以上の言い逃れや無駄なあがきはしてこなかった。

 ただ、最後に負け惜しみじみたぼやきを聞いた時は、一瞬だけ生徒会室が凍りついたような気がした。


「なんで今更バレるかねえ? ずっとザルな管理してた金庫に三十万なんて、いつ無くなったかとか、どうせちゃんとはわかっちゃいなかっただろお?」



 早希先輩はふっと目を伏せる。

 昨日に口裏合わせをまったくしていなかったわけじゃない。それでも、この瞬間ばかりは、僕もりえか会長も辰吾先輩も、目配せすらなく、素知らぬ顔で口を閉ざした。



「……生徒会を」


 最初に口火を切ったのは──覚悟を決めたのは僕だった。


「高校生をあまりナメないでください。ぼくが書記に就いたからには……ぼくの目が黒いうちは、過去のぶんも合わせて責任持って管理します。ましてや、活動費の情報改竄かいざんとか絶対に許しませんからね」



 安斉先生は床へ唾を吐き捨てる勢いで職員室に引き返していく。思っていた以上に図太くてしぶとい大人だ。あまりに悪いことをし慣れていて、神経がにぶってるんじゃないだろうか。

 去り際、辰吾先輩が友だち感覚で手を振り、


「卒業して同窓会するぐらいになったら、俺もちゅうあたりで誘ってくれなー? まあ外してばっかのあんたの買い目はアテにしねえけどさー!」


 と茶化せばもれなくりえか会長の手痛いチョップが炸裂する。


いてえなあ、馬やボートは別に悪かないだろ」


 叩かれた後頭部をさすりつつ、


「……まだちょいとヌルいんじゃねえのか」


 視線を向けたのは早希先輩だった。

 この部屋で唯一、真犯人を責める資格も罰する立場も持ち合わせていなかった彼女も、乾燥しきった喉を震わせ、


「そう、だよ。本当に良かったんですか、これで……」


 と最後のお伺いを立てる。安斉先生に対して言っただけではないのは明白だった。

 りえか会長は腰に手を当て、乱暴に閉めたせいで完全に閉じきらなかったドアを眺めたまま、


「良いわよこれで。公平でしょ」


 そう嘯いた。いや、嘘ではなかったか。

 生徒会で起きた問題は生徒で解決する──生徒会執行部の信念にも、生徒会長たる彼女自身の信条にも基づいた判断だ。

 ……まったく。

 廻谷の未来と平穏を守るためとはいえ。

 同じ学び舎に集った僕らは、ほとほと正義の味方からは程遠く、よそものには手も付けられないくらいに悪ガキだった。



 緊張の糸が途切れたみたいに崩れ落ち、床にしゃがみ込んで泣き出した早希先輩の頭をぽんと一度だけ軽く叩いた辰吾先輩が、


「人生の先輩のやり口にゃ、やっぱし勉強になるな。塚本」


 と囁いたのを僕は小さな背中で抗議する。

 冗談じゃない。どうかあなただけは今のあなたのままでいてください──と、心の中で呟いた。



   ×   ×   ×



 再び木曜日がやってくる。

 一学期の終業式を迎え、灼熱地獄の中で心臓破りの坂を登りきったそのままの流れで、僕は百人と少しの全校生徒が集う体育館へ足を運ぶ。

 生徒の数がこれっぽっちなら、広々とした体育館でソーシャルディスタンスを取るのもさほど難しくなかったけれど、朝から一時間弱立ったり座ったりを繰り返し、次々にステージへ上がっていく先生たちの話を聞き流す作業は、何度経験したって慣れないものだ。


 最後に登壇したのは、入学式に一度同じステージで見たきりだった鳩ノ巣正道学長。

 僕らや歴代の卒業生たち全員のトップだからと言って、いざ表に出たところで他の教員たちと大して話のありがたみは変わらなかった。立っているだけで大物だと伝わるオーラだけはどことなく娘さんに近いものがあったけれど、学校の先生らしい説法と、お偉いさんらしい綺麗事を並べられるだけ並べたて、最後には包容感あふれる柔らかな笑みを僕らへ振りまきながら、


「ひとりひとりが自分の行動に責任を持ち、限りある夏休みの時間を精一杯楽しんでください」


 と、マイク越しになに食わぬ顔でのたまった。




 終業式の日も午前のうちに解放される。一緒に通知表も返ってきたのを、テストの時と同様に見て見ぬふりしながら、僕は生徒会室へ入っていった。

 今日は一番乗りだった。エアコンを付け、少し暇を潰していれば、パタパタと廊下から上履きの音が聞こえてくる。


「おーつーかーれー! ひえぇー!」


 夏をほんのり涼しくしてくれそうなあたたかい悲鳴とともに、早希先輩が駆け込んできた。


「どーしよどーしよ! やっぱり期末ボロボロだったのが通知表に響いちゃったよー!」


 口角がわずかに上がっていて、声も明るいものだから、それほど切羽詰まっているようには聞こえない。

 ああ、と僕は固くなっていた肩をほぐす。

 良かった。いつもの早希先輩だ。


 やがて生徒会室にはりえか会長も──珍しく辰吾先輩もやってくる。特に辰吾先輩はあからさまに不機嫌そうにしていて、こっちは早希先輩よかずっと危険信号が灯っていそうだった。先週に引き続き補習をくらったのだろう。


