二十七.

「とにかくですね」


 犯人探しもほどほどに、僕は顧問の彼へもともと伝えるつもりだった、一連の本題をやっと口にした。


「三十万円の行方もたいへん重要ですが。間違いないのは、この紛失はひとえに生徒会の管理不十分が引き起こしたという点であって、特に金庫の管理については、いま一度見直しが必要なんじゃないかとぼくらは考えています」


 南京錠へ目を落とし、


「まずは取り急ぎ、何代も前から鍵の取り替えに協力いただいていた近所の金物屋さんへ、再発防止のために生徒会でどんな備えができるか相談したくて、ついでに鍵も交換してもらいたくて問い合わせてみたんですよ。……そしたら……」


 辰吾先輩から昨日聞いたばかりの証言を復唱する。

 これが最終的な僕らの──不本意にも、犯人を追い詰める決定打となった。


「先月あたりに、生徒会を名乗った誰かが、この鍵の合鍵を作ってもらえるよう、すでに一度相談に来ていたことが発覚したんですよ」


 安斉先生の顔を直接は見なかったけれど、息を詰めるかすかな音からしてあきらかに動揺している風だ。

 南京錠を見た時の反応から、僕も先輩たちも、とうに確信はしていたけれど。


「もちろん、そんなことを直近で頼んだ人は、この場には誰もいません。ぼくもこういう鍵の扱いには詳しくなかったんですけど……改めて調べたらびっくりしました」


 僕は終始座ったまま静かにしている早希先輩へ歩み寄り、その手にぎゅうと握りしめていた南京錠の鍵を拝借する。

 きらりと照明で鈍く光った鍵を安斉先生へ見せびらかす。


「ちゃんとしたお店で作ってもらった鍵って、鍵番号というものがあるそうですね。てっきり、合鍵なんて現物を持ち込まなきゃ作れないとばかり思ってましたが、この番号さえ知っていれば……この鍵を一度でも見た人間なら、誰でも作れちゃうらしいんです」

「はあ? ……なにが言いたいんだ、涸沢?」

「早希が迂闊にも見せちゃったのよ」


 代わりに答えたのはりえか会長だ。机から離れ、ソファのあたりまでずんずんと近付いてくる。


「野外活動の打ち合わせの時にね。ほらあの人ですよ──小早川参さん」


 ずっとふざけ、おどけていた声色が、だんだんと静まり深みを増していくのを、この場にいた誰もが感じ取っていた。


「もしやと思って、あたしから直接参さんへお電話しました。てめえあたしに隠れてあたしの早希をたぶらかしてコソコソ勝手すんじゃねえよって現生徒会長として正式にクレームを言ってやろうと思いまして。先生もよくご存知でしょう? あの先輩、ほんっと昔から余計なことしかやらないんですよ」


 怒りが有頂天に達する手前みたいな声と形相だった。誰にキレていたのかは不明だ。

 不明というかほとんど二択だ。参先生か、目の前で口をパクパクさせている……。


「安斉先生。あのろくでもない先輩、なんてほざきやがったと思われます?」


 先生の顔色を伺うまでもなく、りえか会長は低く唸った。



「『教育実習で久しぶりに生徒会来て思ったんだけど。やっぱり生徒だけでお金の管理するのは限界あるから、これくらいは顧問にも介入させておいたほうが良いんじゃないかと思って。早希ちゃんが鍵を無くしちゃったとか、なにか不測の事態に備えて、念のために合鍵を安斉先生へ預けてきたよ』──だ、そうです。うるせえ何様だてめえぶっ殺すぞ」




 ……最後の暴言は聞き流すとして。

 とことん意味のわからない卒業生──と僕も聞いた時はギブアップした。二年前といい今回といい、どうしてそう何度もトラブルの引き金を引きたがるんだろう。

 そもそも、三十万円を早希先輩に教えたのが彼女だったはずだ。その後でわざわざ、安斉先生にも声をかけて、合鍵まで渡すなんて、いかにも一度金庫の様子を見てくださいと言わんばかりだ。


 ……そんなにも、廻谷が憎かったんだろうか。

 卒業した後からでも目にもの見せてやりたくなるくらい、かつて自ら生み出した三十万円をエサに、少しでも廻谷やグループにとって痛手となるような事件を引き起こそうとしたんだろうか。

 こればっかりは、彼女のことをさほど知らない僕がひとりで推察したって仕方がない。ひとまず確かだったのは、さすがりえか会長の先輩で喜多川さんのお姉さん、なかなかどうして曲者じゃないか──ってくらいだ。



 あとは強いて言えば、安斉先生も、参先生からずっと狙われていたんだろうと、ふと思った。もともと生徒からの評判がすこぶる悪く、それでも廻谷にずっと教員として根付いてきた彼であれば、遅かれ早かれ尻尾を出すと見込んでいたのだろう。

 皮肉にも、彼女の見立ては合っていたわけだ。


「その合鍵が出来上がったのは、ちょうどテスト初日だそうです。金物屋さんが教えてくれました。手渡しで参先生へ直接……あのお店も、あの先輩が会計やってたの知ってたから、ぼくらともちゃんと話付けてあるって信じちゃったんですね」


