二十二.
…………。
…………やっべー…………。
廻谷の、とか。二年生の、とか。せめて生徒会の、とか。
『俺のマドンナ』はちょっと見栄張り過ぎたかも。見栄張ったというか盛ったというか。いや三百万も含めて気持ち的には全然盛ってないからこそ、理性の奥底にしまって長らく隠し通してきた下心がバレてしまったというか。
見知らぬモブどもはともかく、早希先輩。……調子乗ってすいませんでしたァ!
さっきまで一緒だったリーゼント頭に感化されて気持ちが舞い上がっていたのを、引き返せない局面まで自ら持ち込んでからその場で固まり赤面していたが、
「んだ、てめえ。ヤル気ないなら引っ込めや!」
当然マドンナに釣られたモブどもは聞かなかったことになんかしてくれない。
ひえぇ、一斉に立ち上がってきた! 何人いるんだ? 駐輪場の感じからして絶対十人はいるよね? 先走ってごめんなさい辰吾先輩、早く来てくださーいっ!
けど……ええい、ままよっ!
「早希先輩!」
誰かに髪の毛を掴まれそうになった気がしたけれど、僕は咄嗟に屈み込んで逃れた。目前で行く手を阻んでいたジーパンの男も、流れるように脇をすり抜けてかわす。
サッカーボールなきエアドリブルを披露しながら早希先輩に駆け寄ろうとして、背中からシャツを強い力で引っ張られる。
迷っている暇はない。もうどうにでもなれ。あんなイカついヤンキーやギャルが登校できてるんだ、一回謹慎くらった程度じゃわけないさ。
振り返りざま、誰かもわからない邪魔者の
「いっでえ⁉︎」
間抜けな悲鳴とともに解放された体で、他の男たちをかき分け、大きな机に乗り上げる形でようやく辿り着いた早希先輩へ手を伸ばす。
「帰ろう、先輩!」
「涸沢くん……!」
「三十万くらい、りえか会長がヨユーで保証人になってくれるってさ! なんだったら辰吾先輩が事務局にでも職員室にでもカチ込んでチャラにしてくれるよ! それか俺もバイトして、三十でも三百でも一緒に返していきますから!」
手首を掴む。
「あれは早希先輩のお金じゃない、生徒会みんなで管理してきたお金なんだ! だから早希先輩が一人で責任感じる必要も、ひとりで責任取る理由もない。ましてや、早希先輩を責めるような奴、あの部屋には誰ひとりだっていない!」
もう片手で肩を強く抱いて、叫ぶ。
「頼る相手を間違えないでくださいよ。あんたを守れるのは──あんたの味方は、廻谷生徒会執行部に全員揃い踏みだっ!」
刹那、なにも考えられなくなる時間があった。
頭に鈍い衝撃が走って、両手が早希先輩から離れていく。
「涸沢くん!」
チカチカした視界で今にも泣き出しそうな早希先輩の顔が映る。ああ、もしかして殴られたのか。
床へ崩れ落ちるように倒れかけた、その時だった。
ドアが乱暴に開かれる音がした。僕らを取り囲んでいた男たちの怒声で、すぐに辰吾先輩が現れたんだと悟る。
……いや。
助けに駆け付けたのは──犯行現場に追い付いてきたのは、どうも辰吾先輩だけじゃなかったらしい。
× × ×
パシャ。パシャパシャパシャ、と。
スマホカメラの連写音がカラオケボックス大部屋でかすかに鳴り響く。
朦朧とした頭をどうにか支え、見上げれば、学ランの広い背中に隠れるようにして廻谷の学校指定のスカートがあった。校則通りに赤いリボンをきっちり首元で締めた彼女は、スマホを部屋中へ向け、ぐるりと撮影しながら男たちひとりひとりの顔を、じぃと。
「……特定、しました」
耳を澄ませてやっと聞こえるくらいの声量で。
「廻谷大学地域創造学部、
ひとりひとりの名前を挙げていく。
「廻谷大学病院の内科医、
みるみるうちに大部屋の空気が冷え込んでいくのを感じた。男たちの顔つきも変わっていく。……ま、まさか……全員当たりなのか?
