十四.

 騒がしい来客に、コンピュータ室の三人が揃って視線を集めた。僕は震える指でスマホを取り上げ、すかさずりえか会長に着信を入れようとして、たまたま窓の外から見えた黒塗りのタクシーに舌打ちする。

 いや、大丈夫だ。まだ間に合う。まだあの中に乗っているとも限らない──


「りえかは呼ぶな」


 辰吾先輩は白い床と一体化しそうなほど図太い声を上げた。

 ずしんずしんと重い効果音が聞こえてきそうな図体を揺らし、さほど慌てていない様子で僕に近付いてくる。


「涸沢。あいつには内緒でここに来ている。今あいつに来られると俺が困る」

「今困ってるのは俺たちなんですよ!」


 悲痛で満ちた叫びが部屋中をこだまする。

 先輩に、それもあの辰吾先輩に一年生がブチ切れる構図にさぞ驚いたことだろう。事情がよくわからないなりに仲裁をしようと、花巻先輩が僕らの間に割って入ってきた。


「生徒会が今どれだけたいへんな目に遭っているかも知らないで……!」

「ま、まあまあ。一回落ち着きなさいよ涸沢くん」


 花巻先輩は僕と辰吾先輩の両肩を交互に叩いて諌める。


「滝口くんも怒ったり、殴ったりしたらダメだからね。やったらやり返す喧嘩なんて、なんの生産性も生まないんだから」

「うす」

「あのね、涸沢くん。鳩ノ巣さんに来られると都合が悪いのは確かなんだよ」


 そう言って案内されたのは喜多川さんの前だ。喜多川さんも手を止め、座ったまま一切口を挟まずにうつむいている。

 ……そうだな。頭を冷やそう。よその部の、しかも大人しそうな女子の前で内輪揉めなんて男子としても恥だ。


 パソコンの画面に映っていたのはスーツを羽織った老人の顔写真と、老人が主役にしてはやけに現代的で小洒落たデザインをしたポスターだった。

 ──滝口、えんろう? どこかで見た名前だな。


「滝口くんのおじいさん、もうすぐ町長選だから。新しいポスターを作って欲しいって、私たちパソコン部が頼まれてたんだよ」


 ……えっ。

 選挙ポスターなのか? このアメリカンモダンで?

 いや、待て落ち着け。先にツッコむべきはそこじゃないだろう。


「公約が載った配布パンフレットも喜多川さんに任せてみたんだよね。ほら、さすがのクオリティでしょ? 今日の午後は仲間の議員さんの応援演説やるらしくって。いやあ、なんとか間に合いそうで良かったわよー」

「うす。めっちゃ助かります」

「じゃあこの内容で刷っちゃって良いかな? まあ頑張ってね、滝口くん。パソコン部の三年には私からちゃんと投票行くよう言っておくから」


 僕は二人のやり取りとポスターを交互に見返しては、開いた口が塞がらなかった。

 そうか、この老人は現職の籠森町長だ。まあ確かに苗字は同じだけれど……え? いや。いやいやまさか。……さすがに冗談だろ?


「それで、涸沢くんはどうしたの? もしかして生徒会がパソコン部になにか用?」

「たぶん活動状況の調査っすね」


 喜多川さんに印刷ボタンを押させてから、花巻先輩がたずねてきたのに返事したのはなぜか僕じゃなくて辰吾先輩だった。


「夏休みの部費をもっと増やしてくれっつう部が多いんで。どこの部に金を回すかってんで生徒会がガサ入れしてるんすよ」

「あー、なるほどね。まあ夏はいろいろ入り用だもんねえ」


 頬に手を当て、腑に落ちたように花巻先輩はうなずいている。

 なんだよ……辰吾先輩。ちゃんとチャットの内容まで見ていたんじゃないか。


「そういう話なら、パソコン部のことは気にしなくて良いからね。うちって頭数はいるけど、部員によってやってる活動は全然違うんだよ。ユーチューバー的な動画撮りたい子、プログラムの勉強やってる子、ブログとかホームページとか作ってる子、DTMしてる子。本当、人それぞれだから」


 コピー機がうるさく振動し、ポスターを刷っている音が耳に入ってくる。


「今日はたまたま滝口くんの件があったんで、関係ない子はこっち来ないよう伝えてあったけど。もともと部室への出入りは自由ってことにしてて、月一くらいで集まって報告会したり、機材や専門的なスキルの方面で必要に応じて情報交換する感じかな。せっかく部費もらっても何に使うかの奪い合いになって揉めちゃうだけだし、この部屋は部活動とか関係なしに学校が管理してくれてるしで、やっぱり要らないって結論に落ち着くんだよねえ」

「そう、ですか」

「けどダメじゃない滝口くん。ご家庭の手伝いで忙しいのもわかるけど、生徒会に入ったからには後輩の面倒くらいは見てあげなくちゃ。鳩ノ巣さんもなんだかんだ言ったって高校生だよ? キャパシティも無限じゃないだろうからさ」

「そっすね。すんません」


 小さく会釈する辰吾先輩に僕はもう一度舌打ちしたくなったのを堪える。謝るならこっちに謝ってくれとみっともなく喚き散らしてやりたい。

 辰吾先輩は紙袋いっぱいに刷りたてのポスターとパンフレットを詰め込むと、


「花巻さん、喜多川さん。世話になりました」


 と礼を述べるなりさっさとコンピュータ室を出ていこうとする。僕は数秒ほど呆気に取られたが、


「お、お邪魔しました」


 はっとしてパソコン部の二人へ頭を下げ、のんびりした足取りで廊下を進む辰吾先輩の背中を追いかけた。

 引き戸を閉める間際、花巻先輩がひらひらと片手を振っている後ろで、じぃと、喜多川さんが僕らを食い入るように見据えていたのが妙に印象的だった。



   ×   ×   ×



「先輩。待ってください先輩!」


 僕は辰吾先輩に追いつき、追い越して行く手を阻むように廊下で両手を広げ直立する。


「本当に助けて欲しいんですってば。特に──」


 感情に身を任せ思いの丈をすべて吐き出そうとして、急に言い淀む。

 特に……なんだろう。今更この人になにを助けてもらおうって?

