二十五.

 僕だけがいつも通りの顔、いつも通りの声、生徒会室でよく演じている聞き分けの良い後輩を気取って早希先輩に聞き返した。


「返したんですね。……いつ?」

「期末テストの、最初の日……」


 びくびくしたまま、


「テスト期間中はずっとシフト入ってて、前の日に久山くんのお父さんが来て、呼ばれて……これは今回だけ特別なやつで、廻谷の子に言いふらしたら絶対ダメだよって釘刺されて、それでも三十万、渡してくれて……ホント私、その日はまっすぐおうち帰って、次の朝は登校してまっすぐ生徒会室に向かったんだから……!」


 早希先輩が答えると僕は深呼吸をした。



 先週の火曜日、だって? 本当につい最近じゃないか。三十万円の紛失がはっきりしたのは金曜で……木曜も、テストが終わった昼からずっと僕らは生徒会室に入り浸っていたんだから、たぶん無くなったのはそれよりも前。

 なんてこった。──たった三日足らずで、もう一度失われたというのか?


 でも……そうか。一週間ぶりに生徒会室で会った、早希先輩のあの様子。普段通り、あるいは普段よりも開放感にあふれていたあの感じ。

 あの時点で彼女は、三十万円を持ち出した最初で最後の犯人ではもうなくなっていたんだ。一度犯してしまった過ちを、踏み越えかけてしまった生徒会執行部としての一線を、越えきれずに思い直し、自分なりに罪を精算しようとした後──辰吾先輩が言うところの『ケジメ』ってやつを、すでに付けていた後だったから。

 それがあの、金曜夕方の絶望的な表情に繋がったわけか。いやはや、早希先輩もなんて正直で、なんて嘘が下手くそで、なんてツイていないんだ。

 タイミング次第じゃ、最後までバレないで済む可能性だってあっただろうに。



「……バ、ッッッカじゃないの……⁉︎」


 前のめりになって早希先輩の両肩をがしと掴み、血相変えたりえか会長が震え声で叫ぶ。


「それならそうと最初から言えば……!」

「だって、だってえ! 私が一度触ったのも、持ち出したのも間違いなくって! もともとあの金庫の責任者も私で……私が余計なことしたせいで、それで無くなっちゃったんだったら、もう私のせいで、ちゃんと悪いことしたバチが当たったんだって……!」


 綺麗な黒髪を振り乱し、早希先輩も再び泣き叫び出してしまう。

 そりゃあ、なかなか自分からは言い出せないよな、あの地獄の空気じゃあ。だって自分が一度ネコババしましたって大っぴらに白状するようなものじゃないか。


 それか、早希先輩がりえか会長みたいに頭がよく回ったり、参先生みたいに図太かったりして、その場しのぎでていの良い方便やハッタリが利かせられるような人だったなら、ひとりで責任を抱え込んで、事もあろうにもう一度三十万円を自力で稼ぎ出そうなんて無茶な発想には至らなかったかもしれない。

 ああ、無茶だ。いくら僕でも擁護しきれない大バカ者だ。まったくあなたって人は……つくづく、慣れない真似はするもんじゃない。


「ねえ、ねえみんな!」


 りえか会長に抱きつき、悲痛の声で早希先輩が投げかけた。


「ホントのホントに、信じて、くれるの……? こんな、私でも自分で言ってて無茶苦茶だって思うような話……」

「信じてえのは山々だけどよ」


 長らく口を閉ざしていた辰吾先輩が、ベンチへ歩み寄り高身で女子二人を見下ろす。


「その話がマジならかなり面倒だぞ。二年前からとっくに消えてたんならまだしも、ただの三日ぽっちってのがな。なんだったら俺ァ、塚本がシロなら、もうほとんど小早川参がクロだと思ってたくらいでよ」


 ポケットに両手を突っ込み、


「野外活動ん時、どさくさに紛れてかっぱらってったんだとばかり。……あの先輩、さすがにテスト期間なんかにゃあ廻谷には顔出さなかったよな?」

「ないでしょ」


 事件の時系列を整理するように口ずさめば、早希先輩の背中をさすっているりえか会長の判断は早かった。


「卒業生がひとりで生徒会室の部屋も金庫も開けらんない。テスト期間なんかに来たら絶対目立つし。そもそも来た来なかった以前の問題よ。わざわざあたしの可愛い可愛い早希を唆したんだから、参さんこそ、あの金庫にお金なんかとっくにないってわかりきってたはずで……、……! …………」


 目を一瞬見開き、しばらく真顔で沈黙する。

 さすがりえか会長、気付くのも早い。僕にだってできたような推理が、推測が、推論が、彼女にできないはずがない。

 しかし彼女は、肝心の次のセリフを言い淀んだ。それも理解できる。なかなか言い出せないよな。決め付けられないよな。

 だって、ここからの推理には、そいつが犯人だって確定させられるような証拠は一切ないんだから。つい最近まで金庫にお金があったと知っていた早希先輩でさえ、自分も一度持ち出してしまったという後ろめたさでどうにも言い出せなかったんだ……薄々勘付いていたのだとしても。

