十九.

 今の部長クラスが廻谷で揃って大きい顔をしているのも、早希先輩が優しいから付け上がっただけじゃない、りえか会長にこそ多大なる責任があったんじゃないか?

 なにを人のせいにしているんだ。明日また生徒会室で会ったら、後輩の僕が生意気にも説教垂れてやろうじゃないか。

 もちろん──早希先輩と二人まとめて、だ。



 辰吾先輩の背中にしがみつき、十数分ほど風になった気分で丘を駆け下りていく。入学してから一度も通ったことがないような、入り組んだ裏道をぐるんぐるんと曲がっていけば、あっという間に目的の病院へたどり着く。


「また後でな涸沢。……ああ、そうだ」


 病院の前に僕を降ろすなり、思い出したのか実は最初からそのつもりだったのか、


「塚本のバイトの件だが、俺もひとりだけアテがあったんだ。そいつに俺から、涸沢に連絡入れるよう頼んでおく」


 などと言い始めるので、僕はあからさまに首を捻る。


「……誰なんです、それ? グループと実質敵対している辰吾先輩へ、そう簡単に斡旋先を教えてくれるものですかね」

「ダメかもな。そもそも知ってるとも限らねえし。まあ、お前を挟んでようやっとワンチャンあるかどうかだ。ダメ元だと思ってあんま期待はしないでおけよ」


 この人はこの人で、自ら話を切り出しておきながら結構な無茶を言う。

 紙袋を手持ちのロープで後ろの席に縛り付け、事務所を目指してひとり颯爽と来た道を引き返していく辰吾先輩を見届けてから、『つかもと医院』のインターホンを鳴らした。日曜は休診日で、病院自体は空いていなかったのだ。



 インターホンから応答があり、まもなく病院……ではなくその隣にあった古い一軒家から飛び出してきたのは、エプロン姿の壮年の女性。顔立ちがやや早希先輩と似ているような気がする。母親だろうか。


「こんにちは」すかさず深々と辞儀をする。

「廻谷高校の生徒会執行部でお世話になっている、一年一組、涸沢淘汰です」

「あらー生徒会の子? こんにちは」


 制服を着ているから、早希先輩の母親も大して警戒心を見せない。


「早希になにか用? あの子、今日は朝から出掛けているのよ」


 やっぱり不在か。僕はできる限り平静を努めつつ、


「ちなみに行き先はご存知でしょうか? 生徒会の仕事で急いで確認したいことがあったんですけど、チャットしても朝からまだ既読が付いてなくて……」


 それらしい嘘を並べ立て、顔を上げるなり母親の様子をつぶさに観察した。


「詳しくは私も知らないんだけど。たぶんね、新しいアルバイト先にごあいさつへ行ったんだと思うのよ」

「新しいバイト……ですか? 金曜の英会話教室のほうは辞めちゃったんですか?」


 辰吾先輩から聞いた話をそのままに繰り返す。

 母親は一瞬はぐらかす仕草を見せたけれど、すでに病院の内情が早希先輩を介して伝わっていそうだと見るや、変に隠しても仕方がないと判断したらしい。

 言いにくそうに口をどもらせ、


「ホントはね、高校生のうちからバイトなんかさせたくなかったのよ。あなたまだ子どもなんだから、病院のことは心配しなくて良いって何度も言ったんだけど、少しでも働いて生活の足しにしてほしいって聞かなくて。じゃあ週一日だけねって約束で知り合いの先生にずっと早希を働かせてもらえるようお願いしていたの」


 周囲の目を気にするように声を低めつつ打ち明けた。


「設備の関係で、急にまとまった出費が必要になってしまって。今までのバイトだけじゃ賄えないから、土日にも新しい仕事を探すって言い出しちゃって」

「おいくらですか」


 つい食い気味にたずねてしまう。目を丸くした母親に、僕は慌てて冷静さを取り戻す。


「ええと、失礼を承知で伺いますが、高校生のバイトでなんとかなるような金額だったんですか?」

「……そんなわけないわよ。恥ずかしい話、どうしても足りないぶんはどこかで借りましょうって結論に我がでもなっていたんだもの。……でもあの子、先月」

「まとまった額のお金を用意してきた。そうですね?」


 具体的には三十万──とまでは示さないでおく。あんまり詳し過ぎると、完全な当事者だと思われかねないだろう。

 最初よりもずっと警戒心を強めながらも、母親は渋々頷いた。


「びっくりしたわよ。こんなにどこでもらってきたのって問い詰めたら、廻谷の卒業生に紹介してもらった職場へ、事情を説明したら前払いでいただけたって。実質お借りしたようなものよね。それで、ここんところしばらくは、そのお金のぶんだけ働きに出るって」



 卒業生……。先月……。

 今の話じゃ、あたかもテスト期間の生徒会活動がないタイミングでずっとバイトしていたように聞こえるけれど。前払い──なんて絶妙な嘘を吐いておきながら。

 いや。……もしかして、嘘じゃないのか?



