二十四.

 ベンチへ引き返し、さっきまで喜多川さんが座っていた位置にりえか会長も居座り、全員が泣き止む頃にふと空を見上げれば、ずっと青かった天井に陰りができていた。

 もう夕方か。長いようであっというまの一日だったな。


「……辰吾」


 鼻をすすったりえか会長が声をかけたのは、ブランコを今にも破壊しそうな勢いで漕いでいる辰吾先輩。


「あんたもいたんだ。ありがと、早希を助けてくれて」


 ふてぶてしく礼を述べても、辰吾先輩はブランコを止めない。よく見る仏頂面で、


「俺はなんもしてねえ。そいつの酔狂に付き合っただけだ」


 良くも悪くも主役級の活躍した自分を棚に上げる。


「てめえにも見せてやりたかったよ。なかなか肝据わった新入りを引っ張ってきたじゃねえか。塚本、お前も見る目があるな」

「ちっ」不快感を示すりえか会長。もっとも、辰吾先輩にキレているのではない。

「どこに見る目があるのよ。ほんっっっとバカ早希。なんでこのりえか様を差し置いて美鶴なんかに……」


 りえか会長へは、たった半日で起きたハリウッドみたいな追走劇、廻谷の裏のコミュニティで交わされていた闇の取引、その一部始終を僕の口から余すことなく説明していた。

 特に内藤先輩の名前が出た時は露骨に体を揺らしていて、悪いアテに心当たりがないわけでも、ましてや、裏のコミュニティを認識していないわけでもなかったらしく。

 最後の最後に駆け付けた助っ人、喜多川さんについては……苗字だけで伝えてみたけれど、どうなんだろう。気付いているのかな。


「うう……ホントごめ──」

「いきなり内藤先輩を頼ったわけじゃないと思いますよ」


 しょげた顔で謝りかけた早希先輩の言葉を遮って、


「先に相談したのは久山先輩だったのでは? あの人なら、今はご家庭的にも経済面に余裕あって、なんていうか、羽振りが良さそうだったから……」


 フォローを入れると、早希先輩も少し間を置いてから恐る恐る頷く。

 ようやくブランコを止めた辰吾先輩が、誰かしらに変な気を使うでもなく、自分が思ったとおりの疑問を口に出す。


「じゃあアレは? 小早川参にも相談したっつう話は? 塚本のホラか?」


 早希先輩は僕ら全員から顔を背けた。正直者な──あるいは、どこまでも嘘が苦手な彼女の立ち振る舞いですぐにわかる。彼女にとって一番のネック──いつまでも己が犯した罪を白状できなかった理由は、やっぱりここにあったんだ。



「……嘘じゃ、ないよ」


 りえか会長は足を組んで肘をつき、傾聴するふりだけしていて、その実、大して興味がなさそうだった。

 辰吾先輩もブランコを立ち漕いでいるままで、正直のところ、細かな事柄なんてどうでも良かったのだろう。こうして無事に身柄を押さえた時点で、用はほとんど済んでいる、後の始末なんてどうにでもなるって考えている風だ。

 二人とも、自分の中ではおおむね解決したと勝手に決めつけていたんだろう。

 金庫の三十万円を盗んだ犯人はもう決まりきっていて、その上で、もう許したつもりになっていたんだろう。


 ……ダメだ。

 それじゃダメなんだよ、りえか会長。辰吾先輩。

 まだ肝心の早希先輩からなにも話を聞いていないじゃないか。こっちの口を割らせない限り、事件は完全には終わっちゃいない。

 僕はまだ、この後に及んで信じているんだぞ。

 早希先輩の口からしか聞けない真実が──第一の容疑者にして、犯人でなければ絶対に語れない供述があるって、僕は知っているんだ。



   ×   ×   ×



「私……最初は、参先輩に相談したんです。たまたま教育実習に来てて、ちょうどお家のことでお金に困ってたタイミングだったから……」


 声が次第に震えていく。


「参先輩も廻谷にいた時から友だち多くて、町のことにもすごく詳しくて……それで、私にもできそうなバイトはありませんかって」


 呼吸が激しくなり、言葉が途切れ途切れになっているのを見かねてか、りえか会長が「もう良いわよ、わかったから」と供述を遮ろうとしたのを僕が片手で制した。

 わかった気になるな──全然良くなんかないんだよ、今は。


「最初はどこのバイト先を紹介されたんですか? それが『PARK HISAYAMA』だったわけじゃないですよね?」

「違う……違うんだよ、涸沢くん」


 肩で呼吸したまま、焦点が定まらない視線。涙も枯れきって乾いてしまったみたいに、虚ろな目が印象深かった。


「バイトを紹介されたんじゃないんだ、参先輩には。野外活動の打ち合わせで、一緒に生徒会室来てくれたことがあったでしょう? その時にね……教えて、もらっちゃったの」


 無理矢理にでも言葉を吐き出すように、早希先輩の言葉尻が強まって。


「あの金庫の三十万円……あれ、あれがね、なにかの行事で使うお金なんじゃなくて、廻谷生がどうしても困った時のための、保険で、取ってあるお金なんだって……」


 はっ、と辰吾先輩が鼻で笑ったのを耳にした。

 どんなお金だよ、それ──と僕ですら反応に困る。部活動や生徒会のためならまだしも、いち生徒のためにキープしているなんて、そんな都合が良いお金、いくら自由な校風の廻谷でもあり得ないだろう。


