十七.

 自殺未遂──だったらしい。



 二年前の年明け、大学入試共通テストが終わって数日経ったあたりで、当時三年生の女子生徒が屋上で飛び降り自殺を図った。

 この事件は一夜も経たずして籠森町内外に知れ渡り、まもなく警察や、当然マスコミも校舎にどっと押し寄せてくる。原因の究明を急かされる中、学校サイドは記者会見を開いた。

 なんともありふれた話だ。

 生徒たちの証言によって初めて、教室でいじめが起きていたことを学校サイドが認めた。認めた上で、今日の今日までいじめのことを教師の間ではまったく把握していなかった、知らなかったと責任逃れをするための釈明を、学長の口から延々と垂れ流すのもこの手の会見ではありふれている。


 早々といじめの有無をはっきり付けたのが功を奏したんだろうか、学校サイドが世間に叩かれたのは最初だけで、次の年度が始まる頃には事態はおおむねの収束を迎えていた。

 自殺を図った女子生徒も幸い命を取り留めており、卒業後は年を越える前から推薦で決めていた、廻谷大学地域創造学部への進学をするに至ったらしい。


 とはいえ、ただでさえ僻地の生徒数も少ない学校で治安の悪さを疑ったのか、入試の志願者は例年よりもがくんと数を落とし、二クラスぶんの募集をかけていたにも関わらず最終的には一クラスぶんしか生徒を集められなかったらしい。

 少子化・過疎化が進む町でただひとつの高等学校に、今もなお暗雲は立ち込めている。



 ……と。

 ここまでが僕の検索した限りで見つけ出せた、ネットニュースに示されている事件の全容である。



   ×   ×   ×



「いじめられていたのに、わざわざ廻谷大に進学するんですね」


 生徒会室に帰り、二年前の真相を自ら突き止めた僕はソファに座って額を押さえる。

 辰吾先輩もまだ時間が残されていたのか、のこのこと後を付いてくるなりドアの脇に立てかけられていた木製の札を律儀にひっくり返す。『滝口辰吾』の赤文字が黒く変わったのは数週間ぶりだろう。


「俺だったら、浪人してでも違う大学に移りますけどね」

「それな」名札を背に、辰吾先輩はむすりと呟いた。「いじめじゃねえよ」


 僕は眉をひそめて振り返る。


「はい?」

「学校はいじめのせいにしたけどな、そん時の三年連中はみんな口を揃えて言ってんだ。──いじめなんか起きちゃいねえ、そいつが思い詰めちまった原因は別にあるって」


 振り返っても辰吾先輩はどこの方角を向いているのか、僕となかなか目線が合わない。


「その手の記事ってガキだと名前書かねえだろ。その自殺未遂やらかした生徒ってな、例の教育実習生だ」

「え……まさか、参先生ですか? 町長選に出るという小早川巡さんの娘が?」

「おう。そんときゃ生徒会で会計やってて、教室じゃ今のりえかみてえなムードメーカーでよ。とてもいじめられるような性分はしてなかったんだ。……その逆ならまだしもな」


 なんて詳しいんだ辰吾先輩。二年前なんて、まだ入学もしてなかっただろうに。

 そうか、参先生ってそういえば生徒会のOGでもあったんだ。それで僕も実習中は何度か教室で話しかけられて。

 生徒会室にも、野外活動の打ち合わせに一度だけ足を運んできたんだったか。


「いじめが原因じゃないなら、他にどんな事情で……いや、ちょっと待ってくださいよ」


 まとまらない思考に頭を振り回し、僕は必死で辰吾先輩から情報を引き出そうとした。


「いじめじゃないってのもおかしくないですか? 学校が認めたんですよね?」

「珍しいもんだろ? よそもんにしちゃあ、なかなか信じらんねえよな」


 辰吾先輩は壁にもたれかかり、


「いじめ程度じゃかすり傷にもならねえくらい、もっとヤベえことが学校周りで起きてるんで、そっちを隠すためにいじめってことにしておいたなんてよ」


 さも当然のように言った。


「あん時の学校のやり方には、さすがの生徒も我慢ならなかったみたいでな。三年の半分くらいが卒業式をボイコットしたわけだ。あと一ヶ月ちょいで卒業っつうタイミングで、何人かは退学届まで出しやがってよ。廻谷大へ行くのを辞めた奴も多かったしな」

