八.

生徒会執行部 一学期末臨時調査

〜一日目・七月十三日土曜日〜


【対象団体】水泳部、登山部、ジャズ部、サバゲー部、マジック部

【調査理由】土曜が活動日に含まれているとの記載が活動報告書にあるため

【調査内容】活動報告書の内容と実際の活動状況の照らし合わせ、夏期休暇中の活動費用の増額の是非(特に増額の事前要請があった水泳部、登山部、ジャズ部に対して)



   ×   ×   ×



 朝七時半過ぎ、籠森駅の改札を抜けるたびに絶望する。

 その絶望は夏であればあるほど深まっていくし、きっと半年も経てば今度は冬を憎むことになるのだろう。どうして廻谷の全校生徒は、最寄り駅から山を見上げても建物ひとつ見えないような奥地まで片道二、三〇分の苦行を強いられなければいけないのか。

 どうりで町民でもない奴が好き好んで廻谷を第一志望にはしないわけだ。僕もオープンキャンパスくらいは行っておけば出願を踏みとどまれたのかな。


 酸素不足に打ちひしがれながら丘をのぼっていると、ブルルルルゥ……と脇を一台のタクシーが通り過ぎていく。黒光りするタクシーを見やれば、後部座席で悠々と頬杖をついていたのはりえか会長だ。

 く……っ、くっくくくく、くっっっそずりぃー!


「うっす」


 必死の思いで校門にたどり着き、朝からへとへとの全身を引きずって生徒会室のドアを開けると、息切れひとつ起こしていないりえか会長が回転椅子の上でコーヒーを飲んでいた。何度見てもむかつくモーニングルーティーンだ。液体の黒さがさっきのタクシーを連想させてくるから余計に腹立つ。


「りえか会長。俺がのぼってくるの、見えてました?」


 キレ気味を態度で示しても、りえか会長は平気そうな顔して答える。


「見えてたわよ。あの勾配を炎天下で歩けるとか、あんたたち本っ当若いわねえ」


 おちょくってるのか? 毎朝死にかけてるからキレてるんだよこっちは!


「せめて途中からでも乗せてってくれません? 俺、スタバよりタクシーチケットのほうが億倍嬉しいです」

「乗せるぶんには別に良いけど、自分のタクシー代は自分で払うのよ」


 天下のりえか様がなんてケチくさい。どうせそっちのタクシーだって学長パパにもらった小遣いとかから出しているんじゃないのか?


「ダディーにお小遣いなんてもらったことない。足で稼ぐかお金を稼ぐかの違いでしょ」


 さいですか。娘から恥ずかしげもなくダディーなんて呼ばれている父親が、お小遣いもくれないなんてケチくさい人間だとは思いたくないけれど。



 そんな風に登下校の不便さをりえか会長へ訴えかけている間に、集合時刻だった八時四十五分を迎えてしまう。これは平日でいうところの、一限目の五分前だ。

 辰吾先輩はともかく──やっぱり、早希先輩も来てくれないのか。


「さくっと乗り込むわよ。ほれ、さっさと活動報告書のコピー持ってくる!」


 二人きりしかいない部屋の寂しさを紛らわすように、りえか会長はぱんぱんと手を叩いて準備を促した。


「ええと、まずは水泳部でしたっけ? もう部員来てるんですかね?」

「来てるっしょ。七海のバカヤローは一年の時から無遅刻無欠席くらいしか取り柄なかったもの」

「……あるじゃないですか。水泳っていう取り柄が」

「あんたまでバカになってどうするの? それは取り柄じゃなくて本分ほんぶんでしょうが」


 りえか会長はコーヒーを飲み干し、空となった紙コップを水平にして窓越しに屋外プールのある方角を指した。最初のターゲットに狙いを定め、容赦ない言葉を浴びせる。


「だいたいね。あいつらの場合──来てるほうが問題なんだから」



   ×   ×   ×



 廻谷にプールは屋外用の一箇所しかない。

 屋外プールのコンディションはグラウンドよりも外の天候に左右されがちで、水温などの関係で使えない日もでてくる。それでは練習が成り立たないからと、海堂先輩の申し出により、昨年度から籠森町内にある公共の屋内プールの部活動利用が認められていた。


