十三.

「その……大丈夫ですか?」


 生徒会室までダンス部に介抱されるような形で連れられたきたりえか会長は、ソファに一度寝そべったきり両目を腕で覆い、体操服のまま二十分以上ぐったりしていた。

 保健室はどうせ先生がいない、もう山降りて病院へ行くべきじゃないかと何度も提案したけれど、体調は別に悪くないと頑なに拒み続けて今に至る。


 噂のすべてが真相だと決めつけるのも時期尚早だし、深入りしようにもなんやかんやプライベートの事情だから、生徒会としては首を突っ込みにくい。当の内藤先輩も騒ぐだけ騒ぎ立てて、さっさと次の恋を見つけたという自己中っぷり。これこそ聞かなかったことにしたほうが無難な気もしてきたけど……。

 本当、寝込みたいのは僕のほうなんだけどなあ。


「……美鶴だけはねーわ……」


 今にも死にそうな涙声で、漏らした本音を僕は聞き逃さなかった。


「デマ。絶対デマ。マジで美鶴に先越されてたら死ぬ……自殺する……」

「物騒なこと言わないでくださいよ。……久山先輩って俺喋ったことないですけど、さすがサバゲー部と言いますか、雰囲気がいかにもオタクって言いますか、内藤先輩みたいなザ・パリピがタイプって風には見えなかったですね」


 おい、涸沢淘汰。血迷うんじゃない。

 パリピがどうという苦し紛れの理屈は、内藤先輩だけじゃなく外見が小ギャルなりえか会長にもがっつり該当してしまうぞ。


「つかぬことを伺いますが。ちなみにeスポーツの大会って、久山先輩が誘ってきたんですよね?」

「…………」


 おい、鳩ノ巣りえか。ダンマリ決め込んでないでなんか言えよ。


「実際のところ、告白されたことあるんですか? そういうんじゃなく、単純に仲が良かった感じで?」

「…………」

「……ええと、重ねて失礼を承知で伺いますが。りえか会長のほうが久山先輩を好きだったりは──」

「美鶴にくれてやるくらいなら早希にくれてやるわよ!」


 しまったあ。一番触っちゃいけない地雷を踏み抜いちゃったか。

 でも僕は悪くないんじゃない? この流れになってしまっては質問しないわけにもいかなかったし。もう森浦先輩のミーハーへきのせいにして良いかな?

 久山先輩がタイプなんて、りえか会長も変わってますね──とか、面と向かってぶちまけようものならいよいよ取り返しのつかない事態になりそうだ。


「告るわけないでしょう? 相手は一応年下よ? あたしは追っかけるより追われたい派なの! あっちから誘ってほしいの! あっちが本気になるまでじっくり時間かけて育てて待ちたいタイプなのぉ!」

「そ、そうですか。……男側の客観的な意見としてたいへん恐縮ですが、りえか会長くらい優秀な人が相手なら、むしろ告白されたほうが嬉しいんじゃないですかね? 逆に自分からはなかなかアプローチしにくいと言いますか」

「うっさい! うっさい黙れ死ね! サバゲー部にサバゲー以外でどーやってアプローチすんのよお!」


 キレられた。今のは僕の失言が招いた因果応報か。要は自分から行けなかっただけじゃないか。

 天下のりえか様が恋に限っては超絶不器用とか、意外と臆病で慎重派だとか、ここにきて今更新しい属性を足されても扱いに困るんだよなあ……。



 顔をソファに押し付け、鼻をすすらせ泣いているりえか会長が、今日はもう使いものにならないことは目に見えていた。

 スマホの通知を確かめれば、どうせ部員が一人しかいないからとあらかじめ待ち合わせしておいた新聞部から、登校済みの知らせが届いてしまっている。パソコン部だって、一度は顔をのぞかせるくらいはやっておかないと調査にならない。