「最近、とある匿名掲示板で立っている『廻谷OB』スレッドにて一件の募集がかかりました。添付されていた写真には塚本先輩が『PARK HISAYAMA』で受付している姿が……一人当たり参加料三万円で、彼女をゲストにオフ会が籠森町内場所未定で開かれるという募集があって、この集まりが成り立ったんですよね?」
無表情で声の抑揚を付けず、
「主催者は笹井さんですか? あなた、二年前にも同じような募集を別のSNSでかけています。あの時にゲストとして皆さんに買われた廻谷の女子生徒が、まもなく自殺未遂を起こしたことはもちろんご存知でしょう?」
台本をそのまま読み上げているかのような流暢さ、言葉だけで大人たちを追い詰める。
「あなたがグループの小さくない株主だったから、学校は一度目はいじめとして処理しましたけれど。今、その件について、まだ表に出ていない類似案件と絡めて掘り返して、新聞にしようと躍起になっている子が私の知り合いにいます。この写真と顧客リストを彼に送ったら、本人がこれまでに集めた情報と合わせて決定的な証拠になると思うんですよ」
誰かが彼女とスマホに飛び付こうとしたのを、辰吾先輩が片手であしらう。僕は必死の思いで起き上がり、もう一度早希先輩の手首を掴んだ。
腕にぎゅうと、さほど痛くない力が込められる。目尻に涙を浮かべ、ようやく立ち上がった早希先輩が僕の腕にしがみつき、縋るように見つめていた。
自分のツレには手ェ出させない、と静かに主張する辰吾先輩に怯んでいる男たちへ背を向け、僕は早希先輩の手を引き──スマホを握りしめたままの、喜多川さんの背中を軽く押して一緒に大部屋から連れ出していく。
背中で聞こえる、次第に大きくなっていく早希先輩の嗚咽に、カラオケ店を飛び出しあてもなく遠くへ駆けている間、僕は直接顔を見ずに「大丈夫。もう大丈夫ですから」と何度も声をかけたんだ。
× × ×
カラオケ屋から遠ざかり、適当にさまよい歩いた僕らが偶然目に留めたのは
辰吾先輩にチャットで居場所を伝えている間も、ベンチに座った早希先輩は、
「ごめんね、ありがとう。ごめんね、ごめんねぇ、ホント、ごめんなさいぃ……」
と顔を両手で覆い何度も何度も同じ言葉を繰り返し呟いている。
喜多川さんはベンチの隣に腰掛け、僕とも早希先輩とも視線を合わせようとせず、膝もとにスマホを置き、パタリ、パタリ、とローファーを地面へ小さく打ち付けていた。カラオケ屋を出てからは、駐輪場に停めておいた自分の自転車を引いてここまで付いてきたけれど。……なんか、暇そうだ。
早希先輩をなぐさめる気配もない。辰吾先輩に頼られ、僕に頼まれたので渋々協力した人間の、用が済んだのですぐにでも帰りたいという本心が、表情には出さずともどこからともなく滲み出ている。
あんなに怖そうな大人たちを一網打尽したのは、他でもない彼女だったのに。
「よう。お疲れ」
喜多川さんとも会話らしい会話をしないまま、辰吾先輩はのそのそと追いついてくる。
「ふらつきはねえか、涸沢? お前さっき一発ぶん殴られてたろ」
「は、はい。おかげさまで……」
「そうか。まあ良かった。ワンランク男を上げたってわけだ」
なんだそれは。僕は呑気な辰吾先輩にふてくされてみる。別にこっちは、喧嘩や乱闘騒ぎで男を上げたって嬉しくないんだよ。
泣きじゃくる早希先輩と無を貫いている喜多川さんの頭を、ぽんぽんと順に優しく叩きながら、
「さすがじゃねえの。四六時中あの校舎の端っこを陣取ってるだけのことはあるな」
そう激励を送ったので、僕は心底不思議だった真相の解明に乗り出した。
「なんでわかったの喜多川さん? 早希先輩の居場所とか、その……掲示板だっけ? あいつらの身元まで、あんな事細かに……」
「今に始まった趣味じゃないらしいぜ」
なぜか先に返事したのは辰吾先輩だ。
「こいつ、生粋の廻谷オタクでよ。学校内外で廻谷生がなにやってるか、その目で観察するなりSNS漁るなりしていっつも情報追っかけてるらしいぜ」
「は、はあ」
「テスト期間中もずっとパソコンの部屋で勉強してたんだよな?」
喜多川さんはうつむきがちに、こっくりと頷く。
その薄い唇から紡ぎ出される物静かな証言には、僕は宇宙人を目撃したみたいに度肝を抜かれた。
「あの部屋、見晴らし良いから……夜遅くまで生徒会室の電気ついてるとか、土曜日なのにプール使ってるとか、ダンス部が中庭で動画撮ってるとか、出水くん今日も資料室で本読んでるとか、サッカー部と登山部が、マジック部の教室で椅子取りゲームしてるとか……」
……おい。
聞き捨てならないな、サッカー部、お前らもマジック部と遊んでたんかい。
「でもまさか、二年前のことにもあんなに詳しかったなんて……」
「ああ」辰吾先輩が何食わぬ顔であごを引く。「そいつな。小早川参の妹さんだ」
「……はあ⁉︎」
うっかり大きな声を出すと、びくっと喜多川さんが両肩を震わせる。
いけないいけない、このリーゼント頭を差し置いて僕が怖がらせてどうするんだ。
「つい最近離婚して、母方に引き取られたんで苗字が変わったんだってさ」
「そ……え、どこからツッこめば……だって辰吾先輩、喜多川さんに選挙のポスター作らせてたじゃないですか!」
早希先輩もいつのまにか嗚咽が止んでいて、さては知らなかったのか、驚いたように喜多川さんを隣で見据えていた。
「そう……なの? あなたが参先輩の妹さん?」
ぱちぱちとまばたきした早希先輩が、
「お姉さんから話には聞いてたんだよ。すっごく頭が良くて、いろんな賞取ってるすんごい妹さんだって」
一息で歌う。
「中学の全国模試で総合一位取ったり、ゴルフ選手権で優勝したり、クイズ大会出たりeスポーツの大会出たり、他にもいろんなコンクールで入賞してるんでしょう?」
……ん?
聞き間違いか? 気のせい? その雑多ばらんな経歴、なんかどこかで……。
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