 認められた、というのは単に使って良いかという話では決してなく、部活動の経費としてプールの利用料が学校予算から落ちるという意味だ。

 学校のお金で使えるのだから、裏を返せば、使っていなければ話にもならない。



 水泳部員総勢七名は、朝から揃って水着姿で準備運動をしていた。

 真夏の青い空の下、金網に囲まれコンクリートで両足を焦がしながら、町内会みたいなノリでラジカセをかけ軽快な音楽に合わせて屈伸する。


「いっち、にー、さん、しっ! にー、にー、さん、しっ!」


 遠い場所からでも海堂先輩の掛け声ははっきり聞こえていた。金網まで近付けばもっと威勢が良い図太い声が、僕らの鼓膜を今にも破らんとする。


「ん? 鳩ノ巣か?」


 僕らの姿に気付いた海堂先輩が、他の部員を先に泳がせてからずかずかと歩み寄ってくる。がしゃん、と金網に指を絡ませればけたたましい音が鳴った。


「その畑の泥みたいな頭はやっぱり鳩ノ巣だな! 遠目でもすぐわかるぞ!」

「サイテーな例えすんの止めてくれない? 万年日焼け黒糖まんじゅう男が」


 プールの外側からでは、海堂先輩のたくましい胴体がちょうどりえか会長の額あたりにくる。日焼けした巨人に見下ろされたら、僕なんてただの雑草の虫だ。


「田舎丸出しかよ。どうせ例えるならザッハトルテみたいなエロい色でしょ」

「エロぉー?」海堂先輩はスレンダーなモデル体型美女に間伸びした声を返す。

「エロってのは塚本みたいな女を言うんだろ! お前みたいな開けっぴろげはエロじゃなくてグロだ!」


 グロはいくらなんでも失礼だ。単純に海堂先輩にボキャブラリがなさ過ぎて、黒ギャルあたりの例えが浮かばなかっただけだと信じたいが。

 ……黒糖まんじゅう、ザッハトルテもセンス的にはどうかと思うけれど。まあ僕は黙っておこう。


「あっそ、死ね。今すぐ足つって溺れて死んじまえ」


 りえか会長は入り口に躊躇いもなく踏み込んでいく。コンクリートの上を土足で進んで行ったのを、僕は慌てて後から追いかけた。

 金網の内側は遮蔽物が少ないからか、外でもいっそう暑さを感じる。わざわざこんな太陽に近い場所で泳ごうという精神性が、僕には微塵も理解できない。絶対、屋内プールのほうが良いじゃん。



「なんの用だ鳩ノ巣? 今日は土曜だぞ!」


 完全に自分たちのことを棚に上げ、海堂先輩は額の汗をぬぐう。

 同じ地面の上に並んでも海堂先輩は大きい。身長百九十センチは伊達じゃないようだ。


「生徒会の仕事で来たっつーんなら、おおそうか、たぶんアレだな! 現金で持ってきたなら俺が濡れる前にさっさと寄越せ! 更衣室に置いといてくれても良いぞ」

「あるわけねーだろバカヤロー」


 半裸の男をりえか会長はローファーで蹴ったくった。僕みたいな軟弱者とは違って海堂先輩はびくともしなかったが、軽く泥が膝に付いて唇を曲げる。


「靴で蹴るな、乱暴な女め! エロく見られたいならもーちっと慎ましくしろ!」


 アスリートが怪我したらどうするんだ、というクレームは彼の発想にはないらしい。

 するとりえか会長が、背後に控えていた僕を指先でちょちょいと呼び出してくる。ああ、はい……肝心の用件は書記の僕が伝える感じですか……。

 この人もりえか会長に負けず劣らず迫力あって怖いんだけどなあ。


「海堂先輩。春に提出いただいたこちらの報告書によれば、毎週土曜は『かごもりスポーツセンター』の屋内プールで練習するという生徒会との取り決めがありましたよね?」


 僕はりえか会長の隣に並び、報告書に書かれているまんまを読み上げる。


「午前にプールで練習して、午後は施設内にあるトレーニングルームでの筋トレや体力作りをしたいという、海堂先輩からのご要望に基づいた取り決めだったはずです。……約束が違いませんか?」

「違わないさ!」海堂先輩は悪びれもしない。「午後は確かにそっちへ行くからな!」


 りえか会長はもう一度海堂先輩を蹴ろうとして、次はひらりとでかい図体でかわされる。宙を切ったローファーが、そのままの勢いでコンクリートへ鈍い音とともに着地した。


「学校にお金出させといて使わねーのはどういう了見だっつー話してんのよ! あぁん⁉︎ 授業で使ってるわけでもなし、こっちのプールの維持費もゼロじゃないんだからさあ!」

「そう怒るな! 良い女はいつだって笑顔でいるものだぞ!」


 常に沸点飛び越えたような声の張りで、海堂先輩は言い訳にもならない言葉を連ねる。


「そして何事にも気分というものがある! 今日は良い天気だ、外で泳いだほうが気持ち良い! ほら、論理的だろう?」

「ねーよ論理ロジックなんか! あんたは毎日、気分フィーリングでトレーニングプラン変えてるわけ?」


 結局怒鳴りながら弾劾しているのはりえか会長だ。お飾りの書記たる僕は、早々にお役ごめんとなって暑さに耐えるだけとなってしまった。



   ×   ×   ×



「土曜なんて、どーせ顧問も呼んでないんでしょう。ここのプールを使う時は、事故防止で必ず一人は教師が見てなきゃダメっていう決まりもあったの忘れた?」


 とうとう僕から報告書も取り上げたりえか会長が、


「その様子じゃ、どーせこれ書いたのもあんたじゃないわね。誰? さと副部長? 別に誰でも良いけど」


 最後の詰めに入ろうとしていたけれど、海堂先輩は事の深刻さを理解していないのかまったく動じている気配がない。


「生徒会と決めたルールもろくに守ってない部に寄越すお金なんてこれ以上ないから。なんなら、二学期のぶんをペナルティでさっぴくまであるわね。せいぜい覚悟しておきなさい」


 ここまで言われても心に響かないのか、さっきから泳ぐのを止めて心配そうに成り行きを見守っている他の部員たちを背景に、


「……決めたルールもなにも」


 海堂先輩は耳をほじるような仕草をしながら、さも自分たちに落ち度はないかのように振る舞い続けた。


「その紙切れだったら、お前らにちゃんと話が通るよう俺がこしらえたんだぞ」

「はあ? どのへんがだよ、言えるものなら言ってみろバカヤロー」

「塚本さ。俺があの女に、生徒会が納得して学校が金も出してくれるよう、うまいこと書いておいてくれと頼んだんだ」

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