二十一.

「内藤先輩、あんたって人は……!」


 もう一度殴りかかろうとした僕へ、ずいと学ランの背中が道を塞ぐ。


「わーったわーった。それ以上ダッセエ悪あがきすんな内藤」


 銃口も下ろして、似合わない猫撫で声を出す辰吾先輩。


「ガキの身に余る無茶した塚本には、俺ら生徒会がケジメ付けさせとくから。おら、早く言えよ。どこ連れてかれたか知ってんだろ?」

「教えたら、まぁたうちの彼氏殴るっしょ?」


 内藤先輩も一向に引き下がる気配を見せない。どころか、ぎろりと虎の子みたいな目を吊り上げ本性を剥き出しにする。


「去年もいっかい謹慎くらってるものね? 二度もやったら、いよいよ退学に王手かかるんじゃない? じいさんもろとも籠森から放り出されてのたれ死んだって知らないわよ」

「理由もなく殴ったりしねえよ。殴る理由があるから殴るんだ」


 ファッションサバイバーの久山先輩も、本物のサバイバーたちの抗争を目の当たりにして戦慄していることだろう。りえか会長のファッションギャルとも格が違う。

 不良同士のタイマンって、ナマで拝むとこんなに迫力あったのか。


「先公にマークされてんのもお互い様だよな? こっちのセリフだぜ内藤。てめえこそ、そろそろ籠森で生きていけなくしてやろうか?」

「やれるもんならやってみなさいよ。うちのパパが誰だが分かってて言ってんの? 来年にはカントリークラブの幹部入りが内定してるのよ。寂れたクソ田舎の町長の孫風情がいくら騒いだって──」

「りえかが庇ってくれるってか?」


 やっぱり楽しんでる! 校内じゃあまず聞かないくらい明るい声出てるよ!

 内藤先輩がたてつけばたてつくほど、辰吾先輩が心躍らせ喜んでいるのが手に取るようにわかった。


「確かにあいつはダチに甘い女だよ。お前らがクラブでのなじみだってのもよーく知ってるさ。けどな内藤。今お前が手ェ出してんのは塚本だ。生徒会会計・塚本早希だ。つくづく見応えある女だよなお前は。俺にりえか、そして涸沢。廻谷にも籠森にもなかなか居ねえよ? ──この三人をいっぺんに、まとめて敵に回せる人間は」


 ……ま、待て待て。

 今回ばかりは僕を頭数に入れないでください。そんな大層な男じゃないよ僕は。なんの一味としてカウントされてるんだか、はたから聞いてるとちっともわかりゃしねえ!


「そこまで見得切るなら、当然知ってるんだよな?」

「は? なにをよ」

「頼みのりえか様さ。あいつ今ちょうど、そのおやっさんと一緒にゴルフで遊んでるぜ」


 一気に戦場の風向きが変わった。内藤先輩の顔つきが豹変したのを見図るまでもなく、追撃の言葉をマシンガンがごとく解き放つ。


「もちろん学長のおやっさんもいる。ついでに例の小早川候補者もおまけしてやらぁ。今だったら、塚本が内藤にそそのかされたせいでヤベえって一報入れりゃあ、そいつらにまとめて話行くんじゃねえのか?」

「な──」

「どう思うよ内藤? お前も大事なダチだと思って、りえかが黙っててくれるって信じてみるか? まあ実際、今んとこ自分のシマじゃねえからって大人しくしてるみたいだが。塚本も一枚噛んでるとなったら、あの女は塚本とお前、どっちの未来を取るだろうな?」


 辰吾先輩は止まらない。

 俺たち廻谷の副会長は、一度戦争すると決めたらとことんまで戦う男だ。



「なにもりえかに限った話はしてねえぞ。学長のおやっさんだってな、また先輩とかグループ先の大人と揉めて、二年前みたく変な気起こすガキが出るかもって娘にチクられりゃあ、みすみす同じヘマなんかしたかねえだろ」


 エアガンを手放し、とうとう自分のスマホを持ち出した辰吾先輩が、片手で開いたのは生徒会のグループチャット。


「俺と賭けるか、内藤? 学長のおやっさんが次はどう動くか。被害者のほうをもっぺん泣き寝入りさせるか、二度あることは三度あるのメンタルで、今度こそ加害者のほうの息の根を止めに来るか」