「どんなツラして言いやがんだ、その女? てめえがやらかして浮いた三十万だろうが」


 辰吾先輩の言う通り、そのお金の出どころに誰よりも詳しかったのは、ああ、そりゃあ誰よりも事件の当事者だった彼女だろう。

 けど、なんでそんな嘘八百を吐いて、それも後輩にわざわざ吹き込むんだ。

 どうしてそんなあからさまな嘘を早希先輩も信じて──飛び付いて、しまったんだ。


「しばらく誰も手を付けてなくて、どうせ会長も覚えてない……今の生徒会の子は誰も知らないから、ホントに困ってて使える子が使えば良いじゃんって……言われて……私もどうかしてた……せめて、相談くらいすればこんな大事おおごとには……」


 震える手で自分の両耳を塞ぎ、ベンチの上でちぢこまる。


「びっくりした……まさか二年前の、あの時のお金だったなんて……あの日、涸沢くんが帳簿を見つけるまでは全っ然知らなくて……」

「はあー」


 ため息を吐いたりえか会長が、両足を伸ばして影を作り、気だるげに黄昏れた。


「さっすが参さん。どこまでも図々しくて白々しくて悪どい女だわ」

「え。……どういう意味です?」

「はっきり言って参さんって、一時の迷いでも自殺を選ぶようなヤワな女じゃないのよ。美鶴に負けず劣らず面の皮が厚い女。事実、大した怪我にはならなかったし」


 まだ意味が理解できず面食らっている僕へ、りえか会長は冷たく言い放つ。


「確信犯よ、あれは。ああいう騒ぎを起こせば、絶対よその連中の目に留まると最初からわかっててやってんの。本っ当、どいつもこいつもバカ。そんな真似したって、始末に追われるのは結局自分たちだってわからないわけ?」

「え。……え? ……そ、んな、無茶な」

「やるだろうな、あの人だったら」


 辰吾先輩もかすかに笑みを含ませて、皮肉めいた口振りで証言に上乗せする。


「つっても、籠森が生きづらくて参ってたのは確かなんじゃねえの。どいつもこいつも自棄起こしてんだな。結局進んだのって地域創造学部だったか? あれに進むような奴は、だいたい役所務めか自営業の実家を継ぐだけだろ? それか廻谷の教員か事務員か。町の外での就職なんか、ハナから選択肢に入れてない連中ばっかりだ」

「……なんで鵜呑みにしちゃったのよ、おバカ」


 りえか会長の静かな罵倒に、早希先輩はふるふるとしきりに首を振った。否定ではない、改めて己の行動を振り返り、心底愚かだったと内省して、自分でもわけがわからなくなっている、現実に対する拒絶反応だ。



 ……僕らも、どうしてこんな状態になるまで気付いてやれなかったのか。

 普段から廻谷中のいろんな生徒を助けていて、面倒見が良くて、大抵の生徒には慕われている早希先輩。そういう人ほど、いざ自分が困った立場になった時、誰かに自分から助けを求めるのがひどく苦手だ。

 ただでさえ病院のことで根つめていて、追い詰められていた矢先に受けた悪魔の囁き。

 普段なら絶対に惑わされない言葉を、それは正しくないと突っぱねる行いを、すんなり受け入れてしまうくらいに、早希先輩は正常な判断ができなくなってしまっていたのか。



「ホント、ごめんなさい……黙って持ち出したのも悪いことだったのに……私、私……」


 もう一度「わかったから」と話を切り上げようとしたりえか会長を、僕はもう一度止めて続きを促した。

 そう。金庫から三十万円を持ち出した──その続きを、聞く必要がある。

 どんなに辛くても、苦しくても、泣きたくなっても、最後まで責任持って、早希先輩の口から全部話させなきゃいけないんだよ。

 僕らも、責任持って最後まで聞き届けなきゃいけないんだ。


「つまり、三十万円を持ち出したのも、先月の野外活動があった時期ですか?」

「うん。……でも、でもね」


 早希先輩は震えながらも覚悟を決めた表情で、思いのままを紡ぎ出す。


「借りっぱなしにするつもりは、なかったんだよ。時間かかっても返すつもりで……けど、やっぱり、勝手に使うなんてダメじゃんって。一回持ち出しておいて、だんだん怖くなってきちゃって……けど、お母さんにはもう渡しちゃった後で……ちゃんと正直に言えたら、謝れたら良かったのに……どうしても、みんなに言うのが怖くって……」


 悔しそうに唇を噛み、誰とも目線を合わさずに。


「それで、久山くんに相談したんだよ。できるだけ早く三十万円を取り返したくて……あの子のお家だったら、もしかしてって……お金のぶんだけ働くから、ちょっとくらい利子ついても良いからお願いしますって……それで、私……私……三十万円を……」



 どんな表情で僕は、早希先輩の供述に耳を傾けていたんだろう。

 ふと顔を上げて偶然目が合った早希先輩が、怯えるように、最後の最後で言い淀んだのを──それをバカ正直に言ったところで、僕らにどう受け止められるのか思い詰め、悩んでいたのを。

 やっぱり最後まで、自分からきちんと話してくれるのを待っていた。


「……信じて、くれる……?」

「もちろんです」僕は間髪入れず答えた。「ここにあなたの言葉を信じない人なんかいませんよ」


 ああ、信じてたさ。最初からね。

 僕のマドンナが、ただ悪いことをしましたで終わる女性なわけがないって。



   ×   ×   ×



「──返したの」


 聞いた途端、りえか会長の顔色が今までで一番険しくなり、組んでいた足を地面へ付ける。辰吾先輩はブランコから勢いよく飛び降りて、まじまじと早希先輩の必死の形相を眺めた。


「あの金庫に、三十万円……もともと入っていた灰色の封筒ごと、まったくおんなじ額を、私、元あったように返した、はずなんだよ」

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