十八.

「どうしたら早希先輩を助けられますか。俺たち生徒会は」


 尻を付いたまま嘆くなり、がしりと髪を掴まれる。


「助けに行けば良いだろ、これから」


 強引に顔を上げさせた辰吾先輩が、唇を曲げ眉を曲げ、それでもなにか大きな決意を固めたような表情をしていて。


「今日のうちにケリ付けんぞ」

「俺と辰吾先輩で、ですか? 早希先輩のこと……あのりえか会長でさえ手が付けられなかったのに?」


 助けるばかりか、ずっと見て見ぬふりをしていた。早希先輩の病院のこと、バイトのこと、恋愛絡みのいざこざ、廻谷で長らくひた隠されてきた闇の繋がり。

 騙されていたのか、僕も。あの完璧を装った無敵まがいの仮面に。りえか会長も結局は、生徒が苦しんでいるのを黙って見ていることしかできない、グループに飼われた小鳥でしかなかったというのか。


「しょうがねえだろ。あいつがなんかしたわけじゃねえよ」


 工具箱を片付け、金庫も軽々持ち上げてクローゼットの定位置へ戻す。


「つうか、なんにもできねえだろ。養ってもらってるおやっさんのシマで迂闊な真似はできねえさ。なにもてめえひとりの保身のためだけじゃない。出水の話じゃねえけど、グループがあるから生活できてる家だって籠森にはいくらだってあるんだ」


 言い方こそぶっきらぼうだったけれど、辰吾先輩は本当にりえか会長を責めていない様子だった。


「だから、塚本のほうは俺が行く。──あいつひとりじゃ守りきれねえもんを守るために、生徒会に入ったんだからよ」

「辰吾先輩……」

「お前も来るんだろ涸沢。お前も生徒会なら、お前が守りたいもんを守れば良いんだ」


 なんだよ。後からのこのこ顔を出しておきながら。

 ずりぃよ辰吾先輩。さっきからヒーローみたいな格好良いセリフばかり。

 りえか会長にスタバもタクシーも奢られてないような人に、最後の最後で美味しいところを持っていかれてたまるか。


「どこへ行きますか、これから。ていうか、選挙のお手伝いは?」

「ビラ配りなんか俺じゃなくてもできる。ブツだけ事務所に預ければ済みだろ」


 じゃあ最初からそうすれば良かっただろ、なんて僕が返す前に辰吾先輩は生徒会室を出ていく。まったく……自分の工具箱だけ持ち帰って、壊した南京錠は放ったらかしかよ。

 僕は落ちていた南京錠を拾い上げ、辰吾先輩がひっくり返し忘れていた木製の札を、自分のぶんと合わせて赤文字へ戻した。

 生徒会室もしっかり施錠する。この鍵も、生徒会書記としてちゃんと責任持って職員室へ返しにいかなくっちゃ。



   ×   ×   ×



 廊下を大股で進んでいく辰吾先輩から提示されたプランはこうだ。


 早希先輩の身柄を押さえるべく、あるいは身柄の手がかりを掴むべく、ご実家の『つかもと医院』へ僕を送り込む。その間に辰吾先輩は選挙ポスターとパンフレットが入った紙袋を町長の事務所へ預け、病院での成果次第ではもう一度合流しようという段取りだ。


「事務所は駅からまあまあ近いんでな。俺が往復するよか、お前が病院から駅まで走ったほうが早いかもな。とりあえず行きまで送っていってやる」


 校舎を抜け、自転車置き場では黒光りしたバイクがひときわ異彩を放っていた。


「送るって……まさか、これに乗っていけと?」

「ちゃんと二輪だから法には引っ掛からねえぞ。ヘルメットも予備がある」


 ご丁寧に腕を覆うためのカバーまでロッカーに保管してある。要らない用意周到さだ。もしや、普段もクラスメイトとかの送り迎えに使っていたりして。

 辰吾先輩って、意外と二年生の間では慕われているほうなんだろうか。


 僕は仕方なくヘルメットを被り、紙袋も入れたせいでずっしり重たくなったリュックサックをしっかり背負って辰吾先輩の背後に座る。そういえば辰吾先輩はなぜか手ぶらだ。休日だから持ってきていないのか。

 ……さては、鞄ごと毎日置き勉しているんじゃないだろうな?



「待った!」


 エンジンをかけようとした辰吾先輩へ、思い出したように叫ぶ。


「なんだ?」

「あの、念のために確認しておきたいんですけど……」


 二人ともバイクに跨ったまま、


「その……内藤先輩の件です。内藤先輩の彼氏さんを、その、早希先輩が……」

「ああ、あれか」


 やっぱり知っているのか。二年生の教室で騒いでいたという話なら当然か。

 ドギマギしながら次の言葉を待っていると、辰吾先輩は大した問題ではないといった雰囲気で証言した。


「んなわけねえだろ。心配すんな涸沢。塚本はりえかほど頭も尻も軽くねえよ」


 ああ、そっちはデマだったのか。良かった安心した……じゃなくて。

 今なんて言ったよこの副会長? 早希先輩の話を聞いただけだったのに、言うに事欠いて、あの鳩ノ巣りえかが……なんだって?


「ただ、その男とまったく絡みがないとは限らねえけどな。そいつ、あれだろ。廻谷大の軽音楽サークルの奴だろ」


 己がかました暴言を帳消しにするがごとく、素知らぬ顔で証言を続ける。


「あのサークルは特にグループとズブズブな奴ばっかりでまともな評判を聞かねえ。塚本がマジで金に困ってて泣きつくんなら、当たりはどうせあの辺だと思うんだよな」

「そ、うなんですか」

「つうか、内藤もどうせ別れてねえって。最近は久山の奴も頭悩ませてんだ。テスト期間中も内藤がジャズ部とそこのサークル引き連れて、おやっさんのシマでずっと遊び呆けてるっつってさ。高校生の客のくせして態度もでかくて悪いのなんのって」

「久山先輩が?」


 思いがけない名前が出てきて聞き返してしまった。僕が問い質したくなってるのはそっちじゃないんだけどなあ。


「内藤先輩って、久山先輩と付き合い出したんじゃなかったんですか?」

「それも内藤が勝手ほざいてるだけだ。あの女も昔からそういう奴だよ。久山も俺に泣きついてきたけどな、お前は俺よかりえかに頼めって言ってやったんだ」


 そうそう、りえか会長。僕が気になってるのはそっちなんだって。


「辰吾先輩も知ってたんですね。その、りえか会長が、久山さんに片想い中だって」


 すると、さっきまで正面向いたままだった辰吾先輩は、あきらかに怪訝そうな顔で僕へ振り返ってくる。


「……ん? んなこと言ってんのか、あいつ今?」


 いや知らないんかーい!

 廻谷の事情通なのかそうじゃないのか、マジで話振るのが難しい人だな、あんた!


「マジか。今は久山なのか。まあ、りえかの惚れた腫れたもあんま真に受けるなよ。あいつ、半年おきくらいに違う男に勝手に惚れてひとりで勝手にフラれる習性あんぞ」


 どんなイカつい習性だ。ああ、それで頭と尻が軽いって……いや、頭は軽くないだろ! 全国模試トップに向かってどんな口利いてんだ、この不良は!


「前は榊さん、その前は海堂さん、その前は……誰だっけ、クイズで知り合った他校の高校生? 榊さんが好きって言い出したときゃあ、さすがに趣味わりぃと思ったけどな」


 どこが奥手で慎重派だ! ただの肉食獣じゃないか!

 有り余った自分の才能を、どんな方面で発揮して無差別にばら撒いてやがるんだ、あの歩く地雷原は⁉︎


「ま、さかとは思いますけど……その、辰吾先輩は?」

「おう。中坊の時にな。急に家まで呼びつけたと思ったら」


 告られたのか。本当に見境なかったんだ。


「おやっさんからパクってきた焼酎をその場でラッパ飲みして、酔った勢いでヤろうっつって、赤い顔して襲いかかってきやがった。おっかねえだろ?」


 僕はまともに返事もできなかった。おっかねえどころの騒ぎじゃない。

 グロい。天才の色恋沙汰と捉えるにしたってあまりにエピソードがグロい。そうか、海堂先輩の評価もあながち間違っていなかったのか。

 エロじゃないよ、確かにグロいよ!


「お前も気を付けろよ。てめえの出来が良過ぎる反動で、他人にはとことん甘い女だ。ちょっと優しい男か押しの強い男だったら、すぐコロッといっちまうからな」


 優しいか押しが強いかって……その二択じゃあ大抵の男に当てはまってしまうんじゃないのか? そんなに守備範囲ガバガバかよ、あの人!



 忠告まで済ませると辰吾先輩は、何事もなかったかのようにエンジンを回し、校内でバイクを走らせる。

 不思議なことに、この週末で見てきた各部長へのりえか会長の対応が、すとんと腑に落ちてしまった。七海のバカヤローとか和典のアホタレとか、当たりを強くしているようでどことなく包容的な愛を感じる、あのツンとした対応。

 全部、毅然を装った彼女なりのデレだったのか。


 ああー……参った。

 いよいよこの僕が、しっかりしなくちゃあいけなくなってきやがった。

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