 調査ならほとんど終わってしまって、あとは新聞部だけ。二日に渡ったこの調査から導き出される結論は、きっと、どこの部活動にもこれ以上くれてやる部費はない──だ。


 じゃあ、あとは? 生徒会に残された最後の問題って?

 もう、金庫の失われた三十万円くらいのものじゃないか。誰が犯人でいつから無くなっていて、そもそも本当に三十万円なんて残っていたのかとか、そんな悪魔の証明みたいな問題を、このリーゼント頭にすがったって解決しようもないのに。


「行くさ、今から」


 辰吾先輩はあっさりと僕の脇を通り過ぎていく。


「これロッカーに置いてからな。りえかも来てるんだろ? これはあいつには見せられないからな」

「もう帰っちゃいましたよ。グループの人とゴルフだそうです」


 階段を辰吾先輩の数歩後ろで下りながら恨み言を吐く。


「もしかしたら、ゴルフには次の選挙に出る先輩のライバルも来てるかもしれないですね」

「……そうか。まあ、今の時期はそうだろうな」


 ああ、なんてややこしい。どうりでりえか会長も、辰吾先輩にはあまり積極的に協力を仰がなかったわけだ。

 田舎では大して珍しいケースでもないんだろうか。同じ高校に通う生徒が、実は保護者を介して政敵でしたなんて。

 ていうか、それならそれで辰吾先輩もどうして生徒会に入っているんだ。


「あの、余計なお世話かもしれませんが。町長のお孫さんだったんなら、せめてリーゼントはやめません? あとその学ランも……」

「これも一応廻谷の制服だぞ。親父が通ってた時のお下がりだ」


 いや何十年前の話だよ、それ。創立五〇年の歴史を唐突にお出しされても困るんだけど。


「リーゼントはまずいでしょう、リーゼントは。それで選挙の手伝いなんて無理ですよ」

「評判そんなに悪くねえよ。これ、氣志きしだんリスペクトだからな」


 やっぱり平成初期のヤンキーノリじゃないか! 時代に置いていかれても世話ないな!


 玄関にたどり着き、辰吾先輩は自分の靴箱へ紙袋を放ろうとして、あきらかにサイズが大き過ぎるためにすっぱりと諦め、軽々と持ち上げるとロッカーの上へ置いた。

 くそ、調子が合わない。出会って早々に殴りかかられても嫌だけれど、だからって単なるマイペースも勘弁してほしい。


「りえか会長のこと、呼び捨てにしてるんですね」

「まあ、小学校からの付き合いだからな。廻谷の奴なんてだいたいそんなもんだろ。中学はだいたいみんな籠森第一か第二か……第二はもう無くなっちまったが」


 辰吾先輩はようやく僕と視線を交えた。ズボンのポケットに両手を入れ、ただ見下ろしているだけなのにガン飛ばされているような恐怖を得る。


わりぃな、涸沢。いろいろ押し付けちまってたみたいで。昼はビラ配りあるから、今日はあと一時間くらいなら付き合えるぞ」

「……じゃあ、新聞部のところへ行きましょう」


 言いたいことは他にもいろいろあったけれど、玄関で立ち往生していても仕方がない。


「かなり長い時間待たせてるんですよ。それ行ったら、調査のほうは全部済みますから」

「そうか。わかった」


 辰吾先輩はのそのそと、僕に行き先を確認するでもなくひとりでに進み始めた。

 おいおい勝手に行くなよ。どこで待ち合わせしてるか、どうせわかってないだろ?


「資料室だろ。図書館横の」

「えっ」

「出水はいつもあそこで本読んだり、課題やったりしている。新聞に使う紙とかも全部そこに置いてあるしな」


 な……なんなんだこの人。案外生徒のことをよく見てるじゃないか。


「そういえば、課題はもう出したんですか? テスト明けもずっと居残りしてて生徒会に来れなかったんですよね?」

「ん? 誰が言ったんだそんなの。今回は最初から全部出してるぞ」


 マジでなんなんだこの人! 全然掴みどころがないなあ!

 今回はってことは、毎回ちゃんと提出しているわけでもないあたりがさらに面倒くさい。ファッション不良なのかリアル不良なのか、せめてそれくらいは白黒はっきり付けておいてくれないか。



 辰吾先輩の見立て通り、将斗は資料室で本を読んでいた。


「ごめん将斗、遅くなったな」

「別に良いよ。……あ、ここのドア低いんで気を付けてください」


 将斗に特段待ち構えていたような雰囲気はない。僕の後に続いてドアを潜ろうとした辰吾先輩が、危うく頭をぶつけそうになっているのを見て注意を呼びかける。


「滝口先輩もいらしたんですね。涸沢ひとりか、来ても会長あたりかなと思ってました」

「俺も長居はしない。次の用事が入ってるからな」

「ああ、もしかして選挙ですか? 頑張ってくださいね。僕は現職を支持しますよ」


 そう言って将斗は穏やかに微笑んだ。

 やっぱり落ち着いている。急に気が変わって生徒会に予算を無心する無神経なタイプには見えない。なんなら、辰吾先輩や僕なんかよりもずっと生徒会に向いていそうな、話していて安心するオーラを漂わせていた。

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