「卒業式を……欠席した?」


 はっとする。そうか、突如浮いたというあの三十万円は。

 だとしたら確かに、三十万円は実在していたんだ。金庫にも本当に長らく放置されていたんだろう。しかも、実在していると知っているのは、知り得るだろう人間はりえか会長や早希先輩だけじゃない。

 二年前の事件を知っていて、なおかつ生徒会の内情を知っている人間であったなら、誰にでも。



「で、だ。そのヤベえことってのも、学校にとって都合が悪いのは当たり前だけどな。それがバレて困るのが大人だけとも限らねえのが、一番難しいんだよな」

「……なにが、あったんですか」


 いや。

 僕の予想では、そっちはきっと、過去の話なんかじゃない。


「なにが起きているんですか。この廻谷で」


 辰吾先輩は手をポケットにしまい込んだまま、ようやく僕と目線を合わせた。

 当時の三年生たちが最後まで耐えきれなかったことも、自殺未遂まで起こしてもなお、結局、最後には誰もが口を閉ざしてしまったことも。


 この町、この学校に長らく根付いてきた、りえか会長や辰吾先輩みたいな人間であれば絶対に知っていて。

 逆に、成り行きでたまたま縁を持ったに過ぎない、僕みたいな人間であればなかなか知ることができなくて。

 グループの実態、廻谷高校という狭い学校コミュニティが生み出した、学校のホームページやシラバスには決して書かれていない裏のカリキュラム。



 夏のちょっとした怪談よりも現実味がないリアルに触れた。

 なにが『自分だ"LiberalけのFor自由You"』、なにが『自立しようとする心』だ。

 僕らは最初から、この学び舎に閉じ込められた籠の中の鳥だったんじゃないか。



   ×   ×   ×



「……俺は今んとこ、この町で不自由してねえからさ。こんな田舎町、気に入らねえなら好きに出て行きゃいいって思うんだけどな」

「それができなくて困ってる人もいるって話でしょう? 参先生も、りえか会長も……早希先輩だって、どう足掻いたって逃げられないからずっと苦しんでいるんだ」

「りえかはそんなにヤワな女じゃねえよ。甘い女ではあるけどな」


 すべてを話し終えた辰吾先輩は、ふらふらとソファへ歩み寄り今度は僕へ詰め寄った。

 本人は別に詰め寄っている気は無いだろう。普通に話をしようと近付いただけで、夏には暑苦しすぎる学ランとリーゼント頭がすべての人間を萎縮させてしまうだけだ。

 でも退かないぞ僕は。もう逃げるわけにはいかない。

 知らないままで、知らないふりで終わらせちゃあいけないんだ。


「なあ涸沢。塚本はどうした」


 ぎり、と奥歯を噛み締める。


「りえかは接待なんだろ。塚本は? いつものバイトは金曜しか入ってねえはずだろ」

「知りませんよそんなの。悔しいですけど、週末のプライベートにまで首を突っ込めるほど俺も早希先輩に信用されてません。バイトなんかやってたこと自体、俺には寝耳の水で……でも、そういうご事情なら今ごろも働いてたっておかしくないですね」


 僕は踵を返し、つかつかとクローゼットへ歩いていく。乱暴にこじ開けたクローゼットから金庫を持ち上げようとして、サイズのわりに一人で持ち出すにはかなりの重量で、仕方なく腰を落としつつ千鳥足で床へ引きずり出した。

 後輩の奇行を見た辰吾先輩はわずかに声を上擦らせる。


「なにやってんだ?」

「そんなに物知りだったなら、辰吾先輩。二年前の卒業式で使わなかった三十万円が、ここにずっと残っていたのも当然知ってたでしょう? まさかあなたがネコババしたなんて言わないでくださいよ。……いや、もしあなたが犯人なら、これ以上話がこじれる前に白状しておいてください」


