二十六.

 月曜日。

 ああ憂鬱だ。週末を一回挟んだだけで、テストの答案用紙が全教科まとめて返ってきやがる。まあ僕の場合どうせ、いつも通りに可もなく不可もなくで、大袈裟に一喜一憂するのも恥ずかしいくらいに冴えない点数ばかり取っていたけれど。

 帰りのホームルームが済むなり一枚残らずクリアファイルにしまい込み、そのままリュックサックへ封印して生徒会室に向かった。


 生徒会室には早くも全員揃っていた。ソファで向かい合うように辰吾先輩と早希先輩が座っていて、りえか会長は回転椅子の背もたれによりかかり、僕の到着をのんびり待っているようだった。

 ……この部屋に四人集まったのって、いつぶりなのかな。


「会長」テストの話題もそこそこに、「あの人も来ますよね? 今日は」


 たずねれば、りえか会長はけろっとした様子で答えた。


「呼んでおいたわよ。生徒会のことで大事なご相談がありますって、懇切丁寧にね」


 嫌味たらしい言い方だ。どうせ今回も全教科満点なんだろう彼女は、誰へなにをどう振る舞ったところで廻谷じゃ文句を言われようがない。

 指導する側にしてみたら、正統派不良の辰吾先輩よりもずっと始末に負えない生徒なんだろうと勝手に同情してみる。



 そう──指導者。

 生徒だけで自主的に運営しているように見えている生徒会執行部にも、他の部活動と同じように『顧問』なる大人の存在があった。見えているというか、生徒だけで回しているのは事実であって、彼はめったに、辰吾先輩よか遥かに部屋へ顔を出そうとしない、僕らの間でも生徒会室の空気よりずっと軽く見られた存在だったけれど。



 しばらくして、ガチャンと閉じられていた生徒会室のドアが雑に開かれる。

 生徒会執行部顧問にして数学教師の安斉すぐる先生は、ソファに腰掛けた二年生二人を発見するなり、あっと、獲物を捉えたような鋭い視線を送りつけた。


「ここに居たのかあ滝口! お前、今日も居残りあっただろお」


 間延びした声で、説教垂れておきながら内心わざわざ怒鳴るのもだるそうに。


「数学が赤点はいつものことだけどなあ、課題くらいは全部出せってんだよお!」


 僕は辰吾先輩の、いかにもウザったそうな表情を不思議になって見つめる。おいおい話が違うぞ辰吾先輩。今回は全部出したんじゃなかったのか?


「細けぇなあ。プリント一枚で勘弁してくれりゃあ良いだろ」


 良いわけないだろアホ──とどこかでなじる声がした。たぶんりえか会長だ。


「つうか、おいおい。塚本も学校来てたのかあ!」


 反省しそうもない辰吾先輩から、次なる標的となったのは早希先輩だ。びくっと肩を震わせてうつむいているのに調子付いたのか、さっきよりもいささか声を張って、


「なに授業サボってんだ? お前なあ、今回、軒並みひっでえ点数だって二年の先生たちが言ってたぞお!」


 そうなんだ、今日は欠席していたのか。

 まあ昨日の今日だ、同じクラスにいる久山先輩や内藤先輩とは、すぐには顔を合わせづらかったのだろう。


「ご、ごめんなさい……」

「特に英語! お前まで赤点スレスレってどういうことだよ? テスト期間中、ろくに勉強してないのが丸わかりじゃないかあ」


 ダン! 急に大きい音がした方角へ一斉に視線が集まる。会長机へ両手を付き身を乗り出したりえか会長が、


「せんせー、あたしは? あたしにはお説教してくれないんですかあ?」


 などとのたまい、わざとらしく爛々と目を輝かせていた。安斉先生は途端に声を小さくして、「お前は現状維持してりゃあ良いんだよ、お前は」と苦し紛れに呟く。

 ……うん。日頃からこういうクソアマな態度を取られているんだったら、どんなに成績良くたって教師陣たちにとっても全然可愛くないよなあ。



 安斉先生はふいと、ひとりだけ着席せず立ちぼうけている僕に照準を合わせた。


「お前は……ああ、一年の涸沢か」


 あたかも僕だけは自分の担当ではないみたいなよそよそしさで、


「お前はくれぐれもこういう、ろくでもない先輩たちの真似っこをするんじゃないぞ。学生の本分は勉強に決まってんだ。生徒会で楽しくやってるのも良いけどな、最終的に大学受験や就職で使えるのはこっちの点数なんだからな」