「……そういえば早希先輩」


 生徒会室の空気が整ってきた頃合いを見計らい、僕はかねてから気になっていたことをちょっとだけ悩んでから口に出す。


「英語苦手だったんですね? 英会話教室のバイトは結構前からやってたんでしょう?」

「あー、それねえ」


 早希先輩はソファで僕の隣に腰掛けている。向かいの席では辰吾先輩がたっぷり場所を取ってソファを独り占めしていた。


「お母さんに言われたからしょうがなく続けてたけど……相手するのは小さい子ばっかだから、苦手でもなんとかなっちゃってただけなんだよね。リスニングなんて、ぶっちゃけ小学生レベルだよ、私」

「なるほど」

「ホントはもう辞めたくて辞めたくて。違うバイト探そうかなあ。……っていうか」


 早希先輩もちょっとだけ言葉を詰まらせ、生徒会メンバー全員の顔色を伺うようにしてから、わずかに声を潜めた。


「どっちみちしばらくは久山くんとこでお世話になるし。そのまま、あっちのバイト続けてみても良いかなって思ってるんだよね」


 一瞬、誰も言葉を発しない時間があった。

 僕も複雑な心持ちだ。とりあえずジャズ部はつまみ出せ──って言おうとしたのを、辰吾先輩が先んじる。


「久山は良いが、もう内藤の世話にはなるんじゃねえぞ。いくら狭い町だからって、アテなんざ俺でもりえかでも、他に誰だって持ってるんだからな」

「そう、だよね。ホントだよね。うん」


 ごめんなさい、とは返さなかった早希先輩が、持ち前の天使っぷりを演じつつ、


「でもね。サバゲーのほうは、見てて結構面白そうなんだよ」


 楽しげに、なんの悪気なしに、テスト期間中に始めたバイトの話を始める。


「ああいうのってもっと怖い人とか、屈強な人がやるような遊びだと思ってた。美鶴ちゃんたちがハマるのもわかるなあ。久山くんもそんなに運動得意な子じゃないもんね。私もほんのちょっとだけ鉄砲触らせてもらったんだけどさ、当たると超嬉しいよ。ドッヂボールみたいに、相手のたまを避けるのもすごく楽しくって……」


 話を聞いている間、なぜか僕と辰吾先輩の目がぴたりと合った。

 次に揃って視線を向けたのは、ここまで一言たりとも声を発しないりえか会長だ。誰かをなじるわけでもなく、それでもツンとした顔で、いえいえ別に機嫌悪くありません、いつも通りですがなにか? と嘘丸出しの態度を僕らからほんの少し離れた位置で続けている。廻谷のエリカかあんたは?


 ……そ、そうなんだよなあ。

 久山先輩は久山先輩で、別の問題があるんだよなあ。いや、これは僕らが軽率に踏み込めるエリアじゃなかったんだけれど。

 正直、疑い半分だった。りえか会長、そんなに本気で言ってたんだ。

 この一週間で僕もつくづく思い知らされた。お金の管理も難しいけれど、人間関係を保つのもちょっとした毎日の戦いだよな。



 他愛もない話題がある程度切れたあたりで、コンコンと机を爪で叩いたりえか会長が、


「ちょっと良いかしら」


 普段よりも低い声で、いつになく真面目そうな顔で口を開いた。


「は、はい!」


 はっきり返事しつつ、その声は誰のせいで低くなったのか邪推する前に、


「明日から夏休みで、生徒会は例年この時期は、文化祭の打ち合わせする日以外は基本お休みってことになってるじゃない?」


 りえか会長が話し始めた。


「ここいら一週間であんたたちもよくわかっただろうけど……あたしも結構反省したんだけどさ。やっぱり生徒会としての運営管理がもろもろ杜撰なのよね。お金のことも当然だけど、部活動の面倒も、自分たちで思っていた以上に全然見れてなかったと思うわけ」

「……それは」

「見れてないというか、見てる奴は勝手に見てるというか。生徒会のお仕事として生徒どもの活動に関わってるのか、個人的な付き合いで勝手に判断して面倒見れてるつもりになっちゃってるのか。そこらへん、改めて生徒会の間で線引ききっちり決めて、メリハリ付けなきゃいけないと思ったのよ」


 その言葉に反論する人間はいなかった。

 一連の騒動について、的を得た指摘だと誰もが納得しているからだろう。


「よって、生徒会長として提案します」


 誰もが静かに耳を傾けている中、回転椅子の上でぴしと背中を正し、腕を組み整然たる面持ちで、りえか会長は宣言した。



「──生徒会執行部で、合宿をしましょう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る