十六.
張り詰めた資料室の空気が、またたくまに舌を枯らす。
将斗はホームグラウンドさながらの余裕をひけらかし、机に置いてあった水筒を拾い上げ、ひとりだけ悠々と水分補給してから、
「それがどうしたんですか」
少しも怖気付く気配を見せずにのたまってみせた。
「廻谷でも籠森でも長らく大きな顔してきたんでしょう? 滝口先輩にしてみたら良い気味じゃないですか? 少なくとも、グループがいろんな事業に手を付けて勢力を伸ばし続けた結果、仕事をグループに奪われて生活に困っている籠森町民なんてたくさんいますよ。例えば、ほら──」
やめろ。
やめろよ将斗。これ以上生徒会を無茶苦茶にするな。
「塚本先輩のご実家とか」
……それは。
それは、僕でも聞いたことがある。
早希先輩のご両親は籠森町でひとつしかない病院をずっと切り盛りしていて、町の人にとっても生活の一部で、健康診断とか日頃の病気怪我とか、ずっと町には欠かせなくて。
医者ひとり看護師ひとり、田舎のこじんまりした建物だけれど、それでも。
町のためにあくせく働いているご両親も病院も、娘としてはちょっとした自慢なんだって──早希先輩は自分でそう言っておきながら、後で少し照れくさそうにして。はにかんでいたんだぞ。
「グループが駅の近くに大学病院を建ててから、年々お客さんが減ってるそうじゃないですか。借金もあるとか。自治体が政策のためにグループをもっと贔屓するようになれば、あの病院もいよいよ危険水域に入ってくるんじゃないですか?」
ここまで暴露して、将斗は途端に僕の顔を凝視した。きっと死人みたいな青い顔を浮かべていただろう。
なにをそんな嬉しそうにしているんだ。人の身の上話がそんなに楽しいかよ。
いや。将斗は、その場限りの道楽のためだけじゃない、もっと先の思考を読もうとしていたのか。なにを言われても仏頂面を崩さないでいる辰吾先輩じゃ埒があかないから。
「なあ涸沢。ひょっとしてだけど、今問題が起きてるのって、どこかの部じゃなくて生徒会そのものだったりする?」
「な、にを言って」
「長らく放任してたのに、急に重い腰上げて、予算のやりくりを口実にいろんな部の現状をつまびらかにしようとしてさ。そんな生徒会こそ、夏休みに入るまで放っておけないくらいヤバいことでも起きたんじゃない? それこそ、お金が絡んでたり?」
ダメだ。なにも考えるな。
今更ポーカーフェイスを取り繕ったって無意味だ、せめて僕くらいはどこまでも無知な愚か者であり続けろ。
「ただでさえ町で対立している奴らの子どもが同じ部屋に
「将斗、お前……そんな理由で部費の工面を早希先輩に……!」
「お前が思うほど対立してねえよ」
聞くべき話はすべて聞き終えたと言わんばかりに、辰吾先輩はぬっと席を立つ。
特段腹を立てている様子もない。さすが不良は自我が強いというか、他人の声に惑わされないというか、最後まで持ち前のマイペースを貫いていた。
「親はともかく俺らはな。俺らガキんちょは政治家でも実業家でもねえんだから」
「はは、どうだか」
「けどそうか。話はだいたいわかった。……向こうがやろうとしてる、やってる商売には──」
この人はどこまで知っているんだ。生徒会室になんか、ここ数日もテスト期間の前でも、めったに顔なんか出さなかったくせに。
「塚本も一枚噛んでるって言いてえんだな? 出水」
「さてどうでしょう。僕もそこをはっきりさせたくてずっと調べてるんですよ。……ま、二年前に一度露呈したことが、改めて表に出たと考えるのが妥当じゃないですか?」
「……っ、だからさあ!」
僕は苛立ちを抑えきれずに枯れた声を絞り出した。
「二年前になにがあったんだよ⁉︎ 廻谷の先輩たちにさあ⁉︎」
「知らないのか涸沢? ……あーそっか、お前って何気に推薦組だったな」
思い出したようにあごを上げる将斗。
「二年前の事件なんて、ちょっとスマホで調べれば簡単に出てくるよ。今の三年生はもちろん、下級生でも籠森町民なら誰もが知ってることだし。むしろ、よくなにも知らないままでいられるな? そうやってのうのうと生徒会で遊んでる間にもグループと、この町に飼い殺される未来まで刻一刻と近付いているってのに」
「どういう、意味だよ」
「要するにさ、涸沢。『鳩ノ巣グループ』は自分たちが長らくやってきた教育ビジネスと、廻谷同様に過疎化で困り果ててる町議会の、いわゆる僻地政策を完全に紐付けてしまおうっていう算段を付けてる最中なんだよ」
あたかも自分が主体となって進めている計画かのように、将斗は得意げになってよく回る舌を動かした。
「町は少子化も進んでて、勝手に子どもが増えるはずもない。だから推薦なり奨学金なりでよその町から学生を引っ張ってきて、そのまま囲い込んで籠森に居着かせようっていう腹づもりなんだろ? 廻谷高校を起点に事実上のエスカレータ式で廻谷大学へ進学、そのままグループの提携企業と就職っていう黄金の方程式でさ。学校法人としては鉄板のやり口だ。え? それで籠森に若者が増えて経済が活性化されるなら悪くないじゃんって? ははは。……その新しくも小さな箱庭の中で、田舎社会を回していく歯車として死ぬほど働かされるのは、将来的に誰になるって思うんだい?」
将斗は人差し指を突き立て、立ちぼうけたままだった辰吾先輩のリーゼント頭を示す。
「滝口先輩なんて籠森
× × ×
ぐいと、シャツの襟元を強く引っ張られる。放心していた僕は辰吾先輩に無理矢理にでも立たされ、そのまま引きずるように資料室の外まで連れ出された。
自分も廻谷生でありながら、蚊帳の外のガヤみたいな立場を貫いたまま、将斗は頬杖をつき最後まで生徒会の無様を面白がっていて。
「さて滝口先輩。ここまでのトピックの主題ってなんでしたっけ? 僕が誰の味方か、でしたか? そんなの決まってますよ──正義の味方です。なんたってジャーナリストの端くれですから」
「お前とはソリが合わねえな」
ドアを閉める間際、辰吾先輩は真夏に似合わぬひんやりした声を轟かせた。
「出水よ。──その正義とやらで、最後には誰を守ってくれんだ?」
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