 と忠告してくれたけれど……ごめんなさい先生、手遅れかもしれません。

 僕は今しがた、先輩たちから見ても目も当てられないくらい、赤点取るより課題を忘れるよりも、ずっと悪い行いに手を染めようとしているのですから。



「安斉先生。一年一組、生徒会書記の涸沢です」


 忘れられていそうだった肩書きを改めて口に出し、


「一学期終業に向けてお忙しいだろう時期に、いきなりお呼びして申し訳ありません。たいへん恐縮なんですが、この度、どうしても生徒会顧問のあなたにご報告しなければいけない事態が起きてしまいました」


 かしこまった様子の僕を怪訝そうに見下ろす安斉先生へ、告げた。


「二年前の卒業式から、ぼくらの代まで引き継がれ繰越されてきた、生徒会で管理している全体行事運営費。──計三十万円を、紛失してしまいました」



   ×   ×   ×



 沈黙の時間は長かった。

 安斉先生は数回まばたきし、音も立てず口をもごもごと小さく開閉させてから、


「……なんだあ、そりゃあ?」


 と不可解そうな声を漏らした。


「三十万っつったのかあ? ……んな、大層な金が」

「あったんですよ、つい最近まで」


 僕は確固たる意志で報告を続ける。


「いつもの金庫へ封筒と一緒に入れて、ぼくらで大事に保管していたつもりだったんですが……ごめんなさい、不注意で無くしてしまいました」


 いかにも深刻そうな表情を作り、純朴な高校生らしく正直に起きたありのままを伝えている──かのように振る舞った。


「ぼくらが把握している限り、お金がなくなったのは先々週の月曜日……テスト期間が始まる前日の夜から、こないだの木曜日にかけてのおよそ十日間のどこかです」


 全校生徒の前でスピーチするみたいにはきはきと。


「月曜の時点では封筒ごと、金庫に入っているのを確認したので。どうすれば良いでしょうか、先生? 先輩たちと相談して、話し合ったんですが……もしかして、もしかしたらなんですけど、テスト期間の間に誰かが留守の生徒会室に入って、金庫の中身を抜き取っていってしまったんじゃないでしょうか?」


 安斉先生はしばらくその場でゆさゆさと体を揺らし、困り果てて教師に縋り付いている僕の顔を眺めていたけれど、


「そんなもんなあ、俺に言われたってどうにもなんねえよ」


 自分でも手に負えないといった素振りで、いかにも面倒くさそうに頭をかいた。


「この部屋もずっとお前らが居座ってて、あの金庫だってお前らが面倒見てたんだろお? じゃあお前らでなんとか見付け出してくれよ。ありませんでしたじゃ済まないだろ、そんな大金が本当に残ってたんなら。金庫の鍵持ってたのも誰だっけか? 会計だから塚本かあ? 誰かが持ってったってなんだよ、んなもん──」


 そこまでぶつくさ言うなり、思い付いたように早希先輩を見た。終始黙り込みあごを引き、辰吾先輩の学ランに隠れるようにして息を潜めていた彼女を指差し、


「塚本。そういやお前、テスト初日にやたら朝早く職員室来て生徒会室の鍵持ってったって、先生の誰かが言ってた気がするなあ」


 いけしゃあしゃあと、無神経に、なんの悪びれもせずに言ってのけた。


「お前じゃねえのか犯人? だって金庫もお前くらいしか開けられる奴いないだろ。聞いてるぞ? お前んち、ここんとこ商売上手くいってないんだってな」


 眉をひそめたのは早希先輩だけで、りえか会長も辰吾先輩もまだ黙っている。

 ……なんだ、よく知ってるじゃないですか先生。生徒のことなんか、形ばかりでしか見ていないとばかり思っていました。


「お前らもなあ。俺に相談する前に、自分たちでケリ付けられる部分は自分たちで付けといてくれよ。まずはこいつにきっちり話聞けって。どうせ塚本がお前らの見てないうちに取ってったんだぞ。こういう金絡みのトラブルはなあ、だいたい身内に犯人がいるんだ」


