二〇.

 籠森駅が見えてきたあたりで、けたたましいエンジン音も近付いてくる。音のする方角へ目を凝らせば、紙袋がなくなり身軽となった辰吾先輩のバイクが今にも僕を轢きそうな勢いで接近してきた。


「涸沢ァ! どうだったよ」

「『PARK HISAYAMA』です!」


 ヘルメットを被り直し、俺は停止したばかりのバイクへ自ら乗り込む。


「早希先輩、あのフィールドにいるって!」

「ああっ⁉︎」ドスの効いた唸り声が腹奥から鳴る。「……久山の野郎、そっちには噛んでねえってホラ吹きやがって」

「でもなんですぐわかったんですかね? あの子、今は絶対学校にいるはずなのに」

「そうか。連絡付いたんだな」


 タレコミの真偽を問うつもりはないのだろう。空を仰ぎ噛み締めるように、


「さすがじゃねえの、あいつ。俺の目に狂いはなかったな。……で、他になんか言ってたか?」


 続きを促され、僕も夢中になって電話でのやり取りを伝える。同時に、チャットで送られてきた写真も後ろから辰吾先輩へ見せつけた。


「早希先輩を連れ戻すためにも助太刀して欲しいってお願いしたら、最初はちょっと嫌がってたんですが。廻谷と廻谷生徒会の平和のためって言ったら、今から自転車で追いついてくれるって! でも合流を待ってる時間はもうないって、極力急いだほうが良いってなんかめっちゃ焦ってて……マジ何者なんですか、あの子?」

「そこまでわかれば上出来だ。行くぞ!」


 まだスマホをしまっていないのにアクセルをかける辰吾先輩の胴体へ、僕は反射的にしがみつく。


 さすが車輪の付いた乗り物は走るよか、うんと移動が早い。難なく麓を下りきり、籠森町のはずれで、やはり交通の便は良くないとはいえ少しでも地元の若者が住みやすくなるよう新しい店を増やしつつあったエリアまで到達する。

 僕もクラスメイトに誘われない限り、すすんでこの辺に立ち寄ることはない。今ある店舗やオフィスのうち、『鳩ノ巣グループ』の息がかかった領域って果たしてどれほどなんだろうか。



   ×   ×   ×



 久山先輩の父親がオーナーだという、サバイバルゲームの屋内フィールド『PARK HISAYAMA』は雑居ビルの地下にあった。


「邪魔するぞ」


 バイクを道脇へ停めるなり階段をどかどかと駆け降りて、辰吾先輩は入り口のドアを蹴破る勢いで開けると受付も素通りして店内へ押し入った。

 切迫感のある地下空間で流された洋楽と楽しげな客の笑い声は、戦場よりもダンスクラブやライブスタジオの雰囲気を醸し出している。

 ……こういうものなのか、サバゲーって? 詳しくない文化だからピンとこない。  


 あるいは。

 久山先輩がどうしても辰吾先輩に泣きつかければならなかったほど──本来の店のコンセプトを壊しかねないほど、奴らが長らく不当にたむろっていたということか。


「う……っ、うわあぁああああああああっ!」


 途端、店のどこかで情けない男の悲鳴がこだまする。駆け付けると、辰吾先輩に胸ぐら掴まれた久山先輩が、


「ごめんなさいぃいいいいいいいいいっ!」


 迷彩服を着込んだままその場にへたと座り込み、頭を両手でガードし、早々に自衛本能を働かせていた。


「おぉおおおお俺は会長がダメなら滝口くんに相談してみたらって言ったんですがあ! どうしても生徒会にだけは内緒にしておいてくれって塚本さんがあ!」

「話が早いじゃねえか久山」


 辰吾先輩の生まれついたイカつさは、迷彩服で対抗したくらいじゃ覆せない。


「わかってんなら大人しく出すもん出しとけ。きちんと話ができる奴にゃあ、俺だっていきなり手ェ出したりしねえよ」

「そ、そそそそ、それがですねえ……」

「早希ならもう行っちゃったわよお」


 露骨に目を逸らした久山先輩に代わって。

 いつからカチコミ現場を見物していたのか、あたかも無関係な客のヤジみたいなノリで、見覚えのある女性が口を挟んでくる。

 肩に付くか付かないかくらいのボブカットにパーマをかけ、休日だからかもみあげあたりに真っ青なエクステを垂らして。それでもご丁寧に廻谷の制服を着て、彼女の近くには同じジャズ部のメンツもきっちり揃っていた。

 僕は脊髄反射できっと連中を睨みつける。


「内藤先輩……やっぱりあんたか!」

「やっぱりってなによう。あたし、けっこー友だち思いだから。どーしても今すぐ三十万が出せるバイトがしたいって頼まれちゃあ、アテがあるのに見捨てられないっしょ?」


 舌打ちする。一足遅かったか。

 今度は僕が胸ぐら掴む勢いで内藤先輩へ詰め寄る。辰吾先輩みたいな威勢の良い真似ができる性分じゃない。慣れたことはするもんじゃないと自分でもわかっていたけれど。

 なぁにが友だちだロクでなし。マジの本気でブチ切れてるんだよ、こっちは!