 ここからは賭けだった。僕が自ら考えた苦肉の策、最後の腕の見せ所。


「けど、合鍵って必ずしも上手に開けられるとも限らないですよね。よく思い出してくださいよ先生。──あなた、ちゃんとその鍵でスムーズに南京錠を開けられました? ちょっとくらい無理をしたんじゃないですか?」


 言っておきながら自分でも無茶苦茶だと内心嘲笑う。

 こんなカマかけ、こんなハッタリ、こんな口から出まかせみたいな推理。

 バカげている。普通なら信じないだろう。これぞ「テキトーほざくな」とキレられて終わるくらいの、あまりに未完成で不完全な推理だ。しまいには僕に、すでに一度試した後だと決めつけられて。


 にも関わらず、安斉先生は一切反論することなく、自分が犯人ではないと釈明する素振りもなく、ただその場で突っ立ち顔も動かさず、口だけが言葉も出ずにふよふよとさまよい歩いていた。

 ……ああ、賭けに勝ってしまったな。

 大概そういう反応になるんだよ、やましいことが少しでも心の中に残っている、人間という脆弱な生き物は。

 早希先輩からよく学ばせてもらった。安斉先生、図太そうな雰囲気を出していたって、あなたもとっくに、正しい判断ができるような精神状態にはなかったんですよ。



「そういや、言い忘れてたんだけどよ」


 絶対に言い出すタイミングを見計らっていた辰吾先輩が、


「一年の喜多川さんってわかるか? あいつ、テスト期間中もテストやってる間も、ずうっとパソコンの部屋でお勉強してたらしいんだけどさ」


 いつそんな話を聞いたんだ、あんたこそテキトー抜かしてるだろって僕が呆れるくらいにどっしりと構えた態度で、とうとうソファから立ち上がってくる。


「テストの初日か二日目か。夕方あたり、この部屋が電気ついてるって不思議がってたんだ。そっちは塚本でも、涸沢やりえかの仕業でも……ましてや小早川参なわけがねえと思うんだが? あんた、どういうわけだか知ってるか?」


 安斉先生の目前で立ち止まれば、絵に描いたような猫とネズミの構図が完成していた。


「知ってるっつうか、あんたは覚えてるか? あの金庫の数字合わせるやつ。さすがに覚えてるよな、数学のせんせー? だってその金庫、話に聞けば、昔の先輩たちがあんたと一緒に買いに行ったっつう触れ込みだからさ」


 言いがかりだ、なにを俺が犯人だと勝手に決めつけているんだ。

 そう真っ赤な顔で怒鳴られても仕方なかっただろう──それを発言したのが、僕や早希先輩だったなら。

 けれど今、半笑いで安斉先生に詰め寄っていたのも、ずっと後ろで仁王立ちして睨みをきかせていたのも、廻谷で、そして籠森で、たとえ教員であっても絶対敵に回してはいけない生徒──そのツートップだ。


 頑張れ安斉先生。大人らしく筋を通してくれ。

 この二人に凄まれてもまだシラを切り通せるものなら──嘘を吐き続けられるものなら、せいぜい最後まで貫いてみせろよ。

 まあ早希先輩では一日、一時間、一分たりとも保たなかったけどね。



   ×   ×   ×



 そんな、虎の威を借るなんとやらの淡い期待をあっさり裏切り、卒業生のトラップにも現役生のカマかけにも容易く引っ掛けられた愚かで哀れなおじさんは、


「……ちっ。要らんことに気付きやがって」


 と、辰吾先輩から目を逸らし、忌々しげに吐き捨てた。


「なにに使ったの?」りえか会長がすかさず問い詰める。「競馬? ボートレース? あんた、いっつも授業のたびにギャンブルの面白さを自慢げにあたしら高校生相手へ語ってくれるものね?」

「あの三十万があったら!」


 僕も、彼が非を認める寸前まで押し留めていた非難の声を浴びせた。


「夏休みのいろんな部活動が、ほんのちょっとでも助かったかもしれないんですよ。それか文化祭とか体育祭とか、この先待ってるいろんな行事を盛り上げるために使えたかもしれないんです。それを、まさか賭け事なんかに──」

「うるせえなあ。ガキがいっちょ前に説教垂れんな」


 安斉先生は不快そうに睨み返してきた。ぞっとする。その顔が怖かったわけじゃない。


「どうせお前らにはもったいない金だろお。部活って、なんに使うってんだ。ええ? お前ら廻谷の学生連中はこぞって勉強もしねえ、受験も就活もまともに取り組まねえ、部活と称してだらだら遊び呆けて、学校の金をドブに捨ててるようなもんじゃねえかあ。ああいう金だって、親御さんに払ってもらってる学費から出てるっていう意識がまるでないんだな」


 生徒会の誰もが、反論できなくて声が出せないわけじゃないとすぐにわかった。

 あんた……今自分の置かれてる状況がわかってて、本気で言ってんのか、それ?