 忌々しげに見上げるとリーゼントの男は何度もまばたきしていた。

 将斗にはあれほど知ったかぶりをしていたくせに、実のところいまいち結び付いていなかったらしい一連の事件の点と点を、線で繋げる作業を脳内でこなす。


「……涸沢」


 いかにも間抜けヅラで素っ頓狂な声を出して、


「ひょっとしてずっとそれ調べてて、あっちこっちカチコミ入れてたのか?」

「妙な言い方しないでくださいよ。でも、その三十万さえ残っていたら、夏のいろんな部活動の懐事情はもう少しあたたかくなっていたでしょうね」

「ああ、なるほど。そういう……なあ涸沢」


 床に転がった金庫へ屈むなり、もっとすっとぼけたことを口走る。


「ここの数字合わせる奴、どんな番号だったか覚えてるか? 俺、一回りえかに聞いたきりでもう忘れちまったんだよな」


 僕は脱力した。金庫本体のダイヤル式でさえ、生徒会の人間でも開けられないケースがあったわけか。……いやいや。


「番号を忘れたフリなんか誰でもできますよ」

「フリじゃねえよ。どっかの紙に書いといてくれれば良いのに。そういうお前は覚えてんのか?」

「…………」


 あれ。なんだっけ。

 あれあれあれ。僕って、誰かにここのダイヤルの番号を教わったことが一度でもあったっけ?


「覚えてないんじゃねえか。だいたいみんなそんなもんだろ。俺がバカみてえに言うんじゃねえよ」

「バ……っ! ち、違います、俺は……」

「つうか、こんなバカでけえ鍵いつから付いてたんだ? こっちこそ意味あるか?」


 うんこ座りをしたまま南京錠に触れ、しげしげと眺めている辰吾先輩へ僕は情けない声で抵抗する。


「意味があるから困ってるんですよ! だって、そっちの鍵を持ってるのは早希先輩だけなんですから。それで、三十万円がなくなったのも……」

「塚本がクロってか? まあ、普通に鍵を開けるんならそうなるな」


 ……なにを言ってるんだ、このとぼけた先輩は?

 すると辰吾先輩は立ち上がってすたすたと生徒会室を出ていく。呆気に取られたまま僕がその場で突っ立っていると、しばらくして(本当にしばらく待たされた)戻ってきた辰吾先輩が手にしていたのは、金庫よりもふた回りほど小さな工具箱だ。


「えっ。どこから持ってきたんですか?」

「俺のバイクからだ。いつもそいつで登校してるだろ」


 工具箱からなにやら金属棒みたいなものを持ち出し、むすっとした顔で金庫の南京錠をむんずと掴む。ペンチ? スパナ? とにかく僕は普段使いしない道具だから、いちいち名前なんか覚えちゃいねえよ。


「やりようはいくらでもあるけどな。ピッキングなんてちまちまするよか、結局こいつが一番早いんだぜ」

「えっ。えっちょっ、め──」


 ガキン、と可愛らしくも鈍い金属音が鳴る。頑丈な見てくれをした南京錠はあっさりと破壊された。ぷらんと工具にツルが垂れ下がっている。

 手に負えねえ。僕はどこからどうツッコめば良いんだ?


「な? こんなもん意味ねえって。数字さえ覚えてりゃあ、塚本でなくたって鍵なんか誰にでもどうにだってなるんだよ」

「い、や。もはやそういう問題じゃ……えっ? なんで今壊したんですか? ていうか、それって元に戻るんですか⁉︎」

「戻らねえよ。こんなもんどうせ安物だから、何度でも付け替えりゃ良いだろ」


 手に負えねえって! 意味わかんねーのはあんただよ、この、令和に舞い降りた不良界のオールドタイマーめ!



 へなへなとその場で尻もちを付き、途方に暮れた僕をよそに辰吾先輩は立ち上がる。


「けどま、ここんとこ塚本の様子がおかしいってんなら、早いとこ手を打ったほうが良いだろうな。りえかと違ってあいつはいかにも脆そうな女だ」

「手を打つって……どうするんですか。早希先輩のところへ行って、もし犯人だったら問い詰めて自供でもさせるんですか?」

「そうだ」


 なんだそりゃ。南京錠を一度壊しておきながら。

 動機ならもう十二分に揃ってしまったんだ。鍵は誰にでも壊せても、三十万円を抜き取る理由が誰にでもあるわけじゃない。


 りえか会長は──知らぬふりを続けていた彼女だって、その動機にも最初から当たりが付いていたからこそ、ずっとダンマリを決め込んでいたんじゃないか。自腹で消えた三十万円を見繕おうなんて頭がおかしい言動までするくらいに。

 真相が暴かれて、犯人が明らかになって、それで幸せになる人間は誰もいないから。

 仮に暴かれなくたって、三十万円をなかったことにしたところで、それで誰かの生活が守れるのかと、幸せになれるのかと聞かれれば、それもきっと違うのだろう。



 ……ああ、そうか。

 本当に、誰も守れないのか。

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