「早希先輩を返せよ! どこ行ったんですか? 連れてったのは彼氏か!」


 自分としてはかなりの剣幕だったつもりだが、内藤先輩に気圧された様子はない。むしろあざとく唇をすぼめ、僕がブチ切れてる顔を面白そうに眺めている。


「お前、生徒会の一年だっけ? 早希にたぶらかされてほいほい入ってきたっつう。ふうーん? そんな顔も出来たの」


 せせら笑う自称早希先輩の友だちに、かっと目の奥が熱くなったのを感じる。


「あんな、誰ふり構わず愛想振りまくアバズレのどこが良いわけえ?」

「んだと……っ⁉︎」


 無意識に振り上げた拳が、背後からがっちりと掴まれる。肩をもの凄い力で引かれ、内藤先輩との距離を無理矢理に取らされる。


「落ち着け涸沢。お前はそういうガラじゃねえだろ」

「だって、辰吾先輩……! こんのクソアマ、アバズレはあんただろうがっ!」

「だから落ち着けって。俺はお前も嫌いじゃねえよ内藤。いつまでも色褪せず見応えある女じゃねえの」


 あまりの呑気さに、ぎりと歯軋りし辰吾先輩へ振り返って──ぎょっとした。

 辰吾先輩は笑っていた。歯茎を見せ、鼻を膨らませ、今にも歌い出しそうな弾む声で、心底この状況を面白がり楽しんでいるみたいで。



「内藤よ。てめえの人生はてめえの好きにすりゃあ良い。俺もりえかも、親でも先公でもない奴に文句言われたって別に構いやしねえんだからさ」


 久山先輩の制止も聞かず、店内をぐるりと巡りながら備品を物色する辰吾先輩。彼のお眼鏡にかなったのはイカついデザインのベルトが付いた銃身の長いエアガンで、それを無造作に持ち上げ片手で構え、うすら笑いを浮かべたままふらりと、銃口を内藤先輩の胸元へ突きつけた。


「けどな。塚本とか、不器用なりにこの町で生きていこうと最後まで気張ってる連中の、足を引っ張るのだけはやめておけ。俺のシマで俺のダチに手ェ出しゃあ、そりゃあぶん殴られても文句言えねえだろ」

「あんたのシマ? はっ! 今しがたグループにのっとられようとしてるちょうせいの端くれの分際で、いつまでもドン気取ってるわね」


 髪を指先でいじったままずっしりと佇んでいる内藤先輩に、なんて女だと舌を巻く。確かに僕の手には負えない。ここまで凄んでいる辰吾先輩にすらビクともしない、面の皮の厚さときたら……!


「つか、なんでここってわかったのお? 生徒会マジ怖いんですけど」

「SNSですよ」


 微塵も怖がってなんかいない彼女へ、僕はスマホに送られてきた写真を見せつける。


「この店の公式アカウントが投稿している営業状況を知らせる写真に、受付やってる早希先輩が映っていたんです」


 しまった、と久山先輩がいかにもバツの悪そうな顔をした。まるで自力で突き止めたような言い方をしてしまったが、そういうリサーチ方法は正直僕も盲点だった。生徒会やクラスで使っているチャットアプリくらいしかSNSのアカウントなんて持っていなかったから。

 まあ仮に愛用しているからと言って、彼らがネットリテラシーに配慮できているとも限らない。特にジャズ部の面々はそれぞれアカウントを持っていて、内藤先輩に至っては逐一で自分の近況を不特定多数へ知らせる習慣があったらしい。

 今日も早希先輩がここへ来ていたことも、テスト期間中ずっとここにジャズ部が入り浸っていたことも、生徒会はすべてお見通しなんだ。



 けど、それにしたって。


「なんで止めてくれなかったんですか。久山先輩……!」


 一連の事態を近くで目撃していたはずの人間を恨めしく思って睨みつけると、僕が怖いというよりも良心の呵責に苦しんでいるのか、


「おおおお俺はっ! そっちには頼らないほうが良いって言ったんですう!」


 久山先輩はベンチャー系企業の御曹司とは思えないほど情けない声で釈明した。


「俺だって最後まで助けてあげたかったあ! 塚本さんにはサバゲー部の開設でたくさん相談に乗ってもらってたから……一括、しかも前払いで三十万なんて本当は無理があったけど、そこをどうにか父さんと掛け合ってなんとか通したんです。テスト明けもゆっくりシフト入りなよって話に落ち着いて……なのに……」


 何度もかぶりを振って、


「その三十万をもういっかいだなんて! いいいいいくらなんでも無茶ですよお!」


 ぶちまけられた真相に僕も、辰吾先輩も動きを止めた。



 もういっかい? それってつまり──二回も?

 そうか。病院で話を聞いた時に感じた、猛烈な違和感はこれだったのか!



   ×   ×   ×



「ご事情がご事情だから、会長に頼れないのはまあわかります。小早川先輩のところへはもう相談に行った後だって言ってたから……じゃあせめて滝口くんか、同じ生徒会の子にって……!」


 どうやら、三十万という数字がなにを指していたのかまでは詳しく聞かされていなかったらしい。

 スマホを持った腕をだらんと垂らし、呆然となった僕へ畳みかけるような、甲高く不愉快な声が降り注いだ。


「あたしもさあ。先輩んとこ行く前に、まだ良い手が残ってんじゃーんって親切にも教えてあげたんだけどねえ」

「良い手……だって?」

「フルート売れば良いじゃん。早希ってば、中学ん時にめっちゃ良いやつ買ってもらってたのよ。楽器ってさ、マジ中古でも良い値段付くからね。もう吹部辞めたのにいつまで持ってんのって」


 静まりかけていた怒りが再燃する。

 ふざけ過ぎだよ、内藤美鶴。辞めたんじゃねえ、あんたが潰したんだろうが。


「一時期は音大行きたいとか抜かしててさ。いや行けるわけねえし。そんなに上手くなかったわよ、ぶっちゃけ。そもそも学費高いんだからさ、あんな潰れかけの病院で通えるわけないじゃんっつって。でも楽器だけはやだ、絶対売らないって言うから、まーしょうがなく? そんなにお金なくて困ってるくせして、なにを悪あがきしたいのかしらねえ」

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