 ぶっ、と辰吾先輩が吹き出して破顔させた。今のジョークがよほど面白かったらしい。

 笑うな先輩。こっちは少しも面白くなんかないんだよ。


「あたしらもそう思ったんで、早希にもきっちり話聞いてますう」


 つまらなそうに口を挟んだりえか会長が立ち上がる。


「そしたらですねえ。早希は前の日の夜、課題になっていたプリントが一枚部屋に忘れてあったのを思い出したから、早起きして慌ててここへ取りにきたんですってえ」

「んなテキトーは誰にだって言えるだろお? 話聞くならもっとちゃんと──」



 安斉先生の追撃が遮られる。

 遮ったのはりえか会長でも辰吾先輩でもない。

 僕がズボンのポケットから抜き取り、ふらりと持ち上げたそれに、安斉先生は気を取られたんだ。



「──なんだ、そりゃ?」

「木曜の昼、みんなで久しぶりに集まった時です。これがクローゼットの近くに落ちていたんですよ」


 南京錠はツルの一部が欠け、二度と完全には閉じられなくなってしまっている。


「早希先輩にも確認取ったんですが、プリントのありかを探してる最中にクローゼットも開けてみたということで、この鍵がこんなことはなっていなかったのも、その目で直接見たんだそうです」

「……はあ?」

「早希先輩に言わせれば、少なくとも先週の火曜までは金庫には何事も起きていなかった。つまりここ十日間ではなく、三日間のうちにこの鍵が壊れた……いえ、壊されたという仮説が、今、僕らの中で立っているんですよ」


 一瞬、戸惑いだか苛立ちだかあいまいな感情を顔に滲ませた安斉先生だったけれど、すぐに気を取り直したのか再び大声を張って早希先輩を責め立てようとする。


「そ、それもテキトー言ってるだけだろお! 自分で壊したんじゃないのか? 金庫を開けるために──」

「早希があ?」


 あざとく甘たるい声を出し、小馬鹿にするようにりえか会長が言った。

 そう──言わせてやった。

 南京錠の存在で一躍犯人候補に躍り出た早希先輩が、同じ南京錠の存在によって、誰よりも一足早く犯人候補から外れる、我ながら天才的な神の一手を、生まれついた天才に言わせてみせたんだ。



「どうしてえ? この子、そんな乱暴な真似しなくたって、自分でちゃあんと南京錠の鍵を持ってるんだから。開けたければ普通に開ければ良いじゃないですかあ」






   ×   ×   ×



 テキトー言うな──とは、今度こそならなかっただろう。

 至極もっともな指摘をりえか会長に受けると、なぜか急に背中を正し僕らの顔を交互に眺め、ソファへどっしりと腰を下ろしたままだった辰吾先輩へ、


「じゃ……じゃあ滝口だろお!」


 早口で、当てずっぽうなガセ探偵でしか許されない暴論をかました。


「塚本じゃないなら滝口だ。鍵だって、お前ならこんな風に壊したって不思議じゃないだろう?」

「慌てんなよ、安斉」


 言葉通り余裕に満ち満ちた辰吾先輩が、堂々と言い放った。


「その鍵なら俺は確かにどうだってなるけどな。数字合わせるほうがよ、俺ァ、知っての通り数字にはめっぽう弱いもんで、とっくに忘れちまってよ。開けたくたって開けらんねえんだよな」


 すぐに、金庫本体のダイヤル式に思い当たったのだろう。

 万年数学赤点の男に言い切られてしまっては、数学教師の安斉先生もこれ以上は攻め込めないらしい。……まあ、辰吾先輩くらい肝が据わった人なら、堂々とシラを切る芸当だってあるいは可能かもしれないんだけどさ。



 シラを切るって言う話なら。

 安斉先生。さっきからあなたこそ、なにをそんなに焦っているんだ? まったく身に覚えがないんだろう?

 早希先輩や辰吾先輩が犯人だと本気で思っているなら、もう少し学校の先生らしく、論理立てて犯人たる根拠を僕らへ突きつけてくれなくっちゃ。

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