「ここ出たら、そのまま社会へ出ていくんだっていう自覚も足りてねえ。鳩ノ巣も滝口も、そんな頭で登校してきて、バイクなんか乗り回してなにが生徒会だあ? お前らが率先して学校の風紀を乱しているんだろうがあ!」

「なに言ってんの?」


 ようやくりえか会長が口を開いた。


「髪染めちゃダメなんて、生徒手帳に書いてないわよ」


 ……へー、そうですか。ちゃっかり細かい部分をよく見てますね。さすが会長。


「おーそうだ。派手な髪型は控えろって書いてあるぶんだろうが」


 ……へー、そうですか。自分に都合の良い解釈してますね。さすが副会長。


「バイクだって、あんたにも、どの先公にだって文句言われた試しねえよ」

「言われなかったら良いわけじゃねえよ。よその学校が禁止してるのに、自分たちだけ許されるわけがないだろお?」

「なに逆ギレしてんの? 美鶴じゃないんだから」


 りえか会長が首をもたげさせ、呆れを通り越し感情を殺しきって、


「論点すり替えてんじゃねーよ。今回はあんたが金庫の三十万ネコババしたって話でしょう? 悪いことしたら、まずはごめんなさいって言いなさい。そう昔、先生に教えてもらわなかった? 教えてもらわなかったのねえ、かわいそうに。確かにあたしも、あんたからはそういう生活指導っぽいご高説を一度だっていただいたことないもの」


 どっちが教員だかわからない説教をしてくれたことで、僕はようやく安斉先生に抱いていた恐怖の正体に思い至った。


「そう、ですよ……ああまったくだ。悪いことしたって自覚はないんですか、先生!」

「ねえよそんなもん。お前らにはもったいない金だって言ったろお」


 年甲斐もなく子どもに叱られて自棄を起こしているだけだと信じたいくらいに、開き直りも甚だしい安斉先生は早口でまくしたてる。


「特に部活動なんか、ガキの道楽以外の何者でもねえよ。その遊びに付き合わされる教員の身にもなってみろお! やれサービス残業だ、やれ公務員の給料底上げだなんかよりもなあ。政府はなあ、部活動制度なんかさっさと廃止しちまえば良いんだよお! 野球やりたきゃ地元のクラブに行きゃあ良い、ピアノ弾きたきゃ習い事行きゃあ済みだろお! ネットも普及して、てめえ勝手にやりたいことやれる今時になあ、もう流行らねえんだよお、学校でお勉強以外のことを無駄に面倒見続けんのはよお!」

「だぁから逆ギレすんなって」


 ひとりだけ、生徒会室で滑稽に踊り狂う安斉先生の姿を面白がるように笑みを残した辰吾先輩が、


「そういうのは普段からきっちりガキの面倒見てる先公が言うセリフだ。あんたはいつも定時で帰ってるだろ。生徒会の面倒見てた日なんて一日でもあったか? 学費払ってんのも、だいたいの奴は親だろうが、家の都合によっちゃあ、てめえでバイトして稼いで払ってるやつも中にはいるだろうよ。どっちにしろ、てめえの家から出たぶんの金はてめえで好きに使って当然だろが」


 どの立場で物申しているのかわからない口振りで安斉先生をたしなめた。本当、その年頃でよくそこまで巨大組織のドンみたいな貫禄を出せるもんだよ。


「まあ良いや。で? どう落とし前付けてくれんだ安斉? そんだけ俺らガキには偉そうに説教垂れたんだから、てめえだってきっちりケジメ付けるつもりあるんだよな? ダッセー悪あがきすんなよ、良い歳こいた大人がさ」


 指でも詰めさせるか山へ埋めてくるか、次なる展開にうきうきとしている辰吾先輩の肩を引き、安斉先生の前に立ったのはりえか会長だった。

 どこまでもふてぶてしくしている安斉先生へ、


「先生。……もうすぐ給料日ですよね?」


 感情こもらない冷たい声で言い放つ。


「廻谷の教員で、あなたくらい歴があれば三十万くらいは余裕でもらっているはずです。今日から一週間以内に、さっぴいたぶんだけ耳揃えてあの金庫に戻してちょうだい。そうしたら、今回はダディーにチクるのも他の先生たちにバラすのも勘弁してやる」



 えっ、と小さく驚いたのは早希先輩だった。

 真犯人との攻防が繰り広げられている間、その顛末をただひとり、ソファに座ったまま一切加わることなく見守っていた彼女が、生徒会長の下した裁定で初めて反応をあらわにする。


「法的にも民事的にも、金銭の窃盗は奪ったぶんだけ持ち主に返して終わるケースが多いですから。もちろん異論ありませんよね? すすんで刑務所に入りたいとおっしゃるなら別に止めませんけれど」

「余裕だよなあ?」


 野次みたいな追撃をしたのは辰吾先輩だ。あごを突き上げ両手をポケットにしまいこんで、意味ありげな含み笑いを浮かべた。


「三百万じゃねえんだ。三十万くらい、ちょっと遊びを我慢すりゃあ大人なら余裕で払えらあ。……なんだったら、その気になれば高校生にだってできるぜ」

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