「あとの二団体は俺一人でじゅうぶんです。午後はゴルフでしょう? そのお顔で接待は無理ですよ。りえか会長はもう帰ったらどうですか」

「……ううー……」


 のっそりと起き上がってきたりえか会長はあまりにもひどい顔をしていた。涙でぐしゃぐしゃになった顔を無防備に晒し、しばらく虚空を眺めていたけれど、


「あとは生徒会書記にお任せください」


 説得の言葉を直すと、納得したのか案外素直に頷いた。

 普段あんなに無敵感あふれている人が、こと恋愛が絡むとここまでメンタルを落としてしまうのか。男としてなかなか勉強になるものだ。


 ……普段は誰にでも親切な早希先輩だって、弱る時は弱るんだろう。それこそ、他人の顔色を伺っていられるほどの心のゆとりも持てないくらいに。

 これはいよいよ、僕も見過ごせなくなってきた。


「淘汰」


 生徒会室を出ていこうとすると、りえか会長に呼び止められる。腫れた目を擦りつつ、


「パソコン部は正直もうどうだって良い。それより、新聞部にはちょっと気を付けなさい」

「……気を付けるって」

「下手なことを喋るなってこと」


 まだピンときていない僕に、続けてため息混じりの忠告を加えた。


「他の連中は……理由はともかく、予算がやりたい活動に追いついてない感じなのは一応伝わってきたわ。けどあたしの勘じゃ、新聞部は大してお金には困ってない」

「え? でも、わざわざ早希先輩に頼んできたんですよ、将斗は」

「それが臭いって言ってるのよ。とにかく、新聞部へは用件だけ済まして早めに引き返してくること。良いわね?」

「はあ。……そういうことなら、もうりえか会長が行ったほうが良くないですか」


 りえか会長はなぜか数秒黙り込む。不測の事態にコンディションをぐんと落としてしまった彼女は、指示にもどこかキレを失っているように感じた。


「……いいえ。やっぱりあたしじゃダメ。淘汰が行くから、意味があるのよ」



   ×   ×   ×



 とうとう一人になってしまった。

 日曜は廊下から見える教室の殺風景で、己の孤独がいっそう浮き立つ。こうなってくると、早希先輩なんてわがままは言わないから、せめて辰吾先輩くらい隣にいてほしかったなと恋煩いに近い感情を抱いてしまう。


 本当、どこでなにやってんだあの副会長は。

 背高でリーゼント頭で仏頂面。男子の学校指定服はブレザーなのに、なぜか真っ黒な学ランを着て登校してくる、反骨精神の塊みたいな人。

 そのいかにも怖そうな風貌は、部室に乗り込んで詰める今の役回りこそ生徒会で誰よりも向いていそうだったのに。

 コンピュータ室は明かりが点いているわりには、廊下から耳を澄ませてもあまり大きな音はしてこない。かろうじて複数人の話し声が聞こえる程度。とても二十人も集まっているとは思えない。


「ごめんくださーい……」


 やや立て付けの悪い引き戸が、ゆっくり開けてもガラガラと静寂を台無しにする。



 コンピュータ室に入るなり僕は息を詰まらせた。

 部屋にいたのはたった三人だ。一人は部長の花巻はなまき先輩。三つ編みのおさげ頭にメガネという、平成も遡った昭和の女学生みたいなスタイル。

 一人は、クラスメイトの喜多きたがわれいさん。さらさらとしたショートヘアの小柄な女子生徒だけれど、教室ではいつも一人で過ごしていて、笑わないし、どんな声の持ち主だったかも覚えていないくらい物静かな人。


 その喜多川さんが一台のデスクトップパソコンの前に腰掛け、作業をしている姿を他の二人が囲っているような構図だった。喜多川さんってパソコン部だったのか。知らなかった。でも、今そんなことはどうだって良いんだ。

 ひときわ背が高くて目立つ最後の一人に、僕は叫ぶ。


「──辰吾先輩!」

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