「それで、新しいバイト先ってどこなんですか?」


 母親は顔を歪めさせた。そんなの私が聞きたい、と静かに訴えかけてくる。


「教えてくれないのよ。くれぐれも危ないお仕事はめてねって釘を刺したけれど……ほら、前にも変なバイトを先輩に紹介されて、いじめだったかパワハラだったか、トラブル起こして自殺まで図った廻谷生がいたそうじゃない」


 次第に声が震えていく。自分で話しながら、事の深刻さに改めて気付いたのだろうか。

 二年前の事件まで知っておきながら、なんで止められなかったんだ、この母親も。


「けど、今回の先輩は廻谷に教育実習で来たような人だから。信頼できる人だから絶対に大丈夫って、早希が……」


 なにが大丈夫なものか。完全に当事者じゃないか!

 確信できる。もしかしなくてもあの人だ。自分でも自殺騒ぎを起こしておきながら、後輩に同じ道を辿らせるなんて、なんて軽率な未来の指導者なんだ!


 まったく、早希先輩といい母親といい、親娘揃ってなんというお人好し。人の言葉を疑うということをこれっぽっちも知らない。とても悪さができる性格じゃないよ。

 そう。悪さとか、正しくない行いをすすんでやれるような人じゃない。

 一刻も早く、引きずってでも引っ張ってでも引き返させなくちゃ。



   ×   ×   ×



 僕は根掘り葉掘り、母親からバイト先の心当たりを探ったけれど、残念ながらそれ以上の新しい情報は出てこなかった。


「ありがとうございました。もし早希先輩が帰ってきたら、ぼくか、生徒会の誰かにご一報いただけると嬉しいです」


 連絡先をルーズリーフの切れ端に書き出して母親に告げながら、頭の中ではここから駅までの最短ルートを懸命に考えている。すぐにでも辰吾先輩と合流して、別のアプローチで早希先輩を探し出さなければ──そう思っていた時。


「からさわ……? ああ!」


 しばらく暗い表情を浮かべていた母親が、書かれた名前を眺めるなり無神経にも晴れやかな声色を上げた。


「あなたが、今年生徒会に入ってきたっていう一年生の子?」


 最初にそう自己紹介しただろう。真面目に聞いていなかったのか。


「早希からお話はよく聞いてます」

「えっ。……先輩が?」

「あの子、家じゃ全然学校の話をしてくれないけど。今年に入ってからは生徒会のことだけは楽しそうに話してくれるのよ。きっと中学の部活動ぶりに、可愛い後輩をお世話する機会があってやりがい感じてるのね」

「…………」

「どうですか、早希の学校での様子は? 一年生に聞いても仕方ないかもしれないけど。吹奏楽で一緒だった子とか、クラスではみんなと仲良くやれてるのかしら?」



 記憶に眠ったありとあらゆる映像がフラッシュバックする。この無知で純粋なお母さんになんて返せば良いんだろう。

 体感億秒、実働コンマ秒で決意を固めた結果、


「最高の先輩です。ぼくが知る限り、廻谷で誰よりも優しくて親切でみんなに信頼されてて可愛くて、あの鳩ノ巣りえかよりも廻谷生にモテてる、最強で最高の女子高生です」


 そう告げた。嘘じゃないぞ。

 責任だって取る。この証言を絶対、嘘にはしない。



   ×   ×   ×



 病院を離れると僕は無我夢中で駆け出す。

 くそ、借りっぱなしのヘルメットが邪魔だ。リュックもほとんど中身がなくてもやたら重たく感じる。今にも暑さでぶっ倒れてしまいそうだ。

 走り続けたら駅まで何分だろうか。どう頑張ったって十五分はかかるか? 辰吾先輩にバイクで拾ってもらったほうが早いかもしれない。


 体も脳もフル回転させているところで、ズボンのポケットにしまっていたスマホがブブブと振動を起こす。バイブが長く続くから、これはチャットじゃなくて電話だ。

 誰だろう。辰吾先輩か、りえか会長か、それともいちの望みに賭けて早希先輩か。


「え?」


 できる限り立ち止まらないよう競歩みたいにそうを進みながら、まったくの予想外だった電話の相手に、僕は少しだけ着信に出るのを躊躇った。

 この相手から連絡が来ること自体初めてだ。そもそも連絡先を直接交換した覚えもない。どうして僕の番号を……へえ、そうなんだ。

 彼女こそが最後の最後で望みを託された、廻谷高校生徒会執行部の切り札か。



「……もしもし?」


 電話越しの慣れない相手へ印象を悪くしないよう、どんなに息を切らそうが慎重に柔らかな声を捻り出す。

 彼女は直前まで全力ダッシュしていた僕を差し置き、籠森町のどこかで熱中症か貧血でも起こしているんじゃないかと疑いたくなるほどひどく頼りない小さな声で「もしもし」と応答した。

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