 ああ、そうだよ。僕もどうして最後まで信じなかったんだ。

 大人たちの事情なんか知らない。学校法人とか、選挙とか、町ではびこる卒業生たちの悪習とか、そんなの全部関係ないじゃないか。


「ここまで言ってもまだ諦めねえなら、良いぜ、チキンレースと洒落込もうじゃないの」


 天下の鳩ノ巣りえかも、悪名高き滝口辰吾も。


「よーいドンだ。俺がグループに潰されんのが先か、てめえがグループに見放されんのが先か。……どっちの高校生活が幻となって籠森の山に埋められて消されるか、人生のチキンレースしようぜ」


 どっちも、今僕が属している生徒会の──僕と早希先輩の、味方だったんだ。



   ×   ×   ×



 通話ボタンに辰吾先輩の指が触れるか否かのところで、先にを上げたのは内藤先輩だった。悔しそうに奥歯を噛み締め両肩を震わせながら、


「……カラオケ」


 ついにゲロを吐く。


「すぐそこのカラオケバーよ。個人経営の。もしまた場所変えてたんなら、うちはもう知らないからね」

「おお。あれか、廻谷大が新歓でよく世話んなってる『フォレスト』っつう──涸沢!」


 店名を聞いた瞬間、足が勝手に動いていた。


「先走んな! てめえひとりでカチこんだって……ちっ、これだから素人は」


 後ろでぼやく声もほどほどに聞き流し、入り口のドアを閉めるのも忘れて本日二度目の全力疾走をする。いくら荒事に強くたって、一刻の猶予を争わなきゃいけない時にだらだらと喧嘩を楽しんでいる悠長な先輩なんか待っていられるか!

『フォレスト』なら僕も一度だけサッカー部に誘われて歌いに行ったことがある。内装としては普通のカラオケ屋だけれど、料理もかなりイケててリーズナブルで、お酒の品揃えも良いから大学生に重宝されていると畠田部長が話してくれたんだったか。

 このあたりまで来てしまえば、道も迷うほど入り組んでいない。自力であっというまに店の前まで着いた。


 なるほど、確かに集まっている。

 辰吾先輩みたいなバイクや自転車が、五台、十台。整頓もまともにされていなくて、駐輪場に置ききれなくなっているくらいに。


「お邪魔します!」


 自動ドアをくぐり、その筋の先輩にならいがむしゃらに通路を進んでいく。途中で受付の女性スタッフに話しかけられたような気がするけど、もうなにも覚えちゃいない。

 店内はカラオケや特有の音で溢れかえっていた。流行りの曲、ラジオ番組みたいなMCとアーティストたちの笑い声。──女の子の悲鳴。

 とても聴き馴染みのある春風みたいだった声が、今にも冷めきってしまいそうな。



 ドアをぶち開ける。

 何号室かもわざわざ確認しなかった大部屋に、早希先輩はいた。

 電源すら落とした液晶スクリーンには目も暮れず、華奢な女子高生に群がる十数人の男たち。大学生ばかりかと思いきや、それなりに歳を食っていそうな人まで。短い時間でこんな人数、どこでどうやって集めてきたんだ。

 廻谷という学び舎が結び付けた、闇のコミュニティってやつはそんなにも根深いのか。


「……おい」


 穴空いたジーパンを履いた若い男が立ち塞がる。


「誰だよ、こんなチンチクリン呼んだ奴? まあ良いや。坊主、三万円は持ってるか?」


 近くにほんのり見覚えのある男もいるじゃないか。あれ、内藤先輩の彼氏だろ。アバズレもアバズレなら、その彼氏も彼氏だな。さっさと別れちまえ。


「持ってるなら混ぜてやる。一人三万で、あの姉ちゃんが接待してくれるってよ。十人も揃えばノルマ達成だから、客の数はもう足りてんだ。金がねえなら黙ってお家帰りな」


 早希先輩は信じ難いものを見るような目で僕を凝視していた。驚くに決まってる。なんでここにいるのか不思議でたまらないだろう。そして、来るにしたって、会長でも副会長でもない、なんでよりにもよって一人目がお前だって思われているだろう。

 ごめんよ早希先輩。生徒会で一番頼りない奴が先陣切っちまって。

 けど、僕だって誰かの汚い手がスカート越しに太ももへ触れているのを、これ以上黙って見ていられないんだよ。


 一斉に注目を浴びる中、夏のむさ苦しい空気とエアコンの人工的な風を肺一杯に吸い込んだ。


「──しけてんな」

「ああ?」

「三万なんて安いんだよ。三十万でも安い。その人を誰だと思ってやがる」


 僕はありったけの声で宣言した。


「三百万だ。三百万で買うから……それ以上俺のマドンナに手ェ出すんじゃねえっ‼︎」

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