 辰吾先輩も立ちぼうけしたまま外の景色をぼんやり眺めていて、腹のうちではなにを考えているのやら。彼は彼なりに犯人の目星を付けている最中だろうか。



 ……良いさ。

 もしこのアテが違っていたら、てんで的外れで根も葉もないでっち上げだったんなら、この生徒会の下っ端がいくらでも矢面立って叱られるし、怒鳴られるし、職員室に呼び出されるし、居残りでも反省文でも、謹慎だってなんだって受けて立つ。


 だから──ああ。

 今回ばかりは生意気にも僕が探偵役を──汚れ役を引き受けよう。

 公園に生徒会が全員揃ってから、この瞬間をずっと待っていたんだ。



   ×   ×   ×



「早希先輩。最後にもうひとつだけ良いですか」


 言って僕はズボンのポケットにずっと隠し持っていた──厳密には、途中までそこに突っ込んでいたことも忘れかけていたものを抜き取った。

 それを見た途端、りえか会長が潰れた蛙みたいな声を出す。


「げっ、なんそれ? ……はー、もしかしなくてもあんたの仕業ね?」


 じとりと見据えられた辰吾先輩は、まったく悪びれない様子でリーゼントを弄る。


「涸沢がこいつのせいで塚本がクロっつうもんで。誰でも壊せるって、こんなもん」

「壊すのは誰にでもできるかもしれませんが、正攻法で開けるのは誰にでもは無理じゃないですか? この鍵も、金庫本体のダイヤル式も」


 僕はそれを掲げ、赤い目で不思議そうに見ている早希先輩へ問いかけた。


「生徒会会計……この鍵の責任者としてのあなたに伺います。こんなふうに鍵が壊れてしまったら、どこで新しいのを買うんですか? 個人判断ですか? それとも……前任から引き継いだ、長らく続いている習わしでもあるんでしょうか?」


 はっとした早希先輩は、夢中になって新年度のたびに必ず行われている南京錠の取り替えの仕方を説明した。店の名前を聞くなり、


「おお。あの店か!」


 と弾む声で辰吾先輩がスマホを持ち出す。


「そこなら俺もバイク周りでかなり世話になってる。今ウラ取ってやるよ」

「ウラが取れたとして、だからなにって話になるわよ?」


 電話している辰吾先輩を尻目に、


「淘汰、あんたが言わんとしてることはわかる。でもね、早希じゃあるまいし、当てずっぽうで言われたってシラを切るに決まってるでしょう?」


 りえか会長が早希先輩を抱き締めた力を強めて唸った。苦々しい声色から不本意を滲ませつつ。


「いきなり三十万円の話なんか掘り返したら、最悪、早希が一枚噛んでるのも……」

「わかってます。いえ、だからこそ勝負する意味があるんです」


 早々と用件を済まして電話を切った辰吾先輩と、りえか会長へ僕は強い意志を持って呼びかけた。


「上手くいくかわかりませんし、僕だけで挑んだらボロを出しかねないので……どうか、先輩たちにも協力して欲しいんですよ」


 そう、これは僕ひとりじゃ成り立たないギャンブル。

 廻谷で誰よりも賢いりえか会長と、廻谷で誰よりも怖い辰吾先輩の、両方が揃っているから初めて土俵に上がれて、なにより、早希先輩が誰よりも正直者で良い人だったから生まれた勝機だ。

 この最強のメンツで、僕はただ生徒会に成り行きで入った先輩たちの使いっ走り、どこまでも無知で無垢だったのが先輩たちに影響されてちょっぴり反抗期を迎えている、自由に不自由した掃き溜めのカラスを演じるだけで良い──。



 僕は作戦の内容を二人に伝える。

 真顔で、淡々とした口振りで話を聞かせている間、早希先輩は次第に青ざめ戸惑い、信じ難いと、正気を疑うような目で僕の顔を見上げていた。今度ばかりは本気で引かれてしまっただろうか。仕方ない、これも早希先輩と生徒会の未来を守るためだ。


「こんな感じでどうです? もっと良い手があったり、改善点があればぜひご教示ください、廻谷生徒会の優秀な先輩がた」


 最後まで話を聞き遂げたりえか会長と辰吾先輩は、同じく真顔で、互いは一切視線を交わすことないまま、ずっと平然としている僕をしげしげと眺め、


「……淘汰さあ」

「……涸沢よお」


 偶然にも、ほとんど同時に口を開いた。




「あんた(お前)…………っっっっっりぃなあ…………」






 にやと、口角が勝手に歪んだのを自覚する。

 光栄じゃん。それは他の奴ならともかく、あんたらの口から聞けたなら、掛け値なしに